JCBホールはよい箱だと思った。何しろ音がいい。サウンド・バランスはライブハウスのなかでも群を抜いている。TV局の系列ライブハウスにもかかわらず、サウンド・バランスの悪いShibuya-AXには見習って欲しいものだ。今回はサポート・メンバー二人を引き連れてのライブなだけに、演奏は安定して揺らぎがなく、音の分厚いがっしりしたサウンドだった。だからこそ、ホーン・セクションこそないものの、『STARTING OVER』の楽曲も見劣りなく響いていた。しかもグランドフロアもバルコニーフロアも大盛り上がりである。自分は第1バルコニーのステージ正面、ミヤジの正面5列にいた。ちょうど客席向けのピンスポットがあたる位置で、すごい眩しかったが、指定席のなかでは特上の位置取りだった。
セットリストは17日とほぼ異同がなかった。そしてショーとしての完成度が高いライブであった。おそらくローリング・ストーンズやその他の来日アーティストのステージ構築を取り入れて、ライティングと曲の進行のシンクロをとてもよく考えていた気がする。それができるぐらい、JCBホールのライト・コントロールは優れている。ライブハウスというよりは、演劇やダンスを演出できるほど充実した照明演出だった気がする。その分、曲の出し入れがなくなって、2日間同じ内容のセットになったのだと思う。17日に参加した人には、ちょっとサプライズが少なかったかもしれない。
セットリストをふり返ってみると、『STARTING OVER』と『町を見下ろす丘』の占める比率がだいぶ高い。巷間の評論では『START OVER』は移籍後の新境地と言っているようだが、私にはこの2枚はつながりがあるような気がする。たしかにサウンド面においては華やかさが断然『START OVER』にあるけれど、メロディや歌詞の内容は実はつながっている。そのことが今回のライブでよくわかった。
「理想の朝」はもう何度も耳にしている曲だが、今回の演奏はかなり開かれた作品である印象を受けた。『町を見下ろす丘』のはじまりは「地元のダンナ」であるが、私の印象としては「理想の朝」がよいと今でも思っている。その証明ではないが、オープニング曲としての立ち上がり方が秀逸であった。「こうして部屋で…」へのつながりも無理がなく、どんどん作品の世界に引き込まれてゆく気がした。
「こうして部屋で…」から「笑顔の未来へ」までは、ちょうど『STARTING OVER』のパートである。春のアルバムツアーでも展開されたような、バンドの力量が如何なく発揮されたパワー全開の演奏だった。ただ曲順で言えば、「今はここが真ん中さ!」と「こうして部屋で…」は逆の方がよかったような気がする。「理想の朝」で見た光が「今は…」で一回盛り上がって、そしてアルバムの曲順通り「こうして部屋で…」から「リッスントゥザミュージック」に流れる。とくに、「こうして部屋で…」の重たいメッセージが後半の演奏が突然切れるところで<死>のような静けさがある、あのCDの世界観を再現して欲しかった。
「さよならパーティー」と「笑顔の未来へ」はライブで鍛えられた力強い曲だ。フェスでやっても、ワンマンでやっても鉄板の名曲である。「笑顔の未来へ」のMCではあいかわらず「この歌の仮タイトルは「涙のテロリスト」で…」うんぬんと、サビのあのフレーズへのこだわりを見せていた。私は「涙のテロリスト」にもう一回変えたらどうかとさえ思う。あの不穏な単語と<涙>というセンチメンタルな単語の融合が、見事なのだと思う。なにしろ歌詞の呼びかけ(笑顔の未来へゆこう!)は、「涙のテロリスト」に向けられたものなのだから。
つぎに「誰かのささやき」である。この楽曲にはミヤジの思い入れが深いようである。epicの楽曲群のなかでも演奏頻度がとても高い。ちょうど『東京の空』で内省から物語による呼びかけに作風が変わる、そんなきっかけのような曲のひとつだと思うからだ。「誰かのささやき」は自分への歌ではなく、相手にとどけたいメッセージである。それをとても丁寧に歌っていた。
今回はあらためて『町を見下ろす丘』の充実度に気づかされた。「雨の日に…」もそうだし、「シグナル」「流れ星のやうな人生」「地元のダンナ」、どれをとっても甲乙つけがたい出来だった。とくに歌詞の世界がすばらしい。キーワードがちりばめられていて、それがほかの曲との連想になっている。この最近の作風がより豊かになってライブで再現されている気がした。「雨の日に…」は私の中ではとても大好きな曲で、歌詞の内容はメッセージではなく目に映る景色に心象風景を託したそんな歌なのだが、「シグナル」と同じようにかみしめてこそ出てくる味がある。「目の前の日々がぼくのすべてだった」。
つづく「流されていこう」もよい曲だと思っていて、はじめて聞けたのでうれしかった。1stの「てって」と繋がった内容の「肩の力ぬきなよ」という歌だ。これも自分へのメッセージではなく、ファンに向けられたやさしさだ。ただ「俺たちの明日」や「ガストロンジャー」とは真逆の方向性だ。その両方を詰め込んできたというところに、ミヤジが近年ライブを俯瞰して構成してきていることに気づかされる。とにかく、<見せる>ことに拘っているのだ。うまく届くように、選曲も曲順も演出も気を配っている。
「シグナル」「傷だらけの夜明け」という内省的なバラード2曲。「シグナル」では不覚にもホロリときそうになったが、人前の涙を恥じる自分なので、こらえた。「傷だらけの夜明け」は新宿コマ劇場の初披露を見ているので、あの時の思いがよみがえる。「僕らは扉を叩いてしまった…」とは、宮本がメンバーを代表してつづった言葉だろう。「生と死を行き交うこころ ふさわしい傷だらけの夜明けに」。
「未来の生命体」から本編最後の「ガストロンジャー」までは畳み込むように、人気曲のラッシュ。「未来の生命」と「Flyer」の演奏を聞いたとき、これは激しい戦闘モードに戻りつつあるなとどこかで感じた。たしかにシングルではまだポップな楽曲を全面に出しているが、「It's my life」に少しだけあらわれているように、拳をかためるような曲がまたやりたくてウズウズしているそんな気がする。バンドのメンバーも激しい曲の時の真剣さのほうが、ポップ系の楽曲よりも一層深い気がした。まだ、まだ戦える。
本編終えてのアンコール。1曲目の「今宵…」をのぞけば、アンコールにしては珍しい選曲。いわゆるキラーチューンとはちがう渋い選曲だ。「流れ星のやうな人生」は「珍奇男」につながるような歌詞なのだが、攻撃性よりも道化としての自分を演じるような歌だ。渋いがアンコールにふさわしい演奏だった。しかし、いちばんのサプライズはアンコール2の「地元のダンナ」。えっ、こんなに盛り上がる曲だったっけ、と思うくらいフロア中がゆれまくる大盛況。いつもなら客席に残って、名残惜しそうにする観客たちを、すんなり家路につかせるくらいに大団円としてしめくくった。私の中で「地元ダンナ」の印象はオープニングやライブ中盤の盛り上げ曲であったから、アンコールをしめられるくらいの完成度があったことに驚いた。『町を見下ろす丘』恐るべし。
ポイント、ポイントで曲に関する説明はしたが、春のツアーほど曲ごとの解説はなかった。おそらく、十分に仕込んだセットを凝縮してタイトに聞かせたいという意図、それがよく伝わってきた。2時間半とは思えない充実度だった。終わって外へ出て午後7時半だなんて。エレカシならではである。
総合司会・宮本浩次の印象深いお言葉。「風なんとかなんないの。寒いんだよ。俺んとこにあたって。」
No. | 曲名 | 回数 |
---|---|---|
1 | 理想の朝 | 4回目 |
2 | こうして部屋で寝転んでるとまるで死ぬのを待ってるみたい | 2回目 |
3 | 今はここが真ん中さ! | 4回目 |
4 | リッスントゥザミュージック | 2回目 |
5 | さよならパーティー | 7回目 |
6 | 笑顔の未来へ | 9回目 |
7 | 誰かのささやき | 7回目 |
8 | 雨の日に・・・ | 2回目 |
9 | 流されてゆこう | 初!! |
10 | まぬけなJohnny | 3回目 |
11 | 珍奇男 | 10回目 |
12 | It’s my life | 初!! |
13 | シグナル | 10回目 |
14 | 傷だらけの夜明け | 6回目 |
15 | 未来の生命体 | 3回目 |
16 | FLYER | 4回目 |
17 | 新しい季節へキミと | 3回目 |
18 | 俺たちの明日 | 11回目 |
19 | ガストロンジャー | 18回目 |
20 | 今宵の月のように | 16回目 |
21 | 流れ星のやうな人生 | 7回目 |
22 | Baby自転車 | 初!! |
23 | 地元のダンナ | 5回目 |
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