『敗北と死に至る道が生活』その400
縄文時代の生活は今より全然不便だったことが想像出来る。例えば青森県には三内丸山遺跡がある。東京からこんなに離れた場所に住んでいてさぞかし不便だったろうと考える。酋長が会議に出席する場合や、若者が渋谷で遊びたい場合には新幹線に乗ったらいいのだが、当時は新幹線など盛岡までしか開通していなかっただろう。そこから青森までは「特急はつかり」かなんかに乗らないと大変だ。そうは言っても三内丸山遺跡から青森まではバスで30分だ。当時はバスなんか無かっただろうからタクシーだろう。随分不便な生活に耐えていたのだ。毎日がキャンプだったと言えるだろう。だから毎晩キャンプファイアーだった。フォークダンスなんかも踊ってしまったのだろう。夜には枕投げもしただろう。
縄文人の子孫が我々だとすると、我々の先祖は縄文人だと言える。縄文人は本当にサルから進化したのだろうか。だとすると今いるサルはいづれ人間になると言えるだろう。
三内丸山遺跡では何故か貝殻が発見されていないそうだ。農耕民族がもっとも手に入れやすいタンパク質だったろうに。だが尊敬に値する。貝なんか初めてみたら気持ち悪い。
どんな理由なんだろうか
- やっぱり不味くて喰えなかった
- 貝殻ごと食べていた
- 貝なんかよりおいしいものがたくさんあった
- 高くて買えなかった