『敗北と死に至る道が生活』その657
7月になった。東京は随分暑い。6月から7月にかけて連日30度平均ならば、7月から8月にかけて子供たちは夏休みである。1.5ヶ月もの間休みだなんてうらやましい限りだが、いかんせん子供なのでお金が無い。だからロクに旅行も出来ない。ざまぁみろだ。部屋にこもってバーチャルゲームで殺戮を繰り返す。せいぜい頑張って市民プールだ。そして子供用プールの水が生ぬるいのは浅いから温まってしまうだけでなく、生ぬるい何かを誰かが何処からか放出しているからだ。ま違いない。
そんなことはどうでもいいのだが、今日から新聞をやめた。あればあったでロクに見ないのだが、ないと淋しいようなそんな感じだ。インターネットがあれば要らないと言えば要らないのだが、パソコンでは尻も拭けない。縦書きの『富士重工』が左右対称だと気が付いたのは新聞に書かれた『富士重工』が尻についても『富士重工』と読めたからだという話がある。今作った。すまん。
名作なのか『山椒大夫』
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『敗北と死に至る道が生活』その658
この国はフリーターでなりたっているのか。フリーターは会社の儲けなど一切気にしない。会社の印象など一切気にしない。むしろ暇でも時給が変わらないのだったら暇な方がいいとさえ思っている。こうしてサービスの質は低下してゆく。昨日はオフィシャルページ更新通知が何度もきてうざかったです。オフィシャルページ更新スタッフが何度も修正したのが原因です。普通は自社マシンでテストしてから本番サーバーに反映させるのですが、いきなり本番環境で更新して確認してだめだったら直接本番環境を更新しているようです。私でさえ自宅のマシンで確認してからやっているのに(汗)。こうしてサービスの質は低下してゆく。
で、当ページからの更新通知は1日1回のみ送るよう修正しました。つまり更新日時が前回と同日内だったら2通目は送らないように対応しました。ふぅ。私のサービスの質は上昇してゆく。
上から見ないとなかなか気が付かないが、日比谷野外音楽堂は丸くて隣の日比谷図書館は三角形です。是非上から見てみて下さい。
個人的野音リクエスト
・かけだす男
・ドビッシャー男
・季節はずれの男
・クレッシェンド・デミネンド -陽気なる逃亡者たる君へ-
・東京ジェラシィ
トミがひとりだけ出てきていきなりドラムを叩き始め、次に成ちゃんが出てきてベースを鳴らしはじめ、更にゆっくり石クンがギターを鳴らし、ここではじめて客は『あっ、ドビッシャー男だ』と気が付き、更に1分後にかったるそうにミヤジが出てくるという妄想がもう頭の中では出来ています。大麻なんかなくたってトリップしてやる。
『敗北と死に至る道が生活』その659
結婚式で流すのにおすすめの曲は何ですか?という質問をいただいた。結婚式でエレカシを使うというのもどうかと思うが、やはり『偶成』
『奴隷天国』
『ガストロンジャー』
『化ケモノ青年』
あたりでしょうか。
『敗北と死に至る道が生活』その660
野音座席調査ご協力ありがとうございました。終わったので座席番号まで表示させていただきました。なおしばらくは事後登録も可能です。最大の謎は会員番号5千番台から6千番台の人が皆無というところでしょうか。発番されていないのか、ごっそり抜けたのか。『今宵の月のように』あたりでブレイクしてそのままブロークンまで行ってしまった人たちなのか。よくわかりません。『敗北と死に至る道が生活』その661
野音で売ってるやきそば。大盛りが売りのようだが、元々容器が小さい。フタが閉まらないほど盛ってくれるが、いかんせん容器が小さい。近所のスーパーでコロッケ1個入れてくれるやつと変わらない。器の大きさが違う。野音で虫にさされた。かゆい。虫にさされるなんてこたぁないから虫さされの薬などないのだ。わざわざそのためだけに買うのもばかばかしい。こういうときは小便をかけるといいと聞いたことがある。私は検便よろしく紙コップに小便を採って腕にかけてみた。直接かけてもよかったのだが、ヨガのポーズになってしまい、わき腹がつってしまう。つりながら小便が漏れている状態は、うまくヒット出来なかったゴキブリのようだ。体液が漏れながらもがいている。そんな状態は誰だっていやだ。
『敗北と死に至る道が生活』その662
私は耳が遠いので何か問われても何を問われているのか分からない。何度も『え』と言うのも馬鹿らしいし、どうせ庶民の問いかけなどロクなもんじゃないだろうから、適当に返事をする。『あー』とでも言っておけば大抵の話は終わる。この時はっきりとした『あー』でなく英語の発音記号でいう『ae』程度の曖昧さも必須だ。10回に1回くらい『えーそうなの?』と再び問い掛けられたその時。その時こそ『何が?』というチャンスだ。しかし、そうまでして聞きなおしたところで庶民の問いかけなどロクなもんじゃない。何々が好き。誰々が嫌い。あれ見た?。そんな程度の会話しかない。それを否定すると世の中の99%の会話が成立しなくなる。だから私は寡黙だ。特に満員電車に独りで乗ったときなんか一言も発しない。
『敗北と死に至る道が生活』その663
しかし毎日暑い。東京は(炎)35度。梅雨などどこかへ行ってしまった。まだ梅雨入りしていないか、又は明けてしまったかのどちらかだろう。主婦なんか昼間っから寝正月だ。水分補給はかかせない。私は30秒おきに、『今ここで脳に血栓が行ったらやばいな』と考えている。脳が危ないことを脳で考えている。まぁ実際はそうなっていないからこうして妙な日記を書いている訳だが、脳が脳を守れなくてどうするのだ。脳は頭でっかちだから考えてばかりだ。命令は出すくせに自分では何も出来ない。理数系でメガネをかけた、もやしが大好きな子、又はインタビュー中だってのにソファーに横たわってしまうマライア・キャリーのようだ。おまえは雌(め)ヒョウか。関係ないが新聞はインテリが作ってヤクザが売ると聞く。
脳は筋肉を持とうとは考えないのだろうか。と考えた瞬間に脳は筋肉を持とうと考えたことになる。しかし私が考えただけで別に脳はそうは思っていない。だとすると脳と私の関係は一体何なのだ。血栓がむかってきたら脳が血栓を粉々にして自分を守ろうとしない。何のためのシナプスなのだ。自分が死ぬかもしれない危機に直面しても知らぬ顔だ。インタビュー中だってのにソファーに横たわってしまうマライア・キャリーのようだ。母体が破壊すれば自分自身も死んでしまうことを知らないガン細胞もかなり間抜けだが、脳もまた間抜けだ。脳は単にアミノ酸とたんぱく質の塊だからだ。耳から塩酸でも注入すれば覚醒することだろう。マライア・キャリーも。7オクターブ出せるからって寝てんじゃない。
『敗北と死に至る道が生活』その664
2ちゃんに書かれる90%のことは真実だろう。逆にマスコミなんか真実っぽくしているが、様々なしがらみがあって本音のことなど言えないのだ。(PC)インターネットは便利である。筈だ。以前なら(電)電話で問い合わせたり、どこに存在するのか分からない状態で(本)雑誌や書籍を立ち読みしてみたりした。今は検索すれば、大概のことはインターネットに書いてある。
と思ったら大間違いだ。私が思いついた質問は『(携)ドコモの締め日はいつか』だった。ドコモのページをいくら探しても『よくある質問』というページを見ても書かれていない。『よくある質問』は回答側が勝手にそう思い込んで作った自作自演なのだろう。
電話して聞いてみた。契約日によって違ったり、締め日を集中させると処理が大変なので顧客ごとに期間を変えていたりする企業もあるからだ。オペレーターに聞くとカレンダーの月末で締めていると言う。客によって変えてはいないという。だったらそのことをホームページに書いておけばお互いの無駄な時間が減るというものだ。
私は一言言ってやった。『今ドコモのホームページ見てるんですが、そのことはどこに書いてありますか?』と。『少々お待ちください』と待たされて『書いてないですね』と言われた。『お互い時間の無駄ですから載せたらいいですよ』と言っておいたがその後確認していない。わざわざ私が確認することもなかろう。まぁ書かれていないのが関の山だ。
私が次に思いついた質問は『沖縄の美ら海水族館のジンベイザメの餌付けの時間は何時だろう?』だ。美ら海水族館のページがあったので行ってみた。FLASHが使われた見た目は美しいページだが、知りたい情報がひとつも分からない。こういうのが一番頭にくる。力の入れどころが違う。私が知るだめなページワースト10に入る。
見た目が汚く、役場の職員が趣味的に作らされているページだったら諦(あきら)めもつくが、FLASH使って写真を出して凝ったことをして、肝心の文字情報がおろそかになっている。美ら海水族館のジンベイザメの餌付けの時間を知っている人がいたら教えてほしい。行ってくるのだよ沖縄に。星の砂。おぅ。
『敗北と死に至る道が生活』その665
あなたの旦那は家のトイレで立ってしているだろうか。まぁ見たことはないだろう。変態プレイヤーでもなくば。私は自宅で小便をするときは座っている。高度が低いほうが跳ね返りが少ないからだ。だいたい男のホースはパンツの中で押さえつけられているせいで、尿道があらぬ方向を向いていることがある。そんな状態で小便を放出するものだから、あさっての方向に小便が飛ぶ。もっと芸術的には四方八方に拡散することがある。ちょうど洗車をするときにホースの先を押さえると水が広がるように。しばらく放出すると尿道が広がって制御がきくようになるものだ。
ところがトイレを掃除するのはだいたい主婦だ。主婦はたいてい座ってするから汚さない。だとするとトイレ掃除は旦那がするべきだ。と、私は思うのだが、どうだろうか。男を選ぶのなら『一人暮らしを経験した男』かどうかが、かなり重要なことだ。『一人暮らしを経験した男』っても新曲じゃないから安心したまえ。
『そうだ、そうだ』と声援をくれた主婦のみなさんはこの日記を旦那に見せたらいいさ。あぁ見せたらいい。これだからエレカシファンは困ると言われても管理人は管理出来ませんYO。
『敗北と死に至る道が生活』その666
作詞をしてみた。『狼煙(のろし)』
電波のことで3本だの1本だの
そんなことはどうだっていいじゃないか。
狼煙を上げろ
狼煙を上げろ
通信手段は
狼煙を上げろ
自分が興味があることに人も興味があると思うな
そんなことはどうだっていいじゃないか。
狼煙を上げろ
狼煙を上げろ
通信手段は
狼煙を上げろ
電気がなくなったら君はどうする
石油がなくなったら君はどうする
どうすんだよ
狼煙を上げろ
狼煙を上げろ
通信手段は 狼煙を上げろ
放火かなんかで捕まってしまえ
『敗北と死に至る道が生活』その667
実家にはひと月に一度は帰るようにしている。帰ったところで何を話す訳でもない。話すようなことがないほどに平和だ。千葉県船橋市という中途半端な位置にある。体育会系の市立船橋高校でご存知だろうか。昔は船橋ヘルスセンターというレジャー施設が有名だったが今はない。そうだ中央競馬の中山競馬場がある。中山競馬場という名前は有名だが船橋市にあることはギャンブラーにとってはどうでもいいことなのかもしれない。今は入場料を取るのだが、私が子供の頃は柵のところまで普通に入っていけた。レース中に万が一誰かが入るなどというハプニングは想定されていなかった。平和だった。多分3、4歳だったと思う。馬番など分からない私は父に「次何がくる」と聞かれ「赤がくる」と答え、適当な割には当たっていたと聞かされている。赤とは枠順で決められて騎手が被る帽子の色のことだ。
冬は霜柱が降り、夏でも30度を越すことはめったに無かった。家には足踏み式のミシンがあり、黒電話が始めて設置されたときを覚えている。テレビには実際の画面サイズより大きく見えるという妙なプラスティックの板がはめられていた。それで父親はプロレスと相撲を見ていた。私は寺内貫太郎一家を見ていた。ちゃぶ台ひっくり返してばかりでストーリーが思い出せない。
昭和という時代は過ごしやすかったな。クーラーなんかなかった。クーラーの室外機が増えたせいで暑くなりみんなクーラーを入れ始めたのだ。
どうでもいい話だが私の名前は昭和の昭から1文字もらった。『昭和に生まれたから』という理由だった。そんなこと言ったらみんな昭和じゃないかと思ったものだ。平成がくるなんて思いもしなかった。
『敗北と死に至る道が生活』その668
ロールプレイングゲームだとセーブしといてやり直せる。しかしどの道を行くにしても誰かが決めたシナリオを選ぶに過ぎない。最近気になるのが『分岐点』だ。
人は瞬間〃にいろんな判断を行う。AかBかを選ぶ。今が『Aを選んだ結果の人生』ならば当然『Bを選んだ結果の人生』も存在した筈であって、結果的にどちらを選んだらよかったのかなど分かりようも無い。Aの今が良いとしてもBの方がもっと良いのかもしれないし、Aの今が悪かったとしてもBの方がもっと悪かったのかもしれない。だから人によっては二股かける。本能という意味では正しいのかもしれない。いい方を選ぶのが種族の繁栄だ。再生だぁ。うぉうぉー。
広島に行った時の話だ。カキフライを探していた。私たちはカキフライを探していた。広島といえばカキフライだからだ。『カキのフライ』だ。『ガキのつかい』ではない。海沿いの道を山口方面に向かいつつカキフライがありそうな店に寄ってはメニューを見つける。私は運転手なので彼女にメニューを見てきてもらうが、『メニューにはあるけど・・・』と不安そうな顔つきで帰ってくる。たしかに薄暗いそのレストランはこの世の末的な雰囲気がぷんぷんだ。2軒目もそんな感じだった。店のオヤジが客席で新聞広げている的な店だ。さびれた駅前にあるような。黒崎みたいな。例えが多すぎる。
彼女は不安になり、3軒目はいよいよ私に見てきてくれと言う。私が行ったその店は隣に『生カキ直販所』があり、明らかにヒットの予感がしたのでそこに決めた。中に入るとヒロミとこぶへいのテレビ番組で取材された店らしい。出てきたカキフライは当然かなりおいしく、探した甲斐があったというものだった。本物のカキフライには貝柱がある。
3軒目を選んで良かったと思っているが本当にそうだったのだろうか。1軒目も2軒目もおいしかったのではないだろうか。私たちはいつかそれを確認しようと企んでいる。しかしせっかく広島まで行くのだったらやっぱりあの3軒目で食べてしまうかもしれない。
確認に行って1軒目で食べてみて不味かったらそれで一体どう思ったらいいのだろうか。やっぱり正しかったと言えるのだろうか。頻繁に行く訳でもない広島で。マズいものを食べて笑っている人がいたら、それはきっと『分岐点』の確認をしているのだ。間違いない。
『敗北と死に至る道が生活』その669
エレカシ世代のみなさんは『ガッツ石松』と言えば、ビートたけしのオール・ナイト・ニッポンだろう。やはり。村田英雄とガッツとジャイアント馬場は数々の伝説を捏造された。そんなことはどうでもいいが、私は老人化しているので、厚揚げが好きだ。子供の頃は『こんなものでご飯のおかずになるか!!』と思っていた。子供は得てして考え方が子供なので、たいがい馬鹿である。ちびっこは真似しないように。
例えばクック・ドゥー・ドゥルドゥーなどの『マーボ茄子の素』には、どういう訳だか豆腐でなく茄子を入れろと書いてある。ここに茄子でなく豆腐でもなく厚揚げを入れてみる。『マーボ厚揚げ』の完成。腹にたまっていいのではないだろうか。そこそこうまいし。(この時点ではまだ試していないというのが正解だが、読者諸氏にはそんなことは分かるまい。)カレーに厚揚げを入れてみたら肉のブロックだと思った。(この時点ではまだ試していないというのが正解だが、読者諸氏にはそんなことは分かるまい。)
暇さえあれば里芋と厚揚げと砂糖とみりんと醤油を思い浮かべ、うまく煮たらうまいんだろうなぁと想像している。私は日本人に生まれたから日本人で良かったなぁと思うが、アメリカに生まれたらきっと『日本人で良かったなぁ』とは思わないだろう。それは日本語を知らないからだ。
『敗北と死に至る道が生活』その670
今日知ったのだが、大森信和氏が死去した。んー。若すぎる。新宿BIG GIG に参加した身としては感慨深いものがある。10代の頃は甲斐バンドばっかり聴いていた。ご冥福をお祈りします。私はケチなのでたまに生活節約系のページを見る。ページによって否定が否定されていたり肯定が否定されているので、何が正解か分からない。例えば蛍光灯を20分だけ切るのならつけっ放しの方が良い。を、やっぱり消したほうがいい。だの、エンジンをかけるときに負荷がかかるからアイドリングストップは実はよくない。を、やっぱりエンジンは停止した方が良い。だの。私句読点の打ち方微妙に間、違ってます。月々100円程度とか年間数千円程度の節約ならば、そういう気づかいをしないで生きている方がよっぽど精神的にいい。大家族では節約になる技も一人暮らしではかえって高くつく。
まぁ一番ひどいのが『誰でも入れる放送大学に入学して学割を利用しよう』というものだろう。これだから庶民は困る。えーっと放送大学にはどうすれば入学・・・。入学費のほうが高いじゃないか。
『敗北と死に至る道が生活』その671
私があなたに言えることは夕飯は食い過ぎるなということくらいだ。食い過ぎるのだった朝にしたまえ。朝なら多少食い過ぎても大丈夫だ。今日はそれだけ。人はいつか死んでしまうのだから今を一生懸命生きることだ。明日交通事故で死んでしまうかもしれない。『敗北と死に至る道が生活』その672
複数の方からの指摘で福岡のセットリストの曲順を訂正しますた。(こんなときだけ2ちゃん風)『俺の道』発売から1年しかたってないことにびっくり。私は埼玉県に用は無いし、出来るだけ通りたくないのだが、その先の群馬には父母の実家があるし、長野、新潟にはスキーに行く。そのため埼玉を通らざるをえない。関係ないが草加せんべいは群馬で焼かれている。
私は日本にある世界遺産は全て制覇してあるので、紀伊山地が登録されて困っている。行かなければならない。那智の滝はずーっと行きたかったのだが、なにせ和歌山。和歌山はなんだか行きにくい場所にある。関西の中での『和歌山』と関東の中での『千葉』は割に似た位置関係かつ存在意義だ。「用が無ければ行かない」という位置である。その先には海があるだけなのだから通過することもない。恐らく九州の中での『鹿児島』もそんな感じなのかもしれない。
私の出身地、千葉はすっきりしている。「千葉に用があるから千葉に行く」と、かなり明確である。そして近年には新東京国際空港(千葉県成田市)や東京ディズニーランド(千葉県浦安市)、東京湾横断道路(千葉県木更津市)、東京タワー(東京都港区。登ると千葉も見えます)などで用事があるから行く県に昇格したのだ。
一方、神奈川は「横浜」「鎌倉」「箱根」等をブランドとし、「東京」という肩書きはむしろ不要なのだが、千葉は「東京」などの冠は潔く被ってしまう開き直りが私は好きなのである。茨城も、「どうせ田舎だよ」という都会に媚びない姿勢も好感が持てる。しかし埼玉は中途半端だ。市の名前がひらがなで「さいたま」だ。なめている。埼玉に手紙を出すときは切手をなめて貼っている。
長々と関東について語ったが、私が言いたいのはそのことではない。千葉は明確に境界線を持つと言うことだ。地理に詳しくない人もそうでない人も千葉を思い浮かべて見れば、東京とは江戸川で明確に区切られているし、茨城とは利根川で区切られている。ハワイとは太平洋で区切られているし、オゾン層は少し破壊されている。ジグソーパズルの原理で言えば1個のピースなのだ。極端に言えば「かなりの勢いで島である」とさえ言えるのではないだろうか。極端に言えば。
千葉は関東から取り外しが可能なことが分かった時点で銚子の犬吠埼あたりにエンジンをつけて、夏は梅雨の無い北海道あたりまで移動し、冬は沖縄あたりに合体すればすこぶる快適な島の県になるのではないかと自負している次第である。
そうすると成田に到着する飛行機もいつのまにか沖縄に着陸できるのだし、台風が来たら逃げればいいのだし、千葉が移動している間には東京湾が太平洋に向かって開けて水もかなり綺麗になるし、浮いているから地震も無い。まぁ動かせる自信も無いのだが。動けば巨大な母艦のようで便利である。おそらく不沈艦なのだが大和や武蔵もそう言われていて沈んだのだ。
お父さんちょっと沖縄に行ってきますんで日記などの更新が停止します。
『敗北と死に至る道が生活』その673
オフィシャルが更新されましたが、リンクが正常でないのとフレーム内にリンクされているためそのうち修正が入るでしょう。あのフレームのセンスは素人丸出し。いい加減かつ情報が遅いのならオフィシャルなんかやめちまえ。最近は怒ると自分の気分が悪くなるためなるべく怒らないようにしている。
そんなことより沖縄は気温で言うと東京より低いのだが暑かった。東京と沖縄は暑さの質が違う。沖縄はきっと正しい暑さなのだろう。沖縄料理は不思議だ。沖縄で食べるとおいしい。しかし確実にB級グルメだ。私はB級グルメが大好きだ。
軽で予約した車が手違いで普通車になってしまったり、ホテルの手違いで満室だったためスィートに変更されてしまったりさんざんな旅だった(V)
『敗北と死に至る道が生活』その674
沖縄日記1日目(2004/07/17)羽田のチェックインが混んだものだから(飛)飛行機の離陸が遅れた。(旗)連休だと飛行機に馴れていない人々がごった返すので、ポケットに(銃)拳銃やらナイフを入れていることを忘れてピーピー鳴りまくりだからだ。こっちは出発時刻には機内にいるというのに。こうなると遅れてきた方が得だ。次回からは10分くらい遅れて行ってみることにする。出発してしまったら『真面目に来てるときは、他の客を待ってるくせに何だ』と言ってみるつもりだ。世の中言ったもん勝ち(指OK)なところがある。
機内では(赤)赤ん坊が泣き叫ぶ。まるでこの飛行機が墜落することを察知したかのように泣く。そうでなければアホだ。あんなに狭い空間に沢山の客がいるのに自分の機嫌が悪いだけで泣き叫ぶことが許されるとでも思っているのだろうか。親も親だ。あんな(BABY)赤ん坊に旅をさせても何一つ覚えていないじゃないか。JALもJALだ。なぜならばANAじゃないからだ。
そんなこんなで那覇空港に到着した。先に福岡から到着していた彼女と合流した。ランの花が咲き乱れているが、きっと沖縄らしさを装うために誰かが置いたものだろう。沖縄は沖縄らしさ(ハイビス)を装うためにどこに行ってもシーサーが置いてある。シーサーとは狛犬のことだ。だからスフィンクスの流れからきている。きっとライオンなのだろう。
ついて(車)レンタカーを借りたら軽自動車を予約した筈が、普通車になっていた。軽料金でいいと言う。そうは言っても三菱コルトはいやだ。殺人車ではないか。事故っても私のせいではない。
いきなり南風原のジャスコに行った。(芋)エンダーのオニオンリングを喰いに行った。ルートビアを飲んだ。ドクターペッパーとサロンパスを足してケムンパスで割ったような味と言えば分かりやすいだろう。
メールで約束したマンゴー農園を探したがなかった。電話したら『いきなり来られてもない』と言われた。いきなり来られてもないだろうから、メールで確認したのだ。そうしたら直販しているからどうぞと返事があった。一体どうなっているのだ池原農園は。あほか(パ)。
マンゴーなんかどうだっていい。ジャスコで試食したマンゴーは東京で食うのと同じだった。
しかたがないので道の駅許田に行って(魚)水族館の割引券を購入。パイナップルジュースの前で30分ほど待ったが誰も売りに来ない。どうなっているのだ沖縄は。いいことなんかひとつもない。
しかたがないのでグラスボートと海中展望塔へ行った。グラスボートについていけば餌がもらえることを覚えた魚はグラスボートについてくる。ずーっとついてくる。だんだん腹がたってきた。熱帯魚でなく黒いでかい魚がついてくる。これでは市ヶ谷の釣り堀と何ら変わりはない。100円で麩を買って喰った。私が喰った。
海中展望塔は海中に塔が立っていて展望出来るようになっている。魚がいた。
海中展望塔を出て東京からもってきた魚肉ソーセージを放り投げてみる。魚が大量に集まってくる。ソーセージの奪い合いだ。共食いだ。おかげで海中展望塔からは一匹も魚が見えなくなってしまったことだろう。私のせいだ。
万座毛へ行った。ここは美しい。柵の外の崖っぷちの上に人が立っている。何の保証があってそんなところへ立つのだろうか。突風でも吹けばいいのだ。
ホテルへむかう途中『完熟マンゴー』の旗があったので引き返した。おばちゃんが言うにはマンゴーは非常に微妙だ。熟れる前と熟れすぎのやつを試食させてもらった。全然おいしくない。熟したやつを試食させてもらったらとてもおいしかった。その差は2、3日だ。スーパーなんかは誰が買うかもしれないので売れ残ったら捨てなければならない。その分商品が高い。売れ残っても儲かるように単価を上げているためだ。その上まずい。スーパーとは『いつ行ってもたいていのものがある』という商売のスタイルだから仕方がない。その代わり直販は『明日来られても、ものがないかもしれない』と言う。売り切れる分しか収穫しないとも言っていた。何か旬のもの食べるには産地に行って生産者と直接会話することだ。だからおばちゃんはインターネット販売などやらないと言う。
ついでに喰ったスナックパインが絶品だった。とうもろこしのように手でむしりとって食べる。嘘のように取れる。パイナップルの亀の甲羅のような部分がひとつひとつ取れる。甘い。私はパイナップルが大嫌いだ。こんなにうまいパイナップルを喰ったのは初めてだった。おみやげに買ってしまった。ひとりじゃ多すぎるなぁと思ったが既に家で食べてしまった。
しかたがないのでホテルに行った。手違いで(司)満室だと言う。だからスィートルームを用意したと。一体どういう手違いなのだろうか(万歳)。部屋に案内されたはいいが、室内が2階構造になっていてベッドは2階にある。(浴)風呂は1階だから不便でしかたがない。しかし沈む夕日が窓一面に見える。贅沢だ。当然最上階だから下界には庶民どもが見える。なぜかベッカム・ビクトリア夫妻気取りだ。
夕陽が沈むころ(板)プライベートビーチに作られた遊歩道で涼む。夕飯はスペアリブを喰った。泡盛につけたのだろう。ここは豚肉の国だ。沖縄は結構あぶら料理だ。長寿のためにも脂は体にいいのだろう。油じゃなくて脂だ。
スィートルームは天井がガラス張りだ。(星)星の降るような夜に眠りについた。
『敗北と死に至る道が生活』その675
沖縄日記2日目(2004/07/18)前日コンビニで買っておいたポーク卵おにぎりを喰った。油みそ味。B級だ。超B級だ。うまい。うますぎる。エキセントリックだ。丸や三角のおにぎりでなく四角い。ポーク缶をスライスした形そのものをご飯でサンドした感じだ。油みそうまい。一体何なんだ油みそって。
名護パイナップルパークへ行った。カーナビの目的地に出てこない。電話番号でも名称でも地図でも出てこない。まぁそんなものはなくても行ける。パイナップルの車に乗せられて園内を一周させられる。噂どおり強制的に写真を撮られるが、マイカメラでも撮ってくれる。粋なはからいだ。パイナップルは二毛作らしい。喰い放題のパイナップルはごく普通のやつだった。
中山そばにてソーキソバを食した。あーここでもB級グルメの勢いはとまらない。極端に言うと麺が『どんべぇ』又は『赤いきつね』の麺だ。ソーキと汁はうまい。『じゅーしー』と言う炊き込みご飯がうまい。『おいしい』でなく『うまい』だ。沖縄においしいものなど一つもない。しかし全てがうまい。
水族館に行った。水族館に入る前に公園内の海がめやマナティーを見物。マナティーの存在感は某宗教家(旧おーむ)みたいだった。水族館はすげぇでかい。黒潮の水族館は葛西のまぐろ水族館よりでかい。なにしろジンベェザメが3匹も入れられている。エサを入れられて水槽がにごったら帰り時だ。そうか3時過ぎに行ったら水槽がにごっている状態を見せられるのだ。2時間ほどでクリアになるらしいがその頃に閉園だ。
一気に那覇へ戻る。国際通り近くのホテルへチェックインしたら今度はスィートではないと言う。一体どうなっているのだ。ビジネスホテルだからスィートはないのだろう。国際通りのみやげ屋のおばちゃんにラフテーのうまい店を教えてもらい、ついでに泡盛を飲んできた。ついでに島らっきょうを食した。ネギだ。こりゃ。
そうこうしているうちに市場は閉まってしまった。タピオカココナッツミルクティーを飲みながらホテルに戻った。ティーじゃなくココナッツミルクは無いのかと凄んだがティーを入れやがった。紅茶味なんか要らない。ココナッツミルクこそがうまいのだ。沖縄においしいものなど一つもない。しかし全てがうまい。
『敗北と死に至る道が生活』その676
沖縄日記3日目(2004/07/19)2泊三日坊主なので最終日だ。車の中のBGMは常に Cocco か Begin だ。ベタすぎるがやはり沖縄の景色には似合う。沖縄の空はガンマ補正が凄過ぎる。青は青で緑が緑で白が白だ。正しい街。
首里城へ行った。私は3回目だ。3回も行くような場所ではない。2千円札はどこへ行ってしまったのだろう。そんなことはどうでもいい。首里城は明らかに日本の城ではない。色使いといい、息遣いといい。
玉泉洞へ行った。星の砂をもらった。多分ここも3回目だ。私は日本のどこへ行っても初めての場所が少ない。学生時代にバイクで日本一周したからだ。玉泉洞は何故か私は気に入っている。さとうきびをかじった。古い民家がある。琉球村も好きだが今回は行けなかった。古い暮らしは興味深い。とは行っても私が子供の頃までは祖父祖母の家はあんな感じだった。囲炉裏があり、板張りの縁側があり、台所は土間で、トイレは別棟。
室町時代から昭和初期ってあまり変わりがないのではないかと思う。ここ数十年で一気に文化は発達したのだ。だから人々の気持ちが追いついていかない。人の心がゆがんでいく。時間はかつて時速一時間で進んでいた筈だ。
喜屋武(きゃん)岬へ行った。雄大な景色だ。さとうきび畑の細い道を抜けると一気に景色が広がる。旅の締めくくりには最高なロケーションだろう。帰りにサンエーに寄ってポーク缶を買い、コンビニでじゅーしー弁当を買い、空港へ行った。
やっぱり夏は北海道に限る。
『敗北と死に至る道が生活』その677
父親に二輪免許の更新葉書が届いた。しかし更新手続きに行かなかったという。かつては私を後ろに乗せ、町中を走ってくれた。ヘルメットなんか要らない時代だった。最近は少し足を引き摺っている。買い物に便利だろうと買ったスクーターにも乗っていない。だから免許の更新を止めたのだろう。こうして段々自分の終わりを実感してゆく。どんな気分なんだろう。自分が段々終わってゆく様を自ら認識している。父は歯が数本しかない。去年入れ歯にすればと勧めたのだが、もういいと言って作っていなかった。『もういい』というのは人生のことだ。母は食事の用意に困っていた。あまり硬いものは出せない。人間は歯が無かったら歯茎が硬くなって何とかなるようだが、それにしても限度がある。この夏、父はやっと歯医者に行って入れ歯を作った。『もう少し行けそうだ』と実感したのだろうか。去年は少し諦めていたのかもしれない。私もいつか来るべき日が近づいたことを実感したが、今年はだいぶ調子がいい様子でそんなことも忘れさせてくれている。
私はいつまでも青春だという人が嫌いだ。飼いならされた豚どもよ。40過ぎてまだまだ青春だなどと口にするのも耳にするのもいやだ。ピアスをへそにするのはもっといやだ。『俺の青春は終わったけれど』と言い切るほうがよほど格好いい。老いることを、『落ちてゆく我が身を見る好条件』と表現する男。エレファントカシマシ。あぁ。日本にエレファントカシマシがいる。私にとって宗教より大切なことだ。
『敗北と死に至る道が生活』その678
土曜日の朝などは起きなくてもいいのに普段より早く目が覚めてしまったりする。NHKを見ると実在の夫婦が出てきて年金の計算をしている。こんなことばっかりしている。今の計算方法は、あなたたち夫婦がもらえる時期の計算方法ではない。今決められた将来の予定にすぎない。年金制度が変わるたびにそんなことをしている。私はゼロだ。未払いだからだ。こうなると税金を投入された場合どうなってしまうのだろう。税金は払うがやはり年金はもらえないのではないだろうか。払うだけ払って貰えないのかもしれない。まぁいい。そうだとしたら賭に負けただけのことだ。
『敗北と死に至る道が生活』その679
『最近どうよ?』などと聞く人は、本当に最近どうだと気にしているのだろうか。私は誰かがどうだろうと全くどうでもいい。私はこういう時、『いやぁこの年になるとやっぱり金玉が下がってくる。睾丸が全体的にゆるんできて、内腿にぺとっとくっつく感じがいやで夏はトランクスからブリーフに変えてみたりしているんだ。引力に勝てないのは女性の乳房よりも男性における睾丸の方がてきめんに来るもんだ。でもやっぱりトランクスのゆるさかげんも捨てがたいし、寝るときはトランクスでもいいかなって最近は思っているがまぁどうだっていいっちゃあどうだっていいし。一日2種類のパンツをTPOに合わせて履き替えるってのも馬鹿馬鹿しいっちゃぁ馬鹿馬鹿しいし・・・』と答えることにしている。相手は困ってしまう。だからもう二度と私に話しかけることもなく、以来煩わしい会話はなくなってさっぱりする。
フジテレビの27時間テレビで爆笑問題の太田が『加護ちゃん初潮はもう来たの?』と聞いていた。娘側は聞こえなかったフリをし、回りはみんなあわてていた。生放送恐るべし。更に植草教授の物まねやりますと手鏡を見る仕草。これは爆笑問題のステージでやっても面白くもなんともない。テレビでやってしまうという破壊力を試しているのだろう。私の嫌いな言葉は『和気藹々(わきあいあいあらあらこんな漢字だったの)』だ。だから太田の行動がよく分かる。なんかこうぶち壊したくなるのだ。エレカシも同じ匂いがする。予定調和破壊。
『敗北と死に至る道が生活』その680
先日も書いたウェブページの欠陥(美ら海水族館の餌付けの時間が美ら海水族館の公式ページのどこにあるのかわかりにくい。私はその後、小さく書かれていることを発見した。これがそうだ。お分かり?)について、やはりアメリカでも同様のユーザーがいて、公式ページそのものをパクって改良して発表するという人がいるそうだ。拍手ものだな。元記事
この方の場合、映画の上映時間を調べるだけのためにオデオンのページを見に行ったところ、派手なFLASHやら不要なJavaスクリプトやクッキー、入り組んだメニューで構成されていて、結局映画の上映時間は分からなかった。だから自分で作り直したと。
しかし本家から削除命令が出た。最後のコメントが笑える。
『当面の対策として、映画の時間を調べる際はインターネットよりも地元紙を見たほうがよい』
私も結局、美ら海水族館に電話をして確認した。なんのためのウェブページなんだか分かっていない奴が公式ページを作り、個人のページの方が往々にして優れている。これが現実である。
『敗北と死に至る道が生活』その681
最近同じことを2回言うようにしているのだが、誰も『なんで2回言うねん』と突っ込んでくれない。誰も私がそんなボケをかますようなジャンルの人間ではないと思っていると思われる。最近同じことを2回言うようにしているのだが、誰も『なんで2回言うねん』と突っ込んでくれない。誰も私がそんなボケをかますようなジャンルの人間ではないと思っていると思われる。コピペって便利だなぁ。コピペって便利だなぁ。やっほー。・・・やっほー。いまどきやっほーって。せやな。
『いまどきやっほー』ちゃうんかい。
『敗北と死に至る道が生活』その682
寝苦しい夜、皆様いかがお過ごしだろうが私の知ったこっちゃない。風は汐留が止めているらしい。最近再開発された汐留地区に高層ビルが立ち並び、海風が止められて都内、特に北西方向に影響が出ている。おかげで豊島園は豊島区から練馬区に移動してしまい、横田基地は横田市にない。渋谷幕張シンガポール校、早稲田渋谷シンガポール校に至っては何がなんだかさっぱり分からない。それほどまでに夏だ。
汐留には日本テレビがあるのだから、日本テレビのキャスターは『今日も暑かったですね』などと言う資格はない。『今日も暑くてすみません。私どものビルのせいですみません。生きててすみません。』と言うべきなのだ。決して『ファイヤー(炎)』などと口にしてはいけないのである。
そんなことはどうだっていいが、松本人志が携帯のアドレス帳を削除していくのが好きだと言っていたが、私には削除すべきアドレスが1つもない。牛角含めて3件しかないからだ。牛角は初台店と明大前店の2つも登録してある。カルビより(軟)アイスがおすすめ。
『敗北と死に至る道が生活』その683
最近の私はパソコンを起動すると必ずここに行く。目隠しをしてマリオブラザーズのBGMを演奏する男。地下面でコインを取る音まで再現するこの才能には呆れるばかりだ。私もピアノが弾きたいが、これを見せつけられると無理だなぁと思う。あんたコンサート開けるよ。
『敗北と死に至る道が生活』その684
ここだけの話、アンガールズの (DVD)DVD を発注しました。中島らもが死んだ。まぁさほど思い入れはないが。何冊か本を読んだことがある。『愛をひっかける釘』が印象に残った。内容はさっぱりだがタイトルがよい。
いつになったら最高気温が30度を割るのだろうか。今日の最高気温は29度ですなどと言われたらなんだか涼しいような気がするが、29度ったら暑いうちに入るだろう。29度と30度の差は1度であって、それは17度から18度との差の1度と何ら変わりがないのだが、人間は馬鹿であるから三十台に突入した途端に大騒ぎをする。なんだか宮武骸骨みたくなってきたぞ。