『敗北と死に至る道が生活』その4499
コレクション癖のある人が理解出来ない。更には物を手に入れるという行為が面倒な年になった。樹木希林さんのドキュメンタリーで、地方ロケの場所を借りた家の奥さんが法被(はっぴ)的なものをあげようとしていたら、頑なに受け取らなかった。空気は悪くなる。「受け取った方が和気藹々なのは分かってるが、貰っといて粗末に扱うより、はじめから貰わない」と言っていた。
こんなに素敵な老人もいれば、うちの母のように柿を5個も買って息子に持たせるなんていう理解出来ない老人もいる。「一個ならうれしいけど5個も千葉から東京に運ぶ意味が分からない。だったら金くれ。」と。まぁ最後の「だったら金くれ」は言わなかったけど。
私の場合、志しも何もなくただ部屋が散らかるから。何かを保管する労力は、何もなければ使わなくていい労力。でもグランドセイコーはいつか欲しいと断捨離とも違うこの感情を抱えながら、日記の更新が七日坊主くらいになった。(意味のある)仕事が忙しいというのは良いことだ。無意味な残業が一番タチが悪い。
『敗北と死に至る道が生活』その4500
ツェッペリンの未発表曲が発掘されたかと思った。『敗北と死に至る道が生活』その4501
こちら東京都品川区。会報PAOが届きました。なんだPAO STOREって。FAITH MUSIC STORE と違うのか?なんかローソンのアカウントやってたら急にリクルートIDがどうのこうの言われるし。そもそもローソンとポンタと別のアプリがあるし、セブンイレブンもオムニセブンとか訳のわからない区別があるし、急にイトーヨーカドーが絡んできたり、グループ企業で別々のアプリが出たりして、あとで統合みたいな処理に巻き込まれたり、これは果たして世の中便利になっているのかどうか甚だ疑問である。縦割りで勝手なことやってんじゃねーよ。
『敗北と死に至る道が生活』その4502
これは格好いい!!スカパラいいですね。昔からスカが好きだった。かれこれ誰それ大分昔のことなので記憶があいまいだが、初めて出会ったスカは確か Specials の Monkey Manかな?
今調べたらこれもカバーだった。結局はジャマイカのレゲエを昇華させたのがスカだという認識だが、私の勝手な思い込みかもしれない。スカにハマってマッドネスとかスペシヤルズが「2トーン」と呼ばれることも知った。当時ネットも無いのになんで知ったんだろう。本屋で立ち読みの「Music Life」とかFMで渋谷陽一とか聞いてて知ったんだろうと思う。で、Fish Boneとかレピッシュをよく聞いていた。なつかしい。で、No Doubt までたどり着く頃にはもはやスカではな無くなってしまったのだ。不思議なことだ。
『敗北と死に至る道が生活』その4503
ミュージックステーションを見た。凄かった。生放送にして完璧だった。スカパラにしてもそうだが、他人が作った曲のほうがミヤジの歌のうまさがより伝わるという不思議な現象。と、思うのは私だけだろうか。いやーいいもの見せて頂いた。ってか、関ジャニ村上うるさい。『敗北と死に至る道が生活』その4504
職場が月に一度有給休暇を使わないと指導されるので、今日は休んだ。で、JR赤羽駅の発車ベルの開始日ですが、妻に行こうと言ったら「赤羽に用事がない」と言われ、行けなかった。代わりに平日しか行けないレストランサカキという店のポークジンジャーを食べてきた。
からのフェルメール展
こんなふざけたグッズも。
『敗北と死に至る道が生活』その4505
たまたま買った今朝の読売新聞朝刊に赤羽駅の発車ベルの記事が出ていました。東京で売ってる版だけだと思います。『敗北と死に至る道が生活』その4506
巷ではクイーンが盛り上がっている。私もこうは見えてクイーン一途な青春時代だった。中学生だった頃は帰宅すれば必ずクイーンのレコードを聴いていた。当時はレコード盤だったので、1日当たり片面づつの繰り返しだ。映画も12月になってもやっていたら見たい。それはそれで、現在一番聞いているのは何周目かのツェッペリン。また1から聴きなおしている。この年齢になってようやくツェッペリンの凄みが分かってきた。若いころはツェッペリンもディープパープルも一緒くたに聞いていたが違う。まぁあの頃に言われても分からなかったから仕方がない。