『敗北と死に至る道が生活』その403
私は、こうは見えても生きている。昔はよくキレたものだ。仕事で同じ質問は2回までは教えてあげていた。3回同じ質問をされると怒りまくったものだ。だが、最近は怒らない。怒ったらその人の為になってしまうからだ。私はそんなにいい人であることを辞めた。。だから最近は怒らないのだ。意味もなく怒るのはどうかと思うが、正当な理由がある場合は教育的指導なのだ。
言い換えれば、怒るということは「教育的指導をしてあげている」という凄くいい人になってしまう。
私が「いい人」である訳がない。だから3回同じ質問をされても教えてあげる。その人の為にならないからだ。「前に教えたじゃないか!!」などとも言わない。
淡々と教える。かなり冷徹である。
「一生そうやって生きてゆけ」とも何とも言わずに。覚える気がない奴はそうやって生きていけばいいのだ。苦労するのは自分なのだから。
怒らないから「いい人」とよく言われる。こういう人を最近は「いい人」と呼ぶ。本質をとらえていない。「自分に対して本気で怒ってくれる人」これが本質的ないい人だ。
私ほどいやな奴はいないのだ。
『敗北と死に至る道が生活』その404
企業などのアンケート調査がむかつく。お客様の意見を求めて改善しようとする魂胆だろうが、『改善前の商品』を買わされて、挙句の果てにアンケートという手間までかかる。その結果、よりよい商品になったとしても『改善前の商品』を『改善後の商品』に取り替えてくれる訳ではない。
例えば阪●交●社の旅行に参加すると、必ず帰りの車内でアンケート用紙が配られる。無記名制なのだが年齢を書く欄がある。ちょっとした不満を書いたのだが、添乗員が私と彼女の年齢と参加者名簿の誕生日を照らし合わせたらしく、私たちの傍にきて『私何か足らなかったでしょうか?』ときた。
恐らく他の参加者は『大変良かったです』かなんか書いたのだろう。そんな意見は全く役に立たない。少々厳しい意見の方が企業のためにもなる。
無記名なのに特定されたことにも腹が立つ。もし改善されたとしても同じコースの旅には行かないだろうから私たちには全く利益が無いのである。次の人の役に立ってなんだというのだ。
あんなもん真面目に書いたほうが馬鹿をみる。阪急●通●のアンケートは白紙で出すことに決めた。毎回毎回どの旅でもアンケートを書かせているのだろう。100%満足な旅を提供出来ていないという現れでもある。その点、はとバスはお茶もうまいし、手間もとらせない。まぁ●急交通●は安いからよく利用するのも事実だ。
こうは見えても日帰りバスツアーによく行くのである。
『敗北と死に至る道が生活』その405
企業などのポイント制度がむかつく。囲い込みというのだろうか。顧客をなるべく定着させるのが目的だかなんだか知らないが、各店でポイントカードというのを作っている。おおむね無料で出来るのだが中には有料のもある。有料のは論外だが、ポイントカードをいちいち持ち歩くという煩わしさを店側は一体どう考えているのか。主婦なんか私と逆で札よりカードの方がはるかに厚い。ポイント制度を開発維持するにはかなりの投資がかかり、その分顧客にサービスした方がいいのではないかと撤退する会社も多いと聞く。
JALやANAのマイルよりポイントなんか無いスカイマークの方が安ければ利用する。ポイント制度を謳いながら積極的に利用させないスーパーなどもある。主婦層には『ポイントカードお持ちですか?』などと問い掛けるが、私みたいなおっさんには『このやくざのようないでたちのおっさんはポイントなんか使わないだろう』という勝手な判断をするのだ。人を見かけで判断する訳である。
『ポイントカードお持ちですか?』などと問い掛けられたら『結構です』と言う準備は常にしてある。だからポイント制度の店をなるべく利用したくない。利用しないとなんだか損をしているような気がするが、積極的に利用しようとも思わない。
結局、顧客を囲い込みする仕組みが私のような一部のひねくれ者顧客を排除する仕組みになっている。ヨドバシカメラなんかは利用しないと元が取れない仕組みになっているのでよく利用するのも事実だ。
『敗北と死に至る道が生活』その407
あんまりむかつきたくないがむかつく。ソニーのイメージステーションがむかつく。イメージステーションとはソニーのデジカメを買ったユーザーが受けられるプリントサービスで画像をアップロードすると写真を現像して自宅に郵送してくれるサービスだ。初回は5枚まで無料とのことで、試しに都庁からの夜景を依頼してみた。
今日送られてきたので開けてみると・・・・見知らぬ猫の写真。
他人のだ。他人のとった写真だ。やばいよやばいよ。これはやばいよ。プライバシーっつうかなんつうか。絶対間違えたらだめなとこ間違えてる。怖いな。私の夜景の写真はどこ行っちゃったんだろう。猫の飼い主のとこ行ったのかなぁ。まぁ妙な写真じゃなくてよかった。メールでのオーダーって怖いな。ちなみにソニーが委託したコダックが間違えたのだろうとは思う。
みなさんも気をつけて。って気をつけようが無い。
『敗北と死に至る道が生活』その408
関東地方以外ではニュースになっていないかもしれないが、JR京浜東北線に工事のショベルカーのシャベル部分を線路に置き忘れて始発電車がぶつかった。通勤ラッシュ時4時間の不通。JRは先週、中央線の工事でも運転再開が大幅に遅れた。それとは別に小さなニュース。江戸川区でコンビニにタクシーが突っ込んだ。アクセルとブレーキを間違えたとか。よりによってタクシー運転手がやるか。
私の写真の現像の件といい、北海道の出光といい、いろんなニュースがその道のプロがやってはいけないミスが多すぎる。企業の火事も多すぎる。
何から何までたるんでいる。サービスの質がかなり落ちているとは前前から言われていたが徐々に身近なところまで忍び寄ってきた。私は人生半ば。諦めもつく。どーにでもなっちまえと。若い世代は今後が大変だ。
『敗北と死に至る道が生活』その409
今、危機管理について問われる時期だ。果たして何人の人が、携帯ストラップの危険性に気が付いているだろうか。例えば携帯電話は誰もが携帯しているだろう。部屋に固定して使っている人などあまりいないのではないか。何故ならばそれは携帯電話なのだし、持ち歩いてこそなのだ。
それにしてもみんなストラップをつけている。携帯のメーカーは他社より1グラムでも軽くしようとしのぎを削ってボディーも削っているのに、若い世代は平気で100グラム以上のストラップをつけている。
私が最も尊敬する使い方は「ストラップを付けない」。これがもっとも大人でかつ人格を疑われないのだ。ここでいう「携帯ストラップの危険性」というのは「人格の否定」に他ならない。スーツを着たサラリーマンがキャラクターの付いたストラップをしているのを見かけた時点でその人は終わってしまうのだ。
それが何であるにせよ黄色の物体が最も破壊力があるだろう。バナナとか。バザールでごザルのサルを何というのか知らないが、あんなものを付けている人とは話したくない。そんな携帯を使いながら、「例の件だが、イーコマースで出来ないもんか。今はITの時代なんだからさぁ」なんて言われても何の説得力もないじゃないか。顔の横でサルがぷらぷらしているのだから。
『敗北と死に至る道が生活』その410
私は暇なとき、スカパーのジャパネットたかたの通販番組を見ている。ソニーのデジカメを買ったときもここを参考に価格.comを検索し、送料などを考えたら結局ヨドバシカメラで買った方が一番安かったりする。ジャパネットたかたは近所に大量家電販売店がなかったり、車の無いお年寄りや分割で買う貧乏人にはいいかもしれない。そんなジャパネットたかたで富士通のパソコンを宣伝していた。パソコンを使用中電話が思わず長引いて、戻ってきたら画面が真っ黒。そんなとき便利なのがオンラインヘルプ。画面が真っ黒になってしまったら?を選択すると原因が表示されてとっても便利だと宣伝していたが、画面が真っ黒なのにどうやって検索するのだろう。数あるトラブルから敢えてそんなシーンを選ぶのか。謎だ。
『敗北と死に至る道が生活』その411
久しぶりに友人と飲んだ。(映)映画の話になって『最近何見た?』的な質問になったとき私は『もう映画は見ないことにした』といくぶん破壊的な返答をしたのだが、帰ってきて反省した。彼は多分映画の話をしたかったのだ。『もう映画は見ない』なんて言う人にそれ以上映画の話は続けられないだろう。かと言ってエレカシの魅力を延々と語っても相手が困ってしまうだろう。私はたとえ初対面の人がエレカシ好きであってもエレカシの話題は一切語らない。『へぇそんな(G)バンドがいてるの。知らんわ。』的な雰囲気をかもしだしている。
私は飲み会や雑談のあと必ず反省する。あんなこと言わなければよかったと。私は誰とでも話が続かないのだ。しかし映画が嫌いなのも事実だし、例えば(麺)ラーメンなんかも全然興味が無い。『どこそこのあれがおいしい』とか教えられても『あぁそぅ』としか言えない。店に並んでまで喰いたいか?ライオンの食後を待っているハイエナのようだ。オリジン(弁)弁当が一番おいしいのだ。
次からは黙っていようと思う。黙っていたらそれはそれで不快感を与えるし・・・。困ったものだ。普通の人はこんなことで悩まないのかもしれない。(学)中学生の頃からずーっとこの件に関しては悩んでいるが結論が出ない。
一人で(歩)散歩しているのが一番好きだ。友達なんか要らない。金があるからそれでいい。問題は趣味が無いから使い道がないことだ。
紳助が松本人志に『金があるんだから高級腕時計の2つ3つ買えや』と言っていたが松本は『携帯電話に時計ついとるがな。高級な時計買ったら時間が戻せるなら買ってもいいけど・・・』と言っていた。この気持ちよく分かる。それがファッションだと分かっていても、高級な時計をしないというファッションもある。ミヤジの白シャツ・黒シャツオンリーという生き様もそうだ。シンプルな方が格好いい。
松本人志が日本経済の景気を悪くしているとしたら、私だって7並べの8をずーっと隠し持っている程度のいやがらせをしているのだろう。せこい。消え入りたい(ぷい)
『敗北と死に至る道が生活』その413
Live分析に『今日までの日数』を追加しました。最後に演奏されたライブから何日経過しているかがわかります。それにしても『浮世の姿』が演奏されてから11年。セットリストが完璧でないので追い風参考程度ですが。『敗北と死に至る道が生活』その414
栄養学的に言えば味覚なんかなくったっていいのかもしれない。舌が味を感知するのは食物が腐っていないか、毒ではないかということを察知するからだと私は思う。私が思うだけであって正しくないかもしないが、私が思うことはたいてい正しいから困ったものだ。『おいしい』って何だろう。物がおいしいことにどれほどの意味があるのだろう。おまけに体にいいとされるものはたいてい不味い。私は幸いなことにグルメではない。焼肉なんかも叙々苑程度で十分だし、プリンなんかパステルのなめらかプリンで十分だ。カレーなんか神田共栄堂よりもチェーン店『インドのとなり』の方が好きだ。やっぱりおいしいは必要なのか。
味覚と同等なくらい食感は大切だ。ブロッコリーなんか1分程度茹でた状態がパリパリしてうまい。シンプルな卵かけ御飯も混ぜる回数によって全然違う。ごはんと卵と醤油をからめる程度。それ以上混ぜたら空気が入って食感を損ねる。
人によって味覚は違うのだから『おいしいって聞いたけどそうでもないじゃん』という発言は間違っている。なんだって喰え。
『敗北と死に至る道が生活』その415
あなたは町で知り合いを見かけたらどうするだろうか。声をかけるだろうか。私は声をかけない。『やぁ』と言ったあと何も続かないからだ。『じゃ』と続ければいいのか。よくわからん。用も無いのに話し掛けるな。と思う。例えそれがニューヨークであってもだ。『敗北と死に至る道が生活』その416
パジャマで何処まで行けるか考えてみた。歩いて1分の吉野家に牛丼を買いに行く。近所だからOKだ。信号を渡ってコンビニに行く。近所だからOKだ。では、このまま駅まで行ってみる。近所ではないが、そこが私の家から近いか遠いかなんて私しか知らない。つまり私以外の人は『近所の人だろう』と思う。この理論を応用すればどこにだって行ける。歌舞伎町を歩いていても『近所なんだな』と思わせればそれでいい。
札幌だって鹿児島だって沖縄だってどこにだってパジャマで行ってもおかしくない。ただ飛行機や電車に乗っている最中が困る。移動している時点で明らかに近所ではない。解決策が一つある。病人のフリをすればいいのだ。咳き込んでみたり、本格的にやるのなら点滴のついた車つきの棒を買ってきて持っていれば何の違和感も無い。鼻に管を差し込んでみるのもいいだろう。
If you are the rich person, it is possible to side to prepare the nurse. This time the nurse is sufficient with the 'UNIFORMED PLAY' not to be the real thing of course. (あなたがもしお金持ちならば、横に看護婦を用意してもよい。このとき看護婦はもちろん本物でなくコスプレで十分だ)
唯一の問題は、そうまですることの意味がよく分からないということだ。
『敗北と死に至る道が生活』その417
道頓堀川について考えてみた。テレビでは飛び込むのは規制出来ないと言っている。規制出来ないのか。なんで規制出来ないのだ。私のスピード違反は規制するくせに。やってることは飛び込む方がよっぽど悪い。だってあれほど駄目だと言われていることをやってしまうのだから。まず、テレビカメラ、新聞などのメディアで一切報道しないというのはどうだ。盛り上がり具合をアピールしたいだけの奴等なのだから何をやっても無視すればいい。野次馬も見に行かなければいい。警察も出動せず、要請があっても救急車も行かず、北に風邪を引いた子がいると聞けば行って暖めてあげる。
橋げたに板を張るくらいだったら這い上がれる場所に板をつけて川から上がれなくしてしまうか、川から上がってきた一人一人の顔写真をアップで放送し、今後の人生にさしつかえがあるような方向へもっていけばいい。どうでもいいっちゃーどうでもいいが。
『敗北と死に至る道が生活』その418
あなたはニューヨークに対してどうだ。私はニューヨークの雰囲気がとても好きだ。新しいくせに枯れている。消防法だかなんだか知らないが壁面に必ず鉄の階段がついている。屋上に水槽がついている。STING の『ENGLISH MAN IN NEW YORK』の雰囲気だ。しかしこの曲は本当に名曲だな。私の中では20世紀の洋楽ベストワンだ。上品でクール。レンガ造りのアパートが多い。セントラル・パークは広い。向かい側のニュー・ジャージーも含めて落ち着いた雰囲気。枯葉と青空がよく似合う。渋谷みたいに妙な子供たちが徘徊している訳でもない。大人の町。銀座がもっと暗く、シックになった感じ。
最後にニューヨークに行ってから1年。1年しか経ってないのか。私がニューヨークが好きだという違和感より、沢木耕太郎が一番好きな場所は『ハワイ』だという違和感の方が大きい。香港からロンドンまで路線バスで行ったあの沢木耕太郎がだ。
『敗北と死に至る道が生活』その419
私は宝くじに相当な金をつぎこんできた。●●ジャンボクラスの宝くじは毎回100枚買っていた。私がいくら高くジャンプしようが、月までの距離に大差は無い。エベレストに登ったら太陽が近すぎて熱かったなどという話も聞いたことが無い。
結局宝くじなんてのはそういうものだ。1億円当てようとしたら6億円分の宝くじを買って一等が1枚あるかないかの確率らしい。となると頑張って100枚買おうが10枚買おうが当たる確率に大差は無いのだ。だったら無駄な投資はやめて10枚だけ買ったほうがいい。こうして私は投資のベクトルを競馬に切り替えた。
という話を彼女にしたら、『競艇の方がいいんじゃない。出走台数が少ないから当たる確率は高い筈』と言われた。む。
『敗北と死に至る道が生活』その420
玉川上水沿いを散歩していたらひまわりが咲いていた。10月19日。どうなってんだ。wowowビデオとってもらったIさん、ありがとうございました!!トミの実家の近くだそうで、トミは実家によく帰っているそうだ。
実は私も月に1回は千葉の実家に帰るように心がけている。井上陽水もこんなことを言っている。
実家に帰って顔を見せてあげたい気持ちがありますけども。なぜかっていうと、おふくろが死んだ時、後悔したくないといいますか、一度くらい会っておふくろを喜ばせてあげればよかったというような、そういう後悔をしたくない。確かに、いま現実にうちに帰るというのは、そんなに楽しくないんですけど、努めて帰るようにしようかなと。
私もそんな感じだ。実家に帰ってもたいして楽しくはない。もうすぐ両親は死んでしまうんだなと漠然と死について考えている。それが5年ほど続いている。しかし、なかなか死なない。
ところで渋谷公会堂の(券)チケット届きました。席はどうだ。座席表
『敗北と死に至る道が生活』その421
甘いお菓子をもらった。甘いお菓子はなんであんなに甘いのだろう。一山峠を越えてきた人をもてなすには最高だ。誰もが『これでもう一山越えられそうだ!!』と言うだろう。しかし我々現代人はたかだか2階に行くにもエレベーターだ。甘いお菓子は腹が減ったから喰うのではなく、おいしいから喰う。甘いお菓子はなんであんなに甘いのだろう。甘いお菓子は現代には不要ではないかと思う。しかし、一山峠を越えてきた人をもてなすには最高だ。私たちは今夜が峠でもなんでもない。カロリー摂り過ぎだ。縄文人に甘いお菓子喰わせたらきっと吐き出すことだろう。
『敗北と死に至る道が生活』その422
渋谷公会堂。『浮世の姿』やんないか。頭の中の仮想ライブでは常に『浮世の姿』が演奏されている。しかも1曲目だ。まぁ最後でもあるのだが。私は妄想癖がある。テレビを見れば全部自分に置き換えてしまう。と言ってもソニーの気持ちになる訳ではない。『どっちの料理ショー』なんか見た日にゃ、つべこべ言わず両方喰えばいいじゃねぇか!!と思いながらも選んでいる。外れたら『あぁ喰えないのか~』と思いながらも、当たったって喰えないだろが。
16歳で殺されて火をつけられた少女のニュースを見れば、頭を金槌で殴られている自分を想像してしまう。かなり痛い。知人に殴られ、死を覚悟した時の気分はどんなだろう。ブルータスという雑誌は今もあるのだろうか。火をつけられた時の映像が俯瞰で浮かぶ。かなり怖い。
少女の両親は今どんな気持ちだろう。あの報道された男は法に守られて生きている。税金で飯食っている。あいつとさえ知り合わなければこんなことにはならなかった。何故うちの娘がだ。私が父親なら面会に行って射殺する。射殺して犯人になったとしても法に守られて生きていけるのだ。といつのまにか父親になっている。
ロープウェイから転落死した老夫婦がいたと聞けば、自分だったらどうだろうかと。ゴンドラにはつかまるような場所も無い。よしんばつかまったとして、彼女の方は既に窓から投げ出されている。タイミングよく腕を握り合ったとして、それが何分もつだろうか。ベルトをほどいてなんとか体を支えられないだろうか。20m落下する最中に気を失えればまだ楽かもしれない。とにかく握力を鍛えなければだめだ。
子供も立派に成人になって、これからの老後を二人でゆっくりしようと思った矢先に死んでしまった。葬儀に参加した親戚の気分になってみる。あのロープウェイにさえ乗らなければ。はたまた前後のゴンドラに乗っていた人はどんな気分だったろうか。目を離した監視員の今後の人生はどうだ。
私は全てを最悪の方向に考える。この前テレビでレポーターがダチョウの子供を抱えていた。ダチョウが突然振り向いて自分の眼球をつついてきたらどうするのだ。絶対ありえないとは言えない。私にはダチョウを抱えることも出来ない。何も出来ない。
髭剃りも怖い。自分が突然おかしくなって唇を切ってしまうかもしれない。絶対ありえないとは言えない。私は髭を剃るのが怖い。どうせまた伸びてくるのだから剃らなくてもいい。電気式のほうがいい。
妄想癖がひどいせいで映画が見られない。ちょっとしたシーンで自分だったらと考えてしまうからだ。妄想している間に映画のストーリーがわからなくなる。集中力がないとも言えるし、妄想に集中しているとも言える。
平凡な人生をおくるのも結局綱渡りだ。とにかく握力を鍛えなければだめだ。
『敗北と死に至る道が生活』その423
『浮世の姿』やんないか。私が浜崎あゆみだったら、周りのスタッフが一生懸命やってくれるから私はこうしていられるのだと感謝する。最初は。しかしだんだんと、私がいなければこの人たちは仕事がない。私がいなければエイベックスだってあんなに儲からない。なんとかリミックスなんていう子供だましのCDばっかり出しても買ってくれるのは私の美貌のおかげだわ。
なんて思うだろう。幸いなことに私は浜崎あゆみではない。世の中の浜崎あゆみでない人。ほっとしたまえ。
『顔』がそうさせる。
『顔』がそうさせる。という経験はないだろうか。私はちょっと睨(にら)むとかなり怖い。睨まなくてもちょっと関わりたくないような、強いて表現すれば歌舞伎町あたりでよく見かける、いかつい顔をしている。強いて言えばだ。
私が歌舞伎町を歩いてもキャッチのお兄さんすら声をかけない。たまに声を掛けられたと思えば何故かおじぎをされている。服装が真っ黒なのと、背が高いのと、顔が怖いのと、話し掛けるな光線を出しているからだ。人のよさそうな人なんかいちいち声を掛けられ、進むのもやっとだ。俺も花見に入れてくれっつう感じだ。
本当はかなり小心者なのだが、ちょっと凄むと相手はかなりビビるらしく、買い物もしてないのに受け付けに行って、『欲しいものが品切れだった』と言うと、駐車券にスタンプを押してもらったり出来る。『この人にお断りを入れると時間がかかりそうだから押してしまえ』と相手が勝手に思うからだ。
見知らぬ人が私をどう思うかなんて知ったこっちゃない。私が傲慢なのではない。『顔』がそうさせるのだ。
・・・・性格が顔を作ると言う人もいる。消え入りたい。
『敗北と死に至る道が生活』その424
浮世の姿やんないか。海亀は産卵時、後ろに卓球の愛ちゃんがいたらもっと泣くらしい。そんなことはどうでもいいが、私の悩みは縄文人の赤ちゃんを現代人として育てたらどうなるかという一言に尽きる。しかし私は一介のサラリーマン。そんなことを研究する暇はない。
縄文人の赤ちゃんを現代人として育てたら、ちゃんと日本語を話せるのだろうか。『超きも~い』とか言うのだろうか。渋谷に行っても棍棒とか持っていかないだろうか。109-2に行ってエンジェルブルーの薄い黄色と薄い青と薄いピンクの高いTシャツ欲しがるだろうか。『人がいっぱいだ。うっほー。うほうほ』などと叫ばないだろうか。
携帯電話を見てびっくりしないのだろうか。『あぁ505じゃん。メガピクセルだよね』とか言いだすかもしれない。進化の過程をすっとばしてもDNAは追いつくのだろうか。逆はどうだ。現代人の子供を縄文時代にタイムスリップさせて縄文人に育てられたらどうなるのか。森に行って、プレステ2のコントローラー探したりしないだろうか。
疑問は沢山ある。誰か教えてくれないか。私はそんなことを研究する暇はないのだし、暇があったら解決するのかと問われれば、暇があったら屋久島にでも旅に出たい。屋久島に行って縄文杉を見ずに帰ってきたい。
『敗北と死に至る道が生活』その425
浮世の姿やんないだろうな。キース・リチャーズは全身の血を入れ替えたことがある。
最近、血が再生していない気がしてしかたがない。車でも半年に一回はオイルを交換するっていうのに人間の血液はどうなっているのだろう。古くなった血液はどうなっているのだろう。日々少しずつ新しくなっているのかもしれない。古い血は腎臓で濾過され小便になるのかもしれない。だとするとレバーは老廃物の固まりだ。それを刺身で喰っている。掃除機のフィルターのホコリを掃除機で吸い取っているようなものだ。
あなたが女性ならば毎月約15~50グラムの血液を出している。男も本当はこのくらいの血液を流さなければいけないと思う。縄文時代は狩やら農作業やら場外乱闘で手や足を切って血を流していたことは私のDNAが知っている。私は知らないが。
現代の男がそうするには、4ヶ月に1回は献血しないといけないということだ。だから女性より短命なのだ。男は献血しないとだめだ。献血してクッキーでも食わないとだめだ。
『敗北と死に至る道が生活』その426
犬と話せるバウリンガルがあるのなら、あなたは何と話したいだろうか。夫と妻のヒトリンガル?だんなの気持ちがわからないってか。知らないほうがいいかもな。『敗北と死に至る道が生活』その427
昔、『(象)象が踏んでも壊れない』という筆箱があった。子供心にも「そんな馬鹿な話があるもんか」と思ったものよ。だいいち教室に象なんていなかった。友人の高原君は少し太めで頑張っていた。彼は給食を食べてるときでも、何故か常に汗をかいていた。かき氷喰ってるときも鼻に汗をかいていた。冬でも半ズボンだった。子供心にも「西城秀樹みたいだ」と思ったかどうか昔のことで忘れてしまった。
ある日、高原君は『(象)象が踏んでも壊れない』という筆箱を踏んでしまった。『(象)象が踏んでも壊れない』という筆箱は何故か、高原君が踏んだら壊れてしまった」。
それ以来彼は「高原君」と呼ばれている。
『敗北と死に至る道が生活』その428
羽田の駐車場で自動精算機で支払いしようとしていたら、前に老夫婦が処理していた。駐車券を入れて金額が表示されて、1000円札を入れようとしているが、なかなか入ってくれない。やっていることは間違っていないのに、札が拒否されている。その時は『早くしてくれよ』程度に思いながら、横が空いたのでそっちで処理した。老夫婦は後ろに別の人が並んだので、おばぁちゃんの方が『一度取り消しましょう』と言って取り消して、後ろの人に譲っていた。
私は精算が済んだので、さっさと帰ってきてしまったが、あの老夫婦はその後、精算出来たのだろうか。相手が人間だったら何の問題も無いのだが、機械だから融通が利かない。
老夫婦が機械を相手に困っている。手伝ってあげればよかったと思う。私は自分の両親のことを思った。高度経済成長時代を黙々と生きてきた人に対して社会は冷たく出来ている。私も一緒に困ってあげられる人になりたいと思う。
地震や台風など自然災害は容赦なく襲い掛かってくるのだから、せめて人間同士は平和でいたいものだ。こんな顔して言うのもなんだが。
今日のtips : 羽田空港の駐車場は到着側からの方が入りやすい。たとえ出発するにしても到着の方に行くこと。出発・到着の看板はタクシーやバス用であって、駐車場自体に出発・到着の区別はない。特にJAL,JAS側のP1は出発側に行くと駐車場全体を1周するハメになる。
『敗北と死に至る道が生活』その429
100円ショップにベンツが停まっていた。こんなことが許されるのだろうか。せっかくベンツなのに100円ショップに買い物に来てはダメなんじゃないか。100円ショップには軽自動車とか、せいぜい頑張ってもカローラまでだろう。100円ショップにポルシェやフェラーリで来てはいけない。ポルシェやフェラーリに乗っている人はクーポン券やスタンプカードを使ってはいけない。ヨドバシカメラのポイントカードも使ってはいけない。だってポルシェに乗っているのだから。
爆音を轟(とどろ)かせて去っていってもらいたいものである。それが粋ってもんよ。
今日のtips : 通販生活は店に行くと在庫があろうが無かろうが配送料無料で配送してくれる。
『敗北と死に至る道が生活』その430
(BEER)ギネスビールによれば、北極点到達の定義は『半径1メートル以内に入ったら』だそうだ。でも、半径1メートル以内に入ったら、絶対中心に立つだろう。せっかくあと1メートルなのにねぇ。だったら定義を『北極点に立ったら』にすればいい。北極点も微妙に動いているからよくわかんねぇのかもしらん。北極点には何があるのだろうか。『世界最北の地』なんて書いてあって、見渡せば『北極点へようこそ』なんていうお土産屋が立ち並んでいて、 『北極と書かれたペナント』とか、『白クマっていうアイス』とか、何を勘違いしたのか『ペンギンのキーホルダー』とか、何を勘違いしたのか『クールミントガム』とか、『オーロラに見える魅惑のカーテン』とか、スタンプラリーで『次は南極にチェレンジ!!』とか、そういうグッズを和泉雅子が売っているのだろう。シールを剥がしたら『南極』って書かれてたりするのだろう。そこまで使いまわすか。白クマの写真の顔がくりぬかれててそこで記念写真が撮れるとか、そういう粋な計らいがあるのだろう。
ところで北極点に立ったら西も東も無いのか。全部「南」か。それこそ右も左も分からない。
私が北極点に立ったら一度やってみたいのが、北極点をグルグル回ってみたい。何故かと問われれば『日付変更線』を何度も超えたらどうなるのか?ということだ。
確か日付変更線は太平洋に1本あるだけで大西洋には無い。普通の場合はそこを1回またぐごとに日付を変える。逆に戻るときに日付を戻すことで辻褄が合う。しかし北極はまたいで更に回れば何回でも同じ方向から日付変更線をまたぐことが出来てしまう。
ということはグルグル回れば回った回数だけ日にちが進んだり戻ったりする筈だ。これは一種のタイムマシンではないか? 試しに365回。回ったとしたら、それこそ目が回ってしょうがないだろうな。
あなたはそんなこと考えませんか。
『敗北と死に至る道が生活』その431
いよいよ明日がツアー最終日。最後はちょっと間があいたし、ホールなので赴きも変わるかもしれない。どうなることやら。季節的には昔の侍やってもいいころだし。今日オフィシャル更新メールが行ったと思いますが、『いくら』さん、『サリンジャー』さんが宛先不明で戻ってきてしまいました。プロフィール登録の『通知先アドレス』の再確認を御願いします。携帯だとドメイン拒否みたいな設定で届かないことも考えられます。
マガジンの『へなちょこ』が最終回で少し凹んでいる。まぁ最近のはよく分からないキャラに頼ったところも無きにしも非ずだったが、全盛期は本当にすごかった。
インターネットを徘徊していると『5月26日』だの『今年7月より』という表現がある。年が無いのでいつなのかさっぱり分からない。『5月』なんてのは必ず1年に1回あるので縄文時代の5月かもしれない。書いた時点では分かるのだろうが、読み手にはさっぱり分からない。新しい情報なのか古い情報なのかわからない。だから私は真面目に年まで書いている。『2003年っていつの2003年だよ~』という奴が出てくるまで安心だ。
私ははっきり言ってトリビアにも飽きた。『ベルリンの壁が崩壊したのはある男の勘違い』というのは無駄知識ではない。これが無駄な知識だとしたら歴史全てが無駄な知識になりかねない。
かと言って本当に無駄な知識が面白いかと言えばそうでもない。左側にいる司会の意味がよく分からない。確認のVTRを見せた後で同じことを更に説明する。二度手間だ。試しにビデオにとって見てみたら15分程度で見終わる。
人は飽きる。だからコンビニの商品もコロコロ入れ替わる。定番のお茶っつったら『おーいお茶』くらいしかない。あとは3ヵ月後には形もない。人は飽きる。だから経済が回っている。
ジムニーに飽きたからと言ってラパンを買う予定。私がラパンを運転していたらはっきり言って怖いぞ。どーせだから思いっきり明るい色にしてやる。ミスキャスト。ラパンユーザーいますか?
新しい Windows の説明があった。気になるのが『画面のユーザー・インターフェースも一新し』だ。せっかく覚えた操作が一新してしまうのである。
ご老人がパソコン教室で習ったことが全く使えなくなってしまう。『このボタンを押して』なんて覚えていても次期ウィンドウズではそのボタンがどっか行ってしまう。誰もが『ばぁさんボタンが取れちまっただ』と言うだろう。しかしばぁさんはそのボタンを付けることさえ出来ない。
かと言って古いバージョンをいつまでも使っているとだんだん使えるソフトがなくなっていく。Windows Update も対象外になってしまう。パソコンなんか覚えても覚えても次へ行ってしまう。追いかけないほうがいいですね。あぁあほらし。
翻って己自身に鑑みる。私はこういう無駄な進化がある限り仕事がなくならない。マイクロソフト・マンセー。じゃんじゃん変えちゃってくれたまえ。なんならマックになってしまえ。
ある方からミヤジが『タモリ倶楽部』に出演したビデオを頂いた。江戸古地図を持って東京を歩いている。ミヤジが所蔵している古地図で熱く語る。タモリも古地図に現代の姿を重ねられる本を持ってきて熱く語る。ミヤジはその本を見て『僕、それ買わなかったんです。自分で作ろうと思って・・・』
東京を歩く。昔はここから富士山が見えたとか。広重の絵の構図の位置する視点を探したりする。
私はこれを見て安心した。男はこういうことに何故か惹かれるのだな。
たまたま今住んでいる場所のすぐ裏に、公園なのに橋が残っていて何だろうと思って調べていくうちに多摩川から四谷まで人工の川を作った玉川上水だと知った。約42キロメートルだというからフルマラソンの距離だ。走れなくも無い。あの太宰治が入水自殺した玉川上水だ。東京都心に水を引いていて、昭和40年くらいまで使用されていたらしい。
私は以来、玉川上水跡を散歩するようになった。ところどころ水も残っている。上水を復活させたそうだ。気が付けば橋げたが沢山残っている。普通に道路が交差しているところにはたいてい橋げたが残っている。
私の彼女に『単なる手すりに見えるが実は橋だったんだ』と説明すると全く興味を示さない。この興味のなさはこちらがびっくりする程だ。多摩川からこんな都心に人工の川を掘って実際に使われていたのだし、川を想像しながら歩く散歩もまたいいもんだ。
コンポを買った。Panasonic 77MD。MP3 や WMP の CD が再生出来る。CD-Rに焼けばエレカシは1枚に収まってしまう。それが5枚入る。そんで 27,800円。
CDex で全曲 mp3 で焼いてみた。アルバム全部(DEAD OR ALIVE含めて)と以下の曲で全曲になる。
- ポリスター
- ふわふわ
- さらば青春
- 涙の数だけ
- 真夜中のヒーロー
- 夢を見ようぜ
- 旅の途中
- soul rescue
- sweet memory
- 石橋たたいて八十年
- 始まりはいつも
- 孤独な太陽
- 東京ジェラシィ
- ハローNew York!
DVDからチャプター単位にmp3にする方法がよく分からないので『夢を見ようぜ』だけ入れられなかった。暇があったらやってみよう。
ビットレートが低い(64K)せいか音が悪い。ハイハットの音がおかしい。128Kで焼きなおすのもかったるいのでまぁいいか。音質にあまりこだわらない私でさえちょっと耳につく。では WMA 形式の 64k ではどうか?こっちは気にならない。WMA の 64k 推奨だ。