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ハンドルネーム | レビュー |
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サジック | ライヴで聴いた。泣きそうだった。酔っ払って帰るとき大声で歌いながら帰った。ココロの底から大好きだ。 |
珍奇男 | 悲しすぎる。こんな悲しい歌があるだろうか?おそらくないだろう。素晴らしすぎる。もう何もいうことがなくなった。とにかく聞いてみてください。あなたはエレカシの虜になる。ならなかったらおかしい。「月の夜よ月の夜よ今日も我と遊ぼうか弱くやさしき光もて我をつつみたまえ・・・ 」 |
jozek | 本当に美しい。そして、悲しい。 「遁生」の次にこの曲がかかるから、悲しさもいや増すのだろうと思います。このアルバムは、全体を通じて、流れというものが完璧です。7曲という少なさも影響しているのでしょうが、流れという点でこのアルバムを上回る作品は後にも先にもないでしょう。加えてどの曲も本当に素晴らしいです。願わくはリアルタイムで聴きたかった…。 |
ダル | もう20年近く前のことか。ある日本酒のテレビコマーシャルで ”なにがあっても、人間には夜がある” ってコピーがあった。今でもとても好きです。宮本さん。夜があって、本当によかったね。^^ |
一匹 | あたしを、この曲に閉じ込めてくれ。 |
コロ助 | 感動の名曲。遁世を聞いた後、この曲を聞くと悲しくてたまらない気持ちになる。 |
普請虫 | 月の光のやさしさと太陽の光の残酷さを対比した、夜のエレジー。エレカシの世界観においては月とはやさしさと幻想の象徴で、太陽は峻厳過酷な現実をあらわしている。のちにあらわされる「今宵の月のように」にもつながる世界観がここに既にある。「皆が眠りし月の夜に もう少し遊ぼうか」とは、心意気である。2005年の野音のライブMCで明らかにされた秘話として、アルバム制作の合宿中のスタジオの夜に作られた歌だという。 |
金があればいい | はっきり言ってこの曲の歌詞は、それっぽい言葉を並べているだけで特に意味はなしていないと思う。 しかし、そのメロディーは、どこか美しく、また物悲しい。 もともと音楽というものは、メロディーがあってから歌詞が付いてくるもの。幾世紀か前の音楽と似たような、本質的な曲だと感じる。 批判的且理論的な話になってしまい申し訳ない。 |
ろくたろう | 月がとても神聖なものに感じられる曲ですね。昼間の明るい世界では色々なことがあります。善きにつけ悪しきにつけ疲労しますね。この晩の月は、いい月だったのでしょう。いやいつもの馴染みの月だったかもしれません。いずれにしろ癒しの月です。因みに私は満月前後の月が好きです。月を見ながら遊んで(ゆったりして)います。 |
レットアロー号 | もう、どこにもたよることが出来なくなって。昼間の照りつけた太陽の(父親的な、もしくは男性的な)時間から、夕方を過ぎ。見たくない現実を隠して仕舞う夜。月が満月だろうが新月だろうが、昼間の光とは似て異なる、優しい柔らかな光(母親的な、この晩は特に母親的な)何も浮かんでない真っ黒な上空に見守るようにこちらに向いてる。 身体も心も魂も傷付きすぎて、地球を見渡しても誰も居ない。 でも、気が付けば夜空に浮かんでる月だけが彼に気が付き、包んで欲しいと言う要求に答える様に、白く弱い光が彼の背中に光の筋を落としてるように見える。 非常に悲しい曲なのに、聞いてしまう。 子供のころ耐え難い現実に、夜の月を求めて高台の広場で大の字になって月に癒してもらったことを思い出す。個人的にはとてもとても懐かしい曲となってます。 |