1991 彼女に「図書カード」を送ってフラレた(かなじょ曰く「なんか親戚の叔父さんみたい」)、ショックでバンド活動一時休止。
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1992 1年経っても失恋の悲しみは抜けず、「過ぎゆく(引き篭もりの)日々」をおくっていたが、契約の為無理やりアルバムをつくるも、
「ふられた男」に代表される絶望や「何も無き一夜」のような虚無的な曲しかできず、
それでも最後に頑張ってシングル用の曲をつくるも、曲のテーマ自体は非常に明快でいまにも通じる叱咤激励ソング(「今日も高き太陽が我等を照らす~熱き血潮燃えていた」「見ろよ暮らす世世の姿 思え曙光の時を!!」)なのだが、7分弱もある曲の半分近くをこの時点の宮本の精神状態がモロにでてしまっているまさに「喉から血が出るほどの絶叫」が占めており、却ってこの後の「奴隷天国」のような過激な曲よりも、よっぽど聴き辛いものになってしまった。ただ歌詞やメロディーに関しては、この時期の宮本がせいいっぱい万人受けを想定してつくったのだろうと思われるほど、意外とポップである。それをすべて叫びでかき消してしまったが。ファンとしては、現在の体制でのライヴヴァージョンを見てほしい。このオリジナルとはまたちがった、まったくちがった輝きをみせた。蓋し、名曲である。
そして、タイトルはやけくその「エレカシ5」という、まさに人生どん底期の宮本がいかに大スランプに嵌ってしまってたかを表している10曲である。
そして、時は流れ。
2003年である。
この歳、宮本は「人生史上、もっとも悲惨な出来事」がおきる。
それは、「同棲生活をして、宮本の家計をすべて管理していた女に、貯金を全額、持ち逃げされる。残った金はわずか、¥3000。」
落ち込んで、1週間自宅で仙人状態になる(要は引き篭もって、無飲無食の生活)。
しかし、宮本は苦境のなか立ち直り、泣く泣く愛車であるポルシェや、家宝同然の古地図や古書を売り払い、なんとか生活費を貯め、バンド活動再開。
2004 ただ、その影響で、アルバムの曲作りは滞り、年明けにもシングル候補もきまらず、1曲目の歌詞もできていないという体たらくで、発売延期。
しかし。やっと仕上がったアルバムは、やはりその頃の宮本の陰鬱な精神状態を反映して、最後の曲こそ、ポジティブで勢いのある痛快ロックンロールなものの、その他の10曲は、やはり
くよくよして煮え切らない歌詞やサウンド、これはファン以外の人が聴いたら、判り辛いだろう、まあ良く云えば”劇渋ソング”が満載である。まあただファンの贔屓目でみても、あきらかに
「ディンドン」は捨て曲である・・・・・・。(これだけは、いつも飛ばして聴いてしまう・・・・・笑)「イージー」はいい曲だと思うが、地味すぎる。(盛り上がりまでが長い。)
この語、宮本は、失った財産を取り戻すために、まるで若手バンドのようなハイペース(半年)で、もう1枚アルバムを発表し、それも、流石に煮詰めが甘すぎたため、
歌詞が難解なものになってしまっていて、当時はあまり評判がよくなかった。当然、売り上げも前作よりも落ちてしまい、ライブの動員数も激減。これ以降、ニューアルバム発売までに1年半かかり、
それは久しぶりの佐久間正英プロデュースで、起死回生を賭けたが、結局、殆ど売れず、レコード会社(東芝EMI)にまたしても契約を切られる。この後およそ2年後にユニヴァにうつり、際ブレイクするまで、
宮本はフーテンの寅(無職)のような見た目(ロン毛)という状態がずっとつづくことになる。
更新日:2011/11/18 (金)