『敗北と死に至る道が生活』その122
アメリカから帰ってきた。私はパンが比較的だめな方なので辛かった。米が食いたくなった(汗)。昔はアメリカの方が物価が安く、驚いたものだが、電話代やハンバーガーなど日本のほうが安い。しかし、意外にもタバコは安い。よく言われている500円というのは定価の話で実際は闇取引で一箱150円程度で買えるらしい。もちろん旅行者には闇の部分は見えないので高いのだが。エンパイアステートビルに登ってきた。こんな夜景を見てきた。香港の夜景よりも綺麗だったかもしれない。香港は高いところに登らなくても綺麗なので比べられないかもしれないが。
エンパイアステートの凄いところは、ガラス越しではなく、実際に外に出られて金網越しに見られるところだ。金網の升目にレンズを入れれば遮るものが何も無く写真が撮れる。
日にちが経つにつれ私は無性に冷奴が食べたくなった。帰ってきて成ちゃんの実家の風呂に入ってきた。噂どおり熱かった(汗)
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『敗北と死に至る道が生活』その123
ニューヨークは雪が舞っていた。石と鉄で出来た古い街並み。イエローキャブが通るマンホールの蓋からは蒸気が上がっていた。冬だ。私が行った支社の人はボンジョビやB.スプリングスティーンを見かけたと言う。私は意外にもこの街が好きだ。暗い影をもったニューヨークは冬が似合う街だった。
『敗北と死に至る道が生活』その124
土曜日。成田3時半着。渋谷AXになんとか間に合った。ミヤジ、一発目の挨拶。何を言うかと思えば『おこ~んばんわ~』だった(汗)『おこ~んばんわ~なんて全然面白くないよな』とか『昔は平気で言っていたのに』と。私はこの気持ちがよく分かる。20代の頃は何があんなに楽しかったのだろう。30代ともなると醒めてくる。生活や人生に醒めてくる。果たしてこれはいいことなのだろうか、悪いことなのだろうか。あんまり醒めるてるのも周りが気を遣うのだ。私は周りに気を遣われたくない。だから大人しくしているのだが、大人しいと逆に心配される。そこそこ朗らかであまり目立たないというような人に私はなりたい。
ドリフで言うと高木ブーじゃなくて中本工事といった位置付けかもしれない。
『敗北と死に至る道が生活』その125
あなたは焼き鳥を喰っているとき何を考えているだろうか。『鳥がかわいそう』だとか『うまいあなぁ』などと考えることだろう。本当かよ。
私は『この串で目を突いたら痛いだろうなぁ』などと考える。実際は痛いどころの騒ぎではないと思う。不可解だ。私の脳みそが一番不可解だ。
『敗北と死に至る道が生活』その126
Kinki Kids は他人なのに苗字が一緒。五月みどりなんか姉妹なのに妹が小松みどりで名前が一緒。
あなたこの事実をどう思う?
私はどうでもいいと思う。
『敗北と死に至る道が生活』その127
私は子供の頃、切干大根が喰えなかった。なんて不味い食べ物なんだろうと。しかし大人になるにつれ好きになった。『コンピュータソフトを入れ替える』ということにユーザーが抵抗する場合が多い。今まで覚えたさまざまなことが新しくなるからだろう。
それなのに新車は欲しがる。これはどういうことだろうか。ハンドルやアクセル、ブレーキといった基本操作は変わらないからだ。
しかし更に何年かして再び『コンピュータソフトを入れ替える』となるとまた抵抗する。『今までのは良かった』と。あれほど嫌いだったくせに突然大好きになる。古いソフトは切干大根か。
『敗北と死に至る道が生活』その128
私は映画が嫌いだ。人生で貴重な時間を失いたくなければ映画など見ないことだ。かと言って本も最近は高い。私はもっぱら図書館を利用している。レンタルビデオやCDなどわずかながらもお金を払うくせに著作権がどうのこうのあるが、何故図書館は何も言われないのだろう。タダである。法的に問題はないのだろうか。本だけは何故か許されている。
『敗北と死に至る道が生活』その129
エレカシなどを聞いていると、腹から声を出さない男性歌手に対して異常に腹が立つ。『さしすせそ』が『つぁつぃちゅつぇつぉ』などに聞こえるような気取った唄い方も腹が立つ。男だったら腹から声を出して叫べ。まぁアイドルがそんなことしたら余計に腹が立つことだろう。だから私は最近、矢井田瞳を聞いている。彼女は当初林檎のパクリだと言われていたが、なかなかな曲を作る。i/flancy の Creamed potatoes はかなり良質な popソングだ。ついでに中島美嘉のミニアルバムも買って見た。私は鹿児島産のものは放っては置けないのだ。1曲入っているライブは、聞くに堪えなかった(汗)。しかし、あのハラハラ感はたまらない。『大丈夫か。しっかりしてくれ』と心配しながら聞いている。CDなのに。
『敗北と死に至る道が生活』その130
部屋が狭くなった。いや、コンクリートで固められた部屋が狭くなる筈が無い。実際はテレビや冷蔵庫があるからだ。ノーベル化学賞をもらった田中さん。授賞式で右足と右手、左手と左足がシンクロしてしまいそうな、そんなイメージの人だ。ノーベル平和賞もあげたらいいのにと思う。
久しぶりに本来の『管理日誌』として・・・
・ファンプロフィール登録が徐々に増えている。参加したライブ情報とセットリストに基づき、『あなたが体験した曲/未体験の曲』及び、ファン歴の長さ、媒体所持枚数、ライブ参加回数、感想書き込み回数、ファンクラブ会員・・・などから『あなたのエレカシ度』が表示出来るような仕組みを開発中です。私が『曙光』を体験してないのがくやしいからです。
・『全曲一覧』を作成してみました。一覧といっても並び順を発売年順、アルバム順にするなど色々考えてはみたものの、未収録曲をどうするか?初回特典の『石橋たたいて八十年』はどうするか?ライブ等バージョン違いは1曲とする、といった難しい問題がクリアできず、結局50音順にしてみた。シンプルでいいかもしれない。
こんなものhtmlで作っていたら大変なことになる。新曲が出るたびにメンテナンスが必要だ。データベースは追加すれば全てのページに即、反映される。便利だ。ちなみにこのページは PHP(プログラム言語) + MySQL(データベース) で作成しております。
左側のメニュー『全曲一覧』からどうぞ。
『敗北と死に至る道が生活』その131
日常で『1万』という数はかなり多い。『私、(本)本を1万冊持っているの』とか『俺なんか(CD)CD1万枚持っているんだぜ』などという輩(やから)がいたとしたらどうだ。びっくりすると同時にそんな人とはつきあいたくないとすら思わせる。マニアック過ぎる。しかしひとたび『円』がつくとそんなに多いとは感じない。『俺なんか小遣い1万円なんだ』とでも言われてごらんなさい。びっくりすると同時にそんな人とはつきあいたくないとすら思わせる。
変わらないか(汗)
『敗北と死に至る道が生活』その132
私にはプライドがない。人から何を言われても気にならない。だから人に何かを言ってしまう。普通の人は大変傷つくらしい。たわいもない一言でダメージを与えてしまう。私はこのことから人は人の話を真剣に聞いているということが分った。うかつな発言は出来ないのである。というか、いかに私が人の話を真剣に聞いていないかということが分った。ここだけの話だが、人が話をしているときに頭の中では全然違うことを考えている。だから『へぇ、そうなんだ』しか返せないのだ。
『敗北と死に至る道が生活』その133
エレカシファンだと言うと白い目で見られることはないだろうか。大丈夫。白い目の奴のほうがよっぽど変だ。今日久しぶりに怪我をした。野菜をスライスする器具で小指の爪と皮膚をスライスしてしまった。突然のことで何が起こったのかわからなかった。何ミリくらい削ぎ落としたのか分からないが、ある知人が『人間はたまには怪我をしなければならない』という説をとなえていたので、私はバンドエイドを貼って我慢した。
人体を活性化するには血を流したり、心臓をバクバクさせた方がいいらしい。その知人によれば、現代人は献血をしたり、ジェットコースターに乗って人体を活性化するのが大切だと言う。だから私は年に一回くらいは嫌いなジェットコースターに乗ってみる。金を払って危険を買う。私はジェットコースターに好んで乗る人の気持ちが理解出来ない。
『敗北と死に至る道が生活』その134
最近WindowsのWindowの右上の『×』閉じるボタンを押そうとしても隣の『□』最大化ボタンを押してしまう。それならまだマシだが、最大化ボタンを押そうとして閉じるボタンを押してしまう。せっかくひらいたページを大きくしてよく見ようとしたら閉じてしまうのである。じっちゃんになりかけている。
『敗北と死に至る道が生活』その135
私は人間が嫌いなので外を歩くときは金でもないかと下を向いている。他人など眺めても仕方が無いからだ。もちろん影としての認識はある。ぶつかると危ないというだけの理由からだ。もし知り合いに会ったとしても知らん顔だ。もっとも知りあいだと認識したところで声をかけることもない。声をかけたからといって何になるんだ。『こんにちは・・・・じゃぁ』となるのがオチだ。こんな考え方では世間を渡り歩けない。だめだ。だめなまま死にゆくのだ。私はガンジーを尊敬している。『敗北と死に至る道が生活』その136
新曲の曲名が発表されて私は愕然とした。『あなたのやさしさ・・・』より長い曲名がくるとは予想だにしなかったのである。私はあの曲を『陽気なる逃亡者』と勝手に名づけて日本テレビ放映のライブビデオに書いてある。ミヤジのことだから『メッセージ』ではないだろうと。予想は半分当っていたのだが・・・。
クレッシェンド・デミネンド -陽気なる逃亡者たる君へ-
くれっしぇんど・でみねんどようきなるとうぼうしゃたるきみへ
文字数にして27文字。私が定義してある曲名の長さは25文字。おかげでデータベース構造(項目の長さ)を変えなければならなくなった。30文字以上の曲名が出ないことを願う。
このページの場合、曲名がデータのキーとなっているため、『・』や空白や『-』まで全角で正確に打ち込まないとならない。コンピュータにとっては半角のスペースと全角のスペースは別物なので検索してもヒットしなくなるからだ。
ちなみにオフィシャルは『クレッシェンド・デミネンド ー陽気なる逃亡者たる君へー』となっているが横棒が長音記号になってしまっている。もしかしたら『でみねんどー』とか『きみへー』とか語尾をのばす曲名なのかもしれない。
な訳がない。
『敗北と死に至る道が生活』その137
あなたは日常の仕事のメールで『(>_<);』のような文字が混ざったメールを受け取ったらどう思う?私はこんな人のメールを真に受けて仕事を続けてもいいのだろうか?と悩む。私の頭が固いのだろうか。そういえば私の得意技は頭突きだ。面接の履歴書にも書いてある。あなたが面接官で『特技:頭突き』のような文字が混ざった履歴書を受け取ったらどう思う?世知辛き浮世。
『敗北と死に至る道が生活』その138
エクセルファイルを添付する人は全ての人がエクセルを開けると思っているのだろうか。確認出来ないのならCSVファイルにしてよこせ。Acrobat Reader 5.0 を入れようとしたらFTP接続出来ない環境からだとおかしなことになった。おまけにダウンロードフォルダ『c: emp』などというフォルダを勝手に作りやがった。無料だからといって横柄だ。pdfを開くためだけに必要なのであって、私が必要としている訳ではない。
pdfもいいがプレーンテキストだけでも参照出来ればいいと思う。
世の中の90%の資料はプレーンテキストで間に合う筈だ。
『敗北と死に至る道が生活』その139
不幸が不幸のまま終わる映画としてはビョークの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』があるが、私は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は割と好きだった。北野武『Dolls』を見てきた。人生の貴重な時間を失いたくなければ映画など見ないことだ。私は『Dolls』を見て改めてそう思った。
菅野美穂の演技は素晴らしい。ほとんどセリフの無い北野作品にはうってつけの名演技だ。主役の男からは『愛』が感じられなかった。『愛』で埋め尽くされていれば、それなりの映画になったはずだ。
映像の美しさだけで映画を撮るなんて晩年の黒澤明のようだ。
『敗北と死に至る道が生活』その140
近所に唯一マルシンハンバーグを扱っているスーパーが模様替えをしたらマルシンハンバーグが無くなってしまった。私にとっては死活問題である。イシイのハンバーグでもいいが、マルシンハンバーグは味付けがシンプルな分飽きが来ないのだ。明治のピックアップもなくなったし。私が好きなものは主流から外れてどんどんなくなっていく。エレカシが解散したら、どう?私は何のために生きているか分らないほど心の中に空洞が出来ると思う。これは大袈裟でもなんでもなく。
『敗北と死に至る道が生活』その141
私が先日買ったばかりの冷蔵庫は扱い方が難しい。冬は調整ダイヤルを『強』にしろと書いてある。一体どういうことだろうか。冬ならむしろ『弱』でもよさそうなものだ。冬は寒いからセンサーが働かず、『強』にしないと作動しないとでもいうのか。よくわからない。私が先日買ったばかりのエレベーターが1階にあって私は10階にいる。私は下に降りたい。このとき私は『上』のボタンを押す。エレベーターを1階から10階まで運ぶには上に移動しないといけないからだ。いざ私が乗り込むと何故か更に上に登ってしまうことがしょっちゅうある。おそらく故障しているのだ。
私には機械の気持ちが分らない。
『敗北と死に至る道が生活』その142
東芝ギガビートからメールが来た。ファームウェアの更新が出来るらしい。そうかそうか。パソコンにつなげるから本体のプログラムを入れ替えられるということだ。曲の頭だしが早くなったり、テキストファイルが表示出来るようになった。素晴らしい。携帯電話なんかバグがあると回収したり大変だが、システム入れ替えられるように出来ていればいいのだ。テレビだって今あるテレビがプログラムを受信して自分自身をBS対応に更新してみたり、VHSがDVDになったりするかもしれない。いよいよネットワーク時代か。
『敗北と死に至る道が生活』その143
私は急に言われても右と左がよくわからない。一瞬考えてしまう。同様にレフトとライトもよく分らなくなる。だから私はいつも野球を思い浮かべる。ライトは私の定位置で一塁後方だから右だと。それだけ思い出すのに楽しかった修学旅行や一緒にキャッチボールした友人なども思い出してしまい、一体何をしようとしたのかさえも分らなくなる。おそらくみんなそうだと思う。