エレファントカシマシDB 2008/01/06(日) ZEPP TOKYO 普請虫さんのライブレポート

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普請虫さん

新春恒例の<コンサート>がZEPP TOKYOになってから3回目。ほぼ定着してきた感がある。晴れ渡ったお台場。ここがかつて黒船を威嚇するための砲兵台場、要塞であったことなどどこ吹く風のデートスポットである。今日はTVの中継が入るからか、リハーサルのスタートが早かったようだ。2時半に現地外にいたら、もうその音が漏れていた。
開場前のグッズ販売からして今年は盛況だった。SHAKEデザインのTシャツはよい。ただ、山藤章二の切り絵風似顔絵を連想してしまうのは、私だけか。顔がないから、筒井康隆に見える(わかる人いるかなあ?)
幕開けは「おはようこんにちわ」。ちょっと意外のため、みなさん肩すかし。1曲目としてはややダル(けだるさ)が勝っている気がした。曲間なしで新曲「ここが今の真ん中さ!」どこかで聞いたようなアレンジもあるが、無骨で真っ正直な歌詞はエレカシそのもの。というか、メロディはポップな
「さよならパーティー」はやりなれた感がある。カップリングサイドではあるが、珠玉の作品であることを再確認する。ただ、歌詞は意味深だ。「序曲「夢のちまた」」 に似た浮かれ気分への決別がある。最近はただ売れたい枚数を出荷したいということよりも、自分の歌を慈しんで、聞き手に届けたい想いが強いのだろう。歌詞忘れや即興歌詞も混じってはいるが、原詞を大切にしようとする意図は伝わってくる。その意識が強いためか、このライブでは歌前のMCはほとんど曲紹介につながるものだった。そして、定番「悲しみの果て」へ。
最近は、定番曲と新曲を基本にセットリストを組み立てているエレカシだが、新年や野音という特別な場所でもその方針を貫いていて、逆に長年のファンにやや冷たい気がする。アルバムツアーにまでそれを期待したりはしないので、せめて新春と野音だけは珍しい曲をお蔵出しして欲しい。
「笑顔の未来へ」は文句なくよい楽曲である。去年よりもややテンポを落としているかな、とは感じた。だが、歌詞といいメロディといい、比類のない名曲だ。私はこの曲への評価は甘くなるので、あまりあてにならない。
「今宵の月のように」を挿んで、新曲「まぬけなJohnny」。こちらは語り口調のストーリーソングだ。具体的な地名やエピソードを混ぜるくらいだから、実体験を色濃く反映した作品なのだろう。しかし、キャラクターに名前がついているのは初めての試みではないかネタ元はおそらく沢田研二の「サムライ」に出てくる<Johnny>だ。糸の切れた凧のように石君がふらふらと成ちゃんのほうへと移動して、曲終わりまで戻らなかった。蔦谷さんとミヤジのアイコンタクトの視界を遮ったために、「どうせ動くんならもっとわかりやすく動いてくれ。目に入るんだよ。」と言いつつも、客席からの「石君最高!」に反応して、「でも最高」とフォローを入れていた。アメと鞭である。
荒井由実「翳りゆく部屋」のカバー。これはオリジナルよりもエレカシ・バージョンの方が圧倒的に優れている。私が松任谷由実の声質が嫌いだということもあるが、歌唱力の違いが、これほどまでに楽曲のアピール度を変えるとは、驚きである。自分、自分で来た宮本がカバーした歌が荒井由実であったという驚き。しかし、ライブでも存在感のある1曲である。
次の2曲が、私の中では一番の目玉であった。「私が同じテーマで歌うとこうなるという曲です」と前置きしつつも、まったく繋がりのない『奴隷天国』の「太陽の季節」へ。適当なつなぎを言ったな、と突っ込みつつ。本気にする人がいるから、ジョークもほどほどにしないと。しかし、ファンクっぽいアレンジの「太陽の季節」も格好よかった。そして「うつらうつら」である。これは歌われる景色がどうやら正月なので、正月ソングの範疇なのかもしれない(炬燵も登場するし)。2005年年頭の新宿コマ劇場冒頭の印象が強烈だっただけに、今回はややパワーダウン。しかし、よい歌であることに変わりはない。
『町を見下ろす丘』からのは、やや中ダレしてしまった感じで残念。あのアルバムの楽曲はここ2年くらいライブで継続的にやってきたけれど、やはりここ最近は新しいアルバムの方向性に気持ちが向いているので、あの内省的なアルバムとは距離感があるのだろう。「なぜだか俺は…」も痛切さがアルバムツアーの頃からするとそげ落ちている気がして残念だった。「シグナル」にしても、回顧的な前半と面を上げる後半の落差が山場なのに、どうも前半から前向きな感じがして、どうも世界観と歌唱が一致していない気がした。
「生命賛歌」は新曲と「太陽の季節」をのぞいては出色の出来だった。あのイントロが鳴るだけで気持ちが『俺の道』のころのザラつきに戻るのか、なりふりよりも力業の歌唱に燃えた。つづく「シグナル」は今回はあまり名曲らしさを発揮しなかった。それは先に述べたとおり、現在の心境と作品内での心境に若干距離が開いているからだろう。
「ガストロンジャー」は最近インフレ気味で、足繁く通う私にはアピール度が少ない。はじめて見る人や久しぶりに見に来た人には、とても楽しいひとときだろう。それにしても、名曲もあまりやりすぎてインフレーションになると、せっかくの<トキメキ>が失せてしまう。たまにはカップリングの「soul rescue」を披露して欲しい。つづいての「花男」は定番の〆曲。ミヤジの心境が前向きなだけに、何だか前向きの歌に聞こえた。本来は戒めの歌のはずなのに、「ドンとやれ」がやたら強調されて、ちがう歌に聞こえてしまった。
アンコールの6曲はわりとまとまってよい演奏だった。ただ、やはり皮肉まじりが痛烈な作品であるはずの「デーデ」と「星の砂」は、本来のザラつき感が削れて、テンポのいいロックにしか聞こえなかったのが残念。とくの「星の砂」はものすごい屈折をもった、名曲にもかかわらず、その真価を発揮できていなかった気がする。ニューアレンジの「風に吹かれて」はよかった。手放しに良かった。ピアノからはじまることによって、メロディと歌詞のよさがより際だち、あとから追って登場するバンドの音圧によって、劇的な転換が曲想にあらわれていた。「歴史」も痛切さは感じられなかったが、未来志向であるエレカシの意志を映した作品としてよくアピールしていた。ただやっぱり、現在のエレカシの前向きさを反映した「星の降るような夜に」と「俺たちの明日」こそが今年年初のエレカシの真価であった。バンドの結束が生み出した連帯感、そして<世間>と共有する共有意識。
今の彼らにいちばん似合う言葉は「未来」である。それも「輝く未来」である。まだ、それをあきらめていない四十の男たちである。しかし、夢やぶれる「歴史」や挫折も当然持ち合わせている。しかしそこを突き抜けて、笑いたい。それを強く感じた。たぶんこの明るさモードの時は、「珍奇男」や「奴隷天国」をやっても、あのさわると手を切りそうな尖った演奏にはならないのだろう。
「遠回りしてきた昨日を越えて 桜の花舞い上がる道を おまえと歩いてゆく」。最後の新曲の歌詞がファンへ伝えたいメッセージに違いない。客にパイプ椅子を投げていた男(『音楽と人』のインタビューで自分から、エッグマンで時間を気にする客に椅子を投げたと言っている)のいうセリフかね、これが。微笑ましいが、牙も研いで欲しい。客席が凍るザラつきもまた見せて欲しい。しかし、今はこの姿を楽しもうと思う。同志である彼らとともに。

訂正:「サムライ」に出てくるのは、ジョニーではなく、ジェニーでした。
   でもなぜか、つながりは感じる。先入見でしょうか。

No.曲名回数
1 おはよう こんにちは初!!
2 今はここが真ん中さ!初!!
3さよならパーティー4回目
4悲しみの果て19回目
5笑顔の未来へ5回目
6今宵の月のように13回目
7 まぬけなJohnny初!!
8翳りゆく部屋2回目
9 太陽の季節初!!
10うつらうつら2回目
11I don’t know たゆまずに5回目
12なぜだか、俺は祷ってゐた。5回目
13生命賛歌16回目
14シグナル8回目
15ガストロンジャー16回目
16花男8回目
17風に吹かれて9回目
18歴史9回目
19デーデ12回目
20星の砂3回目
21星の降るような夜に5回目
22俺たちの明日7回目
23桜の花、舞い上がる道を4回目


持帰り用体験回数(コピーしてご利用下さい)


持帰り用セットリスト(コピーしてご利用下さい)

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