『敗北と死に至る道が生活』その229
会社で腹が減ったので自宅に遠隔操作で乗り込んでバナナを喰おうと試みたがだめだった。そもそもパソコン経由では冷蔵庫が開けられないのだし、仮に開けられたとしてもバナナは添付メールで送れないのだ。仮に送れたとしても MIMEエンコードされたバナナなど喰いたくもない。インターネットもまだまだだな。結局私達は『流通』ということに日々頭を痛めている。例えば古本を買いに行っても目的の本がなかなか見つからない。こんなときはネット上の古本屋で検索すればいいのだが、送料がかかってしまう。『送料が本体を超えてしまうなぁ』などと悩んでみる。結局神田に行くのだって電車代はかかるのであるが。
はじめに断っておくと私はイチゴが大嫌いだ。見た目の派手さと甘そうな誘惑にかられて一口かじってみれば酸味がある。女性に比べて男性は果実の酸味というものに耐えられない。目を閉じて頭を小刻みに振動させてしまうくらい苦手なのだ。ところが現地で直に喰うイチゴは酸味など全く無い。甘いにも程がある。私は30個のイチゴをむさぼり食った。
中でもヘタの下の部分が割れかかっている見た目の悪い奴が一番うまい。『ヘタの下の部分が割れかかっているイチゴ』は流通過程で腐ってしまう。うまいイチゴも流通過程で酸っぱくなってしまう。自宅でおいしいイチゴを食べることは不可能なのだ。結局私達は『流通』ということに日々頭を痛めている。
バナナやイチゴがインターネットで送れる時代。絵空事だと思うが人類は常に不可能だと思われたことを可能にしてきた。フィリピンからバナナを瞬時に取り寄せる。又は自分を添付してフィリピンに送付する。ファイヤーウォールに拒まれて右往左往。ウィルスチェックに引っかかり削除。人生はいつだって危険と隣り合わせだ。