エレファントカシマシDB ライブレポート

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レポート

   
選択日付タイトル
20110611 名古屋市公会堂
20101218 ZEPP NAGOYA
20100801 大阪城野外音楽堂
20091024 日比谷野外大音楽堂
20090411 日本武道館
20080712 大阪城野外音楽堂
20080628 日比谷野外大音楽堂
20080412 名古屋ダイアモンドホール
仕事で遅刻。会場に着いたら「こうして部屋で寝転んでいるとまるで死ぬのを待ってるみたい」の音が漏れていた。
とりあえず外で待ち、アルバムでのエンディング、ブツッと終わるあたりで入ったのだがなんだなんだ、ウォウォ~♪があったり、非常にエンディングが長いバージョンになってた。

他の曲でブツッと切れたエンディングのがあったが、何だったかしら?面白かった。

印象に残ったのはstarting over。イントロがメチャメチャ格好良かった。メロディーは勿論、それぞれの楽器の音も、合わさっていく感じも、音を鳴らして合わせてるメンバーの姿も雰囲気も凄く男らしかったというか、ロックンローラーでアメリカン。(と思った)
カセットが聴ける車が歌詞に出てくるが、ハーレーにまたがる男どもを遠巻きで見ているときのような(見たこと無いけど)そんなかんじの格好良さを感じました。
そして宮本さんの年齢を初めて感じた。歌詞が出て来ない様子で鼻歌が多かった。

遅刻で入ったが、ステージは何とか見え。
でもギブミー双眼鏡!な遠い所(つまり一番後ろ)で見てたので、ライブにグッと入り込むようなことは無く、サラッと楽しめました。

石森さんの身に、ギタリストには絶対起きてはならない非常事態があってびっくりしたが、ガシガシ弾いてらした。
そんな。大丈夫なのだろうか?後遺症とか残りませんようにと祈る。
だからアンコールが1曲だったのかもしれない。けど、知らない。
が、本編がちゃんと本編だった。人それぞれだと思うけど、アンコールという名で二部構成三部構成に予め組まれてるよりは1部で聴きたい曲というか、聴かせたい曲を全部やればいいのにと思うので(私は)、俺たちの明日も桜の曲もガストも悲しみも聴けてよかった。フライヤーも格好良かったし、風が聴けて嬉しかったし、アンコールのソーメニーも嬉しかった。

客電がついてからもアンコールを強く願うファンの方々がいっぱいいらっしゃったようだ。
応えてアンコール曲を皆で楽しむことが出来たら一番いいけど、難しいなら言葉の一つでもあったらいいのに。せめて出てきてくれたらいいのにな、とも思いました。


20080105 なんばHatch
20070924 名古屋E.L.L.
20070106 なんばHatch
20060616 名古屋E.L.L.
初めて「エレカシ観たい」と言ってくれた息子とともにライブへ行った。
開演間近に到着してしまったので、背の小さい息子の事もあって、予め「あそこで観たい。」と思ってた場所が空いてるかどうか心配だったけど、念願叶って一番後ろの階段の上に座ることが出来、ホッとした。 結構ギリギリまで階段上のロッカー室に行き来する人たちが多かった。  平日だけあって、仕事帰りのOLさんやスーツ姿のサラリーマンの方々かな。
仕事帰りにライブってなんか恰好いいなぁ。お疲れ様~。職場の皆さんはエレカシファンだってこと御存知ですか?  とか思いながら眺めてた。 男性客が後ろから見る限りでは多い気がした。  
 そして、前の方から「キャー」「ワー」って声が聞こえたので、メンバーが出てきたんだなって事がわかった。
 印象に残ったのは聴いたことない曲。全く覚えてないけど、んんん?エエエ~?って新曲だからかな。こうなって、ああなっちゃうのか?と次が読めないながらにも恰好良い展開に心惹かれた。ホント、恰好良い曲だなーと思った。 歌詞は世界平和がテーマ?と最初思ったけど、それは途中で覆されたような。ソーメニーピーポーは取ってつけたように聴こえ、所々レロレロしてらした。くどいけど、本当に恰好良い曲だった。まだ完成してなかったけど、披露してくださってどうもありがとうございました。そして、はよ聴きたい。  
 途中、双眼鏡で覗いてた息子が石森さんを見て、「お母さん、ああ言う人をスゴイ人って言うんだよね。」と聞いてきた。勿論だともっ。
  そして冨永さんが。冨永さんが 前と変わらずドラムをパワフルに叩いていらっしゃるのを観れて聴けて、ウワーーーーッ良かったよぉって気持ちがこみ上げて泣きそうになった。本当によくまあ、こんなにお元気になられて・・・。神様仏様お医者様~と感謝の気持ちが湧いてきた。メンバー紹介の時に、宮本さんは冨永さんが病気だったことにも触れて「前より元気になっちゃった位で・・」と言うような紹介をして下さったのも、ジーンと来た。
 私はあまりライブに行ってないのでよくわからないけど、宮本さんが意外とよくお話されてた気がする。大須商店街はいいですよね。とか中部地方はすごいですよね(だっけな?)信長、家康、トヨタ・・・(だっけな?)とか。中部って言葉、私は久しぶりに聞いた気がした。
 それと「なぜだか俺は祈っていた」の時の「♪めぐりあいしひとびーとにー 感謝したーのさー」で会場のお客さんに向かって手をブワーっと出してなでるような?表現をされたのが印象に残った。私らにも感謝してらっしゃるんだ、と感じた。そんな歌を聴きながら私らもエレカシに感謝してるんだが。
 そして色んな曲で思った事だけど、ベースの音がとても恰好良く聴こえてきた。双眼鏡で高緑さんを観てみたら、ん?今日は丸い帽子を被ってらっしゃるの?と思うほど、お椀のような丸い髪形になってて(そう見えて)驚いた。 高緑さんて、ただのハンサムじゃないなぁ。年とともに唯一無二の独特の雰囲気を醸し出してる。そういう所が私は個人的にとっても好きだ。気持ちよさそーにベースを弾いていらっしゃった。 
  そして途中から息子が眠りだしてしまったので(!)私はライブに集中できず。 いつもなら全神経をステージに注ぐけど、今回はまず息子。になったので、とってもいいライブだったのだけど、私はもうクタクタ、イライラ、アタフタで。色々考えちゃうライブになっちゃった。だけど、アンコールの最後の曲、「ファイティングマン」で息子が凄く喜んで手を叩いてのっていたので、唯一、一緒に曲を楽しむことが出来てよかった。
 そして私らの周りに居らした方々、ライブ楽しめたでしょうか?相当うっとうしかったと思います。本当に申し訳ありませんでした。息子とその後話し合い、お互いとよそ様の為に一緒にライブに行くのはもうよそう・・と決めました。  
20050604 名古屋E.L.L.
仕事の関係で開演ギリギリ間に合った。
E.L.Lでライブを観るのは久しぶりだ。あの頃私は10代だったし、当時産まれた子達がいたら、もう高校生になっている。あのライブ、個人的に非常に思い出深い衝撃的なライブだったので移転したといってもE.L.Lでエレカシを観るのには緊張した。

とにかくギュウギュウに後ろまで人が入ってて人垣で全く前が見えない。仕方ないので2階のロッカー室に繋がる階段、しかも天井が邪魔で立っては見えない。そんな訳で前回同様座ってエレカシライブを観ることになった。ちょっと嬉しかった。

太陽ギラギラ。
昔、この曲でマイクを床に叩きつけて終わった。それがトラウマになったのか、家で聴くと何とも言えない不快な気分になる曲だった。
だけど、今回とっても良かった。階下に見えるお客さんの様子も。一体になってうねってて凄く綺麗だった。
感動したわ~。
太陽ギラギラを聴けてよかった。偶然と言えど、再びE.L.Lでやってくださった事、感謝してます。

私はずっと、昔のライブが不思議でならなかった。メンバーも恐いほど一生懸命で、観客も必死に聴いていてもお互い不満が残ってしまうようなライブになってしまうのが。
ことに前回のライブの時は曲数も少なく途中で怒ってやめた、と感じ、悔しくて激怒した私だったけど、あれ以上はきっと無理だったんだ。 
 血管浮かして目玉飛び出るような力んだライブを目の前で見ていたのに、何故私は気が付かなかったんだろう。バーンとマイクを床にぶつけたのは、客に対して怒ったんだと思ってたけど、そうじゃなかったのか・・・。と野音に行った友達の話を聞いて気付き、申し訳なく泣けてきた。
20050524 LIQUIDROOM ebisu
開場から開演まで非常に長く感じたが、とりあえず良く見える場所をジリジリと確保していた。だのに~(だのにー)な~ぜ(なーぜ♪)  メンバーが登場した途端、周りの平均身長が一気に10cm以上、上がったのだった。皆さん爪先立ちの術!ですね。 私もっ!と思ったものの、数時間前に観光した東京タワーが祟ったわ。途中から面白がって外階段使って降りてきちゃったものだから・・・。 足プルップルで。結局人に埋もれながら楽しむことと相成りました。 印象に残ったのはBLUE DAYS。曲に入る前に、「グエー・・・」???「サイ、サイ、サイ(と私には聞こえた)」!!!「皆美人で(と私には聞こえた)オエ、オエ、オエ~」他にもオエ、オエ、オエーを連呼して、皆を惹き付けて盛り上げて上手い具合に曲に入られた。あんなに暗い曲なのになあ。あんなに盛り上がって歌えるなんて。こりゃ、すごいっ。  アルバムではもっと生生しくて、憂鬱でクラーイ気分が伝染してくるけども、曲も人同様、生きてて成長してるのかーっ、としみじみと思った。 石森さんが、歌舞伎役者のような、般若のような表情をされて、ガッガッガッガッと、ロボットみたくギターを弾くサマはとても恰好良かった。よく見たら、高緑さんも(恐らく無心で)般若顔だった。左右一対の金剛力士像のようで、非常に恰好良く私の目に映った。   それからアンコールの珍奇男。立ったまま・・・。クララが立った!位の凄いコトに思えたが、座って披露するもんだ、という固定概念があったので、いつもは髪を右で分ける所を今日は左で分けてみた。みたいな、ミョーな、でもたまにはいっか。そんなような気分で見ていた。 珍奇男はすこぶる感動、感激して全身の血がジャボジャボ波立つ感覚を味わって。そのまま続けてあと5回は聴きたい!そう思った。      なんかー。途中何度も石森さんの見せ場を作ってくれて、非常に恰好良いギターの演奏を見ることが出来たり、宮本さんが石森さんの首に手を回しこむ技(?)をかけてて。またその技をかけられた石森さんが負けじとギターを弾く姿は、「何があってもギターは弾くぜ!」みたいなプロ根性を勝手な妄想ながらも垣間見ることができた。高緑さんにも首に手を回しに行かれたのだが、その姿は何故かお父さんにまとわりつく子どものようで、ほのぼのチックに見えた。何故かわからんけどー。  冨永さんも高緑さんも石森さんも宮本さんも、すごーく自然体で、一生懸命で、楽しそうで。そんな風に私には映りまして。本当に素晴らしいライブを体験できて嬉しかった!楽しかった! ライブを終えて友達と恵比寿の銭湯へ行ったのだが、そこで入った電気風呂のように、ピリピリと数日立った今でも心の中が感動中。エレファントカシマシに感謝と期待が芽生えました~。
20050421 下北沢CLUB QUE
タイバンバンドの関係か、丁度真ん中のいつも足を掛けていらっしゃるアンプの前が空いていた。

で、一番最初にHIGHーNUMBER(エレカシ)登場。
観客から「オオー!」とどよめきが上がった。宮本さん、Tシャツの上に黒のデニム地の羽織物をお召しになっていたのだが、1曲目「理想がどうの、怠け者よ目覚めろ♪」の曲の途中で暑かったのでしょう、脱ぎ捨てていた。
この曲の最後、むずかしい~むずかしい。と後ろを向いてぼやいていらした。

あとは途中で「前はギターを弾いていたんですが、30過ぎて、39なんですけどね。ギター弾くの辞めたんですよ。」
みたいなことをおっしゃてた。
で、ギター弾かないんだ、そーなのか。と思ったら、それから2曲後にはギター弾いて歌ってた。どういう意味だったんだろー。

私が見てた位置は残された人生、これ以上こんなにメンバーに近づける機会はない。と断言出切る程ステージが近かった。
アンプに足を掛けられると自分の体に宮本さんのヒザが当たりそうだったので、のけぞりながら見てた。其の状態で見上げるとあごの裏、歯の裏、鼻の穴とか、見ちゃいけないようなものしか見えず、なんだか恥ずかしく。
 仕方ないので視線を落とすと目の前にあるヒザや体や足に目が行き、そうすると触ってみたい、しがみついてみたい!という恐ろしい衝動に駆られて、欲望を抑えるのに必死、理性を保つ為にはキョロキョロするしかなく、非常に疲れたライブとなった。
 なので、あんまり憶えていない。特に曲がどうだったとか肝心な事が全く記憶にない。

 ライトの光がキョーレツで凄く熱くて石森さんも高緑さんも汗が徐々にポタポタと床に落ち始め、特に石森さんはギターを弾くたびに ボタボタッ と頭に汗をせき止める髪がないので、ギターが水ぶっ掛けたみたいに汗まみれになってた。石森さんと高緑さんの下に汗の水溜りが出来、どんどんデカクなっていった。

宮本さんはフサフサの髪の毛先に汗の雫がいっぱいついてて、それが雨上がりの蜘蛛の巣についた水滴みたいにキラキラ光って珠のように綺麗だった。

演奏終了後、冨永さんが観客にペコリと頭を下げ去っていかれたのが印象深かった。なんて腰が低いんだ。そしてメンバー全員が退場してステージが暗くなった。次のバンドのセッティングタイムだ。宮本さんが1曲目で脱いだデニム地の羽織物。それを拾いに石森さんが何かの動物のように腰を落としてササッと出てきてそれを拾い、ササッと袖にはけて行かれた。宮本さんの指示なのか、自発的なのか・・・石森さん、きっといい人。
 とにかく。
私はライブを一番前で観ちゃダメだと思った。変なことしか憶えてないし、ポワワーンとなっちゃって、うわの空だった。そして色んな欲望と戦ってクタクタに疲れたー。
20040724 0724YAMABIKARI
大阪に住んでいる林檎ちゃんファンの姉からライブのお誘いがあった。「昔エレカシ好きだったから、一緒にどう?」と。そうだ。思えば私は昔エレファントカシマシが苦しくなるほど好きだった。あれから10数年。私の人生は音楽を聴いたりライブへ行けるような状態じゃなかった。すっかりエレカシから足を洗っていた。だいたい、ライブハウスにこんなデカクて、ヨレヨレにやつれたおばさんが行って迷惑掛けないだろうか、と最初はかなり躊躇したものの、日が近づくにつれ血が騒ぎ、結局一番ヒールが高くて安全という理由で夏だというのにウエスタンブーツを履いてバリバリやる気マンマンで出かけた。東京事変・フジファブリックと終わって、次は多分ユダでトリがエレカシと思っていた。 そしてスキンヘッドの方が出てきて、見覚えのある宮本さんが出てきた。あ、エレカシだあ。いつの間にかギタリストが変わっちゃったんだ、と寂しく思ったら、イメチェンした石森さんだった。嬉しかった。メンバーが変わってないって、なんだかとっても嬉しかった。 冨永さんも高緑さんも宮本さんも石森さんも個性的で存在感があり、そして自信がみなぎっていて、すごく素敵に年を重ねられたなあ、と思った。「38歳になりました。」とおっしゃった宮本さんに観客が反応しなかったのは、恐らく皆知ってるからなんだよね。「えー、うそー、もう?」と一人心の中で叫んだり、ぼんやり感傷に浸っていたら、あっという間にお客さんが入れ替わって、いつの間にやら私よりも断然背の高い男の人たちが前に連なり、私は人の頭と頭の隙間から右目で流し目しながら覗き見るしかできなくなっていた。 1曲目でもう衝撃を受けた。怒鳴って歌ってることに驚いた。以前よくテレビに出ていた宮本さんのイメージで聞き易く歌ってくれるライブだと思っていたから。 私が昔見ていたエレカシが更にパワーアップしていた。感激した。 今、おばさんと言われる年になって、こんなに感動して感激している自分にも感激した。年取る事に涙もろくなっていく。ウルウルしながら、聴いていた。全身の血がドラムのリズムにあわせて波立っている感覚だった。間違いなく寿命を縮めた。感動しすぎて。   お客さんと一体になっている姿も素晴らしかった。 パンパン手拍子を一斉に皆がされた時には何事かと思った。 変わったんだなあ。とてもいい方向に。メンバーの皆さんも観客の反応を大事にしているようで、嬉しかった。自由っていいなあ。本当に時代は変わったんだ、と自由という事のありがたみを味わった。  「花男」があんなに素晴らしい曲だったとは知らなかった。昔の曲が今もどんどん輝きを増している。はー、凄い。凄かった。 帰りの電車の車内で姉にこの感激っぷりを伝えるのが恥ずかしくて言うべきか言わざるべきか非常に悩んだが溜めておくのが苦しくて、ブチマケた。「良かったね」と言ってくれた。ウンウン、本当に良かったよ。誘ってくれてありがとうね。  しかし、やはり共感できる人が欲しいっ!と思ったのだった。
19910919 名古屋CLUB QUATTRO
19910330 名古屋CLUB QUATTRO
できたてホヤホヤの彼をライブにつれて行ってみた。事前に渡した「エレファントカシマシ マイベスト」のカセットテープの中で、彼は、プカリー、プカリィの「浮雲男」を気に入ったと言っていた。 クアトロはいつも自由席なので根性のない私は毎回遠くで見ていたが、この日もやはり後ろの方で柱にもたれて聴いていた。彼は私の真後ろで聴いていた。ハズだった。 何曲か目に「浮雲男」が始まったので、良かったね、と振り向いたら彼がいない。一瞬で色々考えたが、ライブは全部見届けようと思い、そのままライブを楽しんだ。終了後彼はどこへ行ったんだ、このまま帰っていいものか、と思ったら、私のジーパンの裾をツンツン引っ張る感触があった。  彼は気分が悪くなってしゃがみこんでいたのだった。当時のエレファントカシマシのライブでこんな状態になる人は珍しい。そんな、ノリノリだったのか、やっとエレファントカシマシの良さを分ち合える人ができたと内心喜んだら、単なる体調不良だったのであった。 
19910104 日本武道館
武道館でコンサート! 東京は中学の修学旅行で1回しか行った事がない。行かなきゃ後悔すると思って金はないが時間はたっぷりある貧乏学生の私は「青春片道切符」で友達とエンヤコラと名古屋から東京まで急行列車を乗り継いだ。途中たしか小田原で強風のため電車が小一時間止まるというアクシデントもあり、朝出発したものの、日が暮れても尚、電車の中で揺られていた。揺られても揺られても「東京」という目的地が私の心をワクワクさせたし、エレファントカシマシを武道館で見られる事が嬉しくて嬉しくて、ぐったり疲れ気味の友達と相反して私はドンドン元気モリモリになっていった。 「 あれが武道館かー。爆風スランプの歌どおり、玉ねぎがある。」なんて思いながら会場に入った。広くて少し寒くて、こんな所でコンサートするなんて、さぞメンバーのご両親もお喜びのことだろう、と思った。  1曲目から感慨深い思いでいた。今この全てをちゃんと聴いて目に焼き付けよう、と一生懸命に集中して聴いていた。 やっぱり、エレファントカシマシには武道館のような、というか、武道館がしっくりはまっていた。エレファントカシマシのパワーはこういうところでちゃんと受け止められるんだ、と思った。心からそう思った。私だけでもそう思った。 
 実はあんまり感激して今となってはコンサートの最中のことを何も思い出せない。記憶が欠落している。あの日、東京のホテルで一曲一曲の全てをノートに書こうとした時、何から書いて良いのか興奮して頭の整理がつかず、結局大まかな感想を書いただけだった。始まる前と終わってからの事は今でもよく覚えているんだが。生きてる間に何とか思い出したいなあ。
19901221 名古屋CLUB QUATTRO
夢のちまた」しょっぱなからイントロを演りなおし、歌詞を変えて始まった。今日は気分が良さそうだった。MCも空気が和むものが多かった。例えば「女。女はいいよ。 男。男は駄目だね、こんな所に来ちゃ。 皆社長になれたらいいね。 そりゃ、俺かー。」と、ぼけたりつっこんだりして笑えた。  観客から「カッコイイ!」と声が掛かると「格好良いなんて変だね。いや、悪い意味じゃなくって。」なんて珍しく微笑ましいコミュニケーションもあった。そんな訳で観客からの声がけも多くなってしまい、「個人的には話しかけないように。」という注意も優しいお兄さんだった。  「待つ男」ではぼく と歌詞を変えていた。 「遁世」では「女のために」を強調していた。「男は行く」では弦がきれちゃった。  何の脈絡も無いが、色々印象に残った。 石森さんの茶色の皮パンも印象深かった。
19900913 名古屋市愛知文化講堂
いよいよ人気が出てきたんだと思った。いつものように頑張ってもチケットは一番前が取れなくなった。3列目だった。個人的にはより前で見たいと思うけど、人気がでてきたのはやっぱり嬉しい。なんでもっと人気が出ないのか、逆に不思議。毎度違う友達を誘ってライブに行くが「また行きたい」と言ってくれる友達は、まだいない・・・。  too fine life ではメンバーに「よろしいでおますか?」と声を掛けて始まった。メンバー間では普段こんな言い回しなのだろうか。素敵なセンス。意外と笑えないダジャレも言いそうだ。 たった一言でどんどん妄想が膨らんでいく。アブナイ、アブナイ。 そして、観客の態度には相変わらず厳しい。立った人に対して「なんだ?こいつは。座れえ、おら」ときつく注意して「男は行く」が始まった。
19900905 大阪サンケイホール
名古屋より大阪はファンが多いらしい。10列目だった。大阪に住んでいる姉の部屋を宿に一人で行ってみた。 MCが少し多かった。「新幹線で広島から来たんだけど、つまんないね。車の方が面白い。いつも車だから・・・」とか「私がここに座るという事は次に何をするかわかってらっしゃるお客さんもいるでしょう。2曲続けて私が演ります。」とおっしゃって、「月の夜」と「晩秋の一夜」を聴く事ができた。 なんだか寂しくなった。秋だからか、わかちあう人がいないからか・・・。
19900614 名古屋市公会堂
長い間、全く記憶に残ってなかったライブ。珍しく当時の日記に曲目も感想も何も書かれてなかったので、我ながら何故なのか気になっていた。が、先日当時一緒に行った友達にライブの話を聞いて、記憶がよみがえって来た。記憶に残ってなかったのではなく、思い出さないようにフタをしていたんだ、と思い出してみてわかった。
 席は「う列」三列目。開演時間を30分過ぎてもなかなか始まらず。遅いなあ、まだかいな、などと言いながら待ちわびていたに違いない。  やがてゾロゾロとメンバーが登場し、何曲か演奏。(曲目全く判らず) そして、1時間経つか経たぬ頃、宮本さんが「最後の曲」と言って演奏が始まった。友達と私はコソコソ大騒ぎ。「どう思う?」「あまりにも早くない?」「やっぱ、そう思う?」なんて感じで。   そして曲が終わり、会場からブーイングが上がった。ステージから袖へ向かっていた宮本さんが、そのブーイングに反応した。「文句がある奴はコソコソ言ってないでオレに直接言え」とか何とかおっしゃった。 あれだけのブーイング。コレは沢山前に出て行くはず。と思って私は三列目から飛び出し、ステージ前まで勇んで行った。が、いざという時には誰も来なかった。私は振り返って後ろをずっと見てた。誰かーっ、誰か来てー!と思いながら。後ろの方からお兄さんが一人歩いてきたので正直ホッとしたのを覚えている。宮本さんはステージの一番前まで来てしゃがんでいたように思う。そして、最終的に何人になったか、やはり2、3人だと思うが言いたい事のある観客がステージ前にきた。とりあえず一番先に来てしまった私は、暗黙の了解で一番に言いたい事を言わなくてはならず、テンションの高いまま、「こんなに短いのは、納得がいかない!絶対納得できない!」とドドーンと感情的に言った。
この私の様子を見て、私の友達は恥ずかしくて、二度とエレカシライブは行かない、と決めたそうだ。しまったぁ。
  本当は大好きなエレカシの音楽とエレカシメンバー。楽しいはずのライブ。もっと深い想いがあっての「納得がいかない」だが、それ以上の事を説明出来ない自分に悔しかった。どんな反応が返ってくるのかも不安だった。宮本さんは、はい。他の人は?って感じだった。一方お兄さんの方は、私とは打って変わっての落ち着いたテンションで、カクカクシカジカと説いていた。的確に自分の思いを伝えてらっしゃったように思う。宮本さんも冷静に対応していたように思う。「意外と馬が合うな、このまま飲みに行くか」、みたいな大人の雰囲気に見えた。口を挟めるわけでもなく、ボーッと隣で見ていたけど何だかとても恥ずかしく、ミジメな気持ちになって、友達の元へ怒り心頭のフリをして帰った。「もう、知らんっ。!帰ろ、帰ろう!」などと言いながら、友達の手を引っ張って会場を出た。
 こないだこのファンプロフィールに登録されている、もみじさんのHPを見ていたら、「月刊カドカワ」のインタビューが紹介されていて、それを読んだら、何だかとても切なくなった。ごめんなさい。って思った。
19900210 岐阜御浪町ホール
エレファントカシマシ、岐阜で初ライブ。学校が岐阜で良かったわ。学校帰りに双啓舎さんから届いたハガキの地図を頼りに会場を探し当てた。美川憲一さんの柳ケ瀬ブルースでおなじみの柳ケ瀬という繁華街の近くのとあるビルの三階にあった。100人で満席の小さなホール。 このコンサートで初めてエレファントカシマシのサイン色紙を見た。こういう字を書かれるのか、と感慨深かった。三種類の色紙があって、縦書きに順に名前が書いてある物が2種と紙一面にエレファントカシマシとだけダイナミックに横書きされたものが一種。←これはどなた様が書かれたのか判らない。4分の1の確立。笑えた。CDを買って一枚頂いた。宝が増えた。  今回も一番前の席だった。6時30分開演で定刻通り始まり、7時35分には終了した。  「月と歩いた」では、宮本さんがギターをあまり上手に弾けず、音がはずれたと思ったら、暫くはずれまくってた。その時の首を傾けて苦笑されていた様子が目に浮かぶ。 間違えても音がはずれても堂々と弾いてくれたら良いのになあ、と思った。きっと、これからドンドン上手くなっていくと思うので、今しか共有できないありのままの一生懸命なものが見れて聴けたらそれで良いと思った。 「待つ男」ではばか息子と歌詞を変えていた。 コンサート終了後、アンコールって言ってた人もいたけれど、私は聴きたいと思わなかった。MCがなくてもアンコールが無くても腹も立たないし、何にもなかったみたいだった。テレビを見ているみたいで私には感動や伝わってくるものが無かった。 と思う私のような客もいれば、感動して拍手している人もいて観客の反応もバラバラだった。 なんだか宮本さんはどんどん自分で自分の首を絞めているように感じた。お客さんを無反応にさせているのは宮本さんが望んでいるように思うが、見た目上の無反応は、押さえつけられていると感情までも無表情になってくるようだ。 アルバムを聴いていると気分が良く、なんども聴きたいと思うけど、コンサートやライブへ行ってあの独特な雰囲気は本当に良くわからず、戸惑ってしまう。 
19891227 名古屋CLUB QUATTRO
初めて一人でライブに行った。 今回宮本さんはとても上機嫌のご様子だった。珍奇男は2回演られたし、MCもあった。気分がノレば、喋るんだなあ。 名古屋城の金のシャチホコの話をして下さった。意外に詳しくて、しかも面白かった。名古屋城にこういう人が働いていたら、観光客に大人気だろうなぁ、と思った。長くなりそうな所をはしょって終了した感じだったけど、いつかまた続きが聞きたいなあ。  とそんな上機嫌も束の間、途中ギターを投げつけてヘッドが折れてしまった。お客さんに対して、「うるせーな、バカヤロー」と言った時はとても怖くて、ひどいと思った。 凄く集中してみえて、私は途中で何度も逃げ腰の気持ちになった。   コンサートやライブへ行って、その最中に抱く気持ちは私の場合、結構宮本さんに左右されるんだ、と思った。  宮本さんが気分良さげだと楽しいし、ステージ上のパフォーマンスかもしれないけれど、物に当たったり、怒ったりすれば色んなショックを受ける。 普段人との付き合いではなるべく円滑に相手の気分を害さないようにと心がけるのが自分の中で常識になっていたが、それをひっくり反されるので、驚き胸が痛む。 だけど、宮本さんが腹の立つ事をストレートに表現されるのが、実は羨ましくもあり道理にかなっているような気もしてくる。    今回のライブでは、宮本さんてなんて歌が上手いんだ、と思った。声に うあ~っと感動する気持ちがモクモク湧き上がってきたのが何度もあった。が、私だけだろうか。 その度に何故か私は 「宮本さん、大好きだーっ!」と大声で叫びたくなった。勿論叫べないけど。   雑誌でコンサートあまり好きではない、と発言した記事を読んだ。だけどこの職業は適しているんじゃないかと思った。だってエレファントカシマシには、人を引き付ける魅力が曲とメンバーとライブにあるんだもーん。  
19891005 名古屋市民公会堂
前回のライブから1ヶ月待たずしてこの日を迎えた。また最前列のチケットが取れた。が「浮世の夢」を買うお金がない。  常に事務的な印象を受け、驚いたライブだった。相変わらず宮本さんが怖かった。とにかく怖い。宮本さんがステージの壁に映るご自身の影に驚いておられたことと、高緑さんが、前回のライブ同様、終始一貫して、そこに何かあるが如く床だけを見つめていたのが印象に残った。それが、とてもつまらなそうに見えてしまった。楽しくやって、とは思わないが、楽しくないのだろうか。そして、観客をチラ見でいいので見て欲しい。観客が存在すら無視されているようで悲しくなった。エレファントカシマシの皆さんにとって観客は必要ないのだろうか。誰のために何のために演奏しているのだろうか。しかもあんなに辛そうにそれでいて一生懸命なのは何故なんだ? 全くわからなーい。最初は新鮮だったものが、そのうち、当たり前になってきて、そのうち苦しくなってきた。 そして、もう一つわからなかった事があった。この時初めて私自身が聴いた曲。 詞も曲調も歌い方も衝撃的だった。ただ、歌詞の肝心な所がどうしても聞き取れなかったのだ。 ライブ終了後、友達とあれは何て言っていたのか、と話あった。 「わたくしは チンケ 男?」「陰気男?」「シンキン男?」「インキン男?」どれも意味がつながらないって事だけ判っていた。どーしても判らずにモンモンとしながら帰ったのを覚えている。
19890909 名古屋ELL
初めての生エレカシから約半年。その間、相変わらずの貧乏学生の私はアルバムを2枚揃えるのがやっとだった。3枚目が出ていたらしいのでその曲ももしかしたら1,2曲披露されてたのかも知れない。  ただ、極めて短いライブではあった。  さて、頑張ってチケットを取った私。番号はNO.5。と言う事は私と同じくらい必死にチケットを取った人が当時5人はいた。ただ、1番に取れた人が一番見たい場所で見れるとは限らない。と当日会場に入って気付いた。ELLの客席に椅子が並べてあったからだ。端から順番に席に座る。私は中央よりやや高緑さん側。真ん前で座って見るというのはあまりに近すぎて、こっ恥ずかしくもあり、緊張もする。不自然で不自由に感じた。 メンバーの皆さんにとっては自然で自由だったのだろうか。  とにかく何もかも、驚く事ばかりの印象深いライブだった。   まず最初に驚いたのは、失礼かもしれないけれど、宮本さんの細さだった。黒い皮のベルトの先が1回転半まわって、背中にあった。そういう方にたまにはお目にかかるが、滅多にはいない。だから、元から切って短く出来ないのかなあ、とか石森さんの借りたのかなあ。とか一瞬で色々妄想したが、そんなほか事を考えてる事すら見透かされて、出て行けと言われかねない位、宮本さんからはとてつもない威圧感が出ていた。とにかく、とても怖かった。ステージも客席もピリピリと緊迫した雰囲気で私はマバタキも我慢するような勢いで見て、一生懸命聴かざるを得なかった。 そして太陽ギラギラで宮本さんがマイクを床に叩き付けた。何が気に入らなかったのだろう。あんなにあからさまに機嫌の悪い大人の人を初めて目の当たりにして、ショックを受けた。そして舞台袖へと引っ込んでしまった。 まさかね。と思ったが、そのまさかの終了だった。予定通りの終了だったのかも知れないが、私は途中で辞めたとしか思えなかった。もっともっと曲が聴きたかった。納得が行かなかった。 暫くして、事を把握した客席からは野次がひどかった。 あの野次は楽屋に戻られたメンバーの皆さんにも届いていたのだろうか。 あんなに一生懸命に力の限りを出してライブをして、真剣に聴いてる観客ばかりなのに、なんでこんな風になっちゃうんだろう。
19890324 愛知勤労会館
当時高校生だった私は深夜ラジオを聞くのを日課にしており、楽しみの一つでもあった。「ロックンロール宣言」というPATi-PATi創刊者で音楽ライターの女性がDJ。時代はバンドブーム真っ只中。色んなバンド・ロック歌手・曲の紹介等ワクワクする内容が15分という短い番組内で盛り沢山に繰り広げられていた。 連続して「SFロックステーション」という番組が始まる。これはCBS・EPICソニーの人気アーティストが日替わりで1時間45分DJを務めていた。ある晩、エレファントカシマシの「おはようこんにちは」が番組内で流れた。  勉強だか、お絵描きだか、日記だか、何だかしていたその手を止めて引き付けられるように私は聴き入った。そして、そのエレファントカシマシが1000円でコンサートをするって番組CM中に何度か聞いた。 「おはよう こんにちは」。  1曲、1回聴いただけでキョーレツに印象に残って興味が湧いていた。そして貧乏学生にとって、ありがたいお値段。コンサートのチケットを迷わず取った。 席は16列目。  当日は結構お客さんが入っていた。いよいよコンサートが始まった。  これほどまでに一生懸命で迫力のある人を初めて見た。圧倒された。 宮本さん、格好良い。本当にカッコイイ~ッ!とシビレまくった。もっともっと曲が聴きたい、知りたい。って思った。 そしてコンサートが終了し、ステージからメンバーの皆さんが去る時に、客席から「宮本くーん。卒業おめでとー」って黄色い声が掛かった。 少し前まで大学生だったんだ。在学中にプロデビューして、こんなに素晴らしいコンサートをするって、なんて凄い人達なんだ、と驚いた。滅茶苦茶感動して、自分の中で好きなものが一つ誕生した瞬間だった。

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