『敗北と死に至る道が生活』その2225
中山競馬場の開催日。近辺の道路にはJRAが雇ったんだか、農林水産省の天下りなのか知らないが、「信号があるのに交通整理しているおっさんが」いる。信号が青になると「渡っていいですよ」的な動作をし、赤になると「止まれ」的な動作をする。おっさん必要か?
仮に要るとしたら信号を止めてやればいい。そこまでの責任感では仕切れないくせに何の意味があるんだろう。そういやぁ「渡っていいですよ」的な動作と「止まれ」的な動作って明確に決めてくれないだろうか。車に乗っていると、工事のおっさんが赤い信号灯を振っているので止まると、「行ってよし」の意味で振ってたりする。あんなものは道路交通法でひとつ明確に決めてくれればいい。
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『敗北と死に至る道が生活』その2226
嫁が手を眺めていたので「働けど働けどか」と言ったらネイルに行ってきたとのこと。今時の高校生はバイトと言えばコンビニであろうが、私の高校時代はコンビニが出来るか出来ないかの頃だったのでオヤジが勤務してたかしてないかの会社でアルバイトをしていた。道路に白や黄色い線を引く会社。実務で道路に出る部隊とは別に父は工場内で白線の原材料をつくっていた。粉を数種類配合して袋に詰めてパレットに積む。引き立ての白線がキラキラ光っているのを知っているだろうか。ビーズの粉砕物を混ぜているから車のヘッドライトに光るのだが、経年劣化でだんだん光らなくなる。当時の社長に「○○君、半永久に反射させられればノーベル賞ものだよ」と言われたが、そんなものではノーベル賞をもらえないどころか、社長が勝手に特許を取って私にはガリガリ君くらいしかくれなかっただろう。
冬はタイヤにチェーンをつけるので、白線が痛む。北国の春先は引き直しで忙しくなるので冬は忙しく、冬休みの度に手伝いにいっていた。20Kgの袋を平らになるようグーで押しつつ1トン分手で積み上げる。それを1日8セット行う。腕の筋肉が一番ついていた。この頃ならパワーコードで2時間ギター弾いても疲れなかっただろう。今じゃ1曲弾いて腕が痛い。
軍手をして粉を扱う仕事なのでちょうど爪に磨き粉をつけて布でこするという作業を自然に行ってしまうらしく、爪がピカピカになる。高校生だったので、男がそんな状態は恥ずかしく、手を見せるのがいやだった記憶がある。人見知りなので接客業はまず却下。ゆえに力仕事ばかりしていた。ほぼレコード盤に消えた。今ではそのレコード盤も消えた。記憶だけが残った。それでいい。
『敗北と死に至る道が生活』その2227
家族も今のところ元気だし、悲しい別れもない。寒さをしのぐ部屋もある。肴は炙ったイカでいい。だから能天気なのだが、道に咲く小さな花を見て泣く。そんな形で存在しなくてもいいのに、何故に花は美しく咲く。もちろん「泣く」は誇張しているが、しばし立ち止まり感心するのである。だから殺人事件や痴漢報道を見ると、こんな立派な地球に生まれてきて何をやっとるのだと思う。犬に小便をかけられようが、文句のひとつも言わず草花のように凛として生きていく。しかしまぁガーベラという花は造花のように美しい。
『敗北と死に至る道が生活』その2228
コンピュータ技術者から言わせると車のブレーキをコンピュータ制御するなんて怖くて出来ない。多少乗り心地が悪くても単純な油圧式でいい。若い頃、山道の下りでエンジン切って惰性で走ろうとしたらブレーキが利かなくて焦った。油圧をかけるのも電力が必要らしい。となると機械式がいいのか。いやワイヤーがプツンと切れたらおしまいだ。後ろにパラシュートでもつけとかないと。開かなかったらどうしよう。考えすぎると車なんか怖くて乗れない。そういえば飛行機の飛ぶ理論計算式に虚数が入っていると聞いたことがある。虚数って何だ。
うちのエアコンはリモコンで電源を入れて本体から「ピッ」と反応音がしたにも関わらず始動しないときがある。あれは一体何に反応したのだろうか。「えっ。聞こえなかったからもう一度言って」という意味だろうか。そんな家電があってたまるものか。パソコンが普及してから全ての製造物がいい加減になった気がする。
『敗北と死に至る道が生活』その2229
土曜出勤の代休で会社を休んで田園調布を散歩してきた。金持ちの家を見まわるだけで面白い。なんだか物色している悪い人だと思われたかもしれない。メゾンカイザーのイートインで焼きたてのパンとシュークリームとヨーロピアンコーヒーを飲んだ。帰り際にセレブが子供にメゾンカイザーのことを「パン屋さんでパン買っていこう」と言っていた。私もメゾンカイザークラスの店を「パン屋さん」と表現したいものだ。
『敗北と死に至る道が生活』その2230
こちら渋谷区。PAO会報が届きました。と同時に Amazon から「板尾日記5」が届いた。ざっと読んだ。娘のことをストレートに書いていて号泣した。「嫁が自殺したらどうしよう」「松本さんが俺に手紙をくれた。頑張れる気がしてきた」「明日が怖い」「引っ越すことにした」「二人でタバコを吸っている」「もう一度でいいから会いたい」
大切な人との時間を濃密に過ごしたいと思った。
『敗北と死に至る道が生活』その2231
また黒牛へ行った。普通のものを食べている分には牛角とさほど変わらない価格でジャンボ並の肉を出す。今年の ZAGAT でイチオシしておこう。。。と思ったがジャンボ並に混むと嫌なので黙っておこう。『敗北と死に至る道が生活』その2232
「やりすぎコージー」は今田と東野がコウジだからだと思っていたがジュニアもコウジだった。もしかして「やりすぎコージー」は全国放送でない?「板尾日記5」を1月1日からちゃんと読み進める。黒塗りの部分が気になって電燈に透かしてみるが分からない。バターでも塗ってみるか。
愛称だった娘の名前が途中から本名に代わる。昼間まで元気だった幼児が事故でもなく突然死ぬというのは悪夢のようだ。それでも「お笑い」という仕事は続く。過酷だ。
ソニーのレコーダーで亀田のボクシングが自動録画されていたので、何が原因か調べたら「笑福亭鶴瓶」でひっかかっていた。「きらきらアフロ」が撮れていなかった日があるので「笑福亭鶴瓶」「松嶋尚美」をキーワードに追加しておいたのだ。亀田のボクシングと笑福亭鶴瓶は関係ない。ソニーがおかしいのかと思ったら、TBS が配信する番組情報に「笑福亭鶴瓶」が入っていた。「内藤大助」が入っているのはまだ許せるが「オセロ」まで入っていた。
昔から TBS は腐っているがこんなことをやるとは、本文と関係ない語句で Google にひっかけようとするアングラサイト並みだ。録画率は上がるだろう。しかし「そんなことをしたらどう思われるか」という思考が欠落している。もちろん即消去。朝の番組で、みのもんたを使い続けるのは何か弱みでも握られているのだろうか。年のせいか言葉がなかなか出てこなく、ベタベタして聞き取りにくい大塚さんを使い続けるフジテレビも謎だ。高島アナに何度助けられたことか。大御所にダメ出し出来ない番組が小沢幹事長のことをとやかく言う資格はない。「あいちゃん」と呼ばれているあの子はいつまであんな絵を描くのだろう。どうでもいいか。
なんだかナンシー関の毒舌コラムみたくなった。「文句言うなら見なきゃいい」と誰もが突っ込むことだろう。その通りだ。消しゴムでも彫って寝ます。
『敗北と死に至る道が生活』その2233
前回、本で泣いたのは「死に行く妻との旅路」だったか。映画化されるようだ。私は何度、嫁が死ぬ場面を想像したことか。嫁には「何回殺すんだ」とおこられる。ちょっと連絡がないと交通事故にでもあったんじゃないかと思う。携帯電話が車にひかれて粉々になって、救急車で運ばれる姿を想像して悲しくなった頃メールが入る。パーマの絵文字と「終わった」という短いメール。
私の祖父はガンで延命治療された挙句死んだ。生命として生きているとは言えない状態を機械で必死に生かしている姿を見て複雑だった。当時は痛みを長引かすくらいだったら自然死でいいんじゃないかと思ったが、それでも「生きている」「手を触れば温かい」という繋がりを求めた家族もいただろう。家族が諦めれば医者は管を抜くだろうか。うっかりすると逮捕される。年を重ねる毎に結論を出せなくなってゆく。人それぞれのサンセットか。
『敗北と死に至る道が生活』その2234
ソフトバンクの販促の人が「今ならアイフォンお得になっています」と言っていたが日本では「アイフォーン」と言わなければならないと教えられていないのだろうか。スマップのCMでも気をつけて聞いていると「アイフォーン」と言っている。どうでもいいか。先日関東地方に見立てた平面に単細胞の生命体を東京に置き、地方都市にエサを置いておいたら単細胞の生命体が移動した道が路線図のようになっていて、1系統が封鎖された場合の迂回路を考えると現実の路線図より効率的だったという実験をニュースで見て、「へぇ」と思ったが、嫁が「それの何がすごいの?」と冷静につぶやいた。大多数の人が「へぇ」と思ったし、面白いからニュースになったと思うのだが、それの何がすごいのだろう?本当は直線の方が効率的で現実は地形の障害を避けるためにくねくねしている。
この実験では平面は平らだった。冷静に考えるとすごくない。むしろ単細胞の生命体が直線でエサまでたどり着くほうがよっぽど驚くべきことなのだ。だが、これだと絵として美しくない。
「それの何がすごいの?」と一見バカに見える発言の方が賢かったりする。メディアリテラシーに踊らされるなと自覚していた私でさえこのザマである。庶民の皆さんなんかそれ以上だ。
『敗北と死に至る道が生活』その2235
撮り貯めた「母べぇ」を見た。戦争の話だとは知らずに見たので泣いてしまった。母べぇが死ぬシーン以降が若干過剰で醒めてしまった。CM前に戦友が訪ねてくるシーンを先にやってしまったので、お兄さん死んじゃったんだと分かってしまった。テレビ朝日の編集意図がさっぱり分からない。撮り貯めた「崖の上のポニョ」を見た。なかなか良かった。ポニョが最後ああなるとは思わなかった。
昼寝をうとうとしていたら読売新聞が来て缶ビール12本置いていったので3ヶ月継続した。
『敗北と死に至る道が生活』その2236
女子がレバ刺し好きなのは毎月血が抜けるからだと思う。抜ける?トヨタの前では禁句だ。先日、嫁と田園調布を散歩した時、「軽自動車を探せ」というテーマで歩いたのだが、やっぱりなかなか見つからない。セコムのシールが目立つ。8割方の邸宅がセコムしている。セコムしていた筈の長嶋邸に不審者が侵入したこともあったっけ。
カバーをしていた車を見つけたのだが中身は明らかに軽ではなさそうだった。駅前の方に行ったら1台見つけた。この街に黄色いナンバーは似合わない。田園調布に住むような人は逆に電車を使わない訳だから駅に近いほうが安い物件なんじゃないかと思った。私たちはそれを「田園調布の浅い方」という隠語で表現した。
タモリはやっぱり深いほうに住んでいるんじゃないかと思ってウロついていたら警察官が常駐している家があった。目が合ったら「私がやりました」と訳の分からないことを言ってしまいそうなので表札を見られなかったが、恐らく鳩山邸だと思う。警察官がいることにより逆に目立っていた。散歩している犬でさえも私たちより格上に見える。
トヨタの前ってどこだ。
『敗北と死に至る道が生活』その2237
天気予報で軽井沢の天気が良かったのでスキーに行ってきた。一人で。昨年友人と約束して行ったのだが、天気が悪くてスキーをやらずにおっさん二人で温泉に泊まって帰って来たというふがいない事実を反省材料に、一人で行くことにした。一人ならば天気が悪ければ行かなければいいし、日帰りなら宿を予約したから行かねばということもなく、気楽だ。予報に反して雪だったが。。白い桜が満開のような感じで綺麗だった。
ディズニーランドが好きで一人で行くという女性がいるという話を聞いたが、さすがにディズニーランドには一人で行かない。万が一行ったとしても人には言わない。
『敗北と死に至る道が生活』その2239
床に落とした揚げ物はパパのお皿に入れる主婦のみなさま今晩は。行方不明だったUSBメモリが出てきた。変な人に拾われなくてよかった。中身を見られたら変な人に思われてしまう。変な人に変な人だと思われるのだからすごく変な人だ。例えばこんなことが書いてある。
『名前の分からない若手芸人を全て「しずる」と言ってごまかす主婦のみなさま今晩は』
ノイローゼだ。
響の「じゃない方芸人」じゃない方が、「エグザイルのピザを2枚食べるのが幸せ」と言っていた。エグザイルはピザまで出してんのかと思ったが、「出前の人には大勢で食べると思わせるためにありったけの靴を並べておく」と言っていた。Lサイズのピザだった。耳が遠いがトイレは近い。耳はお風呂の方にあるんだろうな。
『敗北と死に至る道が生活』その2241
パスポートの有効期限が切れたので戸籍謄本を取りたいのだが本籍地を忘れてしまった。分かりやすいように親から抜いて独立させたときに現住所を申請したらその住所では登録出来ないと言われ、区役所の言う昔の区割り方式の住所にさせられたので覚えにくくなってしまった。というところまでは覚えている。本籍を皇居にする人が多いらしいが、それだと忘れないなぁと思った。ならば日本人全員本籍を皇居にしたらどうだろうか。戸籍謄本の申請用紙に本籍地を書かなければならないのだが戸籍謄本を見なければ本籍地が分からない。よく例えられる「缶詰の中に缶切りがある」状態だ。よく例えられるか?
そうだ運転免許証に書いてあったなと思ったが枠だけあって真っ白だった。本籍が記載された住民票を取れば分かるらしいが、住民票は必要ない。要らないんだけど入手して別のものを入手する。私はこれを何に例えよう。ライダースナックを買ってカードを集める。的な。ドブにスナックだけ捨てられていたっけ。当時そんなに裕福な家庭は少なかったはずだが。。って昭和の男子しか分からないか。
おそらくこれだろうと思う本籍地を書いて郵送依頼してみた。記憶力がないとこういうときに困る。判明したら G-Mail に自分宛で記録しておこう。なんでも G-Mail に保存している。人間の一生分のメールなんて軽く保存できてしまうらしい。頭の中にメモリーとハードディスクを内蔵したい。内臓?
『敗北と死に至る道が生活』その2242
食事前の方は後にしたほうがよさそうな話題です。かつ、「お肉」についてあまり考えたくない方は読まない方が無難です。マグロの解体ショーは喜ぶくせに、焼肉屋で牛の解体ショーやったら引く。この感覚の違いは何だ。シーシェパード問題の根底は感覚からくるものだろう。
白戸三平「カムイ伝」を読んで以来、「屠殺」について考える。江戸時代には牛馬を食すのは禁じられていた。百姓以下の身分は牛馬にまたがるのも禁止されていた。死んでしまった牛馬の皮をはぐために「幕府が非人と名づけた人たち」にその作業をやらせていた。身分階級制度というのはどの世界にもあった。人という愚かな生物は「その他の人々」と「自分たち」に分けて「自分たち」の優位性を保ちたがるから部族間、民族間、国家間で争ったりする。
死んだ牛馬はたいてい腐っている。腐っていても生きるために「幕府が非人と名づけた人たち」はそれを食べるしかない。今ではホルモンと呼ばれる内臓系も当時の技術や鮮度では本当に食べられたものではなかったと想像する。屠る「ほうる」。放る。だから「ほるもん」。
血まみれの屠殺場で生きる人々は匂いが染みついてしまうだろう。汚い作業は全部まかされた。それを百姓が忌み嫌う(ように幕府が制御していた)。田んぼに近づくなと。人々は部落から出られなかった。百姓の不満の捌け口を幕府に向けないように「幕府が非人と名づけた人たち」と百姓が対立するような構図によって江戸時代の均衡が保たれていた。もちろんそんな制度は破壊されたが、世界的に見ても長い期間だった。現代人は「江戸時代は250年も争いがなく平和な時代」と教育されている。本当は大塩平八郎のように立ち上がりたかった人々の鬱憤はかなりあったと思う。部落問題について関東地方では教育されないし、実際に耳にすることも無かった。というのが私の感覚だがどうだろうか。
焼肉1枚でも牛が一頭死んでいる。「いただきます」とは命を頂くということだ。スーパーに並ぶ綺麗にパッケージされたピンク色のお肉の前工程では噎せ返る様な匂いの真っ赤な血が流れ、目を閉じ息絶える生命がいる。チキンだって魚だって卵だって鯨だって命だ。みんなみんな友達なんて嘘っぱちである。ハンバーグに目玉焼き乗せたら2つの生命。ベジタリアンにはならないが、いい加減に生きていたら消化してきた生命に申し訳ないという気持ちで今日も「いただきます」。頂いた生命の分まで歩け。
いのちの食べかた
『敗北と死に至る道が生活』その2243
CountDown Japan 目当てで WOWOW に加入した人がいたら是非「チェンジリング」という映画をお勧めする。行方不明になった子供を警察が見つけたというので会いに行ったら全然別人だった。という宣伝だったのでミステリー系かと思って見ていたら、社会権力に立ち向かう話でびっくりした。実話だけに。警察官も政治家もみんな普通の人間がやっているということを改めて思った。私は性悪説なので教育という名の「矯正」は絶対必要だと思う。子供なんかまだ人じゃないのだから、ひっぱたいて歪みを正していかないといけない。人が自然を矯正した里山は美しいように。
『敗北と死に至る道が生活』その2244
WOWOWでやっていた CountDown Japan を飛ばし見した。どっちが曲名でバンド名か分からなかったが、「そんな歌い方じゃダメだ」とか「本当にいいメロディだと思っているんだろうか」「貴様らサムライや特攻隊がどんな気持ちで死んだのか考えたことがあるのか」とか批判ばかり。みんな一生懸命なんだろう。批判出来る立場にない。
『敗北と死に至る道が生活』その2245
神社でみんな何を祈っているのだろう。私はいつも自分と嫁と両親の健康を祈っているが今は病院もちゃんとある。昔の人は神社で祈るという行為が治療だったのかもしれない。神仏は心の整理のためにあると思っている。母に梅を見せてやろうと実家近くの梅林をネットで探した。市川動植物園というのが近そうなので下見をしてきたらまだつぼみだった。駐車場のおじさんが駐車場の回りは全部河津桜だと教えてくれた。こんな近所に河津桜があったことを知った。来月はそこへ連れて行ってみよう。車も自転車ももたない両親は徒歩で行ける範囲しか知らない。
両親がそこに住んでいる理由ももはや無いのだが他に引っ越す理由も無い。人がどこに住むかというと、どこでもいいのかもしれない。でも私は恵比寿に住みたくて引っ越そうかと密かに思っている。
夏はカナダ、冬はオーストラリアに住む大橋巨泉という人を今の人は知らないかもしれない。死ぬまで暮らせるお金を持っているんだろうか。死ぬまで暮らせるお金っていくらなんだろうか。人はそれが怖くて一生お金をためて死ぬ。でも働けるということは幸せだからそれでいいのかもしれない。
『敗北と死に至る道が生活』その2246
本気で見ているテレビ・たかじんのそこまで言って委員会
・さまぁ~ず*さまぁ~ず
・きらきらアフロ
・にけつ
・もやもやさまぁ~ず
横目で見ているテレビ
・ホリさまぁ~ず
・ほんまでっかTV
・アメとーく
・タモリ倶楽部
・ぶらタモリ
・ぷっすま
仕方がないのでついているテレビ
・報道ステーション
知的なのがひとつしかない。「たかじんのそこまで言って委員会」
『敗北と死に至る道が生活』その2248
富士スピードウェイのチケットを取ろうと思ったが高いので躊躇してしまった。高い分、3組くらいは見たいバンドであって欲しいものだ。アメトークのバイク芸人を見て久しぶりにバイクに乗ってみようかと思った。USD が小さい範囲で右往左往しているので、ぼろ儲けだ。1万USDで数千円しか儲からないが何回も繰り返すと結構積みあがる。マネーゲームっぽくていやだ。が、私は競馬もパチンコもしないので投資でなくギャンブルという認識でやっている。っつうか趣味か。昔は10万単位でやっていたが、負けたときの精神的ショックが大きくて1万単位に落ち着いた。10円違う方向に動いたとしても10万円損するだけだ。FX 面白い。人生に面倒なことが増えるのでおすすめはしない。
『敗北と死に至る道が生活』その2249
私が知る限り立ち食いそばでブッチギリNo.1の店、加賀でかき揚げそばを食べた。かき揚げというのは小さな天ぷらの集合体であって個体ではダメだと聞いたことがあるが、ここのかき揚げはまさに小さな個別の野菜天ぷらが集合したようなものだ。注文が入ってからその場で揚げているので別注で乗せるだけの蕎麦屋とは比べたら失礼だ。平日暖かくなったが、今日は少し冷えた。温かいそばで温まってから幡ヶ谷のTSUTAYAへ。今頃なぜか「トイストーリー」と、松本人志「しんぼる」を借りてきて見ていた。「トイストーリー」すごい良かった。「しんぼる」はあんな感じなんだろうと思ったまま終わってしまった。
富士スピードウェイは駐車場付きチケットを購入した。エレファントカシマシと景色を見に行くだけでもいいだろう。
『敗北と死に至る道が生活』その2250
散歩に行く予定が雨で結局寝ていた。東京マラソンも寒そうだ。先週暖かかっただけに、なんで今日だけ雨で寒いんだろう。と参加者は思っただろうが、私には関係ないとばかり爆睡していたら新聞屋が集金に来て起こされた。モヤモヤさまぁ~ずがゴールデンタイムに移動するらしく、もう見ることも無いだろうと思った。
プロデューサーもさまぁ~ずもダメだと言っていた。制作も演者もそして視聴者も移動して欲しくないものを上層部の意向で移動させられる。
2月も終わりの酒がにがい。