管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その21
階段を使わず、エスカレーターやエレベーターを使いながら、お金を出してジム(力)に通う。意味が分からないぞニッポン人は。
昨晩『どこでもドア』を開発した夢を見た。
理論的にはコンピュータのネットワーク通信の原理と一緒で、人体を細胞レベル(もしくはDNAレベル)にまで細分化し、通信回線を不要にするため、無線((波)衛星通信)で送信し、行きたい場所で復元するという、あたかも実現出来そうな夢だった。
しかし、その装置が何故かアメリカのダラスに置いてあり、どこか行きたい場合は1度ダラスに行って(飛)からその装置を利用するというなんとも間抜けな装置だった。しかももの凄く砂漠な場所に置いてあった。
『どこでもドア』の凄いところは、『どこでも行ける』ということ以上に、ドラえもんが『どこでもドアをいつでも持ち歩いている』ということだと私は悟った(閃)のである。