エレファントカシマシDB - なぜだか、俺は祷ってゐた。

一番下へ

作詞:宮本浩次 作曲:宮本浩次

分類/日付タイトル
アルバム
町を見下ろす丘
11 曲目  4'46" BPM=144
アルバム
町を見下ろす丘(配信限定バージョン)
11 曲目  4'46" BPM=144
ライブ
大阪BIG CAT
10 曲目   
ライブ
LIQUIDROOM ebisu
11 曲目   
ライブ
福岡DRUM Be-1
11 曲目   
ライブ
広島クラブクアトロ
13 曲目   
ライブ
松山サロンキティ
13 曲目   
ライブ
名古屋E.L.L.
14 曲目   
ライブ
札幌ペニーレーン24
14 曲目   
ライブ
仙台CLUB JUNK BOX
12 曲目   
ライブ
SHIBUYA-AX
15 曲目   
ライブ
大阪BIG CAT
13 曲目   
ライブ
日比谷野外大音楽堂
25 曲目   
ライブ
なんばHatch
18 曲目   
ライブ
ZEPP TOKYO
18 曲目   
ライブ
大阪城野外音楽堂
24 曲目   
ライブ
日比谷野外大音楽堂
24 曲目   
ライブ
なんばHatch
11 曲目   
ライブ
ZEPP TOKYO
12 曲目   
ライブ
熊本 Be-9 V-1
13 曲目   
ライブ
盛岡 CLUB CHANGE WAVE
11 曲目   
アルバム
[the fighting men's chronicle] THE ELEPHANT KASHIMASHI official live bootleg box
59 曲目   
ライブ
日比谷野外大音楽堂
12 曲目   
DVD/VIDEO
復活の野音 2013.9.15 日比谷野外大音楽堂
12 曲目   
ライブ
大阪城野外音楽堂
16 曲目   
ライブ
日比谷野外大音楽堂
16 曲目   
ライブ
日比谷野外大音楽堂 2022
12 曲目   
シングル
yes. I. do(初回限定野音盤)
16 曲目   

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ハンドルネームレビュー
マモッチ「素直に今を生きられりゃ、どんなにいいだろう。素直に生きてゆけりゃあ」人間カッコつけたり、悲劇のヒーローになったりしちゃうけども、今という時間を精一杯生きればそう、素直に生きれれば・・・そう願いながら毎日を生きてゆく! アルバム1の名曲ですね。
あきららこんなん・・反則だって宮本浩次という男のこれまでを知っている人にとってこれ以上の泣き曲は無いんじゃないでしょうか・・。歌詞が・・メロディが・・もう全部が涙腺を緩めてくそして最後に石君の極上のソロ。タワレコでこれ試聴してるうちに涙がこみ上げてきてアルバムもう一枚買ってしまった。でもエレファンなら分かるでしょうこの気持ち・・
普請虫 エレカシ史上もっとも練り上げられた歌詞世界をもつアルバム『町を見下ろす丘』のトリを飾るのが、この歌である。訥々(とつとつ)と語りかける歌い口は、前作『風』の最終曲であった「風」とたぶんに重なる。そして今の日々や出会った人々に感謝を捧げる気持ち、また「素直に生きられりゃあ」というつぶやきは、『扉』の「地元の朝」「生きている証」と共通しているように思う。 冒頭の「子供の頃俺は、毎日精一杯生きて、いつの日にか誰かの為に/格好よく死にたいと、そればかり思って、涙流してゐた。/涙を流してた」の下りは、『扉』の「星くずの中のジパング」の憧れの光景と重なっている。サビの「さよなら、愛しき日々よ。/さよなら、愛しき今日よ。」は、『明日に向かって走れ』の「風に吹かれて」を連想させる。そして「素直に今生きられりゃあ、どんなに、どんなにいいだらう。/素直に生きてゆけりゃあ。」という大サビは、アルバム1曲目の「地元のダンナ」と呼応して、このアルバムの一番強いメッセージを形づくっている。 このアルバムはひとつのトータル・アルバムとしてよく練り込まれてつくられていることを、冒頭の「地元のダンナ」からこの「なぜだか、俺は…」までを通しで聞くとよくわかる。 まず、「地元のダンナ」ではいつものように戦う男の姿が描かれている。しかし今回のそれは、何かの野望を成し遂げようとする<若い>意識ではなく、「素直に生きたい」にたどり着いた中年男の心境を内包している。そうしてはじまったアルバムは、少年時代の理想、日々の憂いを通過して、丘の上で町を見下ろしつつ来し方行く末を思う「シグナル」にたどりつく。「どの道俺は・・・」のつぶやきとともに見つけた「未来のシグナル」。しかし男はまた振り出しに戻るかのように逡巡する。すべてを忘れてとりあえず行くのか(今をかきならせ)?今の自分がかつて思い描いて自分とどれほど異なっているものか(人生の午後に)?道に迷いながらの傷だらけの旅(雨の日に・・・)。夢を追い回す人生への回顧(流れ星のやうな人生)。「何だかわからねえけど、万事怠りなく」という自戒(I don't know たゆまずに)。そして、たどり着いた気色が「丘の上にのぼって見下ろす町の景色。/なぜだか俺はアyってゐた。/今この瞬間を」である。 ネット上の掲示板にあらわれたアルバム評のなかに、激しく戦うエレカシの姿をこのアルバムに求めて、肩すかしを食っているリスナーの困惑がいくつも見られる。その大方の人たちは「若さ」を彼らに求めているのだが、彼らエレカシは「若さ」を脱皮して「中年」という今の風景をこころの中で戦っているのだ。それはかつての歌のように怒りを燃え立たせるような見せかけにあらわれた戦いではなく、自分の来し方行く末との静かな戦いなのである。これを老成と蔑むものもあろうし、ちいさく収ってしまったと罵るものもいるだろうが、老成というのならすでにエレカシはepic時代にそれを成し遂げている。ちいさく収ったというものにはこう反論できる。心の小さいものが直情を披露して、その懊悩のさまを世間に告白できるだろうかと。自らの「ふつう」や無様を万人を前にして認めることが出来るのは、決して「ふつう」のことなどではない。  私はアルバムを聞き通して、エレファントカシマシのいちファンである幸せを再認識した。こんなにもすばらしい表現者たちと同じ時代を生き、そして同じ時を分け合っているのかと思うと、胸に湧く感動を抑えきれない。宮本がこの歌で「忘れてしまった遠い日々」や「めぐり合ひし人々」に感謝してアyったように、私もまた彼らの人生が豊かであるように願ってやまない。
宵待もっとベース音大きくして!ってお願いしたくなってしまう。 コレ、ライブでキーボード無しだったらボーカルとベースのデュエットみたいなもんですよね。1コーラス目はドラム無しで聴いてみたいです。(すんませんですトミさん) 成ちゃん誕生日おめでとうございます。
アンドロメダマ『なぜだか・・・』というところが、センチメンタルを表に出したがらない宮本さんの「男らしい照れ隠し」のようなニュアンスを感じます。途中『なぜだか、そんな気分だった』って、やはり自分を『ただのおじさん』だと言う、自分自身への執行猶予期間のような、また違うシフトに入ってしまうかもしれないという不安なのか希望なのか『どんな気分』なんだろう~?って、次作への繋がりを期待させられる1曲です。
ダル先日付き合いで、ある子供向けアニメ映画を見に行ったのですが主人公の男の子が、仲間の女の子を安全な場所にいさせて自分は危険を顧みずに海中に潜っていくシーンでこの歌を思い出してしまいその後ずーーーっっと終わりまで涙泪涙でした。終了後に明りがついたとき、赤目赤鼻なんて当然ひとりだけで恥ずかしかったです。
ろくたろうアルバムの最後にふさわしい素晴らしい曲だと思います。純粋な心をここまで素直に表現してくれて、感動を与えてくれたことに、心からお礼を言いたいです。過去の自分を振り返って愛しく思ったり、出会ってきた人達に感謝できる瞬間は、本当に幸せなひと時だと思います。いつだったかテレビの健康番組で「ありがたい」という気持ちは、最も人を幸せにすると言っていました。この曲を作っている頃のエレカシの皆さん、幸せな気持ちだったでしょうね。アルバム発売から三年も経ってしまったけれどその「心の幸せ」を世の中に伝えてくれて、本当にありがとうと言いたいです。歌詞カードの最後のページの写真がひときわかっこよく見えます。
pandacafemiyajiまぶし過ぎるほどの純潔さを思わせるミヤジの声。美しすぎるその存在。それなのに洗いざらしの木綿のような生命力、泥臭い、生きる男の匂いがする。そんなミヤジがつぶやく「素直に今を生きられりゃどんなに、どんなにいいだろう…」 私は胸の底から、胸が焦がれる気持ちで同じフレーズをくり返した。人生の苦しい時期に、私は人間の弱さと強さをエレカシと共に知ったと思っている。

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