エレファントカシマシ DB
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エレファントカシマシDB   2003年07月分の日記(ブログ)



     2003/07/01 (火)
『敗北と死に至る道が生活』その317
節税節税とか言ってる奴に限って煙草タバコ吸ってる。本当に節税したかったら禁煙タバコやめるのが一番だ。

節電節電とTVテレビで呼びかけるのもいかがなものか。デンコちゃんの存在自体を知らない人が一番節電している。


私はこう見えても部屋がせまいので、無駄なものはなるべく捨てるようにしている。また見るかもしれないと思ってとっておいた本雑誌なんかは絶対見ないのだ。『そういえば雑誌のどこかにそういう記事が・・・』なんて思ったとしてもどの雑誌の何ページか分からない以上、イライラ感がつのるだけだ。(1)気になる情報があったらメモしておく (2)読み終わったら捨てる (3)捨てるんだったら買わない逃げろー くらいのホップ・ステップ・ジャンプ・マガジン的な勢いが必要だ怒ってるか

しかし脳に入ってしまった無駄な知識と言うのは捨てられない。『はなわがチャーミーグリーン結婚していて赤ん坊子供までいた』などという情報はなるべく早く捨てたいものだ。それどころか、はなわの情報が、生活に役立つ二次元方程式の公式を追い出そうとしているがびーん俺の生活はままにならない。シャララシャララ。何か鳴っとるでおいお゛ーれ゛ーの゛ーせ゛ーい゛か゛ーつ゛ーぶぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛っ゛あ゛ぁ゛。゛゛゛爆弾爆発ぃょっと。
望むべくはただ・・・・レミド

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ランダム日記
2003/07/02 (水)
『敗北と死に至る道が生活』その318
あなたは水くれいタクラマカン砂漠に行ったことがあるだろうか。私はない。

日々は淡々と過ぎてゆくが、確実にお化け死への道を歩む。今まで生きてきた時間と、死ぬまでの時間のどちらが短いのか。おそらく長くない方が短いのだろう。いつか折り返し地点を過ぎるのだが、それがいつなのか分からない。おそらく長くない方が短いのだろう。もしかして今日なのかもしれない。日々そんなことを私は考えていない。日常生活でいちいちそんなことは考えないものだ。ただ明日は確実に来ると思っている。

『終わりが分からない道のりは結構長い』 一度通った道ではそんなことは感じないが初めての道は結構長く感じる。人生は常に初めての道だ。

ある人は10年前からガンである。ガンが体中に転移していて医者もサジを投げている。本人は自分がガンであることを知らない。知ったとたんに死んでしまうだろう。病なんてそんなもんだ。そして、おそらく長くない方が短いのだ。
2003/07/03 (木)
『敗北と死に至る道が生活』その319
プレーンのポッキーを尻の穴に挿してから出して『チョコポッキーどうよ笑み』と言うのはそろそろ辞めて欲しいものだ。時が時だったら打ち首になりかねない。生麦事件とかを思い出して欲しい。とか?三鷹?

そんなことより、コンピュータ関連ってのは枯れないもんだ。『枯れない』というのは決して誉め言葉ではない。例えばレシプロエンジン(爆弾爆発爆発エネルギーからピストン運動を得て回転運動に変換する最も普及しているタイプのエンジン。これに対しうなぎの稚魚?ロータリーエンジンは爆発エネルギーから回転運動を直接得るため効率的だといわれているが、こだわっているのは日本のマツダだけ。すなわちプロジェクトX。括弧の中が長すぎる。すなわち無駄話。)なんかは『枯れた技術』だ。

枯れているというのは安定しているということだ。つまりコンピュータ関連ってのは安定しない。いつまでたってもNew最新技術が出てくる。おまえは忍野八海の公園湧き水か。ある程度のところでとめて安定させなければ技術者が育たなくなる。必死に勉強して身についた頃には古い技術になってしまう。誰も習得しようとは思わなくなる。Microsoft が新しいOSを出す度にそうなる。Windows ME は過渡期のOSと言われているが、Windows全てが常に過渡期だ。『.netってなんだ?』と思っているうちに死んでしまうだろう。私が。

OSが新しくなるってことは、TVテレビがアナログからデジタルに変わるくらいの心構えでやらないとだめだ。すなわち50年に1回とか。来月号が今月発売になる本雑誌のように『パソコンWindows2050』でも出して枯れて欲しい。私もあーん8020運動に参加している。ハブラシの毛先は歯と歯茎の隙間に突き刺さなければ気がすまない。痛気持ちいい。豚キムチ~。

もっとも地球全体が過渡期なのだから仕方が無いがびーん

2003/07/04 (金)
『敗北と死に至る道が生活』その320
飛行機飛行機に乗ると『航空機システムに異常が発生する恐れがあるから携帯携帯電話の電源を切れ』と言われる。たかだか携帯電話の電波程度で異常が発生する物体に命を預けている訳である。こうなったら携帯携帯電話にグルグルグルグルしたマークつけて『Coccoのファンなんです』とでも言い放つか。

しかしレスポールは重いな。持ってないけど。あなたは何派だろうか。やっぱテレキャスかな。昔はストラトだったけど。指板を彫刻刀で削ってリッチー・ブラックモア仕様にしたてあげたこともある。あの頃はレインボーが流行っていた。リッチー・ブラックモアが一番好きなバンドがアバだと答えていて少なからずショックだった。今では理解出来る。

そんなことより化膿姉妹可能姉妹課の住まい、間違えた、叶姉妹はどっからお金を貰っているのだろう。謎だ。年金とか NHK とか払ってんのか?ゴミは出すのか?ヨドバシのポイントとか貯めてんのか?謎だ。

2003/07/05 (土)
『敗北と死に至る道が生活』その321
大人になるとつまらないことでは笑わないものである。中学や高校のころはなんであんなに楽しかったのだろう。ものすごくくだらないことで笑っていた気がする。

笑わない大人を見て『つまらない大人にはなりたくない』と思っていた。ところがいざ自分が大人になると笑わない。

例えば
『俺の銀行って入金したまま引きおろせない銀行だからさぁ』
『それってJRA銀行じゃない』
『がははは』

あほらし。こういう疲れる会話はせいぜい二十歳前で卒業して欲しい。となるとある程度まともに過ごしてきた大人たちはもはや笑う会話などなくなってくる。私は30歳を過ぎてからほとんど会話をしなくなった。人に質問されても答えない。2度質問されてようやく答えるそぶりをみせる。だからたまに話すと声がひっくり返る。

『つまらない大人』とはいい年して楽しそうな大人のことだ。お笑い芸人のほとんどが普段は寡黙にしている。うるさい奴ほどつまらない。
2003/07/06 (日)
『敗北と死に至る道が生活』その322
人は何でも計算しがちだ。まんじゅうが10個入ったおみやげ物が1箱千円だと聞けば「一個あたり100円だな」と思う。バナナが5本で387円だと聞けば「仮に400円として1本80円だな」と仮に400円にまでしてから割ってしまう。それでいてなるべく安い奴を探したりするのか。母よ。結果、喰わずに腐らせて捨ててしまうのだ。どうせ捨てるんだから買わなければいいのに。だが母はこう言う「だって安かったから」。

一週間が7日だと聞けば「お、一日当たり一日か」と思うし、トイレットペーパー1年分と聞けば即座に「きっと365ロールだな」と思う。どんなトイレ大便してるんだ。

新聞に葬儀のチラシが入っていた。そろそろ、葬式にいくら位かかるか知っておかなければいけないと思う。なにが「そろそろ」だか知らないが。もちろん地域によっても違うらしいのだが、お化け死体一体なんと900円で焼いてくれるらしい。私がよく行く定食屋の「魚サバ塩焼き定食」と同額だ。比べることの意味がよく分からないが、そういうことだ。ちなみに900円は神奈川県川崎市の場合。東京都になると4,800円だ。川崎の5人分だ。こうして油断していると気が付けば4,800円を900円で割ってしまう。

死に化粧が凄い。何が凄いって値段だ。どこの馬の骨かも分からないような、もうすぐ骨だけになる死体を触りながら化粧を施すのだから、誰もがいやがる商売であって、そこそこ高いのも当然と言えるだろう。「メーキャップ7万円~」となっている。どんなエステなんだ。これだけ高いのだからマッサージかなんかもやってくれるのだろう。「お客さんがびーん顔色悪いですね」なんて言われながらだ。7万円を900円で割ってみればなんと77.7777・・・・だ。なんてラッキーなんだ!!と思いきや900円で割ることの意味がよく分からない。

そして葬儀全体の費用は一番安いので¥825,900円だった。¥825,900円掛ける2で¥1,651,800円だ。2を掛けることの意味はチャーミーグリーン両親のことを考えたからだ。約170万円は捨て金だな。なんて親孝行なんだろう。ところで同時に二人やったらもっと割引になるのでは?私は一体何を計算しているのだろうか。
2003/07/07 (月)
『敗北と死に至る道が生活』その323
自動販売機に『いつものやつ』というボタンがあったらどうだ。押したくなる。『人はボタンがあると押したくなる』という習性がある。エレベータのボタンなんか1回押せばいいものを何回も押す人がいる。連射すれば早くなると思っているのだ。私だったりする。

著名人の死亡記事は既に出来上がっている。森繁久弥が突然亡くなっても死因と時刻さえ埋め込んでボタンを押せば記事が完成する。アメリカでたまに生存者の死亡記事が誤報として流れてしまう事件があるが、誰かが押してしまったのだ。『人はボタンがあると押したくなる』ということだ。
2003/07/08 (火)
『敗北と死に至る道が生活』その324
レミド音楽や本文学は作者死後50年で著作権が切れる。だから昭和初期の作家の作品は無料だ。パソコンインターネットから無料でダウンロード出来る。夏目漱石や太宰治の作品をダウンロードし、モバイルに入れておけば旅先で本が読める。かけだす男走りながら走れメロスが読めるが読みにくくて仕方がない。しかも私はメロスではない。

もちろん古本の方が便利な場合もあるが、こういうのもありかもしれない。ただ自宅のパソコンに入れて読む気にはならない。これはどういうことだろう。パソコンはパソコン画面を見つめなければならない。「手のひらで読める」というのは人間にとってかなり重要なことなのかもしれない。っつうか寝っ転がって読めるということか。っつうかモバイルでケツは拭けない。固かったいや別に

寝っ転がって、重たい単行本を読んでいると腕が疲れる。試しに広辞苑第五版を両手で持って寝っ転がってみるがいい。しばらくすると両手が震えてくるだろう。広辞苑を読んで感動して体が震えているようだ。辞書で何に感動しているのだ。

だから横を向いて本を置いて読む。右側を向けば左のページが読みやすい。だが、右のページの場合凄く読みづらくなる。こうなると今度は左側を向く。ページが切り替わる毎に体も切り替わる。パタパタしてしまう。仕方がないから頭の上に本を逆さまに立てて置いて、首を伸ばして見たりしている。ひっくり返された亀か私は。余計に寝付けなくなる。夜中に一体何をやっているんだ。

例えば右のページだけで成り立っている小説があったらどうだ。そして左側だけを読めばもうひとつの小説になっている。そういう形態の本もあればいいだろう。うつぶせで読める本もあったらいいだろう。5cm先の文字が20cm先くらいに見える本だ。微妙な投影法でなんとかならないもんか。試しにレンズを逆から見てみたがレンズはレンズだった。一体凹凸の凸の書き順はどうなっているんだ。トリックアートの人たちは無駄な仕掛けばかり作らないでこういうことに頭を使えばいいのだ。トリックアートの人って誰だ。世の中不思議だらけである。

更に言えば1行目は上から下へ読み、2行目は下から上に向かって書かれていればいいだろう。下から上に戻るときにどこの行に戻ればいいか分からなくなることがあるからだ。昔の日本語は右から左に向かって書かれていたのだから特に変わった意見ではないはずだ。そう考えてみれば今の形態の本は文章がぶつ切りにされているのだ。作家に対して失礼ではないか。だが作家もそうやって書いているから事は複雑なのだ。人は馴れ親しんだ社会に対してあまり疑問を抱かない。

と書いたこの文章も左から右へ読み、一気に左へ戻る。一気は体に良くない。人は無意識かつ瞬間に凄いことをやっているものだ。

どうせパソコンなんだから本のような形態でなくてもいいだろう。究極的には1行であって欲しい。1行が延々とスクロールしてくれたらそれでいいのだ。街や新幹線新幹線の中で文字ニュースという電光掲示板が既にある。あれで小説を流したらどうだろう。やっぱり読みづらい。
2003/07/09 (水)
『敗北と死に至る道が生活』その325
「人生が二度有ったらいいと思いますか?」という問いに「そんなことになったら誰も真剣に人生を生きなくなる」とアイルトン・セナは答えた。

「火をともせば永遠の命が得られるライターがある。あなたには一度だけ火をともすチャンスがある。火をともしますか?」という問いに「ええ、私はともします」とヨースタイン・ゴルデルは答えた。ヨースタイン・ゴルデルは「ソフィーの世界」の作者だ。

一度きりの人生。だから大切に生きる。なんて思わない。一度きりの人生。どうせ死んでしまうのだから楽しく暮らせればそれでいい。70歳で借金しまくったどこかの市長が「一生働いて返す」と言っていた。お前の一生はいつまでなんだ。っつうかうらやましい。死んでしまえば借金なんか関係ない。

学生の頃、クラスメイトがバイクで死んだ。つい昨日まで元気だった人間が棺桶に入っている。なんとも不思議な光景だった。親戚は何人か死んでいるが幸い両親はまだ健在だ。いつか父か母も死ぬときがやってくるだろう。両親より先に死なないように気を付けなければならない。松本人志はオヤジが死んだら死体で腹話術をしてでも笑いがとりたいとうそぶく。「人は生きた風にしか死ねない」と淀川キリスト教病院の柏木哲夫は言う。俺が生きた風に死ぬなら少しばかりふざけた死に様でも見せなければ周りの人間が納得しないだろう。

ここに一冊の本がある。「死因事典」。著名人が何で死んだか書いてある。やはり作家は結核で死んでいて欲しいというイメージがある。だが作家は自殺が多い。芥川龍之介は服毒自殺。太宰治は入水自殺。三島由紀夫は割腹自殺、更に「盾の会」により頭部を切断されている。有島武郎は首吊り。川端康成はガス自殺。ところで何でこんな本を持っているのだろう。
2003/07/10 (木)
『敗北と死に至る道が生活』その326
九十九里「お前の店八百種類も置いてないだろう」
八百屋「お前こそ九十九里もないじゃないか」
百貨店「俺なんか商品百種類以上置いてるぜ」
鶴は千年亀は万年「それはそれで間違ってるじゃないか」
百貨店「お前だってそんなに生きないじゃないか。だいたいお前は名前が長いんだよ」
九十九里「ところで嘘八百はどうした」
八百屋「風邪ひいたってさ」
百貨店「嘘だろっ」

あほらし。
2003/07/11 (金)
『敗北と死に至る道が生活』その327
100度のお湯と100度のお湯を足しても200度にはならない。単に水浸しで階下の住人に怒られるだけだ。男と女を足すと夫婦という2人になるが子供が産まれて3人家族になる。幸せならまだしもSEXなんか月に一回。しかもあるかないかだ。「私はまだ女でいたい」なんて言いながら下っ腹ボリボリ掻いてたりする。かいいのか。太るとかいいのか。

このことから1足す1は単純に2ではないことがわかる。1+1=2という式は誰にも証明できない。そういうものだと決められているからそうなのであって、自然界にとっては何の意味もないのだ。ことによると100万円足す100万円が200万円になるかどうかもはなはだ疑問だ。この疑問解決にみなさんも協力していただきたい。私のスイス銀行の口座に100万円振り込みたいという人は振り込んだらいいさ。あぁ振り込んだらいいさ。
2003/07/12 (土)
『敗北と死に至る道が生活』その328
「やめられないとまらない覚醒剤」と誰もが口にするときに、「覚醒剤」の部分を「かっくせいざい」と口ずさんでしまうというあなたは、それこそ「かっぱえびせん」の食い過ぎである。
2003/07/13 (日)
『敗北と死に至る道が生活』その328
味覚にはさまざまあると思うが、基本的には「甘い」「しょっぱい」「酸っぱい」「辛い」「苦い」だろうか。そんな中「無味」というのもあって、あれは味と言えるのだろうか。例えば「水」だ。のどが渇いた時に1杯の水はまことにおいしいのだ。「おいしい」と思うのだから無味も味わうことが出来ている。

味覚の最高峰は「甘い」と言えなくもない。現に中近東諸国のお茶はどうやら甘いらしい。砂糖をたっぷり利かせた甘いお茶。ブラックコーヒーなんて男っぽいけど、あまりおいしくはない。苦いだけだ。考えてみれば「苦い」と「酸っぱい」は本来危険を察知させる為の味であって食べるような代物でない。「酸っぱい」には「腐敗」の意味があり、「苦い」には「毒」の意味がある。だが人はそれを食べてみて体に影響が無いことを知ると「味わい」として認識出来るようになる。

蕗(ふき)がほろ苦くておいしいなんて思うのも不思議なことかもしれない。そんな味を発展させれば「まずい」という味覚があってもおかしくはないと思う。この発想は数年前ダウンタウンが実際に「まずい水」をampmで販売したことにも見られるように正しい。

そんな話も忘れかけた今宵。別役実の本を読んでいたらこんなことが書かれていた。題は「トウガラシ」だ。


南米原産のトウガラシはコロンブスによってスペインに持ち込まれた。当然ながら我々の抱く最初の疑問は、何故こんなものをコロンブスはスペインに持ち込んだのであろうかというものである。(中略)つまりコロンブスは当時のスペインの飽食した人々の味覚に罰を与えようとしたのだ。航海中に自分たちが「不味いもの」しか食べていなかったにもかかわらず、スペインでのうのうと暮らしていた人々が美味しいものばかり食べているのを見て「これでも喰らえ」とばかりに、口の中にねじこんでやったというのも大いに考えられるだろう。


「辛い」なんていうのは舌に言わせれば「痛い」に他ならない。物理的には栗を「いが」のまま食べるとか、かみそりの刃を縦に食べるとか、しまいには自分の舌を「タン」として食べるとか、そういう時代がくるかもしれない。笑い事ではなく、現代人は自分の胃を消化してみたりしている。こうして味覚はどんどん進化してゆく。

2003/07/14 (月)
『敗北と死に至る道が生活』その329
私は幼かった頃小さかった。

電力不足でいろいろ考えさせられる。

私はIPフォンしか使わないのでNTTの電話回線は使わない。しかしADSLをひくには電話回線が必須な訳で、基本料金だけは取られる。もったいないので電話線から電源をとる方法を考えている。電気が停電しても電話が使えるのはNTTが電話用の電力を電話回線に流しているからだ。となるとこれで夜のちょっとした明かりとか点らないだろうか。ネットでいろいろ調べてみると盗聴器は電話回線から電源をとっているそうだ。

同じく水道も使わない状態でも水圧がかかっている。蛇口で止めているから出ないだけであって、開けるともの凄い勢いで水が出る。相当の水圧をかけているにちがいない。水圧から電源をとれないものだろうか。『圧力電池』というのが実際あるらしい。洗面所で蛇口の部分が光っていたらお洒落だ。

電力不足でいろいろ考えさせられるが、私の技術不足で手も足も出ない。ままならない俺の人生。
2003/07/15 (火)
『敗北と死に至る道が生活』その330
タカシマヤの3000円分の商品券があったので新宿タカシマヤをぶらぶらしていたら、欲しいものなど何一つない。服なんか買ってもしょうがないし。靴もジーパンも持ってるし。何も買わずに帰って来てしまったら、HMVに立ち寄るのを忘れた。俺の道。発売だった。明日でいいか。男30代後半ともなれば欲しいものがなくなる。金ばっかり貯まって仕方がない。ニュージーランド貯金したら毎月8000円もの利息が振り込まれる。増える一方だ。こんなに貯めているのは老後のためだが、定年してすぐ死んだら一体何のために生きたのかさっぱり分からない。人生に意味などないのだ。

2003/07/16 (水)
『敗北と死に至る道が生活』その331
『俺の道』だが歌詞を聞き取れない風に装って聴くと本当に洋楽としてよく出来ている。特に『ハロー人生!!』『勉強オレ』については日本人じゃない方が楽しめるのではないかと思うくらいだ。勉強オレって・・・。

冗談抜きで楽器に注目して聴くと本当にバンドとしてのグルーブが素晴らしい。野音野音!!
2003/07/17 (木)
『敗北と死に至る道が生活』その332

ジャケット画像を合法的につける画期的技術が Amazon.com から提供されました。当サイトで Amazon Webサービスの一部を利用することにしました。

こんな感じです。

画像直リンクでなく、実現するには開発キットを入手し、サーバーサイドでアプリケーション開発しなければなりません。XMLかSOAPで提供されます。

という訳で Amazon にユーザーレビューを書くと当サイトに表示されるかもしれません!!(残念ながらユーザー名までは取得出来ないようですが)

Amazon Web サービスを詳しく知りたい場合は以下のページを参照下さい。

2003/07/18 (金)
『敗北と死に至る道が生活』その333
何かと問題の多い CCCD によるオーディオ機器やCDドライブの故障を避けるには、別の媒体に録音して原盤は封印してしまうのが一番

  • アナログでカセットテープに録音(普通ならこれが一番簡単)
  • アナログでMDやMP3,WMA形式に変換(曲の分割が大変)
  • デジタルでMDやMP3,WMA形式に変換(可能なら一番簡単)

という訳で『俺の道』を Microsoft Media Player で WMA 形式で保存して身を守りましょう。(そうは言ってもコピー中はドライブに負担がかかります。実際に試す場合は自己責任でお願いします)
まずCDの裏面の外周にセロハンテープを貼ります。

溝が分かりにくいので赤い部分を拡大します。

分かりにくいですが、上図の溝の一番外周、つまり『赤』で示された溝より外側をセロテープで覆い隠します。
ちなみに『青』の部分が『心の生贄』で、『黄色』の部分が隠しトラックの無音部分です。


テープを貼った部分はこんな感じです。読み取りヘッドが当たるので平らに貼って下さい。


はみだしたテープは本当は切り落としてしまうのが優しいやりかたですが、管理人は面倒なので表側に折り返してしまいました。

これで Microsoft Media Player から普通の音楽CDとして再生・録音出来る筈です。だめならテープの位置を微妙に調整します。

残る問題は『心の生贄』の無音部分です。開始から5分は沈黙状態です。これをカットしてしまいましょう。Google で『wma 編集』として検索したら『DIGITAL Gretchen』というシェアウェア(試してみて今後も使いたいならばお金を払いましょう)が見つかりました。早速ダウンロードして無音部分をカットしてみましたが、非常に直感的で分かりやすいソフトです。グラフィックで横軸に時間、縦軸に音のレベルが表示されるので開始から5分の部分をマウスで選択し、削除し、上書き保存するだけです。


『心の生贄』を開いた状態


無音部分を選択した状態


『編集』の『削除』を実行。あとは上書き保存でレート128でも選んで保存します。これで本来の 3'43" か 3'44" 程度になります。

これで『俺の道』を心ゆくまで堪能出来るでしょう。
2003/07/20 (日)
『敗北と死に至る道が生活』その334
ちょっと上高地の方まで行ってました。マイカー規制にも関わらずバスが大渋滞。そんなこんなで明日は野音。雨の野音になるか。どうか。選曲はどうか。明日参加する人。がんばりましょう。
2003/07/21 (月)
『敗北と死に至る道が生活』その335
野音。サブタイトル『男は行く』だったようです。前日に何故かViewsicで『男は行く』のPVが放送されてた。早めの終了だったが、退散直後に小雨。それまではうす曇でいいコンディションだった。
2003/07/22 (火)
『敗北と死に至る道が生活』その336
野音メモ

  • 開始前のBGMはビートルズ
  • どこのだか分からないが前列と中央にテレビカメラ数台
  • グッズはタオルとTシャツのみ。買わなかった。
  • うす曇
  • ミヤジ白シャツで登場
  • いきなり椅子に座り『男は行く』
  • 改めて『豚に真珠だ貴様らに聞かせる歌などなくなった』って凄い歌詞だ。
  • それ聞いて喜んでるんだからファンはMだな。
  • 登場前のアナウンスで『日比谷野音”男は行く”へご来場ありがとうございます』と言っていたので、一曲目の『男は行く』には感激も薄れた。チケットにも印刷されていなかったのだから言わない方がよかったのでは?
  • 演奏、歌、全てが完璧だった。かつてないクオリティーだと感じた。
  • 客の反応は静か。昔のエレカシモードだ。私も腕組みをしたまま拍手など一切しなかった。セットリストに感動していたのだ。『ゴクロウサン』では不覚にも体が少々動いてしまった。
  • 再登場で石クンだけ出される放置プレー。スポットライトが当たる。照れ隠しに後ろを向き何度もペットボトルの水を飲む。
  • 結局『俺の道』からはたった2曲。不満の声も聞こえるが『野音』だからこれでいいのだ。
  • 早い終了だがMCなしの濃い内容。以前客席の照明が点いた後で登場したこともあるので客はほとんど帰らない。ドラムセットを片付け始めたので諦めた。
  • 終了直後雨がパラパラ。
  • ノーカットで放送又はDVD化を切に願う。永久保存版間違いなし。
  • 『俺の道』は秋のツアーで全曲やってくれることだろう。もう次へ行ってしまうのだろうか?『DEAD OR ALIVE』もライブで熟成する前に次へ行ってしまった前科を持つエレカシ。
  • 私は彼らがどこへ行こうが構わない。『心の生贄』の路線もそれはそれで良質なポップだ。
  • 今一番見たいのは『曙光』『シャララ』『かけだす男』。
  • 一番って言いながら三曲。
  • だんだん野音メモじゃなくなっている。
  • どうだっていいじゃねぇか。どーんと行ってくれたまえ。

2003/07/23 (水)
『敗北と死に至る道が生活』その337
夏のフェスはロックインジャパンだけ参加する。エレカシだけ見て帰ってくる予定だ。早めの登場でなにより。バイクで行くと駐車券も要らないし入り口近くに置けるからいい。しかし私はこれが終わったらバイクを売ってしまうつもりだ。ミヤジも『車売っちゃおうかな』と言っている。あれば便利だがなくたっていい。

東京は電車・バス・タクシーが発達している。バイクを歩道に止めておいたらすぐ警告の張り紙を貼られてしまう。どこに止めろというのだ。バイク用の駐車場なんて滅多にない。車も売ってしまおう。駐車場がない場所でもすぐにミニパトが来る。今度ミニパトを見かけたらチョークで線を引いてみる。本当に取り締まるんだったら神楽坂なんかでやらないで銀座でやれ。

ノルマって何だ。セールスマンじゃないんだから駐禁のノルマ達成して喜ぶな。
2003/07/24 (木)
『敗北と死に至る道が生活』その338
野音アンケートご協力ありがとうございました。投票は終了しましたが、参考のため残しておきます。

左側のメニューに『アンケート』というメニューを追加しました。
今後過去ログは『アンケート』に追加していきます。
と同時にメニューの位置を若干調整しました。
『人は位置で何かを覚えている』という信念を曲げてしまいました。すみません。


プロフィール登録している方で参加ライブ履歴を記録されている方へ新しい機能を追加しました。セットリストと参加履歴に基づき、曲毎の体験回数、および未体験曲の一覧表示が可能となりました。野音をまだ登録してない方は登録してみましょう。

管理人の例だとこうなります

それぞれの方のプロフィール詳細参照画面『体験曲分析』からどうぞ。
2003/07/28 (月)
『敗北と死に至る道が生活』その339
富良野・美瑛に行って来た。7月下旬の富良野・美瑛には一度行かなければならない。と私は以前から思っていた。私はバイクで日本中旅をし尽くした。結果、あの風景に勝てる場所はない。写真で切り取れば勝負出来る場所はいくつかある。

写真はフレームに収まらない『範囲外』の部分を勝手に想像させるテクニックで美しいと判断させる。いざ行って見ると周りの風景にいまひとつがっかりするのも事実だ。振り向けば工事のクレーン車、工場の煙、小汚いみやげ店などが見えてしまう。

富良野・美瑛は写真で切り取っても美しいが『範囲外』も更に美しい。雑誌でイメージをふくらませて行って見ると365度イメージ以上の風景が広がっている。絶句して気持ち悪くなるくらいだ。快晴よりも多少雲が浮かんでいたほうがいい。今年の7月26日はそんな観光日和だった。

美しすぎてそこに『生活』を感じなかったが、そこに生きている人にとっては単なる畑か。出荷用のひまわり畑がいきなり現れる。これも『生活』の一部か。そういう訳でブロッコリーを1個買ってきた。

手作りバターの作り方を教えてもらってきたのだが、乳脂肪を延々と振りつづけるとバターになる。極端に言えば哺乳類が木の周りをグルグル周っていたらバターになってしまうという噂もあながち嘘ではないなと思った。
2003/07/29 (火)
『敗北と死に至る道が生活』その340
北海道でレンタカーを借りたら、予約していた『軽』が前日事故ったらしいので三菱コルトにされた。もちろん軽料金だ。おかげで31kmオーバーで捕まった。オリックスレンタカーのせいだ。軽ならそんなに出さなかった。筈だ。警官に『過去に追い越されそうだったので必死だった』と言ってみたが精神鑑定してくれなかった。罰金は10mおきに同じ標識を立てるために使われるのだろう。

しかし、カーナビって便利だ。私は10年前の出始めのころ買ったのだが当時は行き先と経過が分かる程度のもので、コンビニがあるとかGSとか到着時間までは分からなかった。今は交差点まで詳しく出る。指示を無視しても修正してくれる。

まぁ車は要らない派なのでカーナビも要らない。車があったらお金がかかるし、カーナビも欲しくなる。悪循環だ。いろんなものを切り捨てれば切り捨てるほど、いろんなものが不要になってくる。好循環だ。これがまた気持ちいい。物が増えないということは掃除もしやすくなり、一石二鳥だ。車がなければ車を洗う必要なんかないのだ。

友人もなるべく減らせば『あの映画見た?』とか『この本面白い』とか聞かなくなる。映画や本なんか見てもどうせ忘れてしまう。新聞を取れば広告が載っている。テレビをつければCMが流れる。だから新聞もやめる。テレビも必要以外は見ない。どんな商品があるのか知らないので欲しくない。新しい飲料が出て買ってみて気に入ったとしても3ヵ月後にはなくなってしまう。

私はそういう消費社会から一歩身を引いて暮らしていきたいと。最近つくづくそう思う。缶ジュースが一番馬鹿馬鹿しい。わけのわからない添加物も入っている。私は毎日会社に麦茶を持って行っている。昼は自宅に帰り卵かけご飯を食っている。会社の近くに引っ越せばこういうメリットからすぐに家賃など回収出来る。家賃が安いからと言って通勤に1時間ほどかけるより2万円程度高い都心の賃貸マンションの方が得だ。とは言いながらも私の家賃は新宿新都心で8万円だ。プールもついている。高層階なので新宿の夜景が一望出来る。

そういう人から速度違反の罰金取るなんておかしい。一体何のために切り詰めた生活をしていると思っているのだ。どーんと使うためだ。友達なんか要らない。金があればいい。
2003/07/30 (水)
『敗北と死に至る道が生活』その341
ミヤジが歌に自分を曝(さら)け出すという手法で挑んでいるので、私も習って詩を書いてみた。


『かけださぬ男』

近頃小便で目がさめる 前はこんなことなかった
みるみる衰えゆく体分かってるが 頭の中では疾走
もはやハンバーグなんか喰ってる場合じゃない
細胞壁が薄いのか 体が乾いてゆく

早寝早起き気分がいいが 二度寝して意味なし
朝飯喰いたいのはやまやまだがだが 面倒と節約にて茶で誤魔化す
気分がいいぜぃYeah

散歩に出かけようとスニーカー買ってみたが
冬は寒い夏は暑いと いつのまにか3年が経過した 意味なし
切干大根でも喰って落ち着けオレ
ぶあーっ あああー だだつだっだっだぁ

腹が減らぬよう一日寝っ転がっていた 腰が重い 床ずれか
夕方からスーパーに行き 見切り品ばかり買った
これがサビなのかぃいぇぃ

あー今日もひとつブロッコリー茹でた 塩加減はどうだ
でタバコを吸いながら健康番組見ている 意味なし
家事を終えて満足している俺に 同じ明日がやってくるだろうか

だめだだめだだめだだめだめだめだだっだっだぁ
こんなんじゃ駄目だと いつのまにか3年が経過した
ぶぁーっ あああー 転げ落ちる勇気もなく高層マンション暮らし
気分がいいぜぃYeah

中央公園で暮らしてみろ 冬は寒い夏は暑い 風呂入らねば痒くなる
薬もロクに買えない 大腸に細菌養殖して耐えろ
これがサビなのかぃいぇぃ

いつのまにか80年が経過して死ぬ
かけださぬまま 野垂れ死に 意味なし人生
どこぞの国と比べてみりゃぁそれでも結構満足人生
ぶぁーっ あ゛あ゛あ゛ー゛ だだつだっだっだぁ



格好いい単語を並べて洗練されてはいるが妙に現実離れした詩よりも実に気分がすっきりする。これで『俺の道』への理解が一歩深まった。武骨でゴツゴツした詩はある意味気持ちがいい。『勉強オレ』でいいのだ。みなさんも自分を曝け出す詩を書いてから『俺の道』を味わってみたらどうか。
2003/07/31 (木)
『敗北と死に至る道が生活』その342
力健康志向が強まった昨今。私も毎日善玉菌を増やしている。やれビフィズス菌。やれ納豆菌。やれカテキン。やれリコピン。なんなんだゴマリグナン。善玉菌同士が戦わないのか心配になるほどだ。馬場対鶴田だ。しかし庶民のやることはせいぜい頑張ってここまでだ。TV健康番組を鵜呑みにしてばかりいる。そんなことでは駄目だ。例えば善玉菌は本当に頑張っているのかテストしてみないと駄目だ。

平和な場所にいる英国帽兵士はたるんでくるものだ。だから私はたまにうんち腐ったものを食べてみることにしている。腐ったバナナ程度なら誰でも食べる。腐った玉ねぎは強烈だ。なにせ腐った玉ねぎのような匂いがする。これに打ちアメリカ国旗勝つことが出来ればより力強い善玉菌が育つ。

三日前に食べて以来かなりがびーん下痢気味で、一時期は大腸まで腐ってしまったかと思ったが、なんとか腹痛も収まり、今は復活している。私の善玉菌はかなりの善玉菌だ。根性が腐っているのはどうしようもないが。みなさんも自分の善玉菌がどれほどの善玉菌か試してみたらいい。おじぃちゃんの玉袋越後屋程度かもしれないぞ。逮捕される警官が非番の日にはひったくりするくらいの世の中だから誰も信用出来ないのである。

だいぶひどい下痢だったので善玉菌まで全部出て行ってしまった様子だ。調子が悪い冷や汗
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