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エレファントカシマシDB   大阪サンケイホール セットリスト



1992年05月18日 (月曜日)


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補足情報:
『 1992年05月18日 (月曜日) 大阪サンケイホール 』右Google
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 ライブレポート
『*スノピ』さん当時は、まだ大阪に住んでいたから、仕事帰りにサンケイホールへ向かった、ロケーションは、キタのビジネス街のど真ん中。産経新聞社のビルの中にホールは位置しキャパは大体1500くらい。そんなにでっかいホールではない。
まず会場に着いて確認したかったのが、何人くらい集まるのだろう?と、いうこと、そして客層はどんな感じなんだろう?グッズとか売ってるのだろうか?……・こんなに疑問符を抱えてライヴに行くのはホントに久しぶりだった。中学に戻ったみたい。集客に関しては二階席は全く人がいず、一階席も半分くらいしか埋まってない。客層は十代後半から二十代前半、か゛殆ど。グッズに関しては、パンフなど当然なく、歌集と風呂敷。もう、なんか信じられない世界である。そして今はどうか知らないが、当然CDなんかも売ってて、それの特典としてサイン色紙が付いてきて、それが普通の色紙に四人がそれぞれ縦に楷書で名前を書いただけの素気ないっていうか、笑えるシロモノだった。
そして会場にはSEは流れておらず、セットは今とそう変わらず質素なもので、照明の骨組みなんかも全くなし。「あー今から始まるんや・・」と妙な緊張感と期待感で胸がいっぱいになりかけた時、唐突に客電が落ちた。
舞台上手より「せいちゃん」「トミー」「石君」が飄々と現れ、それに少し遅れて宮本が伏目がち登場と中央へと進む。パイプ椅子に座りテレキャスターを抱え、あのフレーズ弾きだした。音はそんなに大きくなくCDと同じような歪み具合で観客は固唾を飲んで見守るばかり。当然立ち上がる人間なんてひとりも居なかった。

イントロが終り、顔を正面に見据え、口をマイクに近づけ第一声。
「笑顔もて優しげに」。
アルバム「5」のオープニングナンバーと同じく、今日のライブのオープニングも「過ぎゆく日々」だった。この曲が始まった瞬間、いや宮本が声を発した瞬間、限りなくハウリング寸前までに設定されミキシングにより、会場の囁き声や、ギターの音色も一切が消え、宮本の声のみが会場を制した。ボクシングに例えれば、1ラウンドKO、それもたった一発のパンチ僕はでマットに沈んだ。
それからこれといったMCもなく淡々とライヴは進んだ、スコアはアルバム通り、曲順も2曲ほど昔のアルバムからやっただけで全く同じに演奏された。曲と曲のあいだ客席は静まり返り、所々で咳払いが聞こえるのみ、ほとんどクラシックコンサート会場みたいになり、そこではそれぞれが宮本の声と対峙する事だけが許され、無意識のうちに金縛状態になつていた。
「曙光」が終り、メンバーがそれぞれステージを去り客電がつく。アンコールを求める声もなく、皆呆然と着席したままだ。
「これは何なんだ、ロックコンサートなのか?」
倒錯した思いのままロビーに出ると他の客達の反応は様々。
「ええライヴやったけど、こんなんでやってたら、しまいに客けぇーへんようになってまうで」
「すごい」

この日言える事は、この日のライヴは(これまでもそうだったかもしれないが)ひとりのリスナーが受け止める事の出きるキャパを完全に超えていた事。高揚感、カタルシス……・ある種の予定調和的に通常のロックコンサートに付随するものが何もなかった、という事。いや言葉にする事すら許されない、宮本の圧倒的才能が現前としただけなのかもしれない。

あの日どうやって家に帰ったのか、
今でも思い出せない。

No.曲名回数

Last Update:2004-06-10 03:55:13

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