管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その15
便利な時代になったもんだ。
(PC)コンピュータに詳しい人はよく『俺、DOSが無いと生きていけないんだよ』と言う。
ところが初心者は『俺、GUIが無いと生きていけないんだよ』とは言わない。初心者はGUIやDOSなどという言葉すら知らないからだし、そんなものが無くても生きていける。私が子供の頃は『ギガ』なんていう単位は無かった。(電)黒電話さえなかった気がする。それでもみんな楽しそうだった。そこそこの不便さを味わっていたのかもしれない。
ところであなたは何が無いと生きていけないだろうか。
もちろん水や空気や(母)お母さんのやさしさが無いと生きていけない。
バファリンの半分は(赤)子供用の量だと聞く。
言い換えれば『無人島に持っていくとしたら何?』とも言えるだろう。
いくらコンピュータに詳しい人でも無人島にDOSなど持っていきはしないのだ。
私は自身の生命にあまり関心が無いので何も持っていかないだろう。
クロ(猫)ネコヤマトもあることだし。
便利な時代になったもんだ。
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管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その16
例えば、今日上司に(FB)サッカーと仕事どっちが大切なんだ!と言われて、(FB)サッカーと素直に答えられなかった人はどうかしている。
それ以上にそんな上司がどうかしている。鼻の真ん中あたりめがけて(O)グーで殴ってやったらいい。(W)パーで殴り返されても、(V)チョキで目ん玉突いたら痛そうだから、鼻の穴に入れてしまおう。
こんな日に残業している方が非国民なのだ。
って(FB)サッカー好きの人が言ってました。
私は別にどうでもいいです。
(波)スカパーの俯瞰からとった映像いいですね。ボールの無い場所での選手の動きが分かって。フォワードは意外に休んでいる。
スカパーにはもうひとつ『控え・ベンチカメラ(映)』というのがあって、試合を全然写さないでひたすらベンチを写しているのがある。誰が見ているのだろうか。このカメラマン結構辛いと思う。せっかくあの場所に居ながら試合を全く見られないのだ。
たとえゴールが決まっても監督の喜びの表情を捕らえる。監督が悲しんだら相手チームのゴールだ。まるで行間を読みながら味わうハードボイルドのようだ。
JAPAN CIRCUIT に行って来た。
20:50から22:00くらいまで。
1奴隷天国
2おはよう こんにちは
3デーデ
4風に吹かれて
5女神になって
6部屋
7面影(おもかげ)
8秋-さらば遠い夢よ-
9暑中見舞-憂鬱な午後-
10ハローNEW YORK!
11ガストロンジャー
12悲しみの果て
13星の降るような夜に
14今宵の月のように
15珍奇男
16あなたのやさしさをオレは何に例えよう
『ガストロンジャー』をちゃんとやってくれた。
ミヤジが先にステージを降りてしまい、『明日もさぁ・・・楽しもうぜ』の部分が無かったが、3人だけでちゃんと終わらせた。
『今宵』はアコースティックバージョン。
サッカーワールドカップで史上初めて『埼玉』が世界から注目されていることについて喜んでいた。
どうせだから韓国まで橋を架けてしまえばいいとも。
管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その17
割引について腹が立つ。
私は独身男性。ちょっとやそっとじゃくじけない。
某(24)コンビニで『お茶と冷麺をセットで買うと50円引き』などというセールをやっていたとしても、私はなんだかセコい気がして敬遠してしまう。対象のお茶が私の飲みたいお茶だとしても、くやしいので別のお茶を買ったりもする。
先日どうしても冷やし中華とお茶を買いたくて行ったらそういうセールだったので、仕方なく2つ買ってみた。
するとレジのアルバイトは普通にレジを打ち、2つは正規料金だった。レジでちゃんと50円引かれるんだろうなぁと思ってレシートをよく見たらやっぱり普通の値段である。
私は独身男性。ちょっとやそっとじゃくじけない。
私はなんだかセコい気がして言い出せないのだが、お前んとこが決めたセールを利用した客に対してちゃんと割り引かないという行為が許せなくなり、文句を言ってみた。ちゃんと返金してくれたが、『言い出せない人』は結構いるのではないだろうか。50円くらい別にいいか、と流す人もいるだろう。($)金額の問題ではないのだ。
だから、『持っている人しか使えない(得)クーポン券』なども腹が立つ。しかも何か特別な理由で手に入れたクーポン券なら仕方が無いが、『たまたま無料で配っていた券を持っている人』と『たまたま手に入れられなかった人』の差は何なんだ。全く同じ客なのに。
そこへいくと(24)セブンイレブンのセールはちゃんとしている。お客の区別なく、買うとき必ず引いてくれる。
某(24)コンビニ○○店の1アルバイトのせいだ。
私は以前にもこのポプラ○○店から配達してもらった荷物が時間指定した時間外に届いたので、文句を言ったら全額返金してくれた。言ったもん勝ちみたいだ。世間のみなさんも、ことあるごとに文句つければ得する。
たった一人の印象で会社全体がイメージダウンし、こうしてインターネットに書かれてしまうのだからたまったもんじゃないですよ。
管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その18
無防備に北極へ行くのは大変(危)危険だ。
例えば日付変更線は太平洋に1本しかない。そこを左から右へ通過する場合日付を戻し、右から左へ通過する場合日付を進める。
日本からハワイへ行くと昨日だったりして1日得をしてしまう。が、帰りに1日進めるのでプラマイゼロとして自分が本来いるべき時間軸に戻れるのだ。
しかし北極や南極だとどうなるのか。
極点を中心に半径1mを左から右へ通過し、日付を戻しそのままくるくる回りつづければ日付は戻りっぱなしじゃないだろうか。
多くの冒険家(除く北尾)が北極で遭難してしまうのはこれが原因で過去や未来に行ってしまったとも言われている。
とても危険な場所なのである。
管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その19
今時『やっと会えたね』などと抜かす奴と結婚したいと思うだろうか。
会社の人がベトナムへ行ったらしく、ベトナム(T)コーヒーをくれた。コーヒー粉だけでなく、フィルターの器具も一緒にだ。ベトナムコーヒーは濃いのが特徴らしく、粉を圧縮して固め、そこにお湯を少量そそぐ。圧縮して固めるくらいなら最初から豆のままでいいじゃないかとも思える程だ。固めたのでなかなか落ちてこない。ゆっくり落ちるので濃いという訳だ。この濃いコーヒーをコンデンスミルクの上から落とし、最後に氷を入れる。
私がインドに行ったとき飲んだチャイという飲み物も非常に甘かった。人間は本来甘いものが好きな筈で、甘さ控えめな日本人は『食』に行き詰まっているとも言える。
私は(家)に帰り。食事後、さて一服しようと思い試してみることにした。
しかしながらこのコーヒーカップ1杯入れるのにかれこれ10分近くかかり、私はドリップが落ちる様を見つめながらタバコ2本を灰にした。のどが渇いたので麦茶まで飲んでしまった。コーヒーが出来上がったころには充分一服し終わっていたのである。
カメルーンやベトナム等、日本の時間軸ではとうてい分かりえない国がある。
管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その20
今朝みんながサッカーで盛り上がっているところに、一緒に盛り上がろうとして私は『あれは絶対オフサイドだよね』といったら盛り下がってしまった。何故だか未だに分からない。今大会は誤審が多すぎると思いませんか。イタリアが最大の被害者。
今の若者は、少しは原始人の気持ちを考えたことがあるのだろうか。
だるいだるいと言い道端にしゃがみこみ、こんなに文明社会の中で『退屈だ』などと抜かしやがる。
原始人は日々の食事に『狩り』という一大仕事をするので腹が減り、捕って来たマンモスを食べ、道がないから道端にしゃがみこむこともせず、ライオンに追われたりするから退屈もしない。おそらく『退屈』なんていう言葉すらなかったのだ。『ぱどぅん?』と聞き返されるのがオチだ。(携)がないから狼煙(のろし)を上げるしかない。それが「(母)母危篤」なのか、「(食)食事の用意が出来ました」か「単なる(炎)焚き火」なのかさえ分からないのである。
若者は20歳になったら一度原始時代に送り込んでしまえばいいのだ。ポテトはあっても、ケチャップが無いぞ。その前にフライにする装置が無いが。
代わりに現代の渋谷あたりに原始人を連れてきて見せてあげたらいい。
きっと目が回って道端にしゃがみこむことだろう。
管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その21
階段を使わず、エスカレーターやエレベーターを使いながら、お金を出してジム(力)に通う。意味が分からないぞニッポン人は。
昨晩『どこでもドア』を開発した夢を見た。
理論的にはコンピュータのネットワーク通信の原理と一緒で、人体を細胞レベル(もしくはDNAレベル)にまで細分化し、通信回線を不要にするため、無線((波)衛星通信)で送信し、行きたい場所で復元するという、あたかも実現出来そうな夢だった。
しかし、その装置が何故かアメリカのダラスに置いてあり、どこか行きたい場合は1度ダラスに行って(飛)からその装置を利用するというなんとも間抜けな装置だった。しかももの凄く砂漠な場所に置いてあった。
『どこでもドア』の凄いところは、『どこでも行ける』ということ以上に、ドラえもんが『どこでもドアをいつでも持ち歩いている』ということだと私は悟った(閃)のである。
管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その22
(携)に(メ)がつき、(写)がついた。
あなたは何をつけて欲しいだろうか。
私は家中のリモコンをあれに登録出来ればと思う。
例えば「ビデオの操作」という機能を選択すればビデオのリモコンに早代わりするのだ。
途中で(電)が掛かってきたりすると、うっかり録画停止してしまうから、滅多なことでは(電)をしてはいけない。
母危篤はいいが、父危篤程度では架けるなということだ。
家の中にはリモコンがあふれている。
(TV)、(VHS)ビデオ、(波)スカパー、(COOL)エアコン。これらが複数あればもっと増える。
最近は扇風機にもリモコンがついていると聞いた。
そのうちリモコンを操るリモコンが登場するのではないかとひやひやしている。
リモコンを(携)に登録してしまえばかなりすっきりする。
出来るなら(TV)、(VHS)ビデオ、(波)スカパー、(COOL)エアコン自体を(携)に押し込んでしまえばいいとさえ思う。
なんなら私自身が入ってやってもいいくらいだ。
そんときはせめて(電)でも引いて欲しい。
私はリモコンをよく見失う。本体を直接触れる位置にいながらもリモコンを探している。
最近のエアコンはリモコンが無いと操作できない。
こんな馬鹿な話があるだろうか。
万が一リモコンを失くしたら子供の頃のような暑い夏がやってくる。
暑いのが当たり前でいた時代からクーラーが当たり前の時代に変化し、人間がリモコンに操られている(汗)
管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その23
ナンシー関が死んだ(泣)私は彼女の本を何冊か持っているし、版画のシールブックも持っている。今日上司に梅宮辰夫がキュウリをもって『オレがつけたキュウリが喰えないのか?』というシールをあげた。これからどんどん毒舌が冴えてくる年齢だというのに。読むべき文体を伴った作家が一人いなくなってしまった。悲しい。
ヤフーからたどった彼女のページには、NHKの『奇跡の詩人』について、脳障害をもった子供がキーボードを押し、詩を発表するという奇跡に『抱いている母親が動かしてねぇか(?)』と誰もが思う突っ込みを入れている。という話題から、『まだ何かあるな。誰か死ぬか(?)』と書かれていた。まさか自分自身が死んでしまうとは思わなかったのだろう。
私が気になったのは彼女が死んだ後のホームページはどうなってしまうかだ。家族やスタッフが『消したい』『死亡宣告に更新したい』と思ってもパスワードを知らないと更新出来ないだろう。かと言って生前に『私のパスワードは****よ』などと言っている筈もない。
先日もノルウェー国立機関の資料を管理していた人物が突然(化)死んでしまい、資料を閲覧するパスワードを誰も知らない事態に陥り、ハッカーにお願いしてパスワードを探り当てさせていた。(公開から5時間後には見つかったそうだ。恐るべしハッカー)
危機管理が甘いと言われる会社の(PC)パソコンにはテプラでパスワードが貼ってあったりする。誰かが突然死んでも安心という訳で、むしろ危機管理がされているという見方も出来るだろうか。
私が突然死んでもヤフーBBから請求が来続けるだろう。親は私がヤフーBBと契約していて毎月自動引き落としされているなんてことは知らない。(電)番号だってろくに教えていないのだ。私の(銀)メインバンクがどこかも知らない。もしかしたら『がん保険』も払い続けるのだろうか。死んでいるのに。買って3ヶ月で廃車になった車のローンを支払うより虚しいぞ。というか私が『がん保険』に入っているということも伝えておかねば『がん』で死んでも親が保険金を貰えない。
『死んだら契約を解除して欲しい』というリストを一覧で作ってそれを遺言状として分かりやすい場所に置いておこう。それが完成するまでは死ねない。
最近若い人が突然死するので、私も危機感を感じている感がある。
管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その24
私は絵文字システムを開発した。とは言うものの、画像はJ-PHONEで使われているものをパクってきた。違法ではないと思う。だって自由に使われてこそ絵文字なのだ。WEBページ作成にどうぞとも書かれているし。(J1)(J2)(J3)はカラー絵文字が使えます!と、ちょっと宣伝しておこう。
私がいちいち img タグを書いていると思ったら大間違いだ。例えば文章の中身に(笑)と書けばwebサーバーが(笑)に勝手に変換してくれるという優れものだ。
この歳になると『はじめて食べるもの』というのがもうない(泣)もちろん『ツバメの巣』『(熊)の手』『(猫)の額』など、とても一般的ではなく、かつ高級(V)な食材をのぞいてだ。キャビアやアワビは高い($)が本当においしいのだろうか。私は何度か(食)べたがおいしいとは思わない。むしろ、もう二度と(食)いたくないとすら思う。
鯛のおかしら付きだったら(魚)サンマの塩焼きの方が好きだし、高級伊勢エビ1本より大正エビ5本分の天ぷらの方がよっぽど好きだ。私が庶民だからだろうか。
そこいくと(赤)子供は『はじめて食べるもの』という楽しみがあって良い。しかし子供はそのことに気がついているのだろうか(?)気が付いていたら、(飛)の離陸時あんなに泣き叫ぶ筈がない。海外に行ったら『はじめて食べるものだらけ』じゃないか。もっと喜べ(!)
もしかしたら『はじめて食べるものだらけ』なので(喜)の表現として(泣)き叫んでいるのだろうか。そうに違いない。よだれをだらだら垂らしている。少し落ち着いたかと思えば着陸時にまた泣き叫ぶ。いよいよ『はじめて食べるもの』を待ちきれないのだろう。じゃないとしたら覚醒剤でもやってなきゃ、あんなに奇声を発して周りに迷惑をかけない筈だ(汗)
(赤)はなんて、おとなげ無いのだろうか。私は(赤)に生まれなくて本当によかったと胸をなでおろしている。
管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その25
手足口病という病気を御存知だろうか。私は知らない。
私は甘いものが大嫌いだ。プリンや(ケ)はまだ許せるが、ようかん、おはぎ、などこってりした甘さが許せない。私が例えば江戸時代に生まれていたのならば、こんなにおいしいものは無いと思って喰うことだろう。が、現代はおいしいものが溢れ返っている。わざわざこんなものを食べなくても良い。しかし糖分は脳にとても良いと聞くので意識して食べるようにしている。
親戚の家にいったら"ようかん"が出てきた。今時『ようかんでもてなす』という家があるだろうか。21世紀である。近未来だ。時代に逆行しているそのコンセプトが気に入ったので食べてみることにした。いつ以来だろうか。物心がついてから初めてかもしれない。お茶をすすりながらやっとの思いで食べ終わった頃、「まぁ若いのにようかんが好きなの」と言われ、少し愕然とした。違う。若くないし、ようかんは大嫌いだ。
私は『自分が嫌いなものを敢えて食べる』という自虐的行為が大好き(好)でたまらないのである。
「嫌いなものが大好き」とも言える。このことを人に説明しても誰一人分かってくれないので、説明しないから常に勘違いされてしまう。私が(天)(死ん)だらお墓に"ようかん"を供えられてしまうのだ。悲しい。そして虚しい(汗)いっそのこと殺してくれ。
管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その26
なんなんだアメリカという国は。私は2年前オリンピックがあったころ丁度アメリカにいた。サッカーで日本対アメリカがあった。にも関らずテレビ放送していないのだ。アメリカはサッカーをプレイする人は意外に多いと聞く。だが見る人は意外に少ないとも聞く。
これだけ盛りあがっている日本と冷めているアメリカ。当然日本が勝つと思われたがPKでアメリカが勝ってしまった。翌日の新聞に何も出ていない。水泳と陸上が少し出ているだけだった。オリンピック自体が盛りあがっていないのである。
韓国はポルトガル戦を引分ければアメリカが決勝に出られないという状況にも関らずポルトガルを負かした。韓国はえらい。正々堂々と勝負している。
そして決勝リーグ。いたのかアメリカという感じだが、既に8強入り。自国もあまり応援していないアメリカ。淡々と勝っている冷めた感じがクールだ。うらやましくもある。
人気は無いが実力はある。なんだかエレカシのようだ。数あるサッカー番組でも一言も語られることが無いアメリカ。ちょっと注目してみようか。
管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その27
ワールドカップを見ていて、決勝リーグともなればどちらが勝ってもおかしくない試合ばかりである。こうなると勝つのはその時の運でしかない。とも思えてくる。もう1試合やったら負けたチームが勝つのかもしれない。だから優勝した国が本当に強いかどうか分らない。
となれば別にサッカーで勝敗を決めなくてもいい。所詮どちらが勝ってもおかしくないからである。ジャンケンとかあみだくじで決めてもいい。そしたら俺がデルピエロに勝てるかもしれない。そんな風に訳のわからないことまで考えてしまう。
PK戦なんか見てたら可哀想になってくる。やっぱりジャンケンで決めたらどうか。もしくは延長までやって引分けたら混合チームとして2ヶ国とも次に進めるとか。なんとかならんか。
管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その28
大事なことを思い出した。宮本氏、 JAPAN CIRCUIT で『Yeah』のかけ合いの後『いかりや長介みたいだ』とつぶやいていた。
私は物欲がまるでない。日本が不景気なのは私のせいじゃないかと睨んでいる。日々の食事すら無駄だと思う。ほぼ毎日吉野家かイシイのハンバーグだ。私はこんなもんで満足だ。タバコも止めた。タバコを止めたら(T)コーヒーも要らなくなった。1日平均300円程度で生きている。ケチな男だ。
(闇)町を歩けばそれなりに、『これ面白いな』と思う。しかしあれこれ考えて結局何も買わない。『本当に必要なのか』と考えたときに『本当に必要なものなど何一つ無い』という結論に達する。アフガニスタンのことを考えたら、今あるもので十分だし、何か買ったところでいずれ死んでしまうのだ。これを悟りの境地だとすれば釈迦はずいぶん開き直った生き様だ。
最近買ったものと言えば、(DVD)DVDレコーダー、掃除機、(CD)CDはブリグリ、椎名林檎、ミスチル。今日は宇多田ヒカルのアルバムも買った。そんな程度だ。あ、神宮の(華)花火大会のチケットも取った。(携)携帯も買い換えたっけ。(J1)(J2)(J3)J-PHONEは西日本で契約した方が安いと聞いて(飛)飛行機で九州に行って契約して帰ってきた。エレカシの福岡ライブのついでだ。
本当だったら妻と子供二人くらいを養っていける程の($)高給取りが、自分のためだけに使えるのだから、ガキのこづかい程度の買物ではいけない。
親不知を抜いた。麻酔が切れたらじわじわ痛い。
無事な方の側からうどんをすする。
麺類のありがたさを知る。
管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その29
親不知(おやしらず)を抜いたので親不知について調べた。
一般に親知らずは、永久歯(大人の歯)の中で最も生えてくるのが遅く、お口の中に顔を見せる時期は、思春期以降になることがほとんどです。(20才前後)
そのため顎が小さい現代人では、親知らずが生えるための場所を他の歯に先取りされ、斜めに生えたり、生えて来る途中にどこかに引っかかって横を向いたり、歯ぐきの下に埋まったままになってしまう、ということが起こります。
でも特別症状が無ければ慌てて抜く必要はありませんが、既に親知らずが虫歯になっていたり、付近の歯ぐきが腫れを繰り返したりしているときは、虫歯治療をしたり、抜いてしまう必要が生じます。
親知らずの根っこが未だ未完成の場合は(概ね20才代)、横向きの親知らずが他の歯を押して歯並びが乱れることもあるので、このような状況が予想される場合も抜く必要が有ります。
例え今は不必要な歯でも、将来歯の移植をする必要が生じたときは、貴重なドナーとなり得ますので抜く前に納得のゆく説明を受けて下さい。
だそうだ。子供が20歳になってその歯が生えるころは親は知らないということか。親が死んじゃうのか?昔の人の寿命は短かったと聞くからそうなのかもしれない。
もっとも現代においても20歳になった我が子の口の中なんか見ないことだろう。
歯を抜くとなるとイメージだけで失神しそうだが、実際は部分麻酔(この麻酔の注射もかなり細い針らしくチクっとしか感じない)し、グリグリしているうちに緩んでくるようだ。引っこ抜くのかと思えば、微妙に小さな回転を与え続けるとぽろっと取れるらしく、いつ抜いたのか分らなかった。
覚悟していたので『いつかな、まだかな』と思っている矢先に『もう抜きましたから』というドクターの一言で拍子抜けしてしまったくらいだ。血もすぐに止まってしまった。麻酔が切れたころ少し痛みを感じた。
痛さより食事がまともに喰えないのが痛かった。醤油だと沁みるかもしれないので豆腐にもずく酢をかけたのと、冷やしうどんを抜いたところに近づかないよう傾きながら食べた。
管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その30
こうは見えても私だって暑いときは暑い。毎年夏になれば軽井沢の別荘のパンフレットを眺めている夢を見ているような気分でいる人とは友人にはなりたくないなぁと思う気持も萎えがちだ。
部屋に居ればクーラーのひとつも入れたくなる。ふたつあっても無意味だからだ。部屋のクーラーのスウィッチを入れると部屋が(COOL)涼しくなる。この当たり前の事実に誰も疑問を持たないのだろうか(?)。疑問を持たないことが疑問だ。
私は部屋が涼しくなくてもいい。私だけが涼しければそれでいいのだ。
例えば掃除機が置いてある部屋の片隅。そこも涼しい。そこが涼しいことに何の意味があるのだろうか。そんな場所を涼しくするエネルギーはだいぶ無駄である。贅沢は言わない。私の体の周囲1cm程度の空気が涼しければそれでいいのだ。
例えば電子レンジは中に入れたものだけが温かい。不思議なことに電子レンジ自体は熱くならない。これを逆に応用すれば人体だけが涼しいクーラーというものが出来ても不思議ではない。一体家電メーカーは何をやっているのだろうか。それで二酸化炭素を減らそうなんてちゃんちゃらおかしい。京都会議を守らないアメリカは正しいとも言える。やっぱり正義の国だ。正義のためなら(銃)戦争だって拒まない。健康のためだったら死んでもいいと言う人と同レベルなのだ。アメリカは。
一方で洗剤の要らない洗濯機が発売されて文句を言っている洗剤メーカーは滑稽だ。そんな暇があったら『洗濯機の要らない洗剤』を開発して対抗すればいい。目には目やに。
一見出来そうに無いからといって始めから諦めるな。
と思う気持も(泣)萎えがちだ
管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その31
休みになると自然を求める都会人は結構多い。これだけ情報化社会だと情報から逃げだしたい。
先日(FB)ワールドカップ予選リーグを(旗)日本が突破できるかどうかがかかっている第三戦は平日行われていた。私は(VHS)ビデオを回し、結果を知らずに家に帰って(VHS)ビデオを見て流れの中から結果を知ろうと試みたのだ。一般的には不可能だと思われるだろう。帰宅時にいろんな情報が飛びこんでくるからだ。しかし私の職場から家までは(歩)歩いて100歩。その間には自動販売機がひとつあるだけだ。
4時半くらいに携帯に1通の(携携)メールが入った。会社で(TV)テレビを見るという私の彼女には結果を送ってくれるなと(鍵)指止めしていたから送信者が誰かも確認せず安心して開いてみた。普段めったなことでは(メ)メールなんかくれない知人が何故か途中経過を送ってきた。いやがらせか。
しかし結果が分った訳ではないからまだましだ。さて5時半。いよいよ帰ろうとした私に、後ろの島のオヤジが『2対0、2対0』とつぶやきながら歩いてきた。どうやら下の(T)喫茶店で見てきたらしい。それを知らせることが親切だとでも思っているのだろうか。だからいつまで経っても出世出来ないのだ。ばか。
知らせない親切というのもある。なんて先週は思っていた。しかし、日本が負けたからって訳でも無いが、ワールドカップって面白いか?と思う。これだけ盛り上がっている最中にこんなこと言うのも何だが、4年間頑張ってきた選手に対して審判の誤審が多すぎる。しかもゴール直前に取り消される場面が多い。イタリア、スペインなんか普通に考えれば勝てていた筈だ。
ロシア戦の稲本のゴールだって本人も後から言っているようにオフサイドだった。これだけビデオカメラで写されてしまう審判も大変だろうが、大変ならばいっそ『今の場面はビデオで判定します』という制度を作ればいい。または、5人目の審判は常にビデオを見ているとか。
もっと極端に言えばゴールポストに当たって入るか入らないか微妙なシュートを打って、入らない場合。ゴールポストに当てるだけで凄い。入れるより凄い。2点あげてもいいくらいだ。サッカーはある程度の技術があればあとは運でしかない。その運がゴールポストで左右されるなら仕方がないが審判によって左右されるならば、はじめからプレステで対戦したって同じだ。プレステは空席もないと聞く。
そんな微妙な運命を国を挙げて喜んだり悲しんだりしている。暴れるのもいる。アメリカみたいにクールに『ふーん。勝ったの』という見方が正しいのかもしれない。
管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その32
20代の頃、私はいつも心に花束を持っていたが枯れてしまった。
花なんかどうだっていい。(薔)花は人類に気に入られようと必死に美しく咲く。そのコンセプトが気に入らない。見た目はきれいだが思想は歪んでいる。種の保存の自己努力を怠り、人類に育ててもらうことにより、繁栄しようとしている。
これはオオカミから派生した(犬)犬もそうだ。首輪と引き換えに(食)エサを貰える環境を手に入れ、ワイルドな心を捨ててしまったのだ。これで生きていると言えるのだろうか。そうまでして生きて何の意味があるのだろうか。
人類もそうだ。私も人類。種の保存の自己努力は全くしていない。自分の将来さえ不安なのに子供を育てていく余裕などない。($)退職金は企業が搾取し、老後に退職金など出ない。年金制度が崩壊するのは目に見えているから年金も自分で貯金している。真面目に年金制度を利用する人と生活保護を受ける人が逆転するかもしれない。本人が悪いとは言えみすみす飢え死にさせる訳にもいかないから国は保護せざるを得ない。本当は放って置けばいいのだ。
こんな考え方は間違っていることは承知しながらも、そう考えざるを得ない環境に日本はなっている。世界中がなっている。それが先進国と呼ばれている。そうまでして生きて何の意味があるのだろうか。神からの意思が全員死刑ですと言われる所以だ。
管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その33
21世紀。そろそろ完成形の状態で生命が生まれてきてもいいのではないか。
人は何かを学ぶのに時間が掛かる。そして何かを極めても所詮いつか死んでしまう。そして次の世代の人間も何かを学ぶのに時間がかかる。そして何かを極めても所詮いつか死んでしまう。こんな非効率なことを繰り返していていいのだろうか。例えばブラジルの(FB)サッカーが強いと言われてもロナウドが引退してしまえば、またいちから育てなければならない。これでは効率が悪い。
だとしたら最初からロナウドが生まれてくれば良い。普通の子供が0から100になる間に、ロナウド状態の子供は既に100だから200になる。これを繰り返せばヒットポイント999999のロナウドが出来上がる。
例えば生命を持った星が発見されたとする。おそらく『野球』というスポーツは無い。似たようなのがあるかもしれないが、野球はかなり洗練されたルールである。しかし『サッカー』というスポーツはあるのではないか。サッカーは非常に単純なルールだからだ。
そうするとワールドカップで優勝した国は、地球代表として別の星で優勝した国と戦わなければいけない。より優れた選手を育てるには、やはり完成形の状態で生命が生まれてきたらいい。
そういう発想に基づいて(馬)競馬は行われている。サラブレットはただただ(うま)走るために完成形で生まれてくる。少しでも骨折したら薬殺されてしまう。死刑宣告。
というかなりのノイローゼ的な考え事をさせてくれたワールドカップ。今後どうスカパーとつき会って行くか、が庶民の悩みだ。
管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その34
私はバナナという植物にほとほと感心するのである。バナナは木でなく(四)草だと聞いたことがあるが本当だろうか。そんなことはどうだっていい。バナナが木だろうが草だろうが私の生活が楽になるわけでもない。
衛生的に皮で包まれているから洗わなくて良い。「こちら側のどこからでも剥けます」的なあの剥きやすさ。繊維質に沿ったあの剥きやすさといったら他に類を見ない。柑橘類も少しはバナナを見習ったらどうなんだ。そして1本が1回の量に最適である。よけいな種や芯などがない。
これほど便利な食べ物がなぜ存在するのだろうか。私は(天)神の存在を意識せずにはいられないのだ。そして神がバナナなど口にしていたら威厳もへったくれもないことも分かっている。
大人は外でバナナをくわえてはいけない。外見が立派であればあるほどに、間抜けに見える。考えてもみて欲しい。Tシャツでバナナはまぁ許せるが、スーツでバナナはどうよ?バナナは相当の破壊力を持って我々の日常に食い込んでくる。
管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その35
一人暮らしは下手に自炊すると高くつく。私の家から一番近い外食屋が吉野家だから仕方が無い(泣)。最低でも週に3回くらいは牛丼なのである。
いつも牛丼ばかりで飽きてしまうので、たまには変えてみようと思い、牛皿とご飯を頼んでみたのである。牛皿とは牛丼の上に載っている具の部分である。そしてご飯とは牛丼の下にある白い米である。つまり牛皿とご飯で牛丼なのである。数学風に書けば「牛丼 = 牛皿 + ご飯」ということになりかねない。しかし数字で(卵)割り切れないことを大人の私は発見してしまったのである。足し算にも関わらずである。
牛丼 と 牛皿 + ご飯 は明らかにイコールではないのだ。まるで別のものを食べているかのような感じである。
牛皿の方が『つゆ』の部分が生き生きとしている。『つゆ』が話せるとしたら「いつもいつも飯の上にかけてんじゃねぇぞ」と言い出しかねない。ご飯はご飯の自己主張、つゆはつゆの自己主張をし、別々に食べてあげた方がおいしい。
しかし私は値段を見て愕然としてしまった。牛丼280円。牛皿240円。ご飯130円。数学風に書けば「牛丼280円 < 牛皿240円 + ご飯130円」ということになりかねない。牛皿とご飯を頼んで、おもむろにご飯に牛皿をかけて食べる勇気があるだろうか。単なる牛丼に成り下がってしまうのだ。少なくとも私は出来ない。なんて小心者(泣)なんだろうか。
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『敗北と死に至る道が生活』その36
連日吉野家の話ばかりで恐縮なのだが、連日吉野家ばかり喰っている身にもなって欲しい。私の家から一番近い外食屋が吉野家だから仕方が無いのだ。
数々の吉野家裏メニュー(『並、肉多めで(真顔で言うのがコツ)』等)を編み出してきた私であるが、最近もっと素晴らしいメニューを発見した。
例えば自宅に持ち帰り、『明太子』や『納豆』と組み合わせたい場合、牛丼はご飯が台無しになっている。ご飯が土台にも関わらずである。ご飯が土台(?)そう。私は具を土台にしてしまえばいいと閃(ひらめ)いた(閃)のだ(!)具を下に入れてもらい、ご飯を上にのせる。そうすると白いご飯のところで『明太子』を食べたあと、牛丼が食べられるという訳だ。
私は早速実践したのである。
私『持ち帰りで並。逆で』
牛『はぁ?』
私『具を下に入れてご飯を上に』
牛『はい』
意外にもあっさり受け入れてくれた。280円で牛皿弁当(370円相当)感覚である。勇気があったらやってみるがいい。『並。逆で』(V)。