エレファントカシマシDB 管理人の日記 200309

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『敗北と死に至る道が生活』その374
(本)『東京の空』を買いに行ったがなかった(汗)。アルバム『東京の空』のジャケットに写っている(ビ)パークタワーの地下の本屋。おまえの入っているこのビルが東京の空じゃないか。ばかたれ。何だかなぁ。オペラシティーの紀伊国屋に行ったがそこにも無かった。『写真集かなんかですか?』と言われた。リキッドルームできっと売ってるだろう。そこで買おう。

ちなみにアルバム『東京の空』のジャケットのミヤジが立っている場所は初台の交差点だ。山手通りと甲州街道の交差点。撮影当時はNTT本社ビルの工事中のクレーンが垣間見られる。中の歌詞カード裏面はパークタワーと都庁のコラボレ。ちなみに設計はどちらも丹下健三。パークタワーの3連塔と都庁の2連塔の5つが綺麗に並ぶ地点が初台の商店街。かつてレストランキノシタがあった付近から見ると5連のビル群に見える。

パークタワーは東京で最も美しい(闇)ビルだと私は思う。都庁はゴテゴテしてあまり美しくない。

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『敗北と死に至る道が生活』その375
THEE MICHELLE GUN ELEPHANT 解散という記事をみて少しどきっとした。


薄暗いバーでデジタルビデオカメラを見せて貰った。最近のビデオカメラは驚くほど小さい。昔のなんか肩に担ぐくらい大きかったのに。

そして赤外線モードの恐ろしさを味わった。肉眼では決して見えない暗闇の文字が鮮明に写っている。こういう機械を見せられると、いたって真面目な私でさえ「あんなことやこんなことにも使えるな!!」と思ってしまう。こういうのをマーシーの法則という。


『敗北と死に至る道が生活』その376
明日の予習で勉強オレ。『DEAD OR ALIVE』改めて聴いたらやっぱりいい。俺の道より好きだ。クレデミは私好みだ。


久しぶりにソニー製品を買った。サイバーショット。デジカメ。プレステ2以来のソニー製品だ。

ソニー製品で思い出したが私は昔、家電販売修理の店で働いていた。お客さんから電話があった。

客『クーラーが壊れたんですけど』
私『メーカー分かりますか?』
客『ソニーなんです』
私『ソニーはクーラー作ってないですよ』
客『でもソニーなんです』
私『とりあえず行ってみます』

私『ソニーってクーラー作ってないっすよねぇ』
店長『そうね』
私『ちょっと見てきます』

行って見たらまさにソニー製だったことがある。アメリカで買って日本に持ってきたらしい。
世の中もっとグローバルな視野でとらえないといけないなぁと感じた。


『敗北と死に至る道が生活』その377
リキッドルームに行って来た。Live/Setlistにセットリストを書いたので見たくない人は注意。感想もライブレポートに書きました。言った人は是非書き込んで下され。では明日もがんばりましょう。


『敗北と死に至る道が生活』その378
リキッドルームは床が揺れて落ちそうで怖い。

『今晩、歌舞伎町のライブハウスで床が抜けるという事故が発生しました』なんていうテレビ放送を想像しながらライブを見ていた。完全にノイローゼだ。

ロッキンオンの(本)『東京の空』売ってなかった。ツアーパンフ3500円。Tシャツ3000円。中途半端なサイズのタオル。そんなものより『東京の空』置いといたら売れるのに。ツアーパンフ、昔は買っていたが帰ってきてちらっと見てそれっきり。だから最近は買わなくなった。そういえばエレカシのジッポ何処へ行ってしまったんだろう。禁煙してからどこかに失くしてしまった。出てきたらYahooオークションにでも出すか。

明日は新しい(写)デジカメを持って(本)本を探しに新宿を散歩しよう。(晴)だといいが。


『敗北と死に至る道が生活』その379
散歩をするには暑かったようだ。それでも私は今年は夏らしい夏を感じていないことに少々不満だったのも事実だ。新宿中央公園。私の定番の散歩コースだ。必然的に都庁に登る。

タダなのだし気分がいいからだ。都庁でみかけた『東京x豚カレー』というレトルトカレーをなにげなく買ってみたら意外にうまかった。

アルバム『東京の空』の裏の写真位置。
この地点を上からみたらこんな感じ。


『敗北と死に至る道が生活』その380
私はちょっと前まで毎日3、4本の缶コーヒーを飲んでいた。もったいないから辞めた。今日久しぶりに飲んだらうまかった。Roots のファインエッジ(微糖)というやつだ。毎日こんなうまいものを飲んでいたのかと改めて思った。3、4本飲んでいたころはじっくり味わっていなかったようだ。

満たされないまま生きているのは不幸なのだろうか。では満たされているのは幸せなのだろうか。私は日本でそこそこの暮らしをしていれば誰もが満たされているのではないかと思う。『いや私は満たされていない』と思うのなら貧しい国々の人と比べてみたらどうだ。注射一本もロクにない地域がこの地球上には存在する。そんな地域と比較するのが分からない、とよく反論されるが。

病気や戦争に巻き込まれた人を除いたら貧しい国々の人の方が笑顔だ。日本人のクソガキどもよりよっぽど素晴らしい笑顔で笑っている。満たされないまま生きているのは不幸なのだろうか。満たされているにも関わらず満たされているという実感がないことが一番不幸だ。

『満たされないまま引きずりまわして歩け』満たされない状態でいた方が満たされた時の喜びは倍増する。日常生活はある程度満たされない状態をキープしていた方がいい。叶姉妹は毎日ゴージャスな暮らしをしていて不幸だ。缶コーヒー1本飲んでそんなことを考えていた。


『敗北と死に至る道が生活』その381
作品一覧に『全作品ツリー表示』を追加しました。表示にかなり時間がかかります。あなたの予想する10倍くらい待って下さい。時間がかかる割には何に使ったらいいか分かりません。最近は必要性があって開発するより開発してから使い道を考えるそうです。

何にも使えないけど、眺めているだけで作品群に囲まれている感じで、幸せな気分になれます。かね?


『敗北と死に至る道が生活』その382
ライブ履歴に『アルバム別選曲率』をつけてみました。先日のリキッドルームを例に取ると『俺の道』からは全曲やった筈です。ありゃ。92%になってしまった。心の生贄があるからだ。

2000年の日比谷野音は『good morning』から100%、2002年の日比谷野音は『ライフ』から50%、2003年の日比谷野音は『俺の道』から17%???。いかに今年の野音が異常だったかが分かります。


『敗北と死に至る道が生活』その383
私は暇さえあれば、『事象を誰かが入力しているようじゃまだまだだめだ』と考えている。例えばここのライブセットリストもライブという事象に対し結果を私が入力している。入力しないと結果が出せないからだ。この『入力しないと結果が出せない』ということは非常に間抜けだ。しかも間違える可能性が高い。

例えばゆうパックやクロネコの荷物追跡システム。ある番号が振られて自分の出した荷物がどのように輸送されているか、届いたかなどを追跡するシステムだが、出した日は出した局にある。次の日見てみると出した局にある。翌日見てみると届いたとなっている。お前は瞬間移動でもしたのか。途中経過はどうなっているのだ。見るたびに『富士山上空』とか『大阪城真上』とか『まぁ焦るな』とか『私だって頑張ってるじゃないか』とか『うるさい』とか出るのが追跡システムだろう。

結局、途中経過なんていちいち入力していられないのだ。事象自体が自動入力されるような仕組みがなければだめだ。世の中の事象が全て自らの状態を発信し、インターネット上にたまっていけばメンテナンスをする必要がなくなる。そういう仕組みがおそらく未来にはなりたっていることだろう。しかし停電だけは記録されない。記録しようとした瞬間に機能を失うからだ。電気を使っている以上なにをやっても無理だ。電気に変わる何かを考えなければいけない。

私は有機生命体が鍵を握っていると思うが、それを実現できるほどの知識を持ち合わせていない。例えば改造されたゴキブリやハエなどがセンサーの役目を果たし、そいつが認識した情報は全てインターネット上の単細胞DNAスーパーコンピューター(デジタルを塩基に置き換えたもの)に蓄積される。この時重要なのはゴキブリ自体の脳みその認識力などどうでもいいことである。はじめから無理だと言ってあきらめるな。

2003年今日現在この東京じゃ言っている事が理解されない。


『敗北と死に至る道が生活』その384
限定プレゼントに『俺の道』の12曲を追加し、バージョンアップ版がダウンロード可能となっております。


『敗北と死に至る道が生活』その385
今日は三味線教室の飲み会だった。ケイコとマナブに出してるだけあって、若い人ばかりだ。何故「津軽三味線」なのか。私の場合の動機は自分でもよく分からないのだが、息切れ、めまい・・・そういったことだ。この日出た結論としては、

「R&Bなんて言っても日本人には分からない」

ということだ。黒人の貧困層の魂の叫びをいくら日本人が上手にやっても、猿まねになってしまう。DNAが違うからだ。日本人には幸い和楽器がある。津軽も実は盲目の楽器なので本当の叫びは表現できないが、少なくとも日本人だから弾く資格がある。まぁあまり難しく考えることもないがそういうことだ。

先生はヨーロッパ公演などもやっていて、地元の評判はやっぱりいいそうだ。まず着物を着て登場しただけで、盛り上がる。「忍者」とかそういうイメージなのだろう。先生は「今度から刀もっていく」と言っていたが、ちょっと方向が違ってしまう気がする。「刀持って振り回してみせる」と言っている。三味線はどうしたんだ。大丈夫か。先生。

単音でここまで聴かせる楽器というのが欧米には無いそうで、欧米は「和」なのだという。「和」は日本という意味なので、話が分かりづらい。欧米の音楽に対知る考え方が「和音」でいかにハーモニーを厚く奏でるか。という理論だが、三味線は「単音」だ。基本的に3つの弦を同時に弾くことは無い。(たまにあるが)常に単音を奏でる。欧米にも「アルペジオ」というのがあるが、あれは和音を分解したもので、単音ではない。そういう独自の文化を持つ日本というものを大切にするらしく、文部省も和楽器を必修科目に取り入れたそうだ。

技術の継承というのは非常に大切なことだ。だが、本当に伝えたい文化などはデータベース化が難しい。津軽三味線の弾き方がデータベースなんかになってたまるものか。一方データベースにしやすいものもある。それらはそこそこ便利で価値もある。

だが、コンピュータ自体の技術なんてものは全く無意味である。コンピュータ技術についてまとめようとしても無意味きわまりない。例えば「ハードディスク20MBの時代のデータ圧縮技法」という技術なんか今時誰も知りたくない。必要ないのだ。そんな技術情報をまとめて今後のノウハウにしようとする小さな会社が沢山ある。はっきり言ってマイクロソフトやオラクル社のような大企業ならそれなりの意味があるが、従業員数100人以下の会社はそんなことしても全く意味がない。そんなことするんだったら仕事しろ。

でも管理職はこういう無意味な作業が大好きみたいだ。まぁそれで給料もらえてるんだったらそれでいいのだけれども。囚人に対して最も過酷な作業「穴を掘らせる」「それを埋めさせる」という作業の繰り返しだそうだ。


『敗北と死に至る道が生活』その386
大竹まことは双子である。


『敗北と死に至る道が生活』その387
RadioHeadのトム・ヨークはかつてこんなことを言った。

「今回シングルは切らない。ブリトニー・スピアーズと競争してもしょうがないと思ったから」


『敗北と死に至る道が生活』その388
小学生の頃近所で火事があった。その家が火事だったのは火を見るより明らかだった。何故なら火が見えたからだ。

野次馬というのだろうか、近所中の人が見物に繰り出した。夜9時くらいだったと思う。バケツの水をかけようと頑張ってみている。バケツなんかじゃ消せないことは火を見るより明らかだった。何故なら火が凄かったからだ。住人は逃げ出せたらしくあたふたしていた。

俺は靴下を履いて出てきたことを少し後悔していた。こういうときは裸足で駆けつけなければだめだと思った。なにを暢気(のんき)に靴下履いてしまったんだろう。大人はステテコやサンダルだった。それでも単なる野次馬なんだ。

隣の山田さんのおじいさんは寝たきりだった。寝たきりだった筈の山田さんのおじいさんは火事を見ていた。本当は歩けたんだ。「火事場の馬鹿力を使って野次馬になる」そんなことに馬鹿力を使ってどうするんだ。じじぃ。1馬力は1馬鹿力程度か。

駆けつけた消防士は重装備だった。消防士が取る物もとりあえず裸足で来たら、それこそ迷惑だ。


『敗北と死に至る道が生活』その389
広島(2003/09/15)は荒れたようだ。今更ながら驚くべきことではないが、新しいファンのかたは少なからずショックを受けたのではないか。以下はミヤジの心を代弁する私なりの考察である。数少ないファンを減らさない為にも今回のことだけでエレファントカシマシを判断するのはもったいないことだと伝えたい。当然私はミヤジではない。しかし同世代として察するところもあり参考にして頂きたい。

21世紀現在このニッポンでギターを投げつけるミュージシャンがいるかどうか、私は他のミュージシャンに興味がないので知らない。他のミュージシャン(特に男性バンド)への興味をなくしたのは他ならぬエレファントカシマシのおかげだ。おかげで無駄なCDを買わなくて済んでいる。ステージを破壊するほど真剣に音楽と勝負しているバンドを知ってしまったら他のバンドを聞くのが馬鹿馬鹿しくなる。70年代の洋楽ロックシーンにおいてはギターを燃やしたり、ステージに叩きつけるパフォーマンスが多かった。パフォーマンスと言えるのは『リッチー・ブラックモアは叩きつける用のダミーギターを用意している』という噂からだが。

37歳にしてメンバーにギターを投げつけるミュージシャン。その後すぐに、大人気(おとなげ)なかったと反省しきり。30代も後半になればなるほど恥ずかしい過去を思い出す。もうあんなことはしないと誓う。しかし突発的に大人げない事をやってしまう。そしてまた反省する。一人になると10代、20代、30、31・・・恥ずかしいことばっかり思い出す。

私も日々これの繰り返しだ。JRスイカカードが残高不足で自動改札機が閉まる。出る前に閉まればいいのだが、出た後に閉まる。結果、私の後ろの客が出られなくなる。のこのこ戻るのも面倒だからそのまま帰ってきてしまった。あー大人気ない。家に帰って反省しきり。そんなガキみたいな行動してちゃダメだ。次元の低い比較で申し訳ない。

ステージ上のハイテンションの中で何をやったって構わない。むしろ瞬間的に怒りを露(あらわ)にする方が表現者として相応(ふさわ)しいのではないか。ひとたびステージを降りればこんな詩も書ける男のことだ。

春の風は俺を舞台上に立たせる
あるべきでない場所へ俺もぐりこんで
追いたてられたカラスよろしくの体たらく
結局一人芝居の心の生贄だった
さらば俺に帰ろう

俺はやさしさと軽蔑取り違えていたんだろ
信じればこそ俺は強く求めよう
今以上の俺を
ただあるべき場所へ帰れ
さらば俺に帰ろう

異常ハイテンション時代のガストロンジャー直後から『good morning』発売後しばらくミヤジはメディアに露出する。『HEY3』や『Mステ』は音楽番組だから良いが、『さんまのまんま』や『王様のブランチ』にまで出てしまう。私は見なかったがドラマにも出ていた。これが『あるべきでない場所へ俺もぐりこんで』だろうか。アルバム『俺の道』で『あるべき場所』へ帰った。信じればこそ確かなものを伝えきれない場合にはギターだって投げつける。会場が凍りつく。ミュージシャンとしての真剣勝負ゆえに、怒りがメンバーに向かってしまうこともある。これはメンバーに対する『甘え』でもある。メンバーはいつだってミヤジを受け入れてくれる。

ミヤジは精神的に何年かの周期であっちへ行ったりこっちへ行ったりする。それと同時に瞬間的にもあっちへ行ったりこっちへ行ったりする。かなりムラがある。私はミヤジがよく使う『ぶざま』という単語そのものが彼の、そして全ての人にとっての『人生』だと思っている。我々ファンは、ぶざまなこの男を強く信じているのだし、他のメンバーも我々以上にミヤジのことを分かっている筈だ。ミヤジを信じて彼の表現全てを受け止めようではないか。ロック屋として己の道を行くミヤジを。

(追記)
ミヤジがこれ読んだら泣くな。きっと。なんちゃって。
『俺の道』ツアーでは無理だろうが、そろそろ『月の夜』や『涙』や『月夜の散歩』などアンプラグド系も聞きたくなってきたのは秋のせいか。


『敗北と死に至る道が生活』その390
<- 左のメニュー +単発企画に『全曲聴くには?』を追加しました。


『敗北と死に至る道が生活』その391
松山のセットリスト合ってますか?長崎参戦の方セットリスト下さい!!
昔(VHS)VHSで撮り貯めしていた『ごっつえぇ感じ』の(DVD)DVD化を始めた。おそらく80%程度は保存してある筈。ダビングしつつ見ているが、非常に完成度が高い。50分間笑いっぱなしだ。実はスカパーのフジテレビで放送しないかと密かに期待していたのだが、最近DVDが発売されているらしく、そうなるとやっぱり放送しないだろう。DVDは松本が厳選したダイジェスト的なものらしく、細かいものはカットされているようだ。

おじぃさんを集めてのしりとり大会などはカットされるのだろう。おじぃさんを集めてしりとりさせると『ん』で終わっているにも関わらず『んーどうじょう(運動場と思われ)』と進んでしまう。

目隠しで自分が何をされているか当てるコーナーでは箱に入れられ、上から生コンを投入される。今やったらかなりまずいのではないか。今田の回答『殺されかけた』。板尾の回答『大阪に帰らせてくれ』。ジミーちゃんの回答『先輩にこんな扱いか』。司会のダウンタウン『いづれも正解』。

保存しといてよかった。たまにユニコーンの奥田民生と阿部ちゃんが出てくる。スマップが6人の頃のロッテのCMがあったりする。懐かしい。


『敗北と死に至る道が生活』その392
9月も気が付けば半ば過ぎた。もう少しすれば10月。私は子供の頃からこの10月から12月までのなんだか下り坂っぽく年末まで加速度的に落ちてゆく感じが好きだ。12月なんか(SANTA)誰もがせわしなくなるのだが、本当にそんなに忙しいのかと思う。大した用も無いくせに『今年中にしなきゃだわ』と言ってみる。来年死ぬのか。

タオルケットが毛布になり、(今はだいぶ軽くなったが)ちょっと重い掛け布団の厚みにくるまれたときの安心感といったらない。無防備な夏よりちょっと身を守る感じ。この季節を(枯)秋と呼ぶならば、私は秋が好きなのかもしれない。渋滞さえなければ日光にでも行きたいが私は(猿)猿が嫌いだ。

人生も気が付けば半ば過ぎた(爺)。誰もが『この頭のままもう一度(僕)小学生からやりなおしたい』と思ったことがあるだろう。『この頭のまま』というのが単なるヘアースタイルでないことは言うまでもないが、『この頭のまま』でなければ結局今と同じ人生を繰り返してしまう危険性が高い訳で、じゃぁ今まで生きてきたのが(危)危険だったかと問われれば、まぁまぁだと答えると思いきや、そうでもなく、(野)イチローや(FB)中田のように夢を叶えられるかと言えば『この頭のまま』だったらもしかしたら可能かもしれないという淡い期待を抱くから『この頭のまま』という条件をつけてみたくもなるのである。

しかし本当にその頭でいいのか。そんな頭で。(だめ)


『敗北と死に至る道が生活』その393
ところで体が丈夫過ぎるというのは、健康によくないと思う。病が活発に活動してしまう体だから体だからだからだろうか。人はそこそこ具合が悪い方が健康的なんじゃないだろうか。こうは見えても健康マニアの私は「酢が体にいい」と聞けば西に赴き、酢を1リットルばかり飲み干して咽(む)せてみたり、「プルーンが眼にいい」と聞けば、1日中プルンプルンさせている。「冷え性には生姜がいい」と聞けば生姜を食べてみたはいいが、よく考えたら冷え性でもなんでもなかったりする。かえって暑苦しい。

全部「みのもんた」の指示である。彼が「ココアは胃潰瘍にいい」と放送した日の夕方ココアを買いに行ったら殆ど売り切れていて愕然(おどろいちゃったなぁもぅ)としたものだ。そんなにみんな胃潰瘍だったのかと。何なんだこの現象は。日本経済は「みのもんた」が牛耳っているといっても過言だ。スーパーは「おもいッきりテレビ」の内容により仕入量を増やしている。またはスーパーのメニューにより「おもいッきりテレビ」の内容を変えている。と私は睨(にら)んでいる。何故なら「笑っていいとも」の内容により仕入量を増やしても何の事だか分からないからだ。いい大人が「みのもんた」に操られているなんて馬鹿も休みがちだ。


『敗北と死に至る道が生活』その393
「うるう秒」というのがある。太陽日は1年に1秒ずれる。1秒ズラして調整している。

その瞬間のNTTの時報を聞いてみると「丁度をお知らせしま~す」という。「ま~す」を延ばすことにより1秒ずらすのだ。これが「うるう秒」だ。うるう秒がある日のことを「うるう日」とは言わない。「うるう日」とは2月29日のことだ。

となると「うるう年」とは何だろうか?2003年と2004年の間に1年365日を挿入することだ。そうしないととにかく大変なことになるらしい。


『敗北と死に至る道が生活』その394
Live分析メニューに『演奏履歴不明』を追加しました。

『全曲聴くには?』を作品一覧メニューに移動しました。


『敗北と死に至る道が生活』その395
『峰不二子』と『バカボンのママ』をやっている声優が同一人物だということは割とよく知られているが、『一休さんの母上様』もやっている。このことについて人に言うと『へぇ~』ではなく『ああぁ!』と言われる。


『敗北と死に至る道が生活』その396
相撲が国技ではないと言うのは意外に知られていない。そもそも国技なんていうスポーツはない。日本相撲協会が勝手に国技だと言い張っているだけだ。国歌や国旗もこれに似ている。ものとしてはそれらしきものが存在したが、それがはっきりとしていない(またはする必要がなかった)のに定義が後付けになってしまい、おかしなことになる。

私の気がかりは今、力士である。力士はおしなべて巨体である。押してなべるともっと巨体である。だから誰もおしなべないのである。間近で見たことがあるだろうか。テレビで見るとあの巨体さ加減がよくわからない。大きさの目安としてのマイルドセブンさえ踏んづけてしまう有様だ。こうなると大きさの目安としてはウルトラセブンでないと駄目なんじゃないかという気さえするのだ。総武線の両国あたりをうろついていると、力士もうろついている。同じうろついてるにも程がある。

力士が遠くにいても近くに見えるくらいの独特の遠近感をもってせまってくるくらい頓珍漢だ。それは商店街に黄昏が訪れたかのように日光さえ遮ってしまう。太陽->力士->地球という直列の『食』だ。日照権で訴えようにも出来ない。なぜならば力士は建物ではない体。

あぁは見えてもほ乳類ホモサピエンスだという噂だが本当のところはまだ謎である。力士の生態について調べようとする学者はことごとく投げ飛ばされてしまう。現在の力士の体に対して土俵というのはあまりにも狭い。「こんな狭いところに力士が二人もいられるか!!」という競技なのだ。相撲ってやつは。

国技館に行ってみるがいい。土俵の狭さに人々は愕然(がくぜん)とするのである。だから東京ドーム何個分という表現はあるが、土俵何個分という表現は無い。土俵は土俵1個分でしかないのだ。

土俵が東京ドーム1個分あったら、日本相撲協会も観客を沢山呼べていいだろう。だが、見えない。いかんせん観客席から見えない。バックスクリーンに映し出される映像を見て誰もが『これじゃ家で見るのと変わらないね』 と言う。広すぎて押し出しするのにも時間がかかる。だから力士をもっと巨体化する方針だそうだ。

例えば飛行機のシート。スチュワーデスが叫ぶ。「力士の方はバランスよく座ってください」と。機体が傾くのだ。トイレにさえ行けない。エコノミー席に力士は座れるのだろうか。考えてみるまでもなく座れないだろう。このことから「力士はエコノミーじゃないね」と言える。

例えば家計簿に於いてもそれは歴然と分かる。エンゲル係数が高い。エンゲル係数とはある期間内の総支出に対する食費の割合で、ドイツのエンゲルが発見した数だ。エンゲルは給食係のドイツ名で、ジーコの次の日本代表監督候補でもある。

そんなエンゲル係数が100を超えてしまっているかもしれない。100を超えたら円グラフがおかしなことになる。らせん構造になる。四次元の世界だ。そのくらい力士はエコノミーじゃない。

力士はエネルギーをなるべく体内に蓄えるため、言葉を発することを抑えている。試合後に於いてのインタビューでも何を言ってるかよく分からない。力士には通訳をつけるべきだ。通訳まではぁはぁと言う。あんたは疲れてないだろうが。

そして力士は冷やし中華を食べても汗が出る。喰ってるそばから、うどんから全て熱エネルギーに変えるのだ。

力士を300人くらいあつめて熱発電所を作ったら平均的な1世帯の約1年分の電力をまかなえるという。エチオピアの1世帯だ。だが力士300人をまかなうにはもっとエネルギーが必要なのだ。『オゾン層』『エルニーニョ』『力士』。

言い換えれば、私の気がかりは今、モー娘の加護でもある。うちのテレビの垂直同期回路が壊れたのかと思った。2ちゃんによれば『通常時の3倍』だそうだ。


『敗北と死に至る道が生活』その397
インターネットのコミュニティを通じて動員された大勢の人が公共の場に集結し、あらかじめ申し合わせた行動を取るというパフォーマンス行動を『フラッシュ・モブ』と言うらしいがはなはだ迷惑な行為だと言える。大勢の人が掲示板などの申し合わせで同じ時刻に同じ場所に集まり、同じ不可解な行動を一斉に起こして何の説明もなく立ち去るというらしい。

例えばある日のある時刻のあるマクドナルドに来店し、全員がモスバーガーを注文する。店員が困っているのを笑うこともなく、いきなり全員が立ち去る。何が楽しいのだろうか。

きらきらアフロで松嶋が『ドコモはあぐらかいてるから、日本中のドコモユーザーが一気にJフォンにしてみたら?』と発言していた。よく放送できたなぁと感心してみたが、ちょっと実現させてみたい気もする。かなり大掛かりな『フラッシュ・モブ』になりえる。

そんなことより、鶴瓶が『ドコモはあぐらかいてるん?』と問いただすと松嶋は『知らん』と言い放つ。自分でふっておいて、あたかも人が言ったかのような雰囲気で逆にそれに対して突っ込みまで行う手法は松嶋独特のものだろうか?とにかく女性のお笑いで一番面白いのがオセロ松嶋だろう。黒がいるととたんに面白くなくなるというのが致命的ではあるが。


『敗北と死に至る道が生活』その398
今朝地震で目がさめた。東京でも少し揺れたのである。5時に微妙な揺れで起きるというのもなんだか爺くさいが、私は地震に敏感なのだ。揺れたらすぐ気が付くように壁に錘(おもり)をぶら下げてある。揺れたらカタカタ壁にぶつかる。

そうすると私はベランダの扉と玄関の扉を開け放つ。様々な障害物が都会を覆うだろうから、皮のパンツと皮のジャケットをいつでも着用出来るようにしてある。パジャマなんかで逃げたらガラスでどこかを切ってしまうかもしれないからだ。

マンションが倒れるかもしれないが、傾いた逆側の窓から脱出して傾きを利用しつつ壁を1階まで駆け下りようと考えている。ビルが倒れると同時にタイミングよく駆け下りればなんとかなるんじゃないかと思っている。ちなみにここは13階。

玄関には非常用のリックサックがあり、中には寝袋とラジオと懐中電灯とあひるの人形が入っている。誰かが笛を用意しとくといいと言っていた。瓦礫に埋まったら笛を吹いて存在を知らせるらしい。しかし呼吸が苦しい場合は吹けない。あひるの人形は手で押すと『ピーーー』『ピーーー』『ピーーー』と鳴る。100円ショップで自転車の警笛用に売られていたものだ。


『敗北と死に至る道が生活』その399
椎名林檎武道館に行ってきた。バックステージも開放して2階席後方一周立ち見も入れて満員御礼。凄い集客だなぁ。他人のライブは立ってるのが辛い。エレカシの時は集中してるから気にならないけど。ちょっと疲れ気味。体力が無い。


『敗北と死に至る道が生活』その400
縄文時代の生活は今より全然不便だったことが想像出来る。例えば青森県には三内丸山遺跡がある。東京からこんなに離れた場所に住んでいてさぞかし不便だったろうと考える。酋長が会議に出席する場合や、若者が渋谷で遊びたい場合には新幹線に乗ったらいいのだが、当時は新幹線など盛岡までしか開通していなかっただろう。そこから青森までは「特急はつかり」かなんかに乗らないと大変だ。そうは言っても三内丸山遺跡から青森まではバスで30分だ。当時はバスなんか無かっただろうからタクシーだろう。随分不便な生活に耐えていたのだ。

毎日がキャンプだったと言えるだろう。だから毎晩キャンプファイアーだった。フォークダンスなんかも踊ってしまったのだろう。夜には枕投げもしただろう。

縄文人の子孫が我々だとすると、我々の先祖は縄文人だと言える。縄文人は本当にサルから進化したのだろうか。だとすると今いるサルはいづれ人間になると言えるだろう。

三内丸山遺跡では何故か貝殻が発見されていないそうだ。農耕民族がもっとも手に入れやすいタンパク質だったろうに。だが尊敬に値する。貝なんか初めてみたら気持ち悪い。

どんな理由なんだろうか
  • やっぱり不味くて喰えなかった
  • 貝殻ごと食べていた
  • 貝なんかよりおいしいものがたくさんあった
  • 高くて買えなかった


『敗北と死に至る道が生活』その401
関西での松竹芸能の位置付けはどうなんだろうか。私は関西人で無いのでよく分からないが、例えば若い人がお笑い芸人になりたかったりすると吉本入らずに松竹芸能に行くということはどのくらいの感覚なのだろうか。滑り止めに国士舘受けとく感覚だろうか。滑り止めに早稲田受けとく感覚だろうか。どのくらい違うのか分からない。

成田に行くのに成田エクスプレス使わずに京成スカイライナー使う程度の感覚なのだろうか。例えば関西出身の人に『成田エクスプレス使わずに京成スカイライナー使う程度の感覚?』と聞いても『例えがよう分からんわ』と言われることだろう。関空だって距離的には和歌山にあるのだから分かりそうなもんだが。

ウィンドウズ使わずにマック使う程度の感覚なのだろうか。
i-mode使わずにTU-KA使う程度の感覚なのだろうか。
リーバイス使わずにボブソン使う程度の感覚なのだろうか。
原監督使わずに堀内(首の黒子が復活している)使う程度の感覚なのだろうか。
石橋を叩いて割る程度の感覚なのだろうか。
石橋を単なる金だと割り切っているに違いない鈴木保奈美程度の感覚なのだろうか。
三色ふりかけでゴマシオだけ極端に残ってしまう程度の感覚なのだろうか。
電子レンジでイカのフライ的なものを温めると時折爆発する程度の感覚なのだろうか。
穂積ペペのペペが平仮名なのか片仮名なのか分からない程度の感覚なのだろうか。
梨の絵をかけと言われても得てして林檎になってしまう程度の感覚なのだろうか。
風呂上りの脱糞はなるべく控えたい程度の感覚なのだろうか。
職員室まで行くには廊下だ廊下。
私は老化だ老化。

例えば薄暗いバーのカウンターで、煙が目に染みるならば渋いが、実際は氷が歯にしみるのだ。情けないったらない。


『敗北と死に至る道が生活』その402
ピラミッド型選曲

01.涙
02.偶成
03.月の夜
04.優しい川
05.かけだす男
06.悲しみの果て
07.ああ流浪の民よ
08.今宵の月のように
09.何度でも立ち上がれ
10.情熱の揺れるまなざし
11.真夏の星空は少しブルー
12.sweet memory
13.good-bye-mama
14.お前の夢を見た(ふられた男)
15.ヒトコイシクテ、アイヲモトメテ
16.OH YEAH!(ココロに花を)
17.あなたのやさしさをオレは何に例えよう
18.Ladies and Gentlemen
19.クレッシェンド・デミネンド -陽気なる逃亡者たる君へ-

土台がかなりしっかりしている。


過去
2024-01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023-01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
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