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ハンドルネーム | レビュー |
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show | この曲の凄いところは『25歳の宮本』が作ったということだろう。音楽的に優れているとは全く思えないイントロのギターのカッティングを聴いた瞬間にただならぬ気迫を感じる。どう生きていれば25歳にしてこんな曲が作れるのだろうか。曲エネルギーとしてはエレカシナンバー・ナンバー1であることは間違いない。 |
s | ・・・。一人暮らしして、やっとこの歌詞の重み、深みがわかった気がする。どうしてここまで的確なんだろう。宮本さんの心が曲ににじみ出ている。素晴しい |
Yube | イントロが始まる度に毎回、第一声への期待でぞくぞくする。そして、その期待を裏切らない力強さで宮本氏は歌いはじめる。あーっというだけでこれ程の説得力、表現力を持つ人を知らない。 |
普請虫 | アルバム『5』に屹立する大作。7分16秒を費やすに足る、大きなこころざしとその熱い思い。「あああぁぁぁ」宮本の大きな叫びは、自らの克己とともに聴くもののこころを揺り起こす。朝焼けに立つ男が抱く感懐。タイトルのより所であるだろう、ニーチェの著作のイメージを引用するような、広大な宇宙を感じさせる曲。夕方と夜歌の歌い手である宮本が、あえて朝を主題にした初めての歌。けだるいギターと単調なメロディのなかに、血潮燃え立たせる若き男の再起の姿が浮かぶ。「ふられた男」にもあるように、3年つきあった彼女との決別に迷っていた宮本が、朝の旭日にふたたび己れを奮い立たせる気概。「あああぁぁぁ」、憂鬱へのため息とも聞こえ、あるいは奮い立つ思いの雄叫びとも聞こえる。この壮大な曲の広がりは、「東京の空」や「地元の朝」へとつながってゆく。 |
つくえ | 2009年 日比谷野音ライブDVDの『曙光』 一曲通して正面から狙ったカメラの映像だけです。 歌手 宮本浩次の凄さを堪能できます。 (バックにトミが映ってることで バンドのボーカリストとしての姿も表わされてると思う) 他のバンドのライブ映像で、ここまで削ぎ落とされたのってあるんでしょうか? これは傑作だと思いました。 さて、2010年 日比谷野音ライブ 象は内、我は外(T_T) でも、願うはきっと同じ「♪星の降るよな夜に~♪」 |
自宅警備員 | 1991 彼女に「図書カード」を送ってフラレた(かなじょ曰く「なんか親戚の叔父さんみたい」)、ショックでバンド活動一時休止。 ↓ 1992 1年経っても失恋の悲しみは抜けず、「過ぎゆく(引き篭もりの)日々」をおくっていたが、契約の為無理やりアルバムをつくるも、 「ふられた男」に代表される絶望や「何も無き一夜」のような虚無的な曲しかできず、 それでも最後に頑張ってシングル用の曲をつくるも、曲のテーマ自体は非常に明快でいまにも通じる叱咤激励ソング(「今日も高き太陽が我等を照らす~熱き血潮燃えていた」「見ろよ暮らす世世の姿 思え曙光の時を!!」)なのだが、7分弱もある曲の半分近くをこの時点の宮本の精神状態がモロにでてしまっているまさに「喉から血が出るほどの絶叫」が占めており、却ってこの後の「奴隷天国」のような過激な曲よりも、よっぽど聴き辛いものになってしまった。ただ歌詞やメロディーに関しては、この時期の宮本がせいいっぱい万人受けを想定してつくったのだろうと思われるほど、意外とポップである。それをすべて叫びでかき消してしまったが。ファンとしては、現在の体制でのライヴヴァージョンを見てほしい。このオリジナルとはまたちがった、まったくちがった輝きをみせた。蓋し、名曲である。 そして、タイトルはやけくその「エレカシ5」という、まさに人生どん底期の宮本がいかに大スランプに嵌ってしまってたかを表している10曲である。 |
出水元弥 | これが日本男児の正しき姿である。 このアルバムの約1時間の中、 ときに肩を聳やかして虚無笑い、ときに絶望号泣し、そしてまた憤激し、とあらゆる感情を叫び散らしてきた男が、最後にみせる、悲壮な決意。(「今日も高き太陽が我等を照らす~熱き血潮燃えていた」「見ろよ暮らす世世の姿 思え曙光の時を!!」) 私は、この決意表明の後の、まさに<断末魔の叫び>と称して憚らない、「凄絶なる絶叫」。 この、哀しみなのか、怒りなのか、はたまた「俺たちの明日=がんばろうぜ」のような励ましなのか、判然としない、 ある種、繊細さを孕んだ狂気の咆哮に、 かつての三島由紀夫の割腹自決を想いだし、涙を流していた。 この感動は、この「暗黒期」のエレカシでしか味わえない。長年のファンにのみ許された境地である。 |