『かっぱえびせんで通常の形じゃない妙なやつを見つけたときの感情を何に例えればよいのだろう生活』その1148
あなたがいい人だと思っているのなら初期値は悪い人にしておいた方がいい。はじめからいい人を出しているとそれ以上にはならない。ばかりか、少し悪いことをしても悪い印象のほうだけのこってしまう。初期値は暗い人。つっけんどんな人。面白みの無い人。おとなしい人。私はそれを演じ続けているうちに本当にそうなってしまった。それもどうかと思うが。しかし困った人を見ると可愛そうになって、何か手伝うことはないかと考えているのだが、いかんせん顔がすごんでいるので親切詐欺だと思われる。
人の見ていないところで、倒れた自転車を起こしたり、マンション前の雪をかいてみたりしている。笑顔が卑屈だから常に無表情にするしかない。つまらん人間だ。
『寝ていて足がびくっとなったことなどございません生活』その1149
設計とは、結局実装するのだからもっと具体的なものである筈だと常々思っている。最終的な成果物は存在するのだから曖昧なものではない筈だ。太陽の塔もデッサンレベルから始まり、最後には鉄を加工して実物になるのだ。私は現場主義なので漠然とした議題はどうだっていい。現場の人間は『最終的には具現化するのだから答えはひとつしか有り得ない』だ。だから設計部があいまいなことをしているときには、勝手に決めて進ませている。たいがい結論は私の進めた方向で決まることが多い。設計にまでは口を出さないが手を出す。(もっともタチが悪いってか)
設計をねじ伏せてこうあるべきだと押し付けることも多い。年齢的には設計・スケジューリングの作業をやらされる年齢なのだが、現場のほうが面白いのだ。だから会社をやめて契約にしてもらっている。年がいったら管理職などと一概に決め付けるでない。
『年がいっただけの管理職』に管理されている部下は可哀想だ。
『仕事の話しばかりですみません生活』その1150
私が関わっている販売システムの運用は北米、アジア、ヨーロッパ、日本で使われているが、使われ方に国民性が現れている。もちろん同じ国でも拠点によって違うこともあるが。月次で締める処理がある。(私は月次という考え方自体が不必要だと思うのだがみんな月を締めたがる。こんなものは都度集計すればいいのだ。都度だと値が変わるってか。が、値を変えてくれという依頼は結構ある。)書類が正しいからシステムの数字を変えてくれと言われるが、システムは正しいのだから書類が間違っていると言い切れ。
北米の月次は見事だ。確実に最終営業日の夕方締める。営業の感情的な部分が介入することは全く無い。
他の国は月初にずれこむ。一体何をしているのだろうか。月初にもかかわらず日付は月末で動いている。本来翌月扱いも全部今月扱いになっている。所詮どっちかにズレるだけの話だ。私は北米の仕事の仕方に共感する。最終営業日の夕方が月の締めだ。それまでに間に合わない処理は翌月扱いで全く問題ないのではないだろうか。売り上げがどっちの月に転がろうがトータルでみれば同じことだろう。
ビジネスなんだからドライに行け。
『タイムマシン生活』その1152
あける回数を制限できるタバコケースっつうのを発見。これ
私は禁煙していたのだが、タバコを少し吸うようになった。そんなに健康に気を遣って楽しいものも減らすほどストイックに生きているのもどうかと思う。やりたいことを抑えて、食べたいものを食べずに長生きしても、少々体に悪かったり、太ってしまっても楽しく気楽に暮らした方がいいのではないか?
しかし酒を昼間飲まないように、タバコも1日3本までと決めている。それ以上吸ってもおいしくないからだ。本数が多い人は惰性で吸っているだけで、タバコがうまいなぁと感じるのは仕事上がりの食事後の1本だったりする。それ以上吸うと貴重な1本というのがなく、おいしさが感じられない。1日3本のペースを守れば意志が強いとも言える。かも。
『暖かくなってくれ生活』その1153
すごく寒い。冬は長い。夏より明らかに長いし、春より長いし、秋より長い。うっかりすると11月とか4月でも寒い日は寒い。11月から4月と言えば約半年だ。冬は半年もある。もっと温暖化せねば。と、思ったら冬が寒いのは温暖化のせいだと聞いた。どういうことかさっぱり分からない。ロシアでマイナス40度でオーストラリアで40度。巨大な扇風機でかきまぜたら丁度良くならんもんか。地球の回転軸の傾きを制御出来ればどうにかなりそうだ。
『健忘症生活』その1154
前にも書いた気がするが。食事はまんべんなく食べろと言うが、私はたいがい味噌汁を先に飲んでしまう。洋食のスープ感覚だ。そしてゴハンを漬物だけで食べてしまう。最後にメインを食べて終わり。考えてみればフレンチやイタリアンはこのスタイルで提供される。それぞれの味を混ぜて食べるより、そこに集中した方が味がストレートに伝わるので別々に食べる。こういう食べ方はよくないとされているが、嫌いなものを食べなかったり好きなものばかり食べるのとは訳が違う。順番に全部食べるのだから別にいいのではないだろうか。
『女子が2人以上いる空間が嫌いな生活』その1155
I'm a propman.ヒューザー、東横インの社長は、いい年の取り方をしていない。わがままが通る立場の人は正してくれる人がいないから、どんどんおかしくなる。ホリエモンも今回正されてよかったのではないか。
私も結構年だから周りの人から注意されることも少ない。だから自覚しないと少しおかしくなるのではないかと思うので仕事に関してはなるべく真面目に真面目にやっている。外注なので社員さんの言うことは例え間違っていても実行する。それみたことか。とも言わない。淡々と作業をする。
いい正すと社員さんがおりこうさんに成長してしまうのでやらない。私は上司ではないのだ。そんな義務も権利も無い。
20代の頃は仕事が出来れば少し遅刻しようがいいではないか。などと思い上がっていたが、基本が出来ていないでなにをかいわんや。
楷書を熟知の上草書で生きろ。
『ワイヤレスマウスの反応が悪くておおまかに動かしたことなどございません。生活』その1156
大阪に行くのだが大阪をよく知らない。大阪人の気分になってみたがそれでもよくわからない。そんなことをすること自体がよく分からない状態だ。私の生まれも育ちも、育ての親も関東人だからだろう。関東育ちだから東京のことは大体分かる。最後に残った料理には誰も手を出さない。それが『関東一本残し』と言われる遠慮深さだ。『関東一本残し』はボウリングでもまま見られる。
東京というのは街の集合体である。鹿児島には天文館しかない。博多には博多しかない。地元の人に言わせればそんなことはない。と一喝されそうだが、幸い独り言なので突っ込んでくる可能性はない。
東京には、浅草・渋谷・原宿・新宿・池袋・六本木・銀座・お台場・横浜・箱根・なんか違う・・・まだまだ特色のある街が沢山ある。大阪はどうなのだろう。道頓堀と食い倒れが同じものなのか違うのか私はよく分かっていない。大阪駅と梅田が同じものなのか違うのか私はよく分かっていない。キタもミナミも何故カタカナなのか分かっていない。そういえば大阪が何区あるのか知らない。だからニューヨークに行くような気分だ。
『電車で寝ていて起きたら降りる駅だったんだけれども、降りる瞬間にドアが閉まったら恥ずかしいので次の駅まで乗り過ごしたことなどありません。生活』その1157
散歩しているとき地面が割れて、割れ目が私の真下で、左右の足が分かれて持っていかれる夢を見た。正夢でなければいいが。本当に先生生徒の関係でないのに、『先生』と呼ぶ人がいるが、あれが一番むかつく。バカにしているのが見え見えだ。そこで私は『大先生』などと返せばバカにレベルを合わせることになるので、何も言わない。
バカと同じ状態で返すのは自分がバカになるということだ。だから暴力に武力で対抗しているアメリカは相手と同じレベルに成り下がってしまっている。キリスト教だったら右の頬を打たれたら左の頬を出せと。相手に自分の愚かさを自覚させないと根っこの部分は解決しない。
『生活』その1158
歯茎にも味覚があると母が言うが本当だろうか。入れ歯にしてから食事がおいしくないと言っていた。スカパーからハガキが来た。12月によくばりパックというのに切り替えたのだが、以前契約していたイエローパックというものは自動的に解約されるものだと思っていたが1月に2つとも請求されてしまった。よくばりすぎだ。
私のミスだとしかたなく放置していたら、なんと返金するとか。苦情が殺到したのだろうか。
『赤とんぼを大量に捕まえて電車の中で放したことなどありません。生活』その1159
『男たちの大和』を見てきた。こうは見えても私は若い頃、戦争を真面目に考え、靖国神社・横須賀・広島・江田島・長崎・知覧・鹿屋といった場所に足を運んだ。長岡の山本五十六生家にも行った。宮崎の回天練習場にも行った。回天というのは人間魚雷特攻隊が乗る一人用の小型潜水魚雷だ。吉村昭さんの『戦艦武蔵』を非常に興味深く読んだ。吉村昭さんは非常に組み立てがうまく、読みやすい。
『戦艦大和』に関して私はあまりよく知らない。日本が優秀な小型戦闘機零戦を開発し、大艦巨艦時代を自ら封印しつつもてあましたという印象が強い。だからってあんな最後はどうなんだろう。K-1に参戦した曙の姿をダブらせる。
制空権を制するものが勝つということは日本が一番よく分かっていた筈だが、これまた日本人的な考え方で、何も出来ないのなら散らなければならなかったのか。可燃物を捨て、片道分の燃料で大和は出撃する。それに付き合わされる乗組員はたまったものではないが、そんなことを言える時代ではなかった。
『●●の名の下』という名目で家族や恋人と引き裂かれる。そして戦後。あの若者たちが捨て身で守ろうとした日本の現状をあの若者たちは今、天国から見ている。恥ずかしいことは出来ない。
『かたつむりをセロハンテープに20匹ほど貼り付けて道路において車にブチブチブチと轢かせたことなど一度もありません。生活』その1160
チョコレートずきには辛い時期だ。辛(つら)いと辛(から)いが同じ字というのは日本語の最大の欠陥であろう。この時期男が自分でチョコを買うと可哀想な人に見える。しかしそれがどうしたと胸を張って今日も森永DARSを買った。人は価格で味覚をごまかされる。1個1000円するんだよと言って森永DARSを食ってみるがいい。うまいこと。『座って小便をして終わったと思って立ち上がったらおちょこ一杯分くらいの残尿をこぼしてしまってスウェットまで濡らしてしまった過去などありません。生活』その1161
私は座って小便をするので立ち上がると残尿がこぼれるのである。出し切ったと思ったところで立ち上がると尿道の角度が変わっての、まっすぐになった尿道からは座っていたとき直角になっておさえこまれていた部分に残っていたのだろう。私はこれを何に例えたらよいのだろう。ガソリンスタンドのホースが折れ曲がっていて水を出しても出てこなかった。そこでホースをまっすぐに戻したら勢いよく水が出始めた。こんなところでいいのだろうか。とにかく女子の人にこの感覚を伝えたいのである。旦那のパンツが臭いのはそういうことではありませんか。
『ペ・ヤングのCMはペ・ヨンジュンにやらせるべきだと思う生活』その1162
実家に帰ると『夕飯何にする?』と聞かれるのだが、『なんでもいい』と答えると『何でもいいじゃ困る』といわれたので『じゃステーキ』と言ったら『それは出来ない』と言われた。『何にする?』と聞いておいて答えたら『それは出来ない』という事態を私は何に例えよう。
例えば散髪屋で『どんな風にしますか?』と聞かれ『なんでもいい』と答えたとする。店の主人は言うだろう。『何でもいいじゃ困る』と。ここまではごもっともだ。『なんでもいい』と言う人もいないだろうが、万が一二四が八程度に、『わかりました』と答えられて、パンチパーマでもあてられた日には『何でもいいったってパンチパーマは無いじゃないか』と、出来立てのパンチパーマの頭で言うのだから、それはそれで主人もたまったものではない。かと言って『じゃステーキ』と言ったら、それこそ『それは出来ない』と言われることだろう。
話が電車だけに脱線してしまったが、問題は母のことだ。出来るものが限られているのだったら聞くなとも言える。だから店にはメニューと言うものがある。そうだ母にメニューを作らせよう。『それも出来ない』と言われそうだ。一体何が出来るのだろう。
『おならだと思ってやったらプチうんこが出たことなど一度もありません。life』その1163
普段物まねなど絶対しない人でも、いざ『キレてる?』と問いかけると、たいがい『キレてないっすよ』と小力の真似をするのは何故だ。これを更に応用すると便利だ。例えば上司に怒られている最中に、『キレてる?』と問いかけてみることをお勧めする。たいがいの上司だったら『キレてないっすよ』と小力の真似をするだろう。そう。キレていないのである。ここでもう一歩踏み込んで更に問いかけてみる。『本当はキレてるんでしょ?』と。するとどうだ。上司は『この程度じゃキレないっすよ』と春になったら桜が咲く確率程度に言うことだろう。明日やってみるべし。自己責任で。
『スーパーの詰め放題で入れる前にビニールを伸ばしているおばちゃんを見たことはありません。life』その1164
学研のおばちゃんまだかな。ダリやピカソなどはっきりした絵が好きなので、印象派の絵はぼーっとしていてあまり好きではなかったのだが、あの技法は”写真”が出来てから『絵にしか表せない表現方法を追求したのが印象派』だと知って、なるほどと思った。絵はうますぎると写真のようになる。
絵を書く人に聞くと『これ写真?』と思われるような絵はだめなんだそうだ。『人が書いた』とすぐ分かる絵がうまい絵であると。だとしたら私が書いた絵はうまい絵だ。『人が書いた』でなく『子供が書いた』とも言えるが子供に対して失礼である。
『そんなことしたら山田隆夫が怒るぞ』その1165
私たちは 2006/02/10 の方が分かりやすいが、ドイツは 02/10/06 、アメリカは 10/02/06。10/02/06 だと10年2月6日なのか、2006年10月2日なのか、2006年2月10日なのかさっぱり分からないが、混乱しないのだろうか。住所も日本は大枠からせめていくが、西洋は番地からさかのぼって市、州、国までゆく。
西洋は個人主義だから自分を中心に考える。日本人は国を背負っているから日本の私。現代ではそんなこともなくなりつつある。
どっちがいいかという問題ではないが、データとして見たとき、日本式の方が並べ替えがしやすい。
『40過ぎたらになったら不惑で行く生活』その1166
間違ってたって正しくたってどっちだっていい。自信を持って言い切れ。私は顔をしかめることはあまり無いのだが、ある人を前にすると顔をしかめる。この人を前にするととてもイライラする。『とりあえず』と『まぁ』が口癖のその人は全てのことを『とりあえず』のまま死んでしまうのではないかと危惧しそうだが、私が危惧することでもない。会話から『とりあえず』と『まぁ』を省いたら核心を突く発言は1割程度なのではないかと分析するが、私が分析することでもない。
その人は。仮にAさんとしようかと思ったが、私が仮にすることでもない。話自体がどうでもよくなってきた。やめよう。仮にAさんは仮のままAさんである可能性が非常に高い。とりあえず私が戒名を決めてやろうと思ったが、まぁ私が名づけることでもない。
今日、その人が別の人と話しているのを見かけたのだが、顔がしかまっていた。ということは顔をしかめられてしまうタイプの人種なのだ。私の周りには怖い人ばかりいる。と感じたのならばあなた自身がそうさせているかもしれない。周りがいい人ばかりなら、あなたがいい人なのかもしれない。
私の周りには人がいない。私は人でないのかもしれない。だから高嶋ちさ子が好きだ。あの人の性格には共感する。
後で読もうとパラパラめくった雑誌。後で本格的に練習しようとサビだけ練習したツェッペリンの楽譜。時間があるときゆっくり聴こうと買ったモーツァルト。そういう『とりあえず』に埋もれて人は死んでゆくのかもしれない。
『生活』その1167
金メダルってあんなだったんかい。遠くから見たら読み取り出来ないよう傷づけたCDのようだ。カビの生えたパンを焼いて食ったのだが、下痢になってしまった。こんなザマでは路上生活者になれない。コンビニの賞味期限の切れた弁当やら、マックの廃棄品などで生活している人たちは病気にもなれないのだから気合が違うのだろう。
『寝正月生活』その1168
こんなにどうでもいいお笑いブームなのに、乗り切れていない人たちがいるのは。なんでだ。そんなことこそどうだっていいが、私の彼女が『パリにもスタバがある』と喜んでいた。せっかくカフェの本番なのに、敢えてスタバに行くということを私は何に例えよう。例えば三重県は松坂付近に行く、そこで吉野家の牛丼を食らう。せっかく松坂牛があるのにも関わらず。しかし松坂に吉野家があるのだったら、それはそれでいいじゃないか。松坂の人は松坂牛ばかり食べている訳ではない。松坂に吉野家があるのかどうか知らないが(調べれば分かるだろうが、今はそんなことは問題ではない)、だとしたら、青森県大間の人は朝から本マグロを食っているかと問われれば、それは大間違いだ。大間だけに。
そうだ。下仁田の人がこんにゃくばかり食べているかと思えばそんなこともないし、フランス人がフランスパンを食ってるというのも偏見だし、ロンドンにうまいものが無いなども偏見だし、アメリカ人はよく喰うというのは正解だし、大阪人全てが食い倒れている訳でもないのだ。
『寒ければ北風と言うが本当にそうなのだろうか生活』その1169
地球上でどこが一番寒いか知っているだろうか。私は知らない。農家の人がサラリーマンやりたいと言ったら私は『そんなに簡単に言うな』とは言わない。
引退したら農業でもやるかと言うと、農業の人は言うだろう。『そんなに簡単に言うな』と。なぜだ。自分に出来ていることが人に出来ないと簡単に言うのは何故だろうか。私に出来ることがサラリーマン崩れなんかに出来てたまるかという自負心でもあるのだろうか。まぁ出来ない人が大多数だろうが、出来る人もいる筈だ。
みやじが引退して農業でもやるとする。出来たお米の名前は『ひとりよがり』。粒がたっているから大丈夫だ。
『ドンキホーテってレベルが低い生活』その1170
オフィシャルページが更新されましたが、『aoiさん』の更新通知先が不明で戻ってきてしまいました(過去2回)ので確認お願いします。ツアー名を入れる場所は立ち上げ時からあるのですが、更新がままなりません。しかしながらこれだけツアータイトルがバラバラだと履歴を残したくもなります。
過去のツアーも含めて更新しようかと思います。メールでいただいてもいいのですが、みんなで勝手に更新出来るような仕組みがあればいいのかなと思います。いたずら防止も考えないと。。。