『敗北と死に至る道が生活』その2245
神社でみんな何を祈っているのだろう。私はいつも自分と嫁と両親の健康を祈っているが今は病院もちゃんとある。昔の人は神社で祈るという行為が治療だったのかもしれない。神仏は心の整理のためにあると思っている。母に梅を見せてやろうと実家近くの梅林をネットで探した。市川動植物園というのが近そうなので下見をしてきたらまだつぼみだった。駐車場のおじさんが駐車場の回りは全部河津桜だと教えてくれた。こんな近所に河津桜があったことを知った。来月はそこへ連れて行ってみよう。車も自転車ももたない両親は徒歩で行ける範囲しか知らない。
両親がそこに住んでいる理由ももはや無いのだが他に引っ越す理由も無い。人がどこに住むかというと、どこでもいいのかもしれない。でも私は恵比寿に住みたくて引っ越そうかと密かに思っている。
夏はカナダ、冬はオーストラリアに住む大橋巨泉という人を今の人は知らないかもしれない。死ぬまで暮らせるお金を持っているんだろうか。死ぬまで暮らせるお金っていくらなんだろうか。人はそれが怖くて一生お金をためて死ぬ。でも働けるということは幸せだからそれでいいのかもしれない。