題名 | 地元の朝 Google |
ひらがな | じもとのあさ |
歌いだし |
・・・
単語解析
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ひらがな |
・・・
単語解析 |
作詞 | 宮本浩次 |
作曲 | 宮本浩次 |
編曲 | エレファントカシマシ |
特記 | |
カバー | オリジナル曲 |
リリース順曲番号 | 159 |
リリース会社 | EMI |
イントロ:BPM | 11秒 : BPM=88 |
『ろくたろう』さんの感想 |
この曲を繰り返し聴いた後、思い立って、宮本さんの足跡を追うが如く、家族総出で赤羽団地へ出向きました。ご両親のお宅はどの辺りかななんて思いながら、宮本さんの育った町を恐縮しながらめぐりました。気だるい気持ちで両親の家の前に立った宮本さん、幼い頃遊んだだろうと思われる公園、生活の源の商店街、いろんなものを見てまわるうちに思い出すんですよ。自分の本当の実家を。 |
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『tat』さんの感想 |
正直はじめて聴いた時ボツ曲だと思った。たらたらと長いだけ。詩も中途半端で、文学的にもなりきれず、中学生でもかけるのではないか・・・と。しかし、2回目に聴いたときだろうか・・・歌詞を見ながらじっくり聴いたときにこの曲の偉大さがわかった。40を目前にどう親に恩返しをするべきか悩む男の姿と、故郷の懐かしさ。僕がかくと言葉足らずになってしまうが、ただ泣いた。今は未成年で実家暮らし。もう1年もしたら家を出るだろう。・・・僕も17年間親にささげられた愛も返せるのかな・・・? |
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『普請虫』さんの感想 |
「地元の朝」はドキュメンタリーのように、赤羽の実家に帰省する宮本浩次の私小説的独白につきている。これほどまでに、自分自身の私生活と内心をオブラートにくるむことなく、誠実に歌ったうたが日本にどれだけあるだろう。静謐であり、しかし年を重ねても親に向かえば一人の子供に戻らざるをえず、されどやはり死を前にした親とかつての親の年に近づく自分とを意識する葛藤は、沈鬱である。その沈鬱さが最後半の「心の虹」によって解消される。「できるはず できるのさ」という独白が、内省を希望に変える。 |
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『tsukasa』さんの感想 |
人間なんて人情盗坊・・・ん?ドロボウ?とひっかかった曲。じっくり聴くと・・・なんというか、すごいわぁ。曲調が変わるところで、とてつもない浮遊感を味わう。立派な大人になりたいな。年齢的なものもあるんでしょうね。ミヤジさんの歌詞の一々が身につまされます。私も、と思います。 |
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『ともっち』さんの感想 |
当たり前なのですが、親にとって子供は幾つになっても子供であって、こんだけ日本のロック界で大御所的な宮本さんも例外ではないんです。特にこう浮き沈みの激しい世界にいるわが子をすごく心配して、朝、突然帰ってもいつでも迎え入れてくれる親。仏教の教えのような歌です。 |
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『kei』さんの感想 |
まったく私には経験のない状況ではあるのです。父は亡くなり母には会えない今ですから。でも宮本さんのこの情景は私の中の大切な大人達を呼び起こしてくれます。最後の体の全てを使い果たして死にたいけれどどこがら手をつけていいのか今戸惑い中です。使い果たす勇気を私の先祖達が与えてくれやしないかと今日も必死でこの曲にすがり付いていました。 |
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『あきらら』さんの感想 |
これ扉の中でもかなり好きな曲で。俺ん実家田舎だから時々大学さぼって泊まりに行くんですけど・・あの、車で40分くらいで着くからすぐで。でその日は寝て次の日の朝早く起きて窓を開けると山際にうっすら霧がかかってて耳をすましゃ「かっこう」なんて聞こえるんですよ、それでこの曲聞くと俺は晴れてさへいれば朝飯前にたいてい散歩に出掛けるんです。 |
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『ケプラー』さんの感想 |
これは痛々しい歌です。何故なら二親がいることだけでもありがたいのに、親不孝な30過ぎの自分が常々思い、出来ないことがそのまま歌われているからです。…いやいや参った。捧げられし愛をどうやって返そうか、まじ。 |
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『ふっち~』さんの感想 |
初期作品に見られた傾向 六分以上の大作。地元ってタイトルにいれるのエレカシくらいだろう |
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『ねむ』さんの感想 |
はっぴいえんどっぽいな、と思った。彼らの曲は「風をあつめて」と「花いちもんめ」しか聴いてないのに。特に後半。 |
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