『敗北と死に至る道が生活』その3148
赤羽に散歩。昭和が枯れてゆく。
『敗北と死に至る道が生活』その3149
(昨日の日記)
偶然新聞に記事が。
赤羽散歩。立ち飲み屋で食前酒。赤羽らしい平日の昼間っからの酔っ払い。時折新参者の顔色を伺われるが一切無視。あこがれの平日飲み。
デアでナポリタン。沈み込み過ぎるソファ。可もなく不可もなしな感じのランチ。コーヒーはうまい。職を失った今タバコ吸ったらどんな気分なんだろう。結局吸わなかったけど。
デアは30周年だそうだ。エレカシデビュー5年前か。
赤羽スズラン通り喫茶店デアにて
赤羽台団地の導入部。毎回気持ちが上がる。町を見下ろす丘にあがる。
桜と団地。この棟は居住中。
隣の棟はすでに造成。
解体中の棟。
ちょうど当日から封鎖だったり。
「つどう」がむなしい。。。
活気があった頃を彷彿させる佇まい。(しらないけど)
桜、結構残ってた。
赤羽台東小学校。平成17年に閉校。
赤羽緑道公園は軍用列車線路跡地なので線路っぽいデザイン。
自分も昭和の残骸なのだと古びた団地を見て思った。
決して感傷的ではなく単なる事実として受け入れながら明日を見ながら前に進んで行く。
二分散った状態は八分咲きではないのか?
っぽく見えるけど確実に違う。
『敗北と死に至る道が生活』その3150
あなたの周りにもいるだろう。"あの人の言うことなんか"と思われる人と、"あの人が言うなら"と思われる人。これを仮にAさんとBさんとするならば、ネット社会というのはAさんもBさんも対等な立場で扱われる。もしかすると実社会で疎んじられている分、Aさん人種の方がネット社会に進出したがるのかもしれない。そこでしかBさん人種と対等に扱われないのだ。アプリのレビューなんか見てるとそう思う。Appleアプリのレビューのマナーの悪さは日本が世界一だそうだ。ちょっと現実社会とはズレがある。これも前述のような理由からだろう。電車でも店でもスマホを上下左右にこすっている人ばかり。自分も含めてそういう人たちがなんだかバカに見えてきたので、スマホをいじるのは朝晩5分づつに控えようと思う。昔はそんなもんなしに暮らしていた。
『敗北と死に至る道が生活』その3151
山の上ホテルで火事だそうで神田藪蕎麦といい、どちらも斎藤和義の「メトロに乗って」に出てくるのは偶然だろう。天使とサボテン、格好いいです。
マニッシュがブランキーにみえてくる。
『敗北と死に至る道が生活』その3152
胃が痛いというかかゆいというか。なので寝ています。『敗北と死に至る道が生活』その3153
4/23発送らしいので、発売日を確定しました。『敗北と死に至る道が生活』その3154
嫁に教えてもらった半顔メイク女子。 一応「閲覧注意」の部類かもしれない。目の化粧ってこんな風になってるのか。こうなると化粧というよりハリウッドの特殊メイクだ。父方の墓が群馬にあるのだが、遠くて行きにくいという理由で船橋に墓を買った。父の骨を少しとってあるので先祖代々の墓に撒きに行ってくる。そして私は来週から東北へ一人旅に出る。
『敗北と死に至る道が生活』その3155
三春滝桜。
『敗北と死に至る道が生活』その3156
石巻の羽黒山公園。日和山公園より人気がないので桜独り占め。桜の香りを生花から人生で初めて感じた。桜餅の匂いがした。いや桜餅が桜の匂いなのだ。
観慶丸商店。さきほど地震があった。震度5とのことだが、東京で発表される震度3程度に感じた。
『敗北と死に至る道が生活』その3157
帰宅した。南三陸町。町がねこそぎ持っていかれてる。やっとガレキが片付いた段階。
「なつかしい未来へ」道路には「新しい町でお会いしましょう」とあった。
南三陸町防災庁舎。取り壊すか未定だという。
南相馬へ行った。
原発近辺は時間がとまっている。
倒れたままの電柱。荒れ放題の畑。
放置されたままの車。
国道6号線には過去の津波浸水範囲が書かれている。海まで遠い。
人のいないまち。何の因果か仏浜という。車に乗っていると地震に気が付かないため常にラジオをつけていた。
ふるさと納税しようと思った。
『敗北と死に至る道が生活』その3159
日和山公園から見た石巻の海岸。新しいお墓だけが立ち並ぶ。供養物をカラスが喰う。
人々の想いがつのるほどカラスがはびこる。荒涼とした光景にカラスと風の音しかないく、やるせない気持ちになる。
どこでも手を合わせてからシャッターを押させてもらった。そうせずにはいられない光景が延々と続く。日本製紙の工場が復活して雇用を生んでくれている。大企業は強いが中小や小売は大変だ。
夜に入った石巻駅前の寿司屋ではここまで1m浸かったと聞いた。川が近くにあるとはいえ海まで2Km以上ある。エアコンの室外機は町中で全滅したそうだ。門脇小学校はモニュメントとして残せという声が多いそうだ。部外者なのでなんにも言わないが、寿司屋の大将は、そういう人たちは維持費をずっと出すのか?と疑問を呈していた。東北日記はこれでおしまい。