今年の新春コンサートはセットにやや不満が残る内容だった。
すでに書き込まれたレポートにもあるとおり、フェス用のセットに『東京の空』『町を見下ろす丘』を足した内容で、野音のライブ同様にファンをうならせるセットを毎回組んでもらえる新春ライブとは思えない、聞き慣れた曲ばかりのセットになった(ただ、タバコを減らしたミヤジの声はただならぬ響きを持っていた)。
キャニオン時代の楽曲を意識的に多くピックアップしているところに、昨年同様に歌手モードの宮本がいることを強く感じた。再後半のアンコールで披露された新曲「俺達の明日」もまたその延長線上にある曲調で、前向きな歌詞の応援歌であった。「俺達の明日」は曲調がなじみやすくポップで悪くなかったけれど、歌詞にいつもの輝きがなく、新鮮なおどろきがほとんどなかった。友を思う歌であれば「友達がいるのさ」のが数倍すばらしい出来映えである。
U2のボノに関連させて、稼いだミュージシャンが急に寄付やチャリティに走る行為を皮肉ったのは、とてもミヤジらしい視点で面白かった。…が、野音の核兵器をめぐる発言にくらべると、やや芸能マスコミ的な揶揄に近い印象を受けた。むしろ安部晋三内閣の印象や、昨年末に駆け込みで処刑されたサダム・フセインに関してひと言あると、もっと興味深かったかもしれない。
セット自体が去年1年間通してよく聞いた曲ばかりだったので、新鮮味にかけるところはあったけれど、ミヤジの喉の好調は光った。音響はやや深みにかける薄い感じがした。石君のコーラスは貴重だった。「星の降るような夜に」でも、ひとりでよくコーラスをつけていた。
最近、やりなれた楽曲を中心にしたセットが多いのは、やはり昨年年初に病に倒れたトミを慮ってのことではないかと推測する。やりなれない曲はたたき込みが必要だし、新曲をやるにしても、過度なストレスは病後の身体によいはずもない。しばらくはベストアルバム的なセットで我慢するしかないのかもしれない。
マイクスタンドのクリップからマイクがずれ落ちそうになる場面が何回かあって、それをあえて直さず、落ちそうなマイクに合わせて体勢を変えているミヤジの姿が子どもっぽくおかしかった。お茶目である。
次のライブ予定は春の野音になるのか?
春の野音がピンとこないのは私だけだろうか?
No. | 曲名 | 回数 |
---|---|---|
1 | 今宵の月のように | 8回目 |
2 | 悲しみの果て | 14回目 |
3 | 明日に向かって走れ | 3回目 |
4 | 孤独な旅人 | 4回目 |
5 | 風に吹かれて | 7回目 |
6 | 珍奇男 | 5回目 |
7 | デーデ | 11回目 |
8 | 誰かのささやき | 3回目 |
9 | 甘い夢さえ | 2回目 |
10 | 星の降るような夜に | 3回目 |
11 | I don’t know たゆまずに | 3回目 |
12 | シグナル | 6回目 |
13 | 地元のダンナ | 4回目 |
14 | 四月の風 | 5回目 |
15 | 未来の生命体 | 2回目 |
16 | 涙 | 5回目 |
17 | 今をかきならせ | 3回目 |
18 | なぜだか、俺は祷ってゐた。 | 3回目 |
19 | 花男 | 7回目 |
20 | so many people | 3回目 |
21 | ガストロンジャー | 11回目 |
22 | 俺たちの明日 | 初!! |
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