エレファントカシマシ DB
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エレファントカシマシDB   2004年05月分の日記(ブログ)



     2004/05/05 (水)
『敗北と死に至る道が生活』その603
高田馬場の『タピオカ屋』でココナッツミルクを飲んだら気持ち悪くなった。好きなものも度を超すといやになってくる。好きなものが多いと困るので私はこの作戦でどんどん嫌いになっていくようにしている。

DoCoMoの505isを買った。506が出るのでかなり安くなっている。新宿西口ヨドバシカメラで 3,800円 + 13%ポイント還元。東口の方は高い。同じ新宿ヨドバシカメラなのに。ドンキホーテで10,000円。遊びに来ていた福岡の彼女は地元では 22,890円なので東京で買って帰った。同じ日本でこうも違うものか。競合店ひしめく名古屋が一番安いらしい。

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2004/05/06 (木)
『敗北と死に至る道が生活』その604
会社の人が風邪で休んだのでパンとマーガリンを持っていってやろうかと思った。たまにマーマレードなんか出ちゃうと、家で食ったことがないもんだから皮が入っている!と大騒ぎだ。そんなことはどうでもいいが、私は最近『かたじけない』を多用している。どうか流行らせて欲しい。『めんぼくない』も捨てがたい。そんなこともどうでもいいか。

アメリカもイギリスもかなりレベルの低い戦争をやっているのだから、自衛隊を引き上げる機会だなと思うがどうだろうか。私が首相なら『アメリカのやっていることはテロを増殖させる可能性がある』と言って、浄水設備や技術を地元の人に伝授して自衛隊を引き上げさせる。世界的に見ても毅然とした態度で評価されるかもしれない。今のアメリカなら文句は言えまい。
2004/05/07 (金)
『敗北と死に至る道が生活』その605
映画『扉の向こう』を見てきた。TVテレビ放送もあった後なのであまり期待せずに行ったのだが、なかなかよかった。テレビでは放送されなかった部分に私は宮本の確信を見た。映画を見ていない人もいるだろうから詳しくは差し控えるが、アルバム『扉』のコンセプトはそういうことだったのか。と、思うところが2、3あった。

そういうことを頭に入れてから再び聴いてみるとかなり染みるものがある。どうせテレビと同じっぽいのだと思って行くのをためらっている人がいたら是非映画館で見たらいい。DVDにもなるらしいが、大画面で見られるチャンスは今後無いだろう。

他の世代にこびることなく、自分が生きている世代の中でしっかり生きることを改めて感じた。
2004/05/08 (土)
『敗北と死に至る道が生活』その606
サイは意外に大きい。動物園に行ったら私はサイをずーっと見ている。巨大な岩石があるかのようなたたずまいに圧倒される。動物園のサイはあまり動かずじっとしている。しかしいざ走れば時速50Km/hで走れるというから驚きを禁じ得ない。フルマラソンだって1時間を切る。人間よりよっぽど速い。要するに走る意識と持久力の問題だけだ。

そんなことはどうでもいいのだが、私は人間に生まれてほっとしている。もしクマにでも生まれていたらサケを生のままかじらなければならない。生臭くて仕方がない。とはいうもののサケにでも生まれていたらクマにかじられてしまう。人間は何かにかじられるという事態にあまり陥らなくてほっとしている。
2004/05/09 (日)
『敗北と死に至る道が生活』その607
私は日頃から人類は進歩しないと感じている。人類が発明した文明は進歩というか進化していて世の中は便利だ。しかし生身の人間自体はそれほど進歩していないのではないか。生まれたてで文明社会に放り出されたからわかったフリをして生きているが、縄文時代に放り出されてもそれを受け入れて生きてゆくのではないだろうか。そしていつの時代に放り出されるのかが神のみぞ知るのだったら、みんながみんな『今の時代に放り出されてよかった』と思うのかもしれない。例えそれが江戸時代であろうとも。自分の知っている時代以外がよかったなどとは考えもしないのだろう。

私は暴走族が嫌いだ。周りの迷惑を全く考えない行為には親の育て方だけのせいでなく、自分がどう感じるかについて全く考えていないからだ。自分が家庭をもって子供がいて家を買って安眠している姿を妄想したら、夜中に暴走行為など出来ないだろう。

私は暴走族あがりで、今は良きパパです。みたいなのがもっと嫌いだ。ようやく分かってしまったのである。あんたがもっと早く気がついていれば社会に迷惑をかけなくて済んだのだ。幼稚さのおかげで何人が迷惑したと思っているのであろうか。暴走族リーダー上がりの芸能人というのもいて腹が立つ。

イラクでおこしたアメリカの兵士たちの虐待行為も脳みそが幼稚だからだろう。人間は成長したら死んでしまう。成長した人間だけで暮らせないものだろうか。次から次から未熟な若者が沸いてくるからいけないのだ。『20代で老爺にあこがれる』くらいの勢いでないとダメだろう。私のこういう考えをたった2行で表現している文学者がいた。
人生は常に複雑である。複雑なる人生を簡単にする物は暴力より外にあるはずはない。この故に往来石器時代の脳髄しか持たぬ文明人は論争より殺人を愛するのである。(芥川龍之介)
この2行を簡単に理解出来ない人がいて、私の愚かな解説が役に立ったとすれば私の存在価値も石器程度にはあるのだろう。
2004/05/10 (月)
『敗北と死に至る道が生活』その608
たまたま入ったコンビニの店員が Mr.マリックだったら君はどうする。そして、お釣りをもらうときに、『千円札が1枚、2枚、3枚、4枚・・・残り300円です。お確かめ下さい』などとピカピカの爪と妙にうまい手つきで言われてごらんなさい。何度も何度も確認することだろう。『通し番号が違うじゃないか』程度の捨てゼリフは用意しておいた方がいいだろう。

そんなことはどうでもいいが、『愛し君へ(解夏)』『オレンジ・デイズ』『電池が切れるまで』も日本で現在製作されているほとんどのドラマは、病気又は身体障害者を起用していて卑怯だ。病人又は身体障害者が頑張っている姿は涙を誘うにはもってこいだが、脚本としては安易過ぎるのではないか。

『冬のソナタ』を見習いたまえ。健常者の人間関係だけでハラハラさせることが出来るのは凄い。もしかしたら『渡る世間・・・』もいいのかもしれない。ってドラマを殆ど見ない私にとってはどうでもいいことだが。

『博士の愛した数式』『4日間の奇蹟』も病人又は身体障害者の話だ。もしかしたら『世界の中心で、愛を叫ぶ』もそうかもしれない。安易だ。私は『世界の中心で愛を叫ぶ』を買う気がしないので、本屋で立ち読みを続けている。大衆受けするものが嫌いなのだ。

今日は3章まで読んできた。ちゃんと携帯のメモ帳に『世界中心・4章から』とメモしてある。なんて几帳面なのだろう。八百屋で林檎をかじったら叱られるが本屋で立ち読みしても歯茎から血は出ない。

最後の最後でインパクトのある結末がある小説を知っていたら是非教えていただきたい。私はそういう小説が読みたい。
2004/05/11 (火)
『敗北と死に至る道が生活』その609
突然交通事故で死んだりしても、親が悲しまないようにするにも自宅のアダルト関係のものは一切合財捨ててしまいたいものだ。彼女が泊まりにきた時用のパンティーが発見されたら、私にそういう趣味があったのかと勘違いされるだろう。両親はパソコンなどという機械をどう処理したらいいかさっぱり分からないだろう。葬儀に参列した私の会社の知り合いに頼むかもしれない。息子の残したパソコンだけどよかったら使ってくれと。はたまた姉の息子に渡るのかもしれない。

そうすると My Picture に保存したHな画像を誰かが見ることになるだろう。悲しみも喜びもないまぜにして複雑な心持ちだろう。パソコンだけではない。飯島愛の裏ビデオなんかもどうなるか分からない。全て処分しておいた方がいいだろう。そうだ。スカパーのプレビューだけで十分だ。あれだと手元には残らないから。菅野美穂写真集やら川島なおみ写真集やら釈由美子写真集などという微妙なものもある。

死後誰かが見たら気まずいな。まぁ死んだ後なんてどうだっていいっちゃぁいいか。。。
2004/05/12 (水)
『敗北と死に至る道が生活』その610
なれない携帯はうまく使いこなせない。説明書を見ると、ある機能を選択するにはメニューを押して5、2を選べと書いてある。せっかくアイコンがあるのにメニューのアイコンから選択する方法が明記されていない。確かにメニューを押して5、2を選ぶと出来るのだが、これだと『メニューを押して5、2』で覚えろとでもいうのか。アイコンの意味が明確でないのでどこにジャンル分けされているのか分からない。天下の NEC も未だにこんなマニュアル作っているのか。

子供の頃は、大人が作った仕組みが理解出来ないのは、自分がまだ子供だからだと思っていたが、バカな設計及び熟知した人間が書いた説明書は大人が見ても分からない。説明書を書く人間は何も知らない状態から書くべきだ。そうでないと分かりにくいものが出来上がってしまう。脳みそがリセット出来れば一番いいと思うのだが、そんなことが出来たら日本語から学び直さなければならないからダメだ。
2004/05/14 (金)
『敗北と死に至る道が生活』その611
子供の頃よく聞かれた。『大人になったら何になる』と。私は子供心にもよくわからず『美食家』と答えていた。しかし今もって、どうすれば『美食家』になれるのか分からない。単なる食いしん坊で終わってしまう。全国の『美食家』の人に問いたい。どうしたら私はお金持ちになれるのだろうか。キャビアは本当においしいのだろうか。伊勢エビよりブラック・タイガーの方がおいしいぞ。

最近は『大人になったら何になる』と聞かれなくなった。何故だろう。もう既に何かになっているのかもしれない。だから何になるかなどと聞いてこないのだ。きっとそうだ。誰か私に聞いてくれないか。『大人になったら何になる』と。『少なくともあんたみたいにはなりたくない』という素敵な回答が用意されているのだ。
2004/05/15 (土)
『敗北と死に至る道が生活』その612
エレファントカシマシⅡ(Officialの紹介ページ)を持っている方はジャケットを引っ張り出してきて。代々木公園である。スカパーのViewsic(現 Music On TV!)の『Roots』でやっていた。私の家からは歩いていけるので探してみようと思いつつ30年近くが過ぎてしまった。今日は天気も上々散歩にと代々木公園を訪うた。

正確な場所は知らなかったので、予想をつけた。
1.撮影は車移動で行われたと予想され、車の駐車場のある場所。よって原宿門ではないだろう。
2.『Roots』でメンバーとカメラマンは『棒屋』という看板を通り過ぎた。『棒屋』は案の定、参宮橋門で、こちらには大きな駐車場がある。

それだけを手がかりに行ったところ、すんなりみつかった。というか参宮橋門を入って真っ直ぐの場所から公園内部方向を撮影したものだった。『どこで撮ったって一緒。ここでいいじゃん』という会話が聞こえそうな程安易な場所だった。具体的にピンポイントで言うとここ


木の配置がジャケットと同じ。間違いない。ベンチがないへこむ


ちょっとズレた位置に新しいベンチが。。。


目印の看板。『棒屋』の上に『肉』といたずら書きされている。
2004/05/16 (日)
『敗北と死に至る道が生活』その613
今日は天気が悪かったので一日中寝ていた。あーバランスボールにだけは乗っていた。バランスボールは背中をエビぞりにするために買ったものだ。狭いワンルームに持ち込むと意外に大きい。そしてでかい。しかしながら普段猫背な私はエビ反りが心地いいことも確かだ。背骨のひとつひとつの間接がのびる気がして気持ちがいい。

バランスボール本来の使い方はあれに座ってバランスを保つことだとタモリが言っていたので、テレビを見ながら座ってみた。転がりそうになったら手でボール自体の回転を止めるようにふんばればなんとか転がらない。

それにしても邪魔で仕方がないのだがしぼませて収納などしてしまった日には二度と膨らまさないだろうことは明らかである。あなたの部屋の片隅やベッドの下にあるだろう。たためて邪魔にならない運動器具が。たためる運動器具はたたんだら最後一生使わなくなる。
2004/05/17 (月)
『敗北と死に至る道が生活』その614
花火の打ち上げ師が、花火大会が終わった後に行う飲み会のことを『打ち止め』というそうだ。飲み会のことを、我々一般人がよく使う『打ち上げ』などと命名したら、何がなんだか分からなくなるからだそうだ。

以上のうんちくは家族や知人に言わないほうが身のためだ。何故ならば私の思いつきだからだ。私の思いつきは九分九厘当たる。天才だからだ。天才は自分のことを天才などと言わないそうだ。精神異常者が『私は狂っている』と言わないのと同様。『私は狂っている』という状態が分かっているということはかなり正常だと言える。

精神状態がおかしいと罪が軽くなる。しかし、罪を犯す人はどこかしら精神状態がおかしいのではないだろうか。だとしたら・・・全員無罪です。

いよいよ今週からツアーだ。『扉』以外にどういう曲をやるか非常に気になるところだ。もう『今宵の月のように』や『悲しみの果て』は聞けないのだろうか。
2004/05/18 (火)
『敗北と死に至る道が生活』その615
今日パソコンを衝動買いした。衝動とは言うものの2年くらい前から買い換えたかったのだが、パソコンというものはきっかけが難しい。まだ使えるのだ。まだ使えているけど、買い換えるとしては値段が高いのだ。そうこうしているうちに2年が過ぎてしまった。今でも別に買い換えなくても使えているなぁという思いが強いが、そんなことをしていたら一生買い換えなくてもすむかと言われればそうもいかず、いつかきっと買い換えるのだから買ってしまえばいいのだが・・・。いっそのこと壊れてくれたら踏ん切りがつくのだ。
2004/05/19 (水)
『敗北と死に至る道が生活』その616
明日は川崎だ。クラブチッタは『マノ・ネグラ』以来だ。私の人生の中で海外アーティストのライブとしては、過去もそして恐らく未来も『マノ・ネグラ』を超えるバンドは出てこないと思われる。冬だったので会場から出てきたらみんな頭から湯気が出ていた。大げさでも何でもなく。

ミクスチャー・ロック(日本で言うとレピッシュ、16トンズか)に明け暮れていた若かりし日々の思い出だ。もうとっくに解散してるし、あまり売れていなかったのでCD入手も困難だろう。こう書いていて何故か『ポーグス』を聞きたくなってきたが売り払ってしまったんだった。

今は音楽CDを買うこともなくなった。エレカシだけで生きていけると確信したからである。CDの売上が落ちているのはコピーされるからでなく、私がCDを買わなくなったからだと思う。私の行動もずいぶん影響力があるのだな。
2004/05/21 (金)
『敗北と死に至る道が生活』その617
なんだか忙しい。公私ともにドタバタしている。来週までにWindows2000も再インストールしなければならない。そうかと思えば大阪に行かなければならない。たこ焼きのタコが世界的に足りないらしい。新しく買ったパソコンにアンテナ線をつなげないと。最近のパソコンはテレビが見られる。電波を分配しすぎている。テレビ、ビデオ、DVDレコーダー、パソコン本体、パソコンのディスプレイ。5つの機械が受信している。あー忙しい。ぴょんぴょんぴょん。

一万回目の旅のはじまりのドラムは相当疲れるんじゃないかと思う。ドラムを2時間叩き続けるって凄いことだ。

明日は大阪のホテルなので交信がありません。更新か。
2004/05/23 (日)
『敗北と死に至る道が生活』その618
大阪は熱い。というか東京がクールすぎるのだろう。大阪は普通だ。今回のツアーは演奏前の BGM がないので特に静かに感じた。

かくいう私も東京目線でみているのだが。宮次も他のアーティストのライブを見に行くときは東京目線で見ているらしい。隣の石クンが踊りだしたときにはびっくりしたとか。

箱物ライブのときはたいてい一番後ろで腕組みをして見ている。何故こういうスタイルになってしまったかと言うと、背が高いからだ。大阪で周りを見渡しても私が一番背が高いくらいな勢いだった。背が高い人は前に行けないのだ。まぁ行ってもいいのだろうが、後ろの人に迷惑だろうし、私は一番後ろからでもよく見える。(眼鏡をすれば)

一度だけ最前列の一番端っこで見たことがある。そのときはやっぱりかなりステージに集中出来て、異次元の体験だった。いけるものなら行きたいくらいだ。後ろから見るメリットは客とステージを一体として見られるということくらいだろう。他の客が熱くなればなるほど醒めていく。こんなことではファン失格だ。

野音なんか席が決まってしまうから申し訳ない。FC予約で、なるべく後ろの席がきたらラッキーなのだ。普通の人が思うのと逆だったりする。
2004/05/24 (月)
『敗北と死に至る道が生活』その619
大阪もキタやミナミは伊丹空港から遠い。札幌も広島も鹿児島もたいてい遠い。空港と繁華街は近くに作れないという理由以外に、そこを結ぶ交通で小銭を地元に落とさせている気がして仕方が無い。バス代や電車、モノレール代も全員が利用すればかなりの額が地元業者に落ちる。『ドリンク代別途要』もその仲間だろうか。私なんかいつもミネラルウォーターだ。水が500円。せめてビールにでもすればいいのだろうが、ビール飲んで2時間もたないのだ。小便が。おじぃちゃんか。
2004/05/25 (火)
『敗北と死に至る道が生活』その620
最近は爽健美茶ばかり飲んでいる。
最近は幡ヶ谷のカレー屋「スパイス」に週1回は行っている。
最近は本屋で立ち読みばかりしている。
カリフラワーの方が好きなのにブロッコリーばかり。
それが生きている証。
少し切ない。
かと問われればそうでもない。

「限定プレゼント」の「曲名辞書」と「かしまし窓」やっと更新しました。扉までが反映されています。
2004/05/26 (水)
『敗北と死に至る道が生活』その621
「限定プレゼント」の「かしまし窓」がおかしかったようです。なおしました。(2004/05/26 13:00)

陽水の九州限定シングルが全国発売になるそうで、週末エレカシのライブついでに買おうと思っていた人はがっかりだろうか。「歌に誘われて」という曲で西鉄バスのCMに使われている。陽水にしては非常に分かりやすいいい曲だと思う。

松山・広島のセットリスト求む。たのむ。
2004/05/27 (木)
『敗北と死に至る道が生活』その622
雅子様の人格を否定する動きがあったとかなかったとか聞いたり聞かなかったりしているが、皇室に入った段階で人格などなくなることは分かっていた筈だ。選挙権も無きゃ納税の義務もなくなる。そういうことが分かっていなかったとしたら甘かったとしか言いようが無い。自分で決断してしまったことなのだから仕方ないが、一人の人間、一人の女性として見たらやはり可愛そうだとは思う。普通の人に戻りたいのだろう。離婚させてやってもいいのではないか。そして英国王室のようにボロボロになってしまえばいいのだ。なんて言うと右翼系の怖い人から苦情のメールが殺到するからやめとこう。

思いつきで発言出来るのは庶民の特権だ。小泉さんなんかいちいち言葉を選んで脳みそのフィルターを通しているから、記者会見が思いっきりスローモーションである。疲れるだろうな。北朝鮮にわざわざ行って、あげくが『ガキの使い』とか言われてしまった。私は訪朝を評価する。北朝鮮は『ガキの使い』を演出することでしか成立しない外交をしているのだから。ただし今後の展開がまた2、3年なかったとしたらそれこそ『ガキの使い』だったと言える。

私は横田めぐみさんが飛行機のタラップから降りてくる姿を何度も想像してやまない。
2004/05/28 (金)
『敗北と死に至る道が生活』その623
私は『自分が芸能人だったら』という妄想を卒業し、『自分が芸能プロダクションの社長だったら』という妄想モードに入っている。採用したタレントが生放送に出られるようになるまでは訓練が必要だ。収録番組に出させて様子を見る。表情が顔に出るタイプだったら、ここで徹底的に訓練する必要がある。常に笑顔だ。放送禁止用語対策も必要だ。咄嗟に出てしまうものなのだ。特にスポンサーがらみの発言には気をつけないと。バンドエイドやセロテープや宅急便は商品名だ。

『批評』についても訓練が必要だ。グルメ番組では『おいしい』が前提である。映画の紹介では『面白い』が前提である。そう考えればメディアに乗っかった評価はすべからく正しくないと言える。そんなときはインターネットの一般素人の書き込みの方が参考になるとも言えるが、最近は企業側も考えたもので、価格.com や 2ちゃん に一般素人のフリをして企業が良い評価を自作自演することもある。

オークションも2つのIDを駆使し、自分が出品した商品を自分で入札し、終了間際に自分をキャンセルして落札価格を上げてしまう方法もある。匿名性であるが故にわけがわからなくなっているのだ。

私が書きたかったのはそんなことではない。王様のブランチの瞬間視聴率ランキングはおかしいのではないだろうかということだ。面白いという瞬間に視聴率が上がる筈がない。どのタイミングが面白いかなんて見ている人は分からない。実際は『他局がCMに入った瞬間』ではないだろうか。みんなザッピングしまくりだ。そうだとしたら、瞬間視聴率ランキングは『ここだったことにしよう』という作為のある方法でしか成り立たないのだ。

こういう目線でテレビを見ているから面白くもなんともない。テレビにかじりついて「ルパン三世」を見ていたころは歯茎から血が出たもんだ。デュデュデュデュッデュデュー。
2004/05/29 (土)
『敗北と死に至る道が生活』その624
個人情報流出対策として名前を登録しなければならない場合は偽名を使うことにしている。先日富士通のパソコンを買ったのだが、ユーザー登録に『敢えて漢字を1文字間違えた名前+富士通』で登録しておいた。妙なところから郵便物がくる場合、名簿ファイルをパソコンで印刷させるだろうから、人間が見たら不自然な名前もコンピュータには分からないので、証拠になるだろう。

先日登録内容を確認したら『+富士通』の部分がカットされていた。担当者が勝手に書き換えたのだ。個人情報を勝手に書き換える会社ってどうよ?まぁそれでも1文字間違えているから分かるのだがねぇ。『富士夫』にでも変更しておくか。

私も富士通系の仕事ばかりしているのだが、まぁレベルは○○○○○○・(自粛)・・・。が故に私には合っている会社だ。
2004/05/30 (日)
『敗北と死に至る道が生活』その625
赤いペンキは落ちやすいのだろうか。朽ち果てた看板は得てして赤いペンキのところだけ落ちて黒いペンキの部分だけ残っている。更にまずいことには赤く書いた部分の方には大抵、重要な文字が書かれている。私が見た交通標語らしき看板もこんな感じになっていた。

『飛び出す○○飛べない○○』

一体何だと言うのだ。想像力のみが膨らみつづける。空白の大きさから察するにそこには2文字書かれていたと予想される。道路に飛び出すのはタヌキかもしれないし、ウサギかもしれないが2文字だとするとどうだ。タヌキは狸だし、ウサギは兎だ。2文字の動物って何だ。私は十二支が言えない。いつも『ねー、ムーミン』と言って誤魔化し続けてきたからだ。牛、虎、辰、巳、馬、羊、猿、犬、猫、熊、蛙・・・いつまで考えても動物は1文字だ。

縞馬。21世紀今日現在このニッポンでシマウマが飛び出してくるだろうか。
荒馬。ちょっと無理矢理だ。形容詞が混ざっている気がする。
牡馬。ぼばと読む。オス馬のことだ。
牝馬。ひんばと読む。馬ばっかりだ。

そして『飛べない』方は何なんだ。こんなことではかえって交通事故になってしまうではないか。
2004/05/31 (月)
『敗北と死に至る道が生活』その626
私は『いいとも』を毎日見ているのだが、次のお友達を紹介するとき客が『えーっ』と言うタイミングを逃した空気が好きだ。タモリは気がついているのに全然普通にしている。

なかなか見られるものではない。今年に入ってからは中山秀行と岸本加世子がそうだった。100分の1が終わってすぐに『じゃお友達を紹介して下さい』という場合は、100%『えーっ』がある。ところが100分の1が終わってCMに行ってしまう場合は、CM明けにいきなりタモリが『じゃお友達を紹介して下さい』という。ここでスタジオの客としては、CM明けのBGMと共に自ら拍手をしなければならないから、タモリの言った言葉がよく聞き取れないのだ。私も2回ほど観覧したが、CM明けの『えーっ』が言えなかった。現場に行くと意外にステージの声が聞こえない。マイクで拾ってテレビにのっかる声と比較すると全然小さいのであった。

私が呼ばれたとして『えーっ』がなかったら平静を装おうとするが、顔がひきつってしまうだろう。芸能人ってのはたいしたものだ。そんな場合は素直に『えーって言わんかい』と言って場をなごますしかないだろう。客に悪気があるのではないのだから。まぁそんな妄想は今後一生役に立たないのだが。
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