『寝ていて足がびくっとなったことなどございません生活』その1149
設計とは、結局実装するのだからもっと具体的なものである筈だと常々思っている。最終的な成果物は存在するのだから曖昧なものではない筈だ。太陽の塔もデッサンレベルから始まり、最後には鉄を加工して実物になるのだ。私は現場主義なので漠然とした議題はどうだっていい。現場の人間は『最終的には具現化するのだから答えはひとつしか有り得ない』だ。だから設計部があいまいなことをしているときには、勝手に決めて進ませている。たいがい結論は私の進めた方向で決まることが多い。設計にまでは口を出さないが手を出す。(もっともタチが悪いってか)
設計をねじ伏せてこうあるべきだと押し付けることも多い。年齢的には設計・スケジューリングの作業をやらされる年齢なのだが、現場のほうが面白いのだ。だから会社をやめて契約にしてもらっている。年がいったら管理職などと一概に決め付けるでない。
『年がいっただけの管理職』に管理されている部下は可哀想だ。