エレファントカシマシDB ライブレポート

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レポート

   
選択日付タイトル
20121014 日比谷野外大音楽堂
20120107 渋谷公会堂
20110917 日比谷野外大音楽堂
20110603 仙台Rensa
(U-Streamにて視聴する)

『悪魔のささやき』ツアーの第1曲目【moonlight magic】がはじまる。
仙台公演は昼海幹音とSUNNYの両人を加えた「エレファントカシマシS」編成。
次に、エフェクトを効かせたイントロを長めな【脱コミュニケーション】。
いつものカウント「1、2、3、4…」ではじまる【悲しみの果て】。
大サビは「ベイベー」ではなく、「オーベイビー」の一声。

「今日は今日しかないんで、最後まで盛り上がろうぜエブリバディ。
一緒に。盛り上げようぜ。」

「なかなか大きな歌詞かなと思って」。【うつらうつら】へ。
黒ジャケットの上着を脱いで、原曲よりもかなり速めの【かけだす男】。

「じゃあ、毎日。あの言い方によるんですけど、毎日旅だっていう事を思いまして…、
その辺を歩いていても、風も吹いているし、木も揺れているし。
エブリバディ、熱い思い探す旅だ。エブリバディちがうかい、そういう歌です。」
【旅】へ。間奏は昼海幹音。二度目は宮本ソロで、「ギター、俺」と自己紹介。

ここで一度目のバンド紹介
イントロのリフを奏でて【ハロー人生!!】。
ジャムっぽいイントロを演出の【何度でも立ち上がれ】。
「イェイ、エブリバディ。どうした、行こうぜ。行こうぜ。どこに行くんだろう?」。
石森エレキギターが入ってきて、宮本アコギと掛け合い。
「こっちこい!」と二人正対面の向かい合わせになる。

ストレートなメッセージが印象的な【いつか見た夢を】。
曲終りに「今すぐ飛び出せ!」と一言。

「いつもじゃないんですけど、毎日生きてるってことは、
つづめて言っちゃうと、エブリバディ、
毎日あの夢っていう言葉か知らないけど、
輝くために生きていこうぜ、俺はそう思う。
恥ずかしいけど毎日生きてる、つづめてあえて言います。最大公約数。」

【珍奇男】。「あなたよりエライの」を二度念押し。
「高緑がおっとっと」。「おまえがおっとっと」「おじさんがおっとっと」
「おばさんがおっとっと」「バーコードがおっとっと」「おでぶちゃんがおっとっと」「おやせちゃんもおっとっと」「ガキんちょもほらおっとっと」
「年がら年中おっとっとですっとこどっこいだ」。
後半のいつもリフをスキャット。「おまえも珍奇男じゃないか」。

「じゃあ、みんなに捧げます」と【OH YEAH!(ココロに花を)】。
「アルバムに入っていない曲を発見しました。エブリバディ。
すげぇいい歌なんでびっくりしました、自分で。
30回くらい聴きました、エブリバディ。
じゃあ聞いてくれ、仙台のみんなに聞いてもらいたくて、選んできました。
まあ、別にいいんだけど。余計なこと言っちゃった。っていうのも余計なことです。」
と【旅の途中】。

間髪入れず、ライブ仕様の【明日への記憶】。
ツアー用のアレンジのイントロがついた【赤き空よ!】
「今の俺が暮らしているぜ」を「俺たち」に置き換え。

「サンキュー仙台、エブリバディ。
ライブハウスなんだけど一生懸命聞いてくれてありがとう。
自慢の歌なんです、
窓から運がいいと富士山が見えたりなんかして。
そういうときに、そうか歩いて行くしかねえな、っていうそういう曲でした。」

「じゃあちょっと、弾き語りのコーナーです。
ニューアルバムの曲なんですけど、唯一の弾き語りの曲です。
じゃあ、聞いて下さい。」と【夜の道】。
アコギに持ち替えて、【幸せよ、この指にとまれ】。
「みんなの胸に咲け!」と最後に。
【悪魔メフィスト】。サビは「俺の歴史は傷だらけフリーダム」の方を選択。
ボリュームをあげたままのギターを残して。退場する。

[アンコール1]

「エブリバディ、ついに仙台にライブの日が来たな。
また、今から歩き出そうか。しようがねえ、行くか」。と【俺の道】。
次に【はじまりは今】。さらに【絆】。
2番の歌詞が飛んでアドリブになる。
「ふりかえりゃまぶしい 目の前には波んなか」。
ラップ・パートもアドリブ・フレーズ
「人それぞれのSunrise
人それぞれのMoonlight
夜が明けて 人それぞれの毎日
人それぞれのココロ 人それぞれのカラダ
明日も明後日も」

ミスを吹き飛ばすような勢いとパワーで【星の降るような夜に】。
「エブリバディ、もう夜だな。これからどうする。行くか。煙草も切れたぜ」。
石森ソロに「はりきっていこう」。
「OKトミ」で【FLYER】。ユニバーサル時代のライブ鉄板曲。
「サンキュー・エブリバディ。どーんと行け!」と【ファイティングマン】。
「オレをみんなを力づけろよ」。「全員、ファイティングマン」。
「わかるかい、全員ファイティングマン」。
「サンキュー仙台、また会おう」。といって、マイクを丁寧に舞台の床に置いた。

[アンコール2]

ほとんどアンコール拍手するヒマもなく戻ってきて、再度メンバー紹介。

「いつもこう思って、今も思って生きています。
いつの日かあふれるだろう熱い涙。」
と【今宵の月のように】

「今日はライブハウスで、しかも生中継だというので、ちょっと緊張しています。
でもみんなありがとう、俺たちの格好いいところを見てもらったと思います。
俺たちとここに集まってくれた全員のな。ありがとう、お互い様な。」

オオラスに【俺たちの明日】。
「みんな今日は本当にどうもありがとう。
サンキュー、エレファントカシマシでした」(バンド名やや噛む)。
ギターのボリュームをそのままにして、
マイクはスタンドに差してあるので投げないで、去っていく。
20110109 日本武道館
20101121 ZEPP TOKYO
20100717 日比谷野外大音楽堂
今年の野音はファンクラブの先行抽選販売を外したので、場内で鑑賞することを諦めていたのだが、こちらの掲示板や自分のブログの記事を読んで、快く立見席をゆずって頂ける方が現れて、場内で鑑賞することができた。

掲示板を貸して頂いた、管理人さんとご厚意を頂いた方々に感謝したい。ありがとうございました。

ブログに詳しいレポートは載せましたので、こちらにはそれとは別のダイジェストの感想を載せます。(レポートの全文は自分のブログに掲載してあるので、そちらを確認してください)

14時半の物販開始の頃から、野音に貼り付いて、リハーサルから楽しむことができた。それにしても、ここ2年ばかりの人気の急騰はすさまじい。しかし、ようやく音楽の内容にファンの人数が追いついてきつつあるような印象はする。

前半の「ド渋」な選曲群にはしびれた。ここまでEPICの楽曲を詰めてくるとは予想していなかったから。「いい意味で」裏切りの連続、心をなで切りにされた感じがする。とくに【ドビッシャー男】と【too fine life】【道】はよかった。

中盤はバラード曲がよかった印象が強い。弾き語りの【月夜の散歩】と【月の夜】は、久しぶりのミヤジ独演パートで、声のよさを堪能できるしばし陶酔の時間だった。【月の夜】はいつもより荒々しかったのでうっとりするようなものではなかった。あと、忘れてはいけない、バラード曲のなかで1番好演したのは【武蔵野】である。

後半はいつもどおりのセットリストに戻った観がある。新曲やニュー・シングルの曲をまとめて、山場を作っていたが、さすがに体力的にきつい夏場だけあって、演奏・歌唱ともに揺れるシーンも多くなった。【男】シリーズの新作【歩く男】の発表が個人的には衝撃的なニュースだった。

アンコールはいつもなら前半・中盤にやるべき【悲しみの果て】や【珍奇男】を混ぜてきて、新曲やレア曲とは別の意味で新鮮だった。ただ如何せん、体力の消耗が集中力に乱れを呼び、バンドと宮本の呼吸がずれたときにはピリリと空気が凍る瞬間があった。(もちろん、以前のようにぶち切れる怒り方ではなかったが)。Wアンコールで披露された新曲は、私には苦手なタイプの曲で、慣れるまで苦労しそうな印象がするものだった。

全体を通して印象に残ったのは、成ちゃんの絶好調ぶりだ。宮本が何度も「ベースっ」と声をかけたように、
何度もハッとするような、ソリッドな音を響かせていた。いつもならギターやドラムの奥で遠くなりがちなベースの音が、今年はよく聞こえて、堪能できた。石君は大人しかった気がする。

それから、蔦谷好位置のコーラスは歌詞がない方がいい。【ハナウタ】はよかったが、【歩く男】のコーラスは感心しなかった。(了)
20100109 渋谷C.C. Lemonホール
 いつもどおりにすごかった。そして、数曲ながら演奏された昔日の楽曲も、今あたらしく磨き直されて、現在の輝きを放っていた。また、いつも思うことだが、新曲はおろしたての時がいちばん鮮度が高く、完成度も高い。

 【Sky is blue】。スライドギターが、うまく弾けていた。声の好調さが出だしから爆発。近作から始めたということに、意気込みを感じた。
 ステージライトが落ち、薄暗い照明のなか【真夜中のヒーロー】。初めて聞いた。聞きたかった曲だ。名曲ぶりが、ライブで聞くとより一層にあざやかであった。この曲はニヒル(虚無的)なヒーローの歌である。つぶやくような歌唱が似合う。
 【今はここが真ん中さ!】。この曲をやると盛り上がる。ギターを手放し手持ちマイクで全力で歌うので、その声量や迫力がいかんなく発揮される。「みんな始まるよ」のかけごえは、体操のお兄さんのようだった。この曲の途中で指さされた気がした。気のせいかもしれない。
 「もうご承知のこととは思いますが、何歳になってもおかみさん。…」というような恒例のMCから【おかみさん】へ。2009年野音の再現。曲の最後の方で「同じこと言ってんだよ。25世紀前から同じこと言ってんだよ」と【ガスト】のようなアドリブ。印象的だったのは力強い成ちゃんのベース・プレイ。太い。
 間髪いれず、打ち込みのトラックが鳴って、【ゴッドファーザー】。ライブ版がなじみやすいのは、トミや成ちゃんがサポートしているからだ。最後、もごもごして歌詞を誤魔化した。
 ふたたびステージライトをほとんど落とし、真っ暗ななかで静かに「探してる」と歌い出す。久しぶりに聞いた【すまねえ魂】。石君を前に押しだし、ステージ中央に来るように言いつけていた。この楽曲は【ジョニーの彷徨】とイメージがダブる
 【ネヴァーエンディングストーリー】。切なさと美しさが共存していて、しかもそこにロックのダイナミズムがあるという、エレカシらしい楽曲。歌詞飛びはあったが、それを越える痛切さが胸を刺した。
 「けっこうよい歌詞で、大事に歌っていきたい曲です」と【絆】。録音バージョンとは別アレンジの【絆】。【風に吹かれて】のNew Versionに近い印象のアレンジだった。歌係に尽くしたのでとてつもなく大きな世界観を見せた。
 「初詣も全然行ってないんです。いつもおみくじを引くんです。去年大吉がいっぱい出て。次に凶が出ると嫌なんで引いてません。けっこう当たるんで。みんなそんなことないですか」といったMC。
 唯一、季節感のある楽曲【真冬のロマンチック】。「年が明けて、一人で部屋で音楽を聴いたり、家の引き出しを整理したりすると思うんだけど。音楽っていいなっていう、そんな曲です」そんな話をして、「OKトミ」からスタート。歌詞の内容から年末・年始向けの曲だと思う。今回は、目立つ座席だったので控えめに楽しんだ。
 【こうして部屋で…】。意外な選曲。ファンの人気から考えると【リッスン】に行きがちなところを、あえてこちらを選択するのがミヤジらしい。そもそも、宮本本人の思い入れの深いラブ・バラード。テーマとしては【やさしさ】とほぼ同じ。
 【ジョニーの彷徨】。確かこの歌だったと思うが。後半の「見上げればスカイブルー」のところで虹を描く仕草をしていた。MCでは「去年いっぱい出たフェス全部でやった曲です」、と紹介していた。
 照明が夕焼け色になって、楽器交換が行われたそのあと。しばらくの沈黙。宮本のみが次の曲を理解していなかったらしく、自分のギターを探してうろうろする。そしてドラムの冨永に次の曲を教えてもらって納得。
 ギターなしで【化ケモノ青年】。石君のギターからスタート。サビ前、おきまりの手拍子で大盛り上がり。ただ、発表当時のささくれた感じはなかった。会場を指さし、おきまりの全員「化ケモノ青年」アピール。
 トミの印象的なドラムからスタート。【クレッシェンド・デミネンド】。会場のざわめき。人気の高い楽曲だ。会場には新しいファンが多いのかな。私は聞き慣れているので、それほど驚きはしなかった。
 「みんなを祝福する歌です」。この定番のMCも板に付いてきて、本当にそういう歌になっている【ハナウタ】。きらきらした感じが嘘っぽくないのがよい。一瞬の「1」、二人の「2」を指でかざしながら、思いをこめて歌う宮本の姿が頼もしい。蔦谷好位置の見せ場のおおい曲でもある(コーラスに鍵盤フレーズ)。「好位置ぃ」と後奏の見せ場を紹介。。
 「どうでもいいような思い出とかあって。すき焼きご馳走になったことがあって、あのとき帰って欲しそうな顔してたんですよね」。しみじみとそう話す。知人の家あたりで、帰りそびれて、夕飯を要求したようなカタチになったことを反省しているらしい。「そういうのが積もり積もって、色々な思い出があるけど、前に進もうぜ!そんな曲です」。というMCに続いて。【さよならパーティー】。
 「じゃ、恥ずかしがらずに歌います。やっぱ新曲というのはいつも恥ずかしいもので」と前置き。大拍手を受ける。曲前に【赤い薔薇】のイントロを軽くかき鳴らした。【幸せよ、この指に止まれ】と舌を噛まないように、一音一音ていねいに発音。 断片だけ聞き取れた。
 【赤き空】。「赤い空」「出かけて行こう世間へ」というような歌詞だったと思う。阿久悠の作詞を思わせるような、情緒と郷愁を感じさせる歌謡曲然とした楽曲だった。
 本編ラストのファンファーレ【FLYER】。会場にはどう響いていたかわからないが、ミヤジのギターがとんでもなくボロボロだった。席の関係上、宮本ギターが一番よく聞こえたからかもしれない。
 ミヤジのカウントともに、【俺たちの明日】。6人編成でやると昼海幹音がアコギを担当してくれるので、とても安心して聞くことができる。テンポが原曲よりもいくぶん早かった気がする。この曲ではミヤジはリズムギターなので、それほど乱れることなくこなしていた。「サンキュー」と一声あげて楽屋に下がる。

 アンコール1曲目、【まぬけなJohnny】。この日のセットリストのなかでも意外度が高い。これまた、思い入れの深い曲のようだ。ファンの評判はそれほど高くないが、アルバムツアー時の成功のイメージが強いのだろう。ときおり自信をもって披露する。【Johnny・B・Good】のフレーズが登場する後半をバンドみんなで楽しそうに歌っていた。また、「ファミレスでコーヒー飲んで」を「コンビニでサンドウィッチ買って」と変更していた。なかなか渋い選曲である。
 「俺たちのテーマ曲です」と【地元のダンナ】。この「俺たち」はどうやら宮本・石森・冨永・高緑の四人のことを指しているようだ。赤羽四人衆。発表当時は歌詞の奇抜さが手伝って、「?」が浮かんだが、今は単純に格好いいと思えるようになった。
 【笑顔の未来へ】。イントロなしの歌い出しなので、出だしは宮本待ち。リズムをとりつつうまく入れなかったのか、ややスタートに手間取った。歌唱はすばらしかったが、演奏があまり調子がでなかったミヤジ。でも、印象はとてもご機嫌だった。
 昨年1年の成功を象徴する、【桜の花、舞い上がる道を】。シングルの発売は一昨年のこと。しかし、アルバム『昇れる太陽』のキー曲であり、さらに8年ぶりの武道館公演のテーマ曲であったこともあり、2009年のエレファントカシマシを端的にあらわした。レコード会社からの発注で出来た、この曲。本来はそんなに好きではない「桜」をつかって、エレカシらしい楽曲に仕上げ、そのためファンによろこびをもって受け止められた。そのため、思い入れのすくない「桜」の歌が大切な定番のひとつになるという、ファン発信の定番曲なっている。不安げに照れながら弾いていた、名古屋ELLでの初演が嘘のようである。ギターのボリュームをそのままにして、ノイズが鳴るなか退場。

 本年の新春コンサートの〆曲【待つ男】。本当の意味のアンコールはこの【待つ男】1曲。余力全部を叩きつけてきたかのような、すさまじいエネルギー。まさに正月にふさわしい「富士に太陽」というバンド・モチーフ。なんと言っても、その声の伸びやかさが印象的で、23曲を歌い終えたあとの最後の曲とは思えない、声がれのない歌唱だった。本年の新春コンサートの印象はまさにこの【待つ男】に神髄があった。
20091025 日比谷野外大音楽堂
雨上がり、朧曇りの秋空。午後2時過ぎからリハーサルが始る。そうそうに宮本本人の歌。【奴隷】【俺の道】【達者】【夕べの空】【おかみさん】【凡人】【生命賛歌】【彷徨】【人生の午後に】【リッスン】。およそ10曲であるが、入念に演奏チェックをしていた。そして【おかみさん】のリハの頃から、宮本以外のボーカルがときおり漏れてきた。石君の歌唱である。これは「あとは石君が歌って」という指示が塀越しに聞こえてきたので間違いない。5曲くらいみっちり歌わされたので、喉つぶれてたかもしれない。私は苦笑というより、爆笑に近い笑みで聞いていた。しかし、突然歌うようにふられて空で歌えるのだから(歌詞を暗記しているということ)、宮本より石君のほうが歌詞覚えがよいに違いない。

開場後、昨日とは違いスムーズに人が会場に散らばる。物販のブースを右手の手洗い所前のテントに移したからだ。そして、雨具がいらなかったこともあり、整列入場が速やかに進んだ。昨日同様に会場は満員。左手関係者通路の階段まで人で埋まっている。

 昨日と同様、SEもなくメンバーが入場。開演時刻5分過ぎくらい。25日は頭から4人編成。印象的なトミのドラムでスタートするも、ちょっとしたリズムのズレが気になってやり直し。【奴隷天国】。のっけから<あらくれ>モードにわしづかみされた円形劇場に、「何笑ってんだ」「何踊ってんだ」と睨め回す宮本御大、ココロをざくざくにする。久しぶりにぞくぞくするような怖気を覚える。続く【俺の道】も同様。しかし、雨が降っていないと音抜けがよく、音楽堂の残響がよくわかる。ドゥドゥドゥの宮本スキャットがよく木霊した。2曲目から6人編成。

【達者であれよ】と【石橋たたいて八十年】はうって変わってご機嫌モード。MCでも言っていたが、晴れ間の見える天気になった心地よさがあるようだ。歌い手としては雨の湿気があったほうが、声がれしなくて調子いいみたいだが、精神的には25日の方がすっきりしていたようだ。【石橋】の後半の各国都市の読み上げのリストが変わっていた。「TOKIO」を早く出し過ぎたのと、「日比谷」コールのあとの受けが25日はいまいちだった。

【暮れゆく夕べの空】は今年の野音を象徴する曲だが、2日目は宮本の声の調子が厳しかった。リハーサルで石君に歌わせたのも、本番のために声帯を温存したというところがあるのだろう。風邪もしくは前日の疲労が残っているようだった。しかし、声の良し悪しにかかわらず、声量と迫力という意味では毎度胆を抜かれる。
【悲しみの果て】と【おかみさん】は次の4人編成パートとのよい区切りになった。前者は導入パートの締めくくりの意味、後者は6人編成の力強さの象徴的楽曲の意味を帯びていた。つまり、4人編成のパートは作っているものの、現在と過去の地続きな感じ、決して断絶していないことが理解できるような構成だった。喉の調子がよかった前日より、2日目の【おかみさん】は壮絶だった。

「よくあんなアルバムを出せたと思う。その中でもマニアックで、でも大好きな曲です」といって【凡人】。武道館公演の【シャララ】でも感じたが、エピック時代の老成に年齢が追いついてきて、若い時分に足りなかった枯淡が備わっている。歌詞の深みが演奏によく沁みていた

私個人としてのハイライトは次の【やさしさ】と【土手】であった。というのも25日はトミのドラムが近年で一番冴え渡っていて、宮本の声がれを補ってあまりある働きをした。【やさしさ】は前日うまくリズムがあわずにヨタヨタしたのだが、25日はほぼ完璧。うつくしいバラードだった。そのご褒美のようにはじまった【土手】は、唯一の自分の楽曲とあって、さすがのトミもやや気負って、叩き急ぎした箇所があった。しかし【土手】は埋もれた名曲でもっともっと陽の目を見るべきバラードだと思いを新たにした。次の【珍奇男】まで4人編成。4人編成であると、ファンク色よりもロック色が強いのだと感じた。

サポートの2人が帰ってきて【生命賛歌】。「ダブル札幌コンビ」である。今年は『俺の道』の楽曲の輝きが素晴らしかった。それだけは両日遜色なかった。その勢いをかりた【曙光】。数年前、AXで聞いた【曙光】はササクレ感や克己の思いが薄いように感じたが、今はすばらしく漲っていて、久しぶりに燃え立つ思いになった。とくにトミのドラムと宮本「アー」という咆哮が重なる間奏部分にしびれた。
【人生の午後に】と【シグナル】は『町を見下ろす丘』パートであった。アルバムの中ではまさに指折りの傑作である『町丘』は、その収録曲もまったく充実して、どのライブで披露されてもそのライブにあった部品(ピース)になる。

【晩秋の一夜】は大好きな曲であるし、この秋の野音で聞きたかったのであるが、少し勢いあまって<侘び>を忘れた気がする。これは曲順の問題だと思うのだが、【シグナル】ですっかり迷いが醒めてしまっているから、季節に死に遅れた寂しさが薄らいだのではないか。つづく【翳りゆく部屋】は情感たっぷりで演奏もしっかりしていたが、正直、宮本の声の調子が悪すぎた。盛り上がりの高音ではまったく潰れ声だったから、美しい歌世界を再現しきれなかった。24日なら問題なく歌えていたと思われ、残念に思った。

【OH YEAH!】【ハナウタ】から本編後半パートに突入する。ともにキラキラした楽曲だから、現在の<あらくれ>とそぐわないと思いきや、なかなか爽やかに歌いこなした。ただ、やはり<あらくれ>ソングや中盤のバラードの印象が強く、25日の中では印象が薄まった。
前日同様【FLYER】から【ファイティングマン】までを本編ラストパートにしていた。この辺は気分次第、曲を出し入れして、【ファイティングマン】で〆るという、王道の決めパターンが適用されていた。拳(こぶし)をおろす暇がないくらい、立て続けにハイライト曲で、ほかの人の詳細な解説のような記憶がない。【ゴクロウサン】の出だしの指示が、まるで普通のねぎらいの言葉のようだったというのは、おぼろげだが覚えている。

しばし舞台袖に下がって間(ま)がある。雨の前日と違い、アンコール拍手を待つ余裕がある。ただし、ほかのミュージシャンのアンコールの余白より大分短い。もったいぶる時間があるなら、練習した楽曲を見せたい、という前に出る気持ちが強いのだろう。それがやるごとに増える演奏曲数にも現れている。
アンコール1曲目はまさかの【あの風のように】。リハでもやっていなかったし、昨日の演目にもなかった。まして、今日のセットのなかに入る曲ではないから、当日アンコールになってやりたくなった曲なのではないか。爽快さを歌う楽曲を頭でやりたかったのだろう。次の【友達がいるのさ】にも上手く接続される。【友達】はまさしく野音のための東京の歌である。

【デーデ】が不思議な位置に入って、王道のアンコールセットに突入。【デーデ】のトミのカウベルが不思議な鳴り方をしていたのは、もしかしてスティックが折れていたとかそんなことなのだろうか? ユニバーサル時代の自信曲が並んで、〆はファーストの【花男】。会場中が身振り手振りにゆれる。

会場使用時間ギリギリだと思われる最後に、セカンド・アンコールに飛び出す。指定席を離れて家路につこうとする人たちが慌てて、座席に戻る様子が見られた。<あらくれ>モードだからさぞかしギラギラになるのかと思いきや、【ガストロンジャー】は逆に和やかな励ましソングに聞こえた。

2日間通しての感想は、24日が歌に優れた公演、25日は演奏と心意気に優れた公演だった。平均30曲以上、約3時間の公演内容は満腹以上のものがある。しかも、正味43曲(被った曲目を引くとそうなる)。アルバム4枚分に相当する楽曲である。これは2日間セットで20周年記念興行だったと考えるのが正しいようだ。サポートの準・メンバーを除いて何のゲストがあったわけではないが、まさに演奏そのもの、セットリストそのものが豪華なフルコースであった。

日比谷の森に集まったファンには、場外場内の隔てなく、ひとつの空間であったことは間違いない。チケットがない、お金に余裕がないと思っている人も、もし日比谷公園まで来る手段が確保できるなら、ぜひ年に一度はあの場所にいることをおすすめしたい。外でも、そんなに歪んでは聞こえないので大丈夫。集え、心意気の音楽ファンよ。
20091024 日比谷野外大音楽堂
小雨模様の午後3時過ぎから、軽く1時間くらいのリハーサルが始る。曲目は、【石橋】【いつものとおり】【彷徨】【Sky is blue】【夕べの空】【遁生】【俺の道】【翳りゆく部屋】【女神】【珍奇】【生命賛歌】【きみの面影だけ】【覚醒】【季節はずれ】【so many】15曲くらいだったろうか。基本的にさわりだけ、どの曲も宮本が一節以上を本気モードで歌い上げた。

開場前、物販の列から交替した入場列が並ぶ間も、リハーサルの余韻が残る。開場直前から強まった雨も災いして、入場者が会場に収りきるまで30分以上を要して、その結果、開演時間も数十分遅れた気がする。場内の物販列が入場者の動線と絡みついた、整理の悪さもあるのだろう。

野音にふさわしく、特に入場の合図があるわけでもなく、静かに6人で現れて【夢のちまた】から滑り出す。秋の野音、雨模様にもかかわらず、宮本の声は伸びている。スピーカーから出る音声は、雨粒にたたき落とされるようで、いつもの伸びゆく空気感はなかった。

【夢のちまた】から【おかみさん】までの6人編成が、24日の序盤を構成していた。【俺の道】【石橋たたいて八十年】【おかみさん】などの力強い曲に、今の宮本浩次の境地を感じる。とくにアルバム『俺の道』の楽曲は、6年経ってはいるが、当時のツアーのヒリヒリ感が甦ってくるくらい、ささくれた印象が再現されていた。【石橋】については、歌詞にあるとおり「のびのび」楽しそうなおどけぶり。【おかみさん】は、ライブ演奏では歌詞のなかにある滑稽さがぶっ飛ぶくらい、野太い定番曲に変容している。その一方バラードとしては【暮れゆく夕べの空】が光った。25日と比較しても、24日の方がよかったと記憶する。【女神になって】は、今の心地と違うのか、心にひびく強さは感じなかった。

【おかみさん】の演奏前MCで「マニアックな曲も用意してきたぜ」といった宮本の言葉どうり、『生活』から【遁生】がチョイスされる。アルバム『生活』の当時はギターは座ってしか弾けなかったらしく、今回の野音ではそれを再現しようとしていたが、今となっては逆に弾きにくいようで、立って演奏していた。団地の部屋で火鉢を使う様子を語るのは、いつものことで目新しさはなかったが、「両親がだいぶ心配していたと思います」という親の視線に身を寄せるのが、中年の自覚だろうか。本編後半の【地元の朝】とあいまって、そうした侘びしさが響いた。

24日のバラードのベストは【何も無き一夜】である。4人編成でしかも、宮本ギターのミスタッチなく、歌詞も原曲通りにしみじみと歌いきった。その情感はすばらしく、演奏後もしばらく拍手までの余韻があるほどだった。つづいて【いつものとおり】であるが、この曲は宮本ギターのミスタッチが少し足を引っ張った。歌が素晴らしかっただけに残念だった。

【珍奇男】はいつもどおり。ただ、この日はトミと宮本のあいだにズレがあるようで、数曲で出だしをミスしたり、あるいは盛り上がりでつまずいたりした。【珍奇男】もどことなくその気配があった。サポートの蔦谷・昼海両人がステージに帰ってきたのは、この途中だったか、次の【生命賛歌】。【生命賛歌】は<あらくれ>モード全開なだけに、相応しい力強さだった。多少の演奏の荒削りは、歌のよい背景になってしまうくらい、ざっくりとした大振りの刀である。歌の題材になったという、吉見百穴の幻影を見る心地もした。そこから【武蔵野】であるから、考えられた曲順である。いつもなら情感に涙する宮本であるが、この日はライブの進行状況や雨脚などを気にしているようで、冷静に歌っていたように思う。

それにしても、今年の野音のセットの中では『俺の道』の楽曲の存在感が強い。【季節はずれの男】は両日共に素晴らしい存在感だったが、中でも24日の雨のなかでの歌唱は絶品だった。歌詞と一致した気色が情感をいや増しにしていた。

【きみの面影だけ】は、自選集発表のタイミングで披露だ。今後も歌われるかは微妙な情勢だから、今年の野音で耳にできた人は幸運である。ちょうど『俺の道』の隠しトラック【心の生贄】と同じポジションになりそうだ。メロディは【赤い薔薇】、歌詞は【翳りゆく部屋】に似ていると感じた。それがお蔵入りの理由かもしれない。

【ジョニーの彷徨】から【OH YEAH!(ココロに花を)】までがまたひとつの区切りであったように思う。雨模様に影響されたのか、24日は沈鬱な曲感のある楽曲は、よりいっそうしんみりとした感覚が増して、いつも以上に観客席が静かだった。本編後半やアンコール時には、そこそこの歓声があったものの、それ以外は雨音の奥の歌声や演奏に耳を澄ましている、といった気色だった。【地元の朝】ではストラップの短いギターに四苦八苦して、出だしでつまずいて、うまく世界観に入れるか心配したが、さすがプロフェッショナル後半はきちんとまとめてきた。そして、すばらしい【シグナル】。町見下ろす丘の蒼い月。

本編後半の【ハナウタ】~【ファイティングマン】。この流れは武道館公演同様、現・6人編成のエレカシでは最強のコンボだといえる。その意味では夏フェスやイベントでよく見かける畳みかけ。当然、野音で盛り上がらないわけはない。しかも、【ファイティングマン】を出されては、豪雨とて踊らないわけにいかない。

本編終了後さっと舞台袖に下がって、申し訳程度の間(ま)のあとに、早足でステージに戻ってくる。観客席の凍え方を心配してのことだと思われる。そして、いきなり【so many people】で観客席に火を入れる。火を入れたあとの【やさしさ】には参った。実際、トミのドラムもシフトチェンジしきれず、出だしがボロボロだった。やっぱり無理のある曲順だと思った人も多いだろう。リベンジは翌日果たされた。【今宵】【笑顔】は定番ながら安定した出来。本編のMCで、「雨合羽を着ている人がいるということは、雨が降って居るんですか?」とわざとトボけたように、24日のセットでは雨を意識しないステージを心がけていたようだ。荒天だって何も変えない、そんな覚悟を見せられたように思う。しかし雨払いの意味もありそうな【Sky is blue】では、いつもよりいっそうに「スカイブルー」に力が籠もっていた。
アンコール・ラストは近年の大ヒット曲【俺たちの明日】。25日の【友達がいるのさ】の曲前MCで言ったセリフ「俗受けするよい曲」とは、実はこちらではないかと思う。この曲はどうもメッセージがストレートすぎて気恥ずかしい。しかも同じテーマなら【星の降るような夜に】が好きだから、むしろそちらを歌って欲しかった。
20090923 サンキュー!サンジュー!ディスクガレージ~MUSIC PARTY~
 SEもなくメンバー登場。最初に宮本浩次。あとに5人がつづく。舞台天井から各メンバーを照らすピンスポットのなか、印象的リフがはじまる。【俺の道】である。久しぶりに見る緊張感のある立ち上がり。扉ツアー以来か? 客席にも興奮が伝播した。
 つづく骨太なリフにまたしても客席が興奮する。【おかみさん】である。アルバムツアーの時よりも、なおいっそう骨太になった印象がある。【俺の道】の続きにやったことで、未来絵図としての滑稽さよりも、永劫かわらない生活の無骨さのようなものを浮き出していた。
 
 ここ数ヶ月のライブでは『good morning』の楽曲に焦点が当てられている。どうしてもリズム隊への理不尽な処遇が思い出されるが、最近はトミも成ちゃんも嬉々としてこれを演奏するので心配がない。今回の【ゴッドファーザー】も、打ち込みのリズムに消されがちだったが、しっかりとトミも自分のリズムを重ねて、当時を取り戻すように参加していた。
 【悲しみの果て】【風に吹かれて】は、いつもどおり鉄板の演奏力。対バン・イベント前半がZAZEN BOYSで、バンド演奏中心の楽曲だっただけに、エレカシに代わってからの後半は、完全に歌モノ音楽の世界に彩られた。演奏力では敵わないものの、歌唱力、歌+メロディの力でははっきりとエレカシが優っていた。
 
 フェスセット、対バンセットでも定番と化した【ジョニーの彷徨】。エレカシのダークサイドを象徴するような楽曲なだけに、キャニオン時代の楽曲のあとに谷間をつくっていた。何しろ克己の鬼が「探している」のだから、生中な「彷徨」になるわけもなく、生中な「咆哮」になるわけもないのだ。石君が効果音やリズムチェンジなどのために何度もPC前に貼り付いた。
 今回は【リッスントゥザミュージック】がとてもよかった。何といって、後半の絞り出す高音まで嗄れない声で歌えたからである。バラード→ロックになる劇的なる曲は、エレカシのキャリアのなかでもすばらしくドラマティックな一曲である。その物語性の豊かさに客席がみな酔いしれていた。
 つづく【珍奇男】。ギターの掛けあい演奏が印象的であった。と同時に、いつも以上にパワフル・ドラムなトミが、ギターに負けじとその存在をアピールしていた。単独公演に足を運んだことのない人たちや、最近の楽曲しか知らない観客には、その存在感とグルーブ力を印象づけたと感じた。
 
 【何度でも立ち上がれ】。この曲はかなり久しぶりだ。力強いアコギを宮本がかき鳴らしながらいきおいのあるロック調というのが、あの頃は珍しかったので、エレカシの大きな転換点が来ているのを宣言された気がした。ユニバーサル移籍後、『DEAD OR ALIVE』収録の楽曲に再び焦点があたっているのも、再び転換点がバンドに訪れているからかもしれない。
 【コール アンド レスポンス】は2006年の秋公演以来である。この曲も【ガスト】同様に、録音は打ち込みの個人作業であったけれど、ライブでバンド演奏を重ねるにつれて、バンド演奏による楽曲としての位置づけが固まって来た。蔦谷好位置が大好きな一曲らしいので、そこから取り上げられたのかもしれないが、その選択に誤りはない。間違いなくバンドの代表曲である。
 【FLYER】はいつもどおり最終盤をもりあげる楽曲。メンバーの首振りもあるし、宮本がステージ狭しと歩き回るシーンも定番、昼海幹音だけが首振りもせずポーカーフェイスなのもいつもどおりの光景だった。「落ち合おう」のところで、宮本は両手の親指を立てて、「Good!」ポーズで再会をアピールした。そして【ハナウタ】である。終盤の【ハナウタ】という曲順はめずらしく、【FLYER】の後引きということもあるのだろうが、美しい幻想物語ではなく、力強いタンポポの花のようなイメージの歌になった。むしられても、むしられても、土手に咲く花のようだといえばわかるだろうか。
 
 タイトな対バンセットの最後を飾るのはやはり【ファイティングマン】だった。これはあらかじめ決められた終幕の曲だったと思われ、たとえアンコールの拍手が鳴り続こうと、現れる気配すらなかった。しかし、それは武道館公演同様に成功であると感じた。タイトなライブは、タイトであるからこその完成度があり、そこに余計に付け足すと本編の印象を台なしにしてしまう。
20090802 ROCK IN JAPAN FESTIVAL
20090522 ZEPP TOKYO
10分押しの開演。まず登場したのはサラリーマン風の石君。いつものサングラスではなく、黒縁メガネだったので、スタッフかローディーかと思った。石君がまず打ち込みのトラックを鳴らす(【ジョニーの彷徨】のバックトラック)。SEのつもりだったのかもしれない。ほかのメンバーが入場してきて、それぞれのパートの楽器を抱えて、音出しをする。『風』のなかの冒頭【平成理想主義】のような、あのカオスである。ここから【Sky is blue】に行くのかと思いきや、【こうして部屋で・・・】だった。セットリストがこれまでと全然ちがう。これはすごい意気込みだと感心する。高音部の調子がいいのか、初っぱなから高音シャウトをする。
 
 2曲目に【悲しみの果て】。これにはおどろいた。東京公演2日目は、理由はわからないが、まったく曲順のちがうセットでくり広げられることになった。【新しい季節へキミと】、【今はここが真ん中さ!】、とオープニングに似合う楽曲を立て続け。この2曲は幕開けにぴったりの華やかさが備わってる。蔦谷好位置と昼海幹音をくわえた6人編成でもやりなれた曲だけに、息もぴったり、分厚いサウンドでフロアを熱気に包んだ。3曲目はライブ演奏に期待をかけていた【おかみさん】。録音盤よりもだいぶダークな味付け。録音盤の獣骨を叩く楽器の不思議な音がないぶん、ユーモラスな印象が薄れていた。演奏の前に「ブルー・ダイズ」と一言。【BLUE DAYS】。石君がサビ「BLUE DAYS」の部分を楽しくコーラスしていた。この歌はRCサクセションの影響を感じる楽曲だけに、なんとなくホロリとした。

 蔦谷好位置のキーボードと宮本のギターの掛け合いから、【まぬけなJohnny】へ。そう、石君のスタイルはジョニー(ツアーTシャツの)を意識していた。今ツアーでは、ゴツゴツした男っぽい曲に聞こえた。【さよならパーティー】も錬度があがって、定番曲となっている。バンド・イメージの芯がしっかり通っている。
 つづいて演奏された【絆(きづな)】が、この日いちばんの出来。ピアノ・サウンドを前面に出したアレンジで、盛り上がり部分でリズム隊が入ってくると、がぜん力強く男らしい歌に聞こえた。ラップ部分のピアノはニューオリンズ・ファンクっぽい、ガンボ風味だった。宮本もこの日でいちばん丁寧に歌詞に思いをこめて歌っていたようで、会場がまさしく静寂と静聴に包まれた。余韻も残しながら、【ネバーエンディングストーリー】。痛切なるラブソング。こういう時はかすれ声もよりいっそうに楽曲の雰囲気を増す。もっとキレイな声で歌って欲しいという人もいるだろうが、私はかすれ声で苦しげに歌う姿の方が、痛切なる響きを持っていて、この作品の印象を強く感じる。最後につぶやいたのは「おやすみ」だったか。この後にメンバー紹介。
 【桜の花、舞い上がる道を】もまた力強いバンドサウンドで鳴らしていた。先月の日本武道館で演奏された【桜】とはまったく真逆の衝動である。レコード会社のリクエストでつくった「桜」の歌であるが、ファンが喜ぶのを見て、徐々に好きになってきているのかもしれない。しかし、何回聞いても「桜」に愛情がないのがわかる。宮本のなかでは「桜」は凡百の花のひとつに過ぎない。
 
 演奏前に、「氷が溶けて流れてゆくその瞬間」の箇所をつぶやく。【あの風のように】である。宮本が歌う前に抜き出すフレーズは、歌の中でとりわけ届いて欲しいメッセージであるように思う。【あの風のように】の場合は、ある日瞬間的にわかったことの驚きと喜びだろう。セリフ詞を一呼吸おかずに歌っていたので、セリフではなく歌のようだった。「Music on!」は一呼吸置いてる録音盤のほうが意味が深い。
 【ハナウタ】は、とりわけ丁寧な解説をしたあとに、歌いはじめた。テンポが速かった気がする。「トキメキ」と「時行き交う」が韻踏みなのだということに、ひとり気づき、ほくそ笑む。「二人の時間を」に宮本がVサインをひらひらさせた。武道館ではコーラスを誰がつけているのか不明だったが、今回はバッキングコーラスの正体が、蔦谷好位置であったことを確認した。「あ~ああ~」の部分である。
 【ジョニーの彷徨】石君が自前パソコンの打ち込みトラックをスタートさせて、曲がはじまる。「スカイブルー」を何度も何度も愛おしそうに叫ぶミヤジ。太陽の背景には青空、つまり月に星のような取り合わせだろう。

 しばらくギターチェンジの間があって【ガストロンジャー】。うれしそうに激しくドラムを叩くトミと成ちゃんが印象的。フロア大盛り上がり。観客のほとんどが拳(こぶし)を突き上げいっせいに雄叫(おた)びをあげる。雄叫(おた)びを背景に吠えまくる。「くだらねぇのはおめぇだけだ」「そんなこたぁ江戸時代から変わらねぇんだ」。「己自身とアイツ等の化けの皮をはがしに行くことを」。「赤はだかの心でいこうぜ」。
 「とお・ゆう」と言って【to you】がはじまる。これも録音盤よりもよほど男っぽい。ドラムがトミの生ドラムであることも印象を変えている。もちろんポジティブ・モード全開の春歌なのだと思う。歌詞を見る限りは、【桜の花】よりもよほど宮本らしい世界観である。歌詞を忘れて途中「ななな」になった箇所があった。石君のスライドブリージャーは控えめだった。
 【笑顔の未来へ】。これはもう定番曲なので特に触れるべきようなゆれ幅はなかった。まあ一点マイナスをいえば、宮本のギターがところどころ引っかかったところぐらい。いつもどおり、どんどんペースが速くなっていくのも愛嬌である。6人で録音した楽曲は、6人でやると、これほどカッチリとはまるものはない。
 本編最後。おまちかねの【Sky is blue】。宮本のスライドギターは予想通りグダグタであるが、歌いながらのスライドギターという曲芸であるから、慣れないとああなってしまうのだろう。しかし、うまくなりそうな予感はある。というのは間奏のスライドギターはなかなかだったからである。東京公演2日目の太陽は、だいぶ後半になってから昇ってきた。ギターに隠れがちだが、トミのドラムが素晴らしかった。本編最後のしめにふさわしい。
 
 アンコールを求める拍手がいつもにも増して揃っていた。普段は何度も小さくくり返す波だが、今回の拍手はずっと鳴り続けた。
 
 アンコール1曲目、昨年正月ライブ以来の【太陽の季節】。はじまりはアップテンポで入りすぎたので、歌に入ってやや抑えめに直す。前回と同じアレンジを用いたファンクネスなライブバージョンだった。【珍奇男】のように定番曲になってもおかしくない完成度をもった演奏である。
 【今宵の月のように】の曲前MCでは、【絶交の歌】をそろりとひいて、【今宵】の裏テーマはこの曲であると話した。「今宵月とありて」という部分である。【今宵】は御新規さんや久しぶりに見に来たファンへ向けたサービス曲である。一時期は嫌になって歌わなかったことがあると、どこかで言っていたし、要望の高い曲も挿んでセットリストをつくるということを覚えた宮本である。
 そんな【今宵の月のように】であるが、途中まで歌って歌いやめたので、どよめきが起こる。するとビリビリと二枚の紙をはがして後ろへ放り投げる。これはさまざまな感想を読んで後で知ったが、モニターのところに貼ってあった進行表のようなものらしい(この日はだいぶ無視していたから、いらねえやってことだろう)。ギターが3人と鍵盤がいることで、いつもの静かなバラードとは違う、華やかで力強い【今宵の月のように】だった。これはこれで新鮮な感じがした。
 石君に借りっぱなしのギターの話をしつつ、【FLYER】に突入。石君のヘッドバンキングも板に付いてきて、堂々たるアンコール曲の地位をしめつつある【FLYER】である。この日の【FLYER】はベースとドラムの音が太くて、ギターを凌駕していた。石君のギターソロの後ろで鳴ってるトミの力づよいドラムの方に耳を取られていた。パワフル・ドラムが遺憾なく輝く瞬間、光さす丘はトミの後方に見えた。
 ユニバーサル第一弾シングルの【俺たちの明日】。武道館でもやったように、客席の照明をフル点灯して、「俺たち」の意味を演出する。客席で歌う男女もチラホラ。
 オオラスは【ファイティングマン】。会場大盛り上がり。歌うものもいれば、拳をあげるものもいる。身振り手振り、祭り、宴、フェスティバル。ギターを持たない宮本の歌唱はもう全身全霊である。右へ左へ歩き回って、煽りまくる。エレファントカシマシのなかでも最も初期にできたという【ファイティングマン】。ファーストなかでも歌詞に自信をもっているという【ファイティングマン】をしめくくりにもってきた。武道館公演もそうだが、【ファイティングマン】と【花男】はミヤジご機嫌の証しの閉め曲だという実感がある。

 全体の感想。蔦谷・昼海を加えた六人編成は演奏がとても安定していた。最初はギターを弾かなかった宮本だが、途中から後ろの5人の激しい演奏に触発されたのか、歌と同じくらいギターもかき鳴らしていた。
 人によってどの会場がよかったとか、あの時は声が出ていなかったとかまちまちの感想である。私は1日しか見ていないから、どこかと比較する対象を持たない。ただ、武道館公演よりはリラックスしている気がした。声が出ないのは、声の調子うんぬんもあるが、前のめりな歌唱と力みによる声帯の狭窄ではないか。けれども、それはライブならではのこと。みんな高音のことをよく話題にしているが、そもそもアルバムと同じくらい澄んだ高音がライブで出ていたことがあるのだろうか?なにか、いつも「ないものねだり」をしているのは不毛である。
 演奏の正確さでも、歌を録音盤どおりに歌えることでもなく、その日その時に伝わってくる思いやパワーがあったかどうかだろう。正直、声とかミスタッチとか、かなり脇道のドブ溝のような話題の気がする。歌詞忘れはちょっと問題ですが。<歌係>ですから。
 東京公演2日目は女性客多めで、一見さん少なめのライブだった印象でした。
20090411 日本武道館
管理人さんの情報で知った、『昇れる太陽』の背景である半蔵門付近の景色をみるために、半蔵門で降りて千鳥ヶ淵から北の丸公園をまわって、武道館付近へとたどりつく。
 13時過ぎには武道館付近にいた。すると、すでに機材チェック、楽器の音出しがはじまる。まず、ドラム、つづいて鍵盤、ベース、ギター。宮本浩次御大が登場したのが、14時。「ええっ、早いな」というのが印象。ここから延々2時間近い歌唱をふくめたリハーサルが続いた。しかも、いつもながらリハーサルから全力である。そんなに歌ったら本番で声が嗄れるぞという心配は、半ば的中(高音が出なくなった)、半ば杞憂(高音部以外は問題なく歌いきった)に終わった。
 
 18時10分入場のためのSEがかかり、エレカシ登場。1曲目「新しい季節へキミと」。出し惜しみするかと予測していたストリングス隊を冒頭から惜しげもなく披露したことにびっくりした。CDではストリングスが入るとバンドの音が引っ込んでしまったが、今回の武道館ではよいアンサンブルになっていて、ストリングスがあることによる相乗効果が発揮された。会場が一気に盛り上がる。
 と、2曲目で「この世は最高!」。いつもは成ちゃんのコーラスが印象的な楽曲だが、今回は石君と昼海幹音だけだった。2曲目でエピック時代の曲を挟んだことで、セットに深みが出た。「手当たり次第に夢をつないでやってりゃいいんだ」というのは、エッジの利いた尖(とが)った曲である。3曲目でふたたび universalに戻って「今はここが真ん中さ!」。この曲はオープニングにふさわしい華やかさのある曲。「今は武道館がど真ん中!」といつもどおりのアドリブを交えつつ、「はじまるよぉ」と盛り上げる。
 ここから定番曲がつづいた。「デーデ」は「貧乏に捧(ささ)げるバラードだ」との定番的な紹介をやめて「ブルースだ。ど・ブルースだ」との口上。ここから宮本御大が右へ左へと駆け回る。つづいて「未来の生命体」。この曲は近年セットによく登場する良作。昨年のアルバムツアーでも披露されていたが、今回も安定したよい演奏だった。つづいて「風に吹かれて」オリジナル・バージョン。リハーサルでは蔦谷好位置を押し出したピアノ・アレンジを練習していたので、本編になってからバージョン・チェンジした1曲だろう。「さらば青春」も最近演奏回数があがってる曲だが、文句なくよい。高音パートがないことも手伝って、かすれ声なしに聞くことができた。筆者の涙腺に響いた。「甘き絶望」はMCにもあったとおり、ミヤジが個人的に大好きな曲である。以前、Shibuya-AXの2 daysのMCだったと思うが、シングルで出したいといって周囲に反対されたと残念がったエピソードを紹介していた。これもとてもよい完成度だった。「悲しみの果て」は言うまでもなく完璧(かんぺき)。エレカシのアンセムである。
 
 何か、すごく真っ当なライブで、ガサガサ、ザワザワした緊張感がないなあと思っていたら、「男は行く」である。ぶっ飛んだ。石君を久しぶりにイジメたおしてた。セットされた七三分けの髪の毛をむんずとつかむは、「もっとこっちへこい」「もっとだ」と、恐るべき指令を発して、荒くれ者の片鱗(へんりん)を見せていた。その意味で、まだ老成しきっていない、燃え上がる気持ち、荒ぶるココロを忘れていないんだな、そう感じた。演奏が終わってから、「緊張しているけど、今日も最高のギターです。中学時代に秩父(ちちぶ)にいっしょに行った仲です」とフォローを入れてたので、観客も一安心。しかし、新参のファン以外は、むしろああいうビリビリした感じのアピアランスが久しぶりだったので、狂喜したのではないか。
 「リッスントゥザミュージック」はヴァイオリン&チェロとの共演。アルバムと同じ編成でのライブ・パフォーマンス。美しい前半の恋模様と後半のバンド・サウンドの盛り上がりを完璧(かんぺき)に再現。金原(きんばら)千恵子さんの熱演に拍手。「昔の侍」はストリングスとの相性がとてもよい曲。MCでも言っていたように、『葉隠(はがくれ)』など武士道に着想をえてできた一曲であるが、死と再生、死ぬことによって生きる道を得るという、文学的なテーマを持った一曲である。この曲は太陽の描写が新作アルバム『昇れる太陽』に重なるので取り上げられたのだろう。
 今回一番のサプライズかつ完成度を誇ったのが、「シャララ」である。それを演奏することはリハーサルでわかっていたが、まさかストリングスを含めたアレンジで披露されるとは想像だにしなかった。正直、楽曲の持っていた潜在的な力に度肝を抜かれた。錬度があがっている、今現在のエレファントカシマシで再演される、エピック時代の楽曲のクオリティの高さ。「恋をせにゃならぬ 飯くわにゃならぬ」。発表当時の老成に年齢が追いついて来たことがよくわかる。
 休む間もなく「珍奇男」。立て続けに大作である。しかも、前半からトミが煽られていた。「珍奇男」は石君とミヤジのギターのかけあいが注目されがちだが、ドラムのトミの見せ場度合いが高い曲である。だから、ミヤジに煽られるわけだが、今回の武道館の立て続けの演奏を見ていると、ややトミに残酷なセットのような気がした。しかし、「珍奇男」ではトミと成ちゃんのリズム隊がすばらしかった。

 さて、エピックとキャニオン時代のパートを終えて、再びuniversal時代の楽曲群。「It’s my life」は、ひとつ前の「珍奇男」の息切れを抱えていて、不出来な内容だった。昨年JCBホールで見たときはもっとガツっと骨太の演奏だったけれど、今回はちょっとよれていた。ボーカルのミヤジも少なからず息切れしていて、もったいない感じだった。フロアの反応もやや薄かった。その反動もあってか、次の「ハナウタ」がとても盛り上がった。CMタイアップで制作すると駄作に落ちる作品になるケースが多々あるなかで、これほどの名曲をつくる今のエレカシはすごい。とても丁寧に歌っており、春の華やかさもあり、シングルにリカットされてもおかしくない名曲である。「to you」では、またしてもやや不出来。高音がうまく出ないことが足を引っぱった曲が今回は散見された。無理をして高音を使わないで、うまく歌いきれるようにしたほうが、もっと力強くなると個人的には思うのだが、高音で歌う部分をつくるのが好きなミヤジのこと、やるなというほうが無理なのかもしれない。
 「絆」で再び金原千恵子ストリングス。これもタイアップありきで作られた楽曲。しかし、この「絆」や「ハナウタ」のような、華やかではあるけれど決して媚びていない新曲の力強さに、胸を打たれる。ストリングス隊を全面的にしたがえた、一夜かぎりのすばらしいショーだった。もしかすると、前回の武道館やライフツアーのときよりも、アンサンブルとして完成していたのではないかと思った。つづけて「笑顔の未来へ」。これもまたストリングスがイメージを広げる曲である。しかも蔦谷好位置のアレンジのなかでも屈指の作品であり、ミヤジも不思議なくらいリラックスして歌える曲である。すでにライブ定番の感も強い、しかも不思議と聞き飽きない。
 ストリングス隊のハイライト、武道館公演のタイトルの由来でもある、「桜の花、舞い上がる道を」。今回の武道館公演がこの曲ありきだったことは間違いない。そして、「絆」。「ハナウタ」や「to you」なども含めて、春めく風や春の光をテーマにして彩った素晴らしいステージ。ピンク色のライトアップのなかで歌われる「桜の花、舞い上がる道を」は、本編の〆である「俺たちの明日」よりも、よほどハイライトだった。しかし、あまり桜に思い入れがないのだろう、多くを語らないミヤジが頬笑ましかった。宮本にとって桜は「One Of Them」といおうか、春という大きな出来事のなかでは、ひとつピースにしかすぎない。しかも、他の花より特別ということはない、その思いを強くした。それでも、ハイライト足りうる力強いメッセージがあって、不思議と違和感を覚えなかった。
 近年における鉄板の名曲「FLYER」と「俺たちの明日」で本編をしめくくりをかざる。「FLYER」は演奏の熱さと「もう一度会おう」というメッセージの力強さに胸打たれる。「俺たちの明日」は、メジャーシーンへの高らかに宣言した、近年の代表作。ただ、「俺たちの明日」はストレートすぎるきらいがつよく、私自身はあまり思い入れを持てない。同じテーマであるなら「FLYER」に肩入れしてしまう。

 メンバーが舞台袖(そで)に下がって、本編が終了。22曲立て続け、ギターチェンジ以外に休息なしに走り続けた、メンバーの体力に感服した。どれだけのスタミナを養ったのだろう。リハーサルを3時間やって、そのあとの本編2時間超。

 黒シャツに着替えたミヤジが一番のりして、アンコール・パートのスタート。「今宵の月のように」。これも鉄板かつ安定度の高い名曲、名演。次に「風」。これは急遽ミヤジの機転で挿入された1曲のような気がした。というのも、次のためのギターチェンジをスタッフが行おうとしたのを断って、おもむろに弾きはじめた曲だからである。今まで何度か聞いた「風」のなかでピカイチの演奏と歌唱。しかし高音が出ない。ただ、それゆえの切実さも伝わる。上手く歌うことだけが名演ではないことの証明。つづいて「流れ星のやうな人生」。これは沈み昇る太陽の下りを強調すべく組まれた、アンコールセット用の曲だろう。演奏としてはあまり上手くなかったが、客席へのアピールは最高潮だっただろう。
 そして、ラスト「ファイティングマン」。バンドの代表曲にして、ファーストアルバム劈頭(へきとう)のキラーチューン。予想通り、最後をかざる曲に採用。客席とステージの一体感も最高潮。にんまりと笑顔が浮かぶなか、あまり尾を引くことなく、ミヤジが深々と一礼して舞台袖に去っていく。
 暗転して、しばらくアンコール登場用の照明に切り替えたので、アンコール2があるかと思いきや、客電がいっせいに点り客出しの場内放送。おそらく、アンコールセットはもう少し用意されていたのだと思うが、メンバーがやりきって体力が続かなかったような気がする。あれ以上求めるのは酷である。果たして演奏されなかったアンコールセットは「ガストロンジャー」だったのか、「so many people」だったのか、はたまた「武蔵野」だったのか。

 武道館公演の印象。
 新しめの曲で勝負をかけたセットであった。蔦谷好位置と昼海幹音を加えた6人編成のエレファントカシマシを十二分に意識して、これまで6人でやってきたレパートリーのなかから、自信作をピックアップしていた。新しいファンを意識したとても間口の広いセットリストだったけれど、長年のファンを退屈させない、華やかなショーアップと少ないながら力強い初期の楽曲をちりばめた。管理人さんが「よそいき」と言われているように、晴れ舞台で大見得を切っている、数年、数十年に一度の姿を見せたような気がした。しかし、ライブハウスでエッジの立った演奏をするエレカシもそろそろ見てみたい。アンサンブルをぶち壊すような攻撃性、野生がどうやら戻りつつあるようだし。

(誤字脱字と表現に若干の修正を加えました。いきおいで書くとかなり間違えてしまうのが恥ずかしいかぎりです。)
20081018 水道橋JCBホール
 JCBホールはよい箱だと思った。何しろ音がいい。サウンド・バランスはライブハウスのなかでも群を抜いている。TV局の系列ライブハウスにもかかわらず、サウンド・バランスの悪いShibuya-AXには見習って欲しいものだ。今回はサポート・メンバー二人を引き連れてのライブなだけに、演奏は安定して揺らぎがなく、音の分厚いがっしりしたサウンドだった。だからこそ、ホーン・セクションこそないものの、『STARTING OVER』の楽曲も見劣りなく響いていた。しかもグランドフロアもバルコニーフロアも大盛り上がりである。自分は第1バルコニーのステージ正面、ミヤジの正面5列にいた。ちょうど客席向けのピンスポットがあたる位置で、すごい眩しかったが、指定席のなかでは特上の位置取りだった。
 
 セットリストは17日とほぼ異同がなかった。そしてショーとしての完成度が高いライブであった。おそらくローリング・ストーンズやその他の来日アーティストのステージ構築を取り入れて、ライティングと曲の進行のシンクロをとてもよく考えていた気がする。それができるぐらい、JCBホールのライト・コントロールは優れている。ライブハウスというよりは、演劇やダンスを演出できるほど充実した照明演出だった気がする。その分、曲の出し入れがなくなって、2日間同じ内容のセットになったのだと思う。17日に参加した人には、ちょっとサプライズが少なかったかもしれない。
 
 セットリストをふり返ってみると、『STARTING OVER』と『町を見下ろす丘』の占める比率がだいぶ高い。巷間の評論では『START OVER』は移籍後の新境地と言っているようだが、私にはこの2枚はつながりがあるような気がする。たしかにサウンド面においては華やかさが断然『START OVER』にあるけれど、メロディや歌詞の内容は実はつながっている。そのことが今回のライブでよくわかった。
 
 「理想の朝」はもう何度も耳にしている曲だが、今回の演奏はかなり開かれた作品である印象を受けた。『町を見下ろす丘』のはじまりは「地元のダンナ」であるが、私の印象としては「理想の朝」がよいと今でも思っている。その証明ではないが、オープニング曲としての立ち上がり方が秀逸であった。「こうして部屋で…」へのつながりも無理がなく、どんどん作品の世界に引き込まれてゆく気がした。
 
 「こうして部屋で…」から「笑顔の未来へ」までは、ちょうど『STARTING OVER』のパートである。春のアルバムツアーでも展開されたような、バンドの力量が如何なく発揮されたパワー全開の演奏だった。ただ曲順で言えば、「今はここが真ん中さ!」と「こうして部屋で…」は逆の方がよかったような気がする。「理想の朝」で見た光が「今は…」で一回盛り上がって、そしてアルバムの曲順通り「こうして部屋で…」から「リッスントゥザミュージック」に流れる。とくに、「こうして部屋で…」の重たいメッセージが後半の演奏が突然切れるところで<死>のような静けさがある、あのCDの世界観を再現して欲しかった。
 
 「さよならパーティー」と「笑顔の未来へ」はライブで鍛えられた力強い曲だ。フェスでやっても、ワンマンでやっても鉄板の名曲である。「笑顔の未来へ」のMCではあいかわらず「この歌の仮タイトルは「涙のテロリスト」で…」うんぬんと、サビのあのフレーズへのこだわりを見せていた。私は「涙のテロリスト」にもう一回変えたらどうかとさえ思う。あの不穏な単語と<涙>というセンチメンタルな単語の融合が、見事なのだと思う。なにしろ歌詞の呼びかけ(笑顔の未来へゆこう!)は、「涙のテロリスト」に向けられたものなのだから。
 
 つぎに「誰かのささやき」である。この楽曲にはミヤジの思い入れが深いようである。epicの楽曲群のなかでも演奏頻度がとても高い。ちょうど『東京の空』で内省から物語による呼びかけに作風が変わる、そんなきっかけのような曲のひとつだと思うからだ。「誰かのささやき」は自分への歌ではなく、相手にとどけたいメッセージである。それをとても丁寧に歌っていた。
 
 今回はあらためて『町を見下ろす丘』の充実度に気づかされた。「雨の日に…」もそうだし、「シグナル」「流れ星のやうな人生」「地元のダンナ」、どれをとっても甲乙つけがたい出来だった。とくに歌詞の世界がすばらしい。キーワードがちりばめられていて、それがほかの曲との連想になっている。この最近の作風がより豊かになってライブで再現されている気がした。「雨の日に…」は私の中ではとても大好きな曲で、歌詞の内容はメッセージではなく目に映る景色に心象風景を託したそんな歌なのだが、「シグナル」と同じようにかみしめてこそ出てくる味がある。「目の前の日々がぼくのすべてだった」。
 
 つづく「流されていこう」もよい曲だと思っていて、はじめて聞けたのでうれしかった。1stの「てって」と繋がった内容の「肩の力ぬきなよ」という歌だ。これも自分へのメッセージではなく、ファンに向けられたやさしさだ。ただ「俺たちの明日」や「ガストロンジャー」とは真逆の方向性だ。その両方を詰め込んできたというところに、ミヤジが近年ライブを俯瞰して構成してきていることに気づかされる。とにかく、<見せる>ことに拘っているのだ。うまく届くように、選曲も曲順も演出も気を配っている。
 
 「シグナル」「傷だらけの夜明け」という内省的なバラード2曲。「シグナル」では不覚にもホロリときそうになったが、人前の涙を恥じる自分なので、こらえた。「傷だらけの夜明け」は新宿コマ劇場の初披露を見ているので、あの時の思いがよみがえる。「僕らは扉を叩いてしまった…」とは、宮本がメンバーを代表してつづった言葉だろう。「生と死を行き交うこころ ふさわしい傷だらけの夜明けに」。
 
 「未来の生命体」から本編最後の「ガストロンジャー」までは畳み込むように、人気曲のラッシュ。「未来の生命」と「Flyer」の演奏を聞いたとき、これは激しい戦闘モードに戻りつつあるなとどこかで感じた。たしかにシングルではまだポップな楽曲を全面に出しているが、「It's my life」に少しだけあらわれているように、拳をかためるような曲がまたやりたくてウズウズしているそんな気がする。バンドのメンバーも激しい曲の時の真剣さのほうが、ポップ系の楽曲よりも一層深い気がした。まだ、まだ戦える。
 
 本編終えてのアンコール。1曲目の「今宵…」をのぞけば、アンコールにしては珍しい選曲。いわゆるキラーチューンとはちがう渋い選曲だ。「流れ星のやうな人生」は「珍奇男」につながるような歌詞なのだが、攻撃性よりも道化としての自分を演じるような歌だ。渋いがアンコールにふさわしい演奏だった。しかし、いちばんのサプライズはアンコール2の「地元のダンナ」。えっ、こんなに盛り上がる曲だったっけ、と思うくらいフロア中がゆれまくる大盛況。いつもなら客席に残って、名残惜しそうにする観客たちを、すんなり家路につかせるくらいに大団円としてしめくくった。私の中で「地元ダンナ」の印象はオープニングやライブ中盤の盛り上げ曲であったから、アンコールをしめられるくらいの完成度があったことに驚いた。『町を見下ろす丘』恐るべし。
 
 ポイント、ポイントで曲に関する説明はしたが、春のツアーほど曲ごとの解説はなかった。おそらく、十分に仕込んだセットを凝縮してタイトに聞かせたいという意図、それがよく伝わってきた。2時間半とは思えない充実度だった。終わって外へ出て午後7時半だなんて。エレカシならではである。
 総合司会・宮本浩次の印象深いお言葉。「風なんとかなんないの。寒いんだよ。俺んとこにあたって。」
20080823 SOCIETY OF THE CITIZENS
20080628 日比谷野外大音楽堂
 今年の野音の盛況ぶりはCDデビュー20周年を祝うにふさわしいものだった。にもかかわらず、それを告げるものも何もなく、ゲストと呼べる人もない(蔦谷好位置はなかば準メンバーで、今回はゲスト参加という紹介ではなかった)という、とても質素でいつもどおりの姿だった。ただ、まったく意識していない訳ではないのは、そのセットリストの豪華さと、約3時間にもおよぶ長尺の公演時間が示しているだろう。
 セットに不満はなかったが、ミヤジのギタープレイと歌詞忘れが、少し残念な完成度だった。その代わりといってはなんだが、トミや成ちゃんのリズム隊、石君と蔦谷好位置のメロディ隊の錬度には驚いた。こんなに出来るバンドだったと、改めて知った(その落差の分、ミヤジの不調にがっかり)。ただ、ミヤジは心意気に関してはいつもどおり、大きなものを見せた。波があって下降したセットもあるが、バンドの好調とシンクロして盛り上がった部分では、底知れぬ歌唱力、化け物のように大きな世界観を演じた。初生体験の曲が数曲あったことも大きなよろこびであった。

 1曲目は久しぶりの“パワー・イン・ザ・ワールド”。それも打ち込みバージョンである。2008年の野音の戦闘宣言ともいうべき、初っ端から手抜きなしの絶唱である。赤く染め上げられた頭も凛々しい石君も、弾きまくりである。ただ、リハからほぼ手抜きなしで歌っていたためか、すでに声がかすれていた。
 “うつらうつら”では、蔦屋好位置の好サポートが光った。去年の野音では、時折バンドのサウンドとのずれを感じたキーボードであるが、回数を重ねて今や準メンバー的なポジションであるそのサポートは、かっちりとハマっていた気がする。今年の野音のなかで輝いていた曲のひとつである。
 “孤独な旅人”、“デーデ”は演奏と歌に出来に上下の差がはげしかった今年の野音のなかでは、“今宵…”と並んで、<鉄板>的にぶれがなかった。
 エピック時代の1st、2ndからの曲、キャニオン時代の『ココロに花を』『明日に向かってはしれ』の曲、これらはアレンジが固まっていて演奏回数もほかにくらべて格段に多いために、歌唱も演奏も毎回揺らぐことなく、安心して聴ける。今年もその安定感が、歌詞忘れのせいで何度かボロボロになった空気感を救った。
 混沌のなかから立ち上がってゆく“平成理想主義”は、今のエレカシの立ち位置と差異がないので、蔦谷好位置をふくめた5人編成のバンドでも、難なくハマった。歌詞もばっちりだったし、夏の浜辺を歌った歌詞が、初夏の日比谷の光景に再現されてしんみりとした。序盤で出してしまったのがもったいないくらい、よかった。このあとに早すぎるメンバー紹介。トミのTシャツの柄「アーミー」につっこんで、笑いを誘った。
 つづく“東京ジェラシー”がまた今年の目玉曲でもあったろう。歌詞に多少のアドリブも混じっって揺れたが、この曲も今のエレカシの立ち位置、明日を強く見つめるポジティブ路線に無理なくおさまって、よい演奏だった。このあとには『東京名所図絵』をバブル時期に事務所の前借りで購入したエピソードが披露された。
 トミのパワフル・ドラムからはじまる“1万回目の旅のはじまり”は、前向きな歌を連発する今のエレカシとはやや距離があり、歌の持っている悲壮感があまり表現されていなかった。『扉』のツアー時のザラつきがないと、この歌のよさはなかなか出てこない。現在のエレカシも魅力的なだけに、かつての魅力との落差には複雑な思いがする。ただ、今回はトミの好調がひしひし伝わってきた。
 名曲“今宵…”のカップリング・サイドに隠れた名曲“赤い薔薇”。この曲は歌詞も演奏も雰囲気も、ベストマッチしてよい出来だった。「たとえばどこかの森の中」という表現が、都会の森、日比谷公園と重なったことも大きいと思う。
 ふたたび、今のエレカシと立ち位置が重なるアルバム『風』の小曲“勝利を目指すもの”。アルバム収録のアレンジよりもかなりブルースに寄った演奏だったが、歌詞忘れもなく、曲のもつ力強さを目一杯アピールした。
 「90%俺が作詞した」と暴露した“せいので飛び出せ!”だが、歌詞はボロボロだった。逆に、共作者の高緑のベースはとても安定していて、演奏はとてもよかった。歌詞忘れはミヤジの得意技だから、そのことを間引いたら、今のエレカシ即興歌詞バージョンだったとも思える。
 「超速」宣言を出した“今をかきならせ”。本当に高速でプレイされたその曲は、歌詞の意味よりも演奏に偏ったパンキッシュなエレカシの一面を明らかにした。一体感のある演奏は、長いキャリアの賜物とも言えるだろう。ちょうど“奴隷天国”と同じ立ち位置の楽曲なのだということに、気付かされた。
 “真夏の星空は少しブルー”は今年の夏歌として用意された曲だろうが、夏至に近く明るすぎる雰囲気がやや興をそいだ感じがした。もう少し後半、アンコールでもよかったかもしれない。
 さて、今回の野音を象徴したのは、ミヤジの演奏がボロボロだったことだが、その悪い面がいちばん出たのが、残念ながら名曲“遁生”や“月の夜”だった。これはもう本当に残念なくらいコードを押さえ間違えて、せっかくの世界観を台無しにしてしまった。弁護をすれば、今のエレカシの立ち位置とややずれのある作品なので、どうしても気分的な齟齬が演奏と歌に反映されたのかもしれない。“月と歩いた”は悪くなかった。純・歩行者だった頃あじわった自動車の不作法、それに対するミヤジのいきどおりがしっかと伝わってきた。
 しかし、しかし、<鉄板> ナンバーの“珍奇男”で、ふたたび快進撃にもどってきたのでホッと胸をなで下ろした。ただ、演奏は出色だったが、歌詞のもつザラついた世界観はどこかへ行っていた。むしろ、元気でポジティブな歌に聞こえるくらい、卑屈さがない“珍奇男”だった。演奏をとるか、歌詞世界のザラついた歌唱をとるか、この二者択一はいつも迷ってしまう。中盤のハイライトが“珍奇男”とつづく“友達がいるのさ”だった。
 “友達がいるのさ”は何度か指摘しているのだが、おそらく夏の野音を念頭にかかれた楽曲であると確信している。「東京中の電気を消して」というのは、ちょうど夏至のキャンドルナイトのイベントとも重なるところがあるし、初披露されたのも2004年の日比谷の野音であった。“武蔵野”“あなたのやさしさを…”に並んで、夏の野音がぴったりの名曲だと、今年も感じた。めずらしく後半客席がライトアップされると、みんなが手をいっせいに挙げて歓声を上げたシーンは壮観だった。
 盛り上がりを押さえる感じでしっとりと演奏された“さらば青春”は、私が長いあいだ生で体験したいと思っていた佳曲のひとつである。これも名曲“風に吹かれて”の裏に隠れたカップリングサイドの曲である。使い慣れた言葉のくりかえしながら、メロディと歌唱のなかに深い郷愁が込められた、20代にして老成の傑作である(ひとつだけ難点があるとしたら、「僕ら」「俺は」という人称の混同があること)。
 “ゴクロウサン”は日比谷、丸の内、霞ヶ関など一帯に響くと、ちょっとスカッとする。いわゆる「賢く、小ズルイ」奴らに向けられた、皮肉の鋭い曲だからだ。
 “真夏の革命”も長いあいだ聞きたかった曲だ。後半のハイライトはこのサプライズ曲ではなかったろうか(リハで、すでにもろわかりだったが…)。 思えば、自分の年齢を歌詞に盛り込んだ最初の歌が“真夏の革命”だった。“俺たちの明日”のエイジ・カウントもこの歌がルーツだ。蔦屋好位置のキーボードプレイが、原曲のニューオリンズ・ファンクを思わせる雰囲気を再現していて、とても高揚感があった。ひとりでオルガンとピアノと両方を弾きわけていたのだから、大活躍である。(反面、リズムは打ち込みだから、トミが当て振りで少々かわいそうだった)。
“シグナル”はミヤジの歌にしてはキーが低いので、歌い出しがいつもうまくゆかない。“武蔵野”と同じで、涙ぐんでいたような気がする。声が震えたのは、単に音をはずしたのではなく、感極まっていたのだろう。多少揺らいだ歌唱を後半部で盛り返した。
 新アルバム・パート、3曲。“笑顔の未来へ”“Flyer”“俺たちの明日”。“笑顔の…”は出だしでつまずきややよれてしまった感じがある。今回はパワー爆発とはゆかなかった。つづく“Flyer”は挽回して力強い演奏となった。身振り手振りもも爆発、会場大盛り上がり、新しい代表曲となるべき貫禄を見せた。“俺たちの明日”も知名度も手伝って大盛りあがり。この曲はサラリーマンの応援歌であるから、やはり日比谷の森に響くことには大きな意味がある。休日出勤して、会場外でたまたまサラリーマンが耳にしたら、大いに励まされたことだろう。
 “俺たち…”で本編をしめて、ふたたびステージに戻ってきてのアンコール1曲目は、1stからの“てって”。CDデビュー20周年だから、1stからもっとやると思ったのだが、チョイスされたのは“デーデ”“ゴクロウサン”“てって”と少ない上に、やや意外な選曲だった。
 つづいて演奏されたのが、<鉄板>な名曲“今宵の月のように”。この曲はやや食傷気味なのだが、歌われてみると、なぜか聞き惚れている。「いつの日にか輝くだろう」は、最近の歌詞に何度も組込まれて、強いメッセージを放っている。また、「新しい季節の始まりは夏の風町に吹くのさ」と、まさしく初夏にぴったりの内容であった。
 “武蔵野”では、毎度のことのように、涙にむせんでうまく喉をコントロールできなかった。ミヤジにとって思い入れの深い歌、“シグナル”や“なぜだか俺は祷ってゐた”などは、涙腺を刺激する鬼門の歌といっていい。
 さて、野音のために用意された新曲披露。おそらく曲の最後につぶやいた“新しい季節へ”がタイトルなのだと思う。曲調は“笑顔の未来へ”の延長線上にあって、力強い明日へ進んでゆこうというメッセージソングだ。「ここからはじまるグラデーション」というサビが耳に残る。「春夏秋冬」という部分は泉谷しげるの例の歌に影響されたのだろうか?
 ポジティブソングもよいが、そろそろ底暗い沸々と荒ぶる歌へ回帰して欲しくもあり、ファンとしては屈折した心境である。性格のよいエレカシもいいが、性格の悪いエレカシも好きなのだ。
 
20080503 渋谷C.C. Lemonホール
20080106 ZEPP TOKYO
新春恒例の<コンサート>がZEPP TOKYOになってから3回目。ほぼ定着してきた感がある。晴れ渡ったお台場。ここがかつて黒船を威嚇するための砲兵台場、要塞であったことなどどこ吹く風のデートスポットである。今日はTVの中継が入るからか、リハーサルのスタートが早かったようだ。2時半に現地外にいたら、もうその音が漏れていた。
開場前のグッズ販売からして今年は盛況だった。SHAKEデザインのTシャツはよい。ただ、山藤章二の切り絵風似顔絵を連想してしまうのは、私だけか。顔がないから、筒井康隆に見える(わかる人いるかなあ?)
幕開けは「おはようこんにちわ」。ちょっと意外のため、みなさん肩すかし。1曲目としてはややダル(けだるさ)が勝っている気がした。曲間なしで新曲「ここが今の真ん中さ!」どこかで聞いたようなアレンジもあるが、無骨で真っ正直な歌詞はエレカシそのもの。というか、メロディはポップな
「さよならパーティー」はやりなれた感がある。カップリングサイドではあるが、珠玉の作品であることを再確認する。ただ、歌詞は意味深だ。「序曲「夢のちまた」」 に似た浮かれ気分への決別がある。最近はただ売れたい枚数を出荷したいということよりも、自分の歌を慈しんで、聞き手に届けたい想いが強いのだろう。歌詞忘れや即興歌詞も混じってはいるが、原詞を大切にしようとする意図は伝わってくる。その意識が強いためか、このライブでは歌前のMCはほとんど曲紹介につながるものだった。そして、定番「悲しみの果て」へ。
最近は、定番曲と新曲を基本にセットリストを組み立てているエレカシだが、新年や野音という特別な場所でもその方針を貫いていて、逆に長年のファンにやや冷たい気がする。アルバムツアーにまでそれを期待したりはしないので、せめて新春と野音だけは珍しい曲をお蔵出しして欲しい。
「笑顔の未来へ」は文句なくよい楽曲である。去年よりもややテンポを落としているかな、とは感じた。だが、歌詞といいメロディといい、比類のない名曲だ。私はこの曲への評価は甘くなるので、あまりあてにならない。
「今宵の月のように」を挿んで、新曲「まぬけなJohnny」。こちらは語り口調のストーリーソングだ。具体的な地名やエピソードを混ぜるくらいだから、実体験を色濃く反映した作品なのだろう。しかし、キャラクターに名前がついているのは初めての試みではないかネタ元はおそらく沢田研二の「サムライ」に出てくる<Johnny>だ。糸の切れた凧のように石君がふらふらと成ちゃんのほうへと移動して、曲終わりまで戻らなかった。蔦谷さんとミヤジのアイコンタクトの視界を遮ったために、「どうせ動くんならもっとわかりやすく動いてくれ。目に入るんだよ。」と言いつつも、客席からの「石君最高!」に反応して、「でも最高」とフォローを入れていた。アメと鞭である。
荒井由実「翳りゆく部屋」のカバー。これはオリジナルよりもエレカシ・バージョンの方が圧倒的に優れている。私が松任谷由実の声質が嫌いだということもあるが、歌唱力の違いが、これほどまでに楽曲のアピール度を変えるとは、驚きである。自分、自分で来た宮本がカバーした歌が荒井由実であったという驚き。しかし、ライブでも存在感のある1曲である。
次の2曲が、私の中では一番の目玉であった。「私が同じテーマで歌うとこうなるという曲です」と前置きしつつも、まったく繋がりのない『奴隷天国』の「太陽の季節」へ。適当なつなぎを言ったな、と突っ込みつつ。本気にする人がいるから、ジョークもほどほどにしないと。しかし、ファンクっぽいアレンジの「太陽の季節」も格好よかった。そして「うつらうつら」である。これは歌われる景色がどうやら正月なので、正月ソングの範疇なのかもしれない(炬燵も登場するし)。2005年年頭の新宿コマ劇場冒頭の印象が強烈だっただけに、今回はややパワーダウン。しかし、よい歌であることに変わりはない。
『町を見下ろす丘』からのは、やや中ダレしてしまった感じで残念。あのアルバムの楽曲はここ2年くらいライブで継続的にやってきたけれど、やはりここ最近は新しいアルバムの方向性に気持ちが向いているので、あの内省的なアルバムとは距離感があるのだろう。「なぜだか俺は…」も痛切さがアルバムツアーの頃からするとそげ落ちている気がして残念だった。「シグナル」にしても、回顧的な前半と面を上げる後半の落差が山場なのに、どうも前半から前向きな感じがして、どうも世界観と歌唱が一致していない気がした。
「生命賛歌」は新曲と「太陽の季節」をのぞいては出色の出来だった。あのイントロが鳴るだけで気持ちが『俺の道』のころのザラつきに戻るのか、なりふりよりも力業の歌唱に燃えた。つづく「シグナル」は今回はあまり名曲らしさを発揮しなかった。それは先に述べたとおり、現在の心境と作品内での心境に若干距離が開いているからだろう。
「ガストロンジャー」は最近インフレ気味で、足繁く通う私にはアピール度が少ない。はじめて見る人や久しぶりに見に来た人には、とても楽しいひとときだろう。それにしても、名曲もあまりやりすぎてインフレーションになると、せっかくの<トキメキ>が失せてしまう。たまにはカップリングの「soul rescue」を披露して欲しい。つづいての「花男」は定番の〆曲。ミヤジの心境が前向きなだけに、何だか前向きの歌に聞こえた。本来は戒めの歌のはずなのに、「ドンとやれ」がやたら強調されて、ちがう歌に聞こえてしまった。
アンコールの6曲はわりとまとまってよい演奏だった。ただ、やはり皮肉まじりが痛烈な作品であるはずの「デーデ」と「星の砂」は、本来のザラつき感が削れて、テンポのいいロックにしか聞こえなかったのが残念。とくの「星の砂」はものすごい屈折をもった、名曲にもかかわらず、その真価を発揮できていなかった気がする。ニューアレンジの「風に吹かれて」はよかった。手放しに良かった。ピアノからはじまることによって、メロディと歌詞のよさがより際だち、あとから追って登場するバンドの音圧によって、劇的な転換が曲想にあらわれていた。「歴史」も痛切さは感じられなかったが、未来志向であるエレカシの意志を映した作品としてよくアピールしていた。ただやっぱり、現在のエレカシの前向きさを反映した「星の降るような夜に」と「俺たちの明日」こそが今年年初のエレカシの真価であった。バンドの結束が生み出した連帯感、そして<世間>と共有する共有意識。
今の彼らにいちばん似合う言葉は「未来」である。それも「輝く未来」である。まだ、それをあきらめていない四十の男たちである。しかし、夢やぶれる「歴史」や挫折も当然持ち合わせている。しかしそこを突き抜けて、笑いたい。それを強く感じた。たぶんこの明るさモードの時は、「珍奇男」や「奴隷天国」をやっても、あのさわると手を切りそうな尖った演奏にはならないのだろう。
「遠回りしてきた昨日を越えて 桜の花舞い上がる道を おまえと歩いてゆく」。最後の新曲の歌詞がファンへ伝えたいメッセージに違いない。客にパイプ椅子を投げていた男(『音楽と人』のインタビューで自分から、エッグマンで時間を気にする客に椅子を投げたと言っている)のいうセリフかね、これが。微笑ましいが、牙も研いで欲しい。客席が凍るザラつきもまた見せて欲しい。しかし、今はこの姿を楽しもうと思う。同志である彼らとともに。

訂正:「サムライ」に出てくるのは、ジョニーではなく、ジェニーでした。
   でもなぜか、つながりは感じる。先入見でしょうか。
20070930 SHIBUYA-AX
20070929 SHIBUYA-AX
20070924 名古屋E.L.L.
20070526 日比谷野外大音楽堂
夏秋の好例となった日比谷の野音。バンドデビュー20周年となる今年、はじめて春の野音という試み。あたらしいアルバム制作の中でアレンジやキーボードとして加わっているという蔦谷好位置を招いての5人編成。そのキーボード参加を意識してか、鍵盤楽器が印象的な楽曲が多く取り上げられた。それゆえ、激しいナンバーがほとんどなかった。「男」シリーズが一曲もなく、ややおとなしめの野音になった気がする。
タバコを控えめにしたミヤジの声は伸びと艶が増し、その歌唱力のすごさが一段とました。練習を重ねただろうバンド演奏も以前にもましてアドリブが増えて、録音版の再現性よりメンバーの個性を重視したライブ感あふれるものになっていた。ただ、水分を摂らずに絶唱をつづけたために後半はかなりのかすれ声になった。もしかしたら軽い風邪をひいていたのかもしれない。
春の野音の幕開けは「「序曲」夢のちまた」。 ゆっくり情緒たっぷりに日比谷の森がエレファントカシマシの世界に包まれてゆく。しばしあとの「上野の山」と並んで、エレカシの春うたが詰まった『浮世の夢』の曲が、今年の野音では際立っていた。「ああ今日も夢か幻か ああ夢のちまた」。この「夢」はバブル経済を遠く見ていたミヤジと心持ちと重なっているわけだから、この曲を今うたうことの意味は深い。
「偶成」もまた深い情感のうちに丁寧に歌われた。『生活』の核になっている一曲であるこの曲も、「生活」というものの重み、傍らの幸せ、溝(どぶ)浮かぶ富士の美しさの対比に涙する一曲である。たまたま世に生まれ落ちた自らの不思議。しみじみとする気色。つづく「奴隷天国」から「悲しみの果て」への展開は、やや無理があった。今年はいろいろ詰め込もうとしたぶん、曲の並びが歌の情緒を切ってしまったところがある。その点では去年の秋の野音の出来が近年群を抜いてすばらしかった。
ゲストであるところの蔦谷好位置(ex.ナツメン)にかなり気を遣った構成であったというところも大きい。それはよいところにもなり、悪いところにもなっていた。 「風に吹かれて」「翳りゆく部屋」「あなたのやさしさを俺は何に例えよう」などでは、歌のよさをひきだした演奏だった。反面、 「四月の風」や「月の夜」では、ややキーボードが前に出すぎて、従来持っている曲の情感を変えてしまうようなところがあった。
サプライズなできごと、荒井由美のカバーソング「翳りゆく部屋」の出来はすばらしかった。元歌とはまったく別の作品、まさにエレカシの持ち歌ような仕上がりだった。「かがやきは戻らない 私がいま死んでも」と宮本が歌うと、どこか「パワー・イン・ザ・ワールド」のような克己に聞こえるのが不思議だ。荒井由美のバージョンだとあきらかに沈み込む内容なのに、宮本の「翳りゆく部屋」は明日へ向かう姿勢が滲んでいる。
大阪、日比谷の野音のタイトルにもなった新曲「俺たちの明日」。そして「笑顔の未来へ」のあたらしい世界観がとてもよかった。本人がいうように気負いではない素直なはげまし、それが聞くものに届く曲になっている気がしたからだ。私が連れてだっていった、エレカシ初体験者もこの曲がいいとはっきり言っていたからだ。私はつねづね思うのだが、エレカシはいつも今やっている曲、新曲がいちばん錬度が高い。だからヒットソングだけを並べる懐メロフォークバンドにはならないのだ。いつも「今」を大事にしている。今回も「俺たちの明日」「笑顔の未来へ」の持つ力のすごさ、それに励まされた。
演奏面では成ちゃんのベースとトミのドラムがとてもよかった。安定感があって、しかも味わい深さがまして、まさに大人のリズムを刻んでいた。逆に子どものように楽しそうにいろんな体勢でギターをかき鳴らす石君のパフォーマンスが、際だって面白かった。今回はミヤジが真面目に歌っていたぶん、石君の奇天烈さが一服の清涼剤の役割を果たしていた。
足繁く通っているファンには、今回のセットは物足りなさが残る内容だった気がする。ヒット曲が並んだのは、アニバーサリーイヤーだということで理解しても、曲数も伸びなかったし、情感のつづかないバラバラな並びに翻弄されたところがあったからだ。激しいところは激しく、歌い上げるところは歌い上げて、最後に人気曲でたたみ込む、野音恒例の感じがなかったのが不完全燃焼の原因かも知れない。ただ、「なぜだか、俺は祷ってゐた」「俺たちの明日」へとつづくラスト2曲のミヤジの絶唱は本物だった。宮本浩次が「今」に向き合っている姿勢はウソのない本物、そう感じた。
20070107 ZEPP TOKYO
今年の新春コンサートはセットにやや不満が残る内容だった。
すでに書き込まれたレポートにもあるとおり、フェス用のセットに『東京の空』『町を見下ろす丘』を足した内容で、野音のライブ同様にファンをうならせるセットを毎回組んでもらえる新春ライブとは思えない、聞き慣れた曲ばかりのセットになった(ただ、タバコを減らしたミヤジの声はただならぬ響きを持っていた)。
キャニオン時代の楽曲を意識的に多くピックアップしているところに、昨年同様に歌手モードの宮本がいることを強く感じた。再後半のアンコールで披露された新曲「俺達の明日」もまたその延長線上にある曲調で、前向きな歌詞の応援歌であった。「俺達の明日」は曲調がなじみやすくポップで悪くなかったけれど、歌詞にいつもの輝きがなく、新鮮なおどろきがほとんどなかった。友を思う歌であれば「友達がいるのさ」のが数倍すばらしい出来映えである。
U2のボノに関連させて、稼いだミュージシャンが急に寄付やチャリティに走る行為を皮肉ったのは、とてもミヤジらしい視点で面白かった。…が、野音の核兵器をめぐる発言にくらべると、やや芸能マスコミ的な揶揄に近い印象を受けた。むしろ安部晋三内閣の印象や、昨年末に駆け込みで処刑されたサダム・フセインに関してひと言あると、もっと興味深かったかもしれない。
セット自体が去年1年間通してよく聞いた曲ばかりだったので、新鮮味にかけるところはあったけれど、ミヤジの喉の好調は光った。音響はやや深みにかける薄い感じがした。石君のコーラスは貴重だった。「星の降るような夜に」でも、ひとりでよくコーラスをつけていた。
最近、やりなれた楽曲を中心にしたセットが多いのは、やはり昨年年初に病に倒れたトミを慮ってのことではないかと推測する。やりなれない曲はたたき込みが必要だし、新曲をやるにしても、過度なストレスは病後の身体によいはずもない。しばらくはベストアルバム的なセットで我慢するしかないのかもしれない。
マイクスタンドのクリップからマイクがずれ落ちそうになる場面が何回かあって、それをあえて直さず、落ちそうなマイクに合わせて体勢を変えているミヤジの姿が子どもっぽくおかしかった。お茶目である。
次のライブ予定は春の野音になるのか?
春の野音がピンとこないのは私だけだろうか?
20061007 日比谷野外大音楽堂
 今年の野音はリハーサルの場外視聴からはじまった。リハーサルを耳にしてしまうと、本編を聞く際に興をそがれるきらいはあるが、こんな曲をやるのかという予習になって、よりいっそう盛り上がれるということもある。
 メンバーのリハはかなり早くはじまったが、今年宮本浩次御大の入り時間は午後四時二〇分。誘導のスタッフがかなりそわそわしていたのが印象的だった。黒シャツ黒ズボンという黒くろのいつも出で立ちで、後半アンコール2で見せた姿が野音到着時の衣装でした。

 さて今年のスタートは五時半。いつもの夏なら、まだ日も暮れきらない暑い夕暮れどき。しかし今回は秋の野音とあって、日はとっぷりと暮れ照明効果も期待できる暗闇が訪れて幕が開いた。序盤はここ最近のお気に入りセットといっていいだろう。「ファイティングマン」「歴史」「明日に向かって走れ」…、石君がいきおい走りがちになるのをミヤジが押さえながら、心地よさそうに歌い始める。
 曲目が野音ならではとなりはじめたのが、「GT」からである。現在の力量で演奏される「GT」はとてもロック色が増していてカッコよかった。アルバム収録バージョンは今でも苦手なのだけれど、今年野音でライブ版を聞いて曲の印象が一変した。疾走感のある演奏は「so many people」「sweet memories」にも通じるドライブな感覚を抱かせた。
 「デーデ」はライブ定番、野音恒例となった印象が強い。「貧乏人に捧げるバラードだ」は水戸黄門の印籠ではないが、決めぜりふになりつつある。「無事なる男」は物憂さと家族愛と男の意地を歌った隠れた名曲。「男」シリーズの中では演奏回数が少ない曲だが、ぜひライブ定番化されることを望んでやまない。「もっとなんだか きっとなんだか ありそうな気がしているんだ」の気概は、「すまない魂」や「パワー・イン・ザ・ワールド」と共通している。
 ファン感涙の一曲は「絶交の歌」。友人と俺の科白わけで書かれた、世にも希なる楽曲。成り上がりの野望持つ友人の愚痴を笑い飛ばし、それを口だけ男として絶交してしまうという、物語が魅力。最近の「化ケモノ青年」がこの歌の形式を踏襲している印象があるが、内容が内容だけにふつうのライブではほとんど披露されなかった曲。これが聞けただけで野音に行った甲斐があった。「昔の俺に絶交されちゃいました」、ミヤジはぽつりそう言っていた。
 「珍奇男」を挿んで「何も無き一夜」「寒き夜」と夜のバラード。秋の夜長を意識した絶妙な選曲だったと思う。エピック時代のバラードは歌詞に乗せられた思いが痛切なだけに、こころを揺さぶられることしきり。「珍奇男」は人気曲ということでセットに入れたのだろうが、今回はあまり魅力的にかがやかなかった。というよりも、ほかのエピック時代の楽曲の魅力が充実していて、いつもの名曲ぶりが発揮されなかったのかもしれない。
 「友達がいるのさ」はまさに野音のテーマ曲だと私は感じている。歌詞やメロディを聞いていると、日比谷のビル群のなかにある野音の景色が不思議と目に浮かぶ。「もっともっと魅力的な曲を作るから」というMCにもあるように、近年のエレカシの団結をおだやかに物語るこの曲はとても美しい。つづく「あなたのやさしさを…」これはバンド紹介をかねたハイライト曲として定番化しつつある。「ガストロンジャー」を暴発エネルギーのアンセムとするなら、こちらは克己心の陽性の発現のアンセムである。ミヤジが「はずかしいけど、ここに集まってくれたみんなに捧げます」、その言葉がうれしかった。
 石君を大活躍させるための一曲、それが「生命賛歌」である。冒頭のフレーズは石君のギタリストとしての面目躍如である。がに股プレイもなかばトレードマークとなり、「いってみよう」のかけ声からはじまる中奏のヘビーなギタープレイも、石君の独壇場である。つづく「地元のダンナ」も石君の印象的なリフからはじまるギターロックな楽曲で、歌詞の内容よりも、曲のテンションが楽曲のクオリティを高めているライブ向きの一曲である。

 アンコール第1部。幕開けの「シグナル」。近作中随一の名曲と思われる「シグナル」であるが、この日はやや歌詞とびが多く、声量や演奏はさておき曲の世界をうまく表現しきれていなかったのが残念。その分「晩秋の一夜」「過ぎゆく日々」「夢の中で」というエピックレパートリーで挽回した。「晩秋の一夜」は季節感がぴたり重なったこともあって、しんみりとした寂寥感が胸にしみた。「過ぎゆく日々」はアルバム『5』の楽曲の質の高さを証明するようだった。
 「夢の中で」から「極楽大将」まではやや皮肉まじりのエピックの楽曲を披露。アルバム制作当時よりも練られたアレンジで、新鮮な演奏が印象的だった。「ガストロンジャー」もいまやライブ定番として定着しつつあり、歌詞以外はかっちりと安定してきた観がある。バラード中心のライブに乗りきらなかったのか、それとも秋の空気がそうし向けたのか、今年の野音は観客の反応(合唱)がいまひとつ少なかったように思う。いつもの日比谷のビル群を揺さぶるくらいの合唱が今年も欲しかった、それが個人的に残念だった。
 「なぜだか俺は祷ってゐた」はとても痛切なバラードで涙がこみあげた。ミヤジが歌うバラードは、個人の思いが深く刻印されているため、万人のスタンダードにはなりえないが、彼がそれを歌い上げるとき特別な輝きを放つ。「流れ星のやうな人生」は戯画化された半自伝ソング。最近のライブでは閉め曲として役割を持ちつつある。

 長い長いアンコールの第2部は「昔の侍」「武蔵野」で幕開け。この2曲は東京で歌われるとき、特別のかがやきを持つ楽曲である。今年は本人も言うように、喉の調子がよいと思われ、秋の乾いた夜空にうつくしい調べとなって歌がひびいていた。「悲しみの果て」は文句なく名曲ぶりを発揮。「この世は最高」では、コーラス隊の石君と成ちゃんの楽しそうな顔が印象てきだった。 タモリではないが「今夜は最高」が彼らに送るファン一同のメッセージではなかったか。
 史上最長の野音セットのおおとりは「花男」。開け曲閉め曲を決めて、それ以外のところで用意した楽曲を出し入れするスタイルのエレカシ。しかし、華やかな曲、いわゆるハイライト曲を惜しみなく出したために、31曲目をミヤジは真剣に悩んでいた。しかし、忘れていた閉め曲を発見してニヤリ。「遠くを歩いてる おれの姿よ」の歌詞は「絶交の歌」の内容と呼応して、感慨深かった。ミヤジはかつて乗り越えようとして批判・皮肉の対象とした中年に自分がなっていることを、深く意識しているのだ。

 全体を通しての感想は、バラードが美しかった秋の野音、である。またトミの完全復活が印象的だった。反面、成ちゃんのベースと石君のギターに乱れが多かった。あと、タバコを減らしたミヤジの声のうつくしさ。あとは歌詞をかっちり頭に入れれば、向かうところ敵なし。対バン・イベントももう怖くない。
(誤変換、誤字を訂正しました)
20060721 FUJI POP 2006 LIVE FACTORY721 (ZEPP TOKYO)
久しぶりの対バン・イベント参加で、さらに6バンド中5番目の出場だった。ほかのバンドが熱の入った演奏をしていたためか、それに影響されたように熱のこもったライブになった。この日の宮本氏は歌手モード。あまりギターを長く手にしなかった。そのかわり言葉をかみしめるように歌い、出場バンド中でも出色のできばえを見せた。セット・リストは見ての通り、ベスト盤+『町を見下ろす丘』という内容でサプライズはなかった。最近のエレカシはこうしたイベントでは、全部新曲とか、全部仮歌とか、あるいはEPIC時代の曲ばかりとか、そういう濃い内容のライブは展開せず、比較的知名度のあるキラーチューンで盛り上げようというサービス精神に満ちている。そのためか、出場バンドのなかでも1番の盛り上がりどころであった気がした。どの曲もやりなれているとあって、大きなミスもなく、2番の出だしを間違えた「シグナル」以外はとてもいいパフォーマンスのように感じた。宮本氏のモニターが聞こえづらかったのか、途中でマイク音量を上げさせたため、演奏よりも歌だけが不自然に前に出たきらいがあった。男椅子やアコースティックギターが用意してあったので、「珍奇男」を期待したが、今回はやらなかった。しかし「やさしさ」はいつもどおりの名曲ぶり、また「I Don't Know たゆまずに」が今回のセットの中ではいちばん心に残った。ラストの「ガストロンジャー」で、石君に「チューニング違うけどそのままやるぞ」と無理矢理はじめたものの、「そのままでできるわけないでしょ」とやっぱり演奏を止めてギターチェンジを促す。自らそれでいいと言って、にもかかわらず突っ込みを入れる、宮本氏のイタズラごころ溢れる演出でした。マイクコードが短かったので、いつものようなコードの絡まりがなく、マイクスタンドの右往左往もなくスタッフが一度もコードをほぐしに来なかった。それが一番のサプライズかもしれない。
20060627 SHIBUYA-AX
20060108 ZEPP TOKYO
2006年エレカシはじめはお台場から。メンバー全員思い思いの格好で、宮本氏だけが黒スーツに白シャツといういつもの格好。石君は最近おなじみの丸刈り頭で、宮本氏にすぐに外されてしまうサングラスは今日はかけてなかった。演奏もかなりまとまりのよいもので、宮本氏の声の調子もよく、年末フェスでの空回り観はすっかり払拭されてよい内容dだった。
大阪の回のライブ・レポートにもあるように、今年の新春ライブの選曲は『東京の空』 と『明日に向かって走れ』、ニューアルバムから。どれもお馴染みの曲ばかりで楽しめましたが、何がよかったかといえば、新曲の練り上がりが仕上げ段階に入っていたこと。
「すまねえ魂」は去年前半とはすっかり別物だし、「理想の朝」のしっとりした曲調。歌い上げる「タイトル不明曲」など。今年の宮本氏はすっかり歌手専念モード。ギターを数度抱えては見ても、歌の邪魔だとばかりにすぐにローディーに手渡す場面が何度も見られた。曲目を見ても、歌詞を聞かせる楽曲をライブで取り上げるようになっている。『俺の道』から『風』までつづいたミュージシャンモードから一転、また歌い手として一新しようとしている気概を感じた。
…なのに、退場のお言葉は「おなら、プップップッー」。御大はいくつになっても照れ屋でいらっしゃる。
20051231 COUNT DOWN JAPAN 05/06
会場にある3つのステージの内で一番大きなアース・ステージに、2番手として登場したエレカシ。観客のつまり具合もほどほどに、登場してきた宮本浩次御大もはじめからご機嫌の様子。これはと良質のステージを期待したところ、フェス特有の上機嫌空回りモードも手伝って、即興歌詞を連発するは、石君やトミを挑発しすぎてリズムを乱してしまうなど、何かと実力を発揮しきれない様子のエレカシだった気がします。
でも、それっていつものことといえば、いつものこと。観客もブーイングや白けた様子はなく、「悲しみの果て」「デーデ」「ガストロンジャー」では大合唱も起き、盛り上がりのあるセットでした。この日一番良かったのは、ゆっくり一言一言かみしめながら歌った「やさしさ」。初期エレカシの名曲を本気で歌うときの宮本浩次の実力はただものではない。あの1曲のために魅了された、他アーティストのファンもきっといたと思う。
それにしても、リズム隊にプレッシャーかけすぎだよ、ミヤジ。
20050709 日比谷野外大音楽堂
20050523 LIQUIDROOM ebisu
20041203 LIQUIDROOM ebisu
20041122 SHIBUYA-AX
20041113 JAPAN CIRCUIT 渋谷AX
20040808 ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2004
20040703 日比谷野外大音楽堂
20040618 SHIBUYA-AX
20040617 SHIBUYA-AX
20040520 CLUB CITTA' 川崎
20040113 新宿コマ劇場
20031031 渋谷公会堂
20030905 新宿LIQUID ROOM
20030904 新宿LIQUID ROOM
20030721 日比谷野外大音楽堂
20030425 赤坂BLITZ
20030221 新宿LIQUID ROOM
20021101 SHIBUYA-AX
20011120 SHIBUYA-AX

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