ろくたろうさんの『人生の午後に』の感想 |
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「今をかきならせ」であれだけはじけた後で、いきなりどーんと沈みましたね。おそらくエレカシ史上最も暗い曲なのではないでしょうか。昔、別々の友人二人からディスコで思い切り踊った後って虚しい気分になるんだと、告げられたことがありました。この前曲からの流れ、実に人間くさいですね。しかしここでも宮本さんの大好きなお茶や空を飛ぶ鳥が登場します。宮本さんの人生だと思うと目がいえ耳が離せません。 |
↑コメントを修正する。 Amend Date:2022/10/06 (木) |
Entry Date:2022/10/06 (木) |
ダルさんの『人生の午後に』の感想 |
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去年5月のリキッド。この曲で成ちゃんにメロメロになりました。また、ライブであの重い重~~~いベースをきかせてほしいです。 |
↑コメントを修正する。 Amend Date:2006/05/13 (土) |
Entry Date:2006/05/13 (土) |
普請虫さんの『人生の午後に』の感想 |
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「今をかきならせ」で自己肯定に到ったはずなのに、この「人生の午後に」ではまた暗黒面ののエレカシ・サウンドである。これもまた、エレカシの歌分類に従うなら、日常の憂鬱ソングに入るであろう1曲である。克己の歌や夕暮れの歌と並んで、数あるアルバムに必ず収録されているのが、日常の憂鬱。いくら前向きにシフトしているエレファントカシマシとはいえ、これをなおざりにして、明るい前向きバンドですと居直らないところがまた好ましい。やはりこれも持ち味である。 「運命が俺をかりたてる」といい、「こっちを向いてよ理想」といい、あるいは「いつかこの空ひとりじめ」とまで言った俺は、野望に疲れ果て、夢には傷がついてると、弱音を吐く。 更年期障害のような病的な混迷ではないにしても、それに近い中年の憂鬱がこの歌にはある。切迫した死期にはまだいくらかあるが、さりとて<まだまだ死は遠い果て>と感じられる若年の青春からもまた離れてしまっている。宙ぶらりんの感覚。それが「重く垂れ込むる雲」や「冷めてしまったお茶」に仮託されている。 ところが、必ずしも憂鬱づくめではないところに、最近の闇を抜けたエレカシの境地がある。それが、「雲の方に鳥が鳥が飛んで行くよ」の下りである。これは『扉』の「傷だらけの夜明け」の流れを汲んでいることは明らかである。「鳥が空に飛び立つように ぼくらも再び山を越えゆこう」 の下りである。 そして、歌の後半部分では、「流れ星のやうな人生」に繋がるフレーズが登場し、「思ひ描いた日々と今の自分を重ねて」 という、憂鬱の根源に立ち戻る。思い描いていた自分とは、おそらく何事かを成し遂げて達成感のなかにある満ち足りた中年像、おそらくは「歴史」に描かれた森鴎外のおだやかな様子なのではないか。ところが、歳はとってもいつまでも求める気持ちやまぬのが、我らが宮本浩次である。それを良しとするにせよ、青春の残像とするにせよ、彼の生きざまは何と聞くものをはげましてやまないことか。それを声を大にして言いたい。 |
↑コメントを修正する。 Amend Date:2006/04/13 (木) |
Entry Date:2006/04/13 (木) |