『敗北と死に至る道が生活』その424
浮世の姿やんないか。海亀は産卵時、後ろに卓球の愛ちゃんがいたらもっと泣くらしい。そんなことはどうでもいいが、私の悩みは縄文人の赤ちゃんを現代人として育てたらどうなるかという一言に尽きる。しかし私は一介のサラリーマン。そんなことを研究する暇はない。
縄文人の赤ちゃんを現代人として育てたら、ちゃんと日本語を話せるのだろうか。『超きも~い』とか言うのだろうか。渋谷に行っても棍棒とか持っていかないだろうか。109-2に行ってエンジェルブルーの薄い黄色と薄い青と薄いピンクの高いTシャツ欲しがるだろうか。『人がいっぱいだ。うっほー。うほうほ』などと叫ばないだろうか。
携帯電話を見てびっくりしないのだろうか。『あぁ505じゃん。メガピクセルだよね』とか言いだすかもしれない。進化の過程をすっとばしてもDNAは追いつくのだろうか。逆はどうだ。現代人の子供を縄文時代にタイムスリップさせて縄文人に育てられたらどうなるのか。森に行って、プレステ2のコントローラー探したりしないだろうか。
疑問は沢山ある。誰か教えてくれないか。私はそんなことを研究する暇はないのだし、暇があったら解決するのかと問われれば、暇があったら屋久島にでも旅に出たい。屋久島に行って縄文杉を見ずに帰ってきたい。