.
A 5-30
E37
AB27
4-22
念願だったエレカシ@フジロックが実現! 個人的には6年ぶり12回目のフジロック。 毎年楽しみにしていたフジロックに諸事情で6年も足が遠のいていたが、10年待ちわびたエレカシの出演が決まった今年、苗場入りを決行した。 しかも四人囃子、Iggy Pop、忌野清志郎、Madness 、Stevie Salas、Boom Boom Satellites.....etc.......過去、鳥肌もののライブをいくつも観たホワイトステージに出るというのは私にとって一見の価値があった。 StrokesのAlbert Hammond Jrがソロで演ると言うので16:30からのホワイト入り。 そこそこの客入りだが終わっても動かずエレカシ待ちの人が多い事に驚く。 18:20近く、メンバーの名前を呼んだり拍手や歓声が上がるほどオーディエンスの期待は高まっていたが、“初出演“となるエレファントカシマシの登場を「必ずやフジロックの伝説となるだろう」という熱い空気が包んでいた。 それを感じとったかのような宮本氏の第一声は「緊張しています」だ。 『Easy Go』でスタートし、一機に『奴隷天国』になだれ込む。 過去に見た・聞いた『奴隷天国』以上に攻撃的で毅然さを強く感じられたのは、この場所が”フジロック”であるという事からかもしれない。 『悲しみの果て』『ガストロンジャー』『ファイティングマン』とフェスではお馴染みの曲ではあるが、この空間で聞くその響きは別格だった。 「憧れのフジロックに呼んでくれてありがとう!」とMC。 エレファントカシマシが世界3大ロックフェスの一つと言われるフジロックの舞台に立ち、この場所にいる事が本当に嬉しかった。 ラストはドラマティックな夕暮れの空をバックに『今宵の月のように』。 宮本氏本人も言うように”バンド史上最大のヒット曲”だが、曲が始まる前、良くも悪くもこの曲がエレファントカシマシをイメージ付け、ROCKバンドである事をフジロックブッキング関係者やコアなROCKファンから今まで遠退けていたのかもしれない・・・・と、ふと過った。 しかしながら、曲が始まるや否や、待ってましたとばかりの大合唱。 私を含め多くのオーディエンスがエレファントカシマシ及び優れたコンポーザーであり類い希な才能を持った詩人で、観る者を惹きつけるフロントマン宮本氏の引出の多さを認めた最後だったのだ。 後日知ったがYouTube生中継の海外からのコメントも好意的なものも多い。 「憧れ」の“コーチュラ“や“グラストンベリー“への出演もいつかはあるんじゃないか......と、密かに期待したい。
10月4日は週間予報は晴れだったが当日は曇り空。 いつもの野音とは異なりコロナ感染防止のための時差入場で入場列はまばらな人、さらにいわゆる「外聞」禁止のため、野音周辺も人だかりもない静かな日比谷公園内。 中に入ると例年エントランスを飾る華麗な祝い花も今年は無く、ただ淡々と入場チェックとアルコール消毒を済ませて席に向かう。 座席は1席おきに座る様、間引かれていた。 スタッフも観客も皆がマスク姿で、恒例のエレカシ野音も「コロナ禍」では例外ではないと実感する。 開演までの待ち時間は客数の少なさもあり話し声はなく、場内に響く音楽に秋の虫の声が効果音の様に重なっていた。 17時になり、SEがフェイドアウトしメンバーが登場。 1曲目は、これぞエレカシ野音を象徴するがの如き「夢のちまた」で始まったが、この晴天ではない秋の空に似つかう選曲だ。 「Dead or Alive」「Easy Go」と駆け抜け4曲目に「地元のダンナ」。 その序奏はプログレ調の編成で、印象的なベースラインとキーボードで始まり、『エレファントカシマシ』のバンドとしての貫禄を感じた。 「晩秋の一夜」は序盤ヴォーカルマイクの音量調整での数度のやり直しがあったものの、曲が進むにつれ、小説を読んでいる様な情緒あふれる唄に固唾をのんだ。 生憎の曇空だったが11曲目の「月の夜」は伸びやかな宮本氏の声が空高く抜け、思わず空を見上げて月を探す。 その後の「武蔵野」では宮本氏のギターにサポートギターの佐々木氏のソロが続きブリットポップさながらのアレンジが心地よい。 また「男は行く」がこれほどブルースだった事はかつて感じえなかったが、レッドツェッペリンに影響を受けた原点回帰の一曲は”50代の今“だからこその渋味が要因だろう。 圧倒される演奏とパフォーマンスであっという間に時間が過ぎ、アンコールの「待つ男」まで軽く2時間半を超えているのにも気づかずにいたが、この「コロナ禍」で半年近い期間、ライブに行く事がなかった(いやライブのない期間か)ため、枯渇した身体にたっぷりと音楽のシャワーを与えてもらった「時」となった。 余談だが、昨日エドワード・ヴァンヘイレンの65歳死去の悲報があった。 人の生命は永遠ではなく、また音楽を楽しむ時間にも終わりがある。 残された時間、出来うる限り人生の最後まで音楽で繋がっていたいと痛感した。
4月17日、東京は前日まで雨続きで、寒さが再び戻ってきたような気候。 3月に発生した地震の影響で直前まで新幹線が再開するのか決まらず最後まで山形行きを悩んだが、この先、諸般の事情でライブに行く事が難しい環境になる見通しだったので思い切って向かう事にした。 山形駅の近くにある「やまぎん県民ホール」の場所を確認し、地元では桜をゆっくり見る事も出来ずにいたので「霞城公園」まで桜見物に出向く。暖かな日差しの中、広大な敷地にどこまでも続く桜並木を家族連れや観光団体客が和やかに歩く姿に、平和の有難さが身に染みる。 開場時間を過ぎ、人々が徐々に着席するその会場は収容人数2千人あまりのこじんまりした箱だが、天井が高く壁や椅子に使用された木材からも音響への期待が高まる。SEが鳴るや否や思った通りの素晴らしい響きで期待を裏切らないホールだ。 オープニング、宮本氏の「今」の心情を詩にしたような曲「光の世界」は、切なくも「悲しみではない”一筋の光”」が、心に深く突き刺さる。 そして、カンテラを手にし「夜明けのうた」を歌う姿は映画の1シーンを見ていると錯覚するような空間に引き込まれながら「新鮮なポジティブ」の洗礼を受ける。 「stranger~きみに会いたい」までハイテンポな曲が続く中、エレファントカシマシとは違った『THE MIYAMOTO WORLD 』 の渦に巻き込まれていく。 「異邦人」「春なのに」「ロマンス」「木綿のハンカチーフ」と、子供時代にリアルタイムで触れた世代にとっては時代を象徴する曲として周知しているが、この「縦横無尽」では既に宮本氏の楽曲として見事なまでのアレンジで組み込まれている。 それはエレファントカシマシの曲も同様で、演者の違いだけではない「縦横無尽」ライブでの「悲しみの果て」「風に吹かれて」「あなたのやさしさをオレは何に例えよう」と曲の作り手である宮本氏の思いが自身のバンドとは異なった姿勢で向き合っているのだろうと感じた。 アンコール、急遽アコースティックではじめた「やさしさ」は、MCでもあったが「打合せなくてもいきなり合わせてくれる・・・」メンバーは皆、凄腕のプロ集団であり、歌い手宮本氏を左右、背後からバックアップしていた。 個人的にはこの山形はツアー4か所めとなるが、「ツアー初期から進化している」というより「回数を重ねた団結力の向上」がパフォーマンスの高みとなっているのだろうか。 また『宮本浩次』のソロ活動が、この先のエレファントカシマシに続く新たな道標になっていくと確信した。 終演後に夕食がてら食事をし店から出て数メートルのところで、これから街を散策するのだろうか、トレンチコートにハットを被った宮本氏がカメラマンの岡田さんと談笑しながら歩いていた。2時間半あまりの渾身のライブを終えたにも関わらず疲れを感じさせないその颯爽とした足取りにも吃驚。 「自分ももっと頑張らないと!!」 またいつかどこかで、またはあの急な坂道で・・・・どんなに悲しみに暮れる日が続くとしても背中を押してもらえる日がきっと来ると思える大切な山形公演となった。