『敗北と死に至る道が生活』その574
『扉』を聴いています。日記どころじゃないです。誰も通ったことのない路線を作ってしまった感じ。そんな足場の悪いところに道が作れたのかと。その無骨な道をゆけば誰も見たことの無いところまでたどり着けるのだろう。凄い。今後右往左往しなくなるんじゃないかと危惧している。これが売れなかったら国民がロクでもないか、宣伝が足りないかだ。
扉の(CD)CDの PICTURES フォルダの JACKET01.00J をハードディスクにコピーして拡張子を JPG にして見てみるとあらあら宮本さんの登場だ!!
『敗北と死に至る道が生活』その575
「化ケモノ青年」が「松本紳助」エンデングテーマに決定したそうだ。つうかオフィシャルページが大幅に変わったので対応中です。更新通知メールは当面停止しています。
『敗北と死に至る道が生活』その576
オフィシャルページの更新状況に対応しました。と思う。次回更新があったらメールが行く。と思う。森鴎外の妹小金井喜美子は星新一のおばあさんである。
自分が出来てしまうことを人に教えるのは難しい。『感じろ』としか言えない。
W杯組の代表は全然だめだった。欧州組みにこだわりすぎてパスミスが多すぎる。組織としてまとめあげなければだめだ。その点五輪組みは組織としてまとまっている。昔は選手がやるんだから監督なんか誰だっていいと思っていたが選手のモチベーションをいかに出すかが監督の役割なのだな。阪神でいう星野監督とか。堀内で大丈夫なんだろうか。プロ野球開幕。
ステテコに枝豆にビール。『おい酒持って来い』。私の父はあと何シーズンの野球を見ることが出来るのだろうか。長嶋監督も。アミールS飲んでいたのだろうか。
『敗北と死に至る道が生活』その577
上司が部下に『これはこうせぃあぁせぃ』みたいなことを言うが、部下が上司に『企業責任を問われたらあなたはどう対応しますか?』と問うて、まともな答えが返ってくるかどうか試したらいい。森ビルも三和シャッターもなんだか逆ギレみたいな顔で対応が悪い。企業の対応をチェックする番組で『目の前のマスコミに対して話していて、当事者や国民に話していない。それが映像として流れることをもっと意識しないとだめだ』と言っていた。カメラ目線で謝られてもこれまたちょっといやらしい。『謝る』という行為はどうやっても難しい。
雪印の社長なんか『わたしゃぁ寝てないんだよ』と逆ギレ。寝る前に牛乳飲むとよく眠れるぞ。
YahooBB なんかニヤニヤ半笑い。あほか。
就任前の設計ミスをつつかれて訳も分からず頭を下げる三菱ふそうの外国人社長。あなたも不幸だのぅ。
会社のトップがそんな対応なら社員はどうしたらいいのか。
一方、じゃ~ぱねっとたかたは未だに放送を再開しない。割と反省している。
カメラのないところで土下座したり、莫大な制作費の放送を中止した石原プロが一番誠意のある対応をしたのではないか。よく知らないけど。マスコミから伝わってくる一方的な情報だけからしか判断出来ない。いやいやマスコミ以外から伝わってくる情報があったところで、よく分からないのではないか。数年後には一般人が裁判員になるというが、アメリカでやって問題になった『コインの裏表で決定する』という方法。問題は問題だが、結局そうなるのだ。
文春の問題にしたって裁判官によって判決が右往左往する。『裁判官がたまたまあの人だった』ということで決定するのだから『コインの裏表で決定する』のと変りが無い。
私は真実こそが唯一の事実だと思うので、全ての人間の眼球に監視カメラを埋め込んで全ての事実を互いに録画しあえばいいと思う。人生のフライトレコーダーみたいな。凄いドキュメンタリーが一杯出来る。
『敗北と死に至る道が生活』その578
キース・リチャードは全身の血液を入れ替えたことがある。私はB型に強いあこがれがある。『天才系の血液型』だからだ。発想も斜め45度くらいから出来る。私の血液型はAとOのAO型なので面白くもなんともない。よって精神的にはB型が多少混ざるように生きてきた。行き先を決めずに旅に出てみたり、行き先を言わずに(車)タクシーに乗ってみたりしたものだ。
これにより初対面の人には必ずB型だと言われるまでになった。ちょっと知られるととたんにA型だとバレてしまうので、最初から最後まで嘘のつきっぱなしだ。こうして一生B型として生き抜こうと思っている。年に一回は献血に行くのだが必ずA型だとバレてしまう。いつか献血でもB型だと言われるまでになりたい。努力すればどうにかなるものだろう。
『敗北と死に至る道が生活』その579
ある仕事では一般の人が考えないようなことを考えている。音速を超える技術が加速する一方で、音を遅らせる方法を考えている人がいる。ある樹脂に音を染み込ませると音が遅れて聞こえるそうだ。特筆すべきは樹脂の厚みで時間を変えられることと、電源が要らないこと。残る問題は再生を制御する方法。今の技術だとある一定の時間後には再生が始まってしまう。
例えば20年後の厚さの樹脂に赤ちゃんの声を染み込ませて、成人したら聞かせるという方法。『そんなのビデオにとっておけばいいじゃないか』というなかれ。今から20年前のベータや8ミリのシステムが廃れていくように20年後にはビデオやDVDが再生できるハードがなくなっている可能性だって如実には否定出来ない。
そして最大の問題は成人したバカ娘が『あーしちょっと智子と出かけてくる。渋谷・・。え、帰り。わか~んない』などと言われても勝手に再生が始まってしまうことだ。『再生が始まったらそれが再び染み込む』という訳の分からない仕様だとしたら今度は娘が40歳。コタツに包まってワイドショー見ながらケツをボリボリ、せんべいをボリボリ。存在さえ忘れかけた訳のわからない装置から『オギャー!』。ものが進化するほど人間はまぬけだ。
『敗北と死に至る道が生活』その580
ニュース速報が入ったときに(司)アナウンサーが『ここでニュースをお伝えします』と言うと私は必ず『そこでか』と答えてしまう。そんなことはどうだっていいが、私はケチなのでケチな真似をする。何故ならばケチだからだ。明太子が好きで困ったものだ。最終的には明太子の樽の中で生活したいほどではない。袋にパックされた明太子は袋から出さない。袋に粒が残ってしまうのがいやだからだ。袋にご飯を入れて喰う。だから一度に3腹くらい喰う。果たしてケチなのだろうか。
カレーが好きで困ったものだ。最終的には(IND)インド人になりたいほどではない。ルゥとご飯が別々に出てきたらどうしようか。皿にルゥが残ってしまうのがいやだ。ルゥにご飯を入れて喰う。ルーだと大柴みたいだからルゥにしてみたが、余計気持悪い。
たそがれせいべいを見ていたら、菜っ葉で茶碗をぬぐうようにご飯を食べていた。最終的にはそこにお茶を入れて綺麗に食べ尽くす。茶碗を洗わずにしまっていた。
サムライだ。武士は喰わねど火の用心だ。
『敗北と死に至る道が生活』その581
ドレッシングの蓋が緩んでいるにも関わらず思いっきり振って部屋中をドレッシングにしたことはないだろうか。私はない。ソーセージのパック売り。スーパーでは必ず2個抱き合わせで売られている。あれが1個の状態を見たかったので色々探し回った。コンビニに行けばいい。あれが1個の状態を見たかったらコンビニに行けばいい。行ったらいいさ。
あれを『抱き合わせてテープを貼る』という仕事がどこかに存在する。私はあれを『テープを剥がして1個づつにする』という作業をしている。もっと突き詰めて考えれば同一人物がこの2つの作業を行う可能性もある。まぁそんなことはどうだっていいのだが。
『敗北と死に至る道が生活』その582
(鶏)オジー・オズボーンは子煩悩である。そんなことはどうでもいいが、私は人と目が合うと『なにジロジロ見てんだ』と心の中では思っているが顔は笑顔だから大丈夫だ。人と話をするときは目を見ろと言われるが果たして本当にそうだろうか。ややうつむき加減の人の方がおおむね信用出来る人たちだ。私の経験上そうだ。目をじーっと見ている人には何か裏がある。絶対そうだ。私がそうだから。やや威圧的でないと負けてしまう気がするからだ。目をじーっと見ている人は本当は小心者なのだ。本当の姿を見せたくないばかりに威圧的な行動をとりがちだ。
私も泉谷しげるみたいなオヤジになるのか。本当はいい人らしい。
『敗北と死に至る道が生活』その583
いつまでヨモギダ君でひっぱるんだ。私はすもうライダーが見たいだけだ。そんなことはどうでもいいが、だいぶ暖かくなった。赤羽に散歩に行こう。一度だけ行った事があるが、その時は車で行ってしまって駅前から岩淵水門までドライブし、一度も降りずに帰ってきてしまった。今度はちゃんと電車で行って商店街を歩こう。ヤマハの教室前を抜けて団地へ行ってみよう。5月になったら行ってみよう。なぜ明日行かぬ。『敗北と死に至る道が生活』その584
私は作家になりたいのだが、全然ダメだ。常識と知識が無い上に記憶力も無い。例えば警察と地検の関係や事件が起きたときの警察の動き、マスコミの動きなど全然知らない。歴史も苦手だから時代小説も書けない。さまざまなジャンルに精通しているか、もしくは交友関係を広げていろいろ教えてもらうしかない。あとは発想力か。最後どう落とすかが分からない。最近借りた『半落ち』にしても『OUT』にしても途中までは面白いのだがオチが弱い。批判は出来るがじゃぁ自分はどうなんだと言われれば評論家なんかすげぇ偉そうな職業だな。芥川賞をとった若い女性は今後どのような小説を書いてゆくのだろうか。まぁそんなことはどうだっていいのだが。
『敗北と死に至る道が生活』その585
そういえば私が昔 Geocitiesで選んだ住所はhttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/9856/ オーガイ通りだった。URLが"Ohgai"っていうだけだが。ここの作者は私です。やり逃げ休業状態ですが・・・。更新しないと消されるなぁ。『敗北と死に至る道が生活』その586
あなたは二酸化炭素を意識したことがあるだろうか。私はない。そんなことをしたら朦朧としてくるぞ。書けるか朦朧。意識がはっきりしていてもなかなか書けない。朦朧。フォントをでかくしないと識別さえも出来ない。そんなことはどうでもいいが、仕事で OCN の ADSL に契約している。 ADSL 回線が必要なだけで、他のサービスは要らない。メールアドレスが付与されているのだが、一度も使った事が無い。ためしに受信してみたら、ウィルスメールが来ていた。アドレスの存在を知らせていないのにウィルスメールが来るということは明らかに OCN から漏れている。内部から漏れている。私は最近は偽名を使い、住所はでたらめ(必要なら届く程度に嘘をちりばめる)、電話も架空のものを使っている。自衛のため。生年月日も適当。なんなら女性のフリまでしている。
先日全く知らないところから偽名宛てにダイレクトメールが来た。苗字は同じにしたから届いたようだ。その偽名はある大手に1回しか使っていない。そこから漏れたことは歴然としている。
世間がインチキなら自分もインチキにならなければ。
『敗北と死に至る道が生活』その587
大人とは子供っぽい行動を取らないことでなく、大人っぽい行動を取ることだ。そういう意味では私も含めてまだまだだ。子供っぽい行動を取らないことは『何もしない』ことで実現出来てしまうからだ。行動したうえで大人っぽくなければダメだ。ヒトは成長しきる頃に死を向かえる。やはり神は何を考えているのか分からない。肉体が死んでも精神だけ生き続けたらどうなるのだろうか。成長を続けるとどこまで行くのだろうか。私はそんなことには一切興味がない。ただ面白そうな方向に転がってゆくだけだ。
『敗北と死に至る道が生活』その588
ウィルス対策ソフトの広告で『私はウイルス対策がしたくてパソコンを買ったんじゃない』というのがあった。そのソフトは安さが売りだったので、高いウィルス対策ソフトに対抗するためにそう謳っているのだろう。確かにインターネットブラウズやメールをやりたくてパソコンを買ったのであってウイルス対策がしたくてパソコンを買ったんじゃない。こんな記事もあるように、大手のウイルス対策企業は初期導入費用の他にランニングコストで儲けている。ランニングコストで儲けている例として、携帯電話がある。新規購入が1円だったりしても、毎月基本料収入が期待出来る。またプリンターも意外に安かったりするが、インク代で儲けていたりする。インクが意外に高いのもそのせいか。
私はケチなのでウィルス対策ソフトは無料のやつ(AVG)を使っている。ソフトウェアファイアーウォールも無料のやつを使っている。しかしながら食品売り場でつまみ食いは出来ない。たまには買うような小芝居をしながら喰うこともある。『あ~ぁ』とか言いながら語尾をフェイドアウトして立ち去るのがコツだ。小心者だからだ。もっとも大物だったら食品売り場でつまみ食いなんかしないか。
『敗北と死に至る道が生活』その589
鼻毛が鼻のフィルターだとしたら抜いたらまずいのではないか。あなたは炭鉱夫の鼻毛を見たことがあるだろうか。私は少なくともないのである。金が余っているので株でもやるかと年中思っているのだが、思うたびに本屋で株の雑誌を見るたびになんだか面倒だな、と思うたびに止めてしまうのだ。私は面倒なことが大嫌いだ。高値がついたら売るというが、売るということは誰かが買うということだ。高いものを誰が買うのだろうか?私は知識が無いのでよくわからない。高値がついたら売れないのではないだろうか。
テレビでデイトレーダーをやっている人を取材していた。10分で数万儲けた。月平均20~30万の利益だそうだ。あれだけ神経すり減らして、たかだか20~30万しか儲からない。(実際は利益が出ているだけ凄いのだが)
『敗北と死に至る道が生活』その590
うちのおばあちゃんは、「ひよこ」のお菓子が可哀相で食べられないといいながら、サンマをうまそうに喰っていた。今日はちょっと忙しいので終わり。
『敗北と死に至る道が生活』その591
今日はとある資格試験を受けたので疲れた。しかしまぁなんであんな理不尽な設問を出すのだろうか。実践では何の役にも立たない。試験用の解答方法を勉強しなければならない。とは言うもののもし自分が問題を作る立場だったらやはりあんな感じになってしまうのかもしれないなぁ。『敗北と死に至る道が生活』その592
Weeklyぴあを見たのだが、劇場版・扉の向こうは先日フジテレビでやったものと何が違うのだろうか。多少長めになるのだろうとは思うが。まぁ折角だから吉祥寺にでも行ってみるか。どーせ一人なんだし。一人上手だからな。私は一人が好きで良かった。あなたは一人で何をしたことがあるだろうか。私なんか一人でカラオケに行ったり、スキーに行ったり、バイクで鹿児島まで行ってみたりもする。なかなかスキーに一人では行かないだろう。リフトに乗るとき仲間とは別のコースを楽しんでいるフリをすれば全然平気だ。誰のためにそんなフリが必要なのかさっぱり分からないが。
しかし『はとバスツアー』だけは一人で参加する勇気はないな。何故か。
『敗北と死に至る道が生活』その593
ROCK IN JAPAN FES か。Dragon Ashとエレファントカシマシが皆勤賞なんだそうだが、私だってそうだ。毎年行った後にもう来年は来ないかもなぁと訳の分からない感想を持つのだが毎年行ってしまう。夏の風に誘われて。『敗北と死に至る道が生活』その594
急遽5月末の福岡にも参戦することを決めた。急遽でも余裕で(券)チケットが取れてしまうのが嬉しいやら悲しいやらだ。ドラムロゴスは親不孝通り(今は親富孝通りに改名)の近くにあるから便利がいい。あまり早く行くと公園に並ばされるのが、ホームレスの炊き出し待ちみたいだ。福岡・博多に行くと博多ラーメンか長浜ラーメンか久留米ラーメンを食べると思うが、そんなものはもはや東京でもどこでも喰える。『ごぼ天うどん』を喰うべきなのだ。『ごぼ天うどん』とは想像通り、ごぼうの天ぷらが入ったうどんだがこれがなかなかおいしい。
タモリも自分で作り、それを井上陽水が食べに来る。と、いいともで言っていた。讃岐でないコシのないうどん(コシがあればいいという風潮をタモリは否定していた)に堅めに揚げたごぼうが合うのである。ごぼうの切り方が店によって違うので自分に合った店を探し出すのがまた楽しい。私は薄めにささがいたチップスっぽくしたごぼうが好きだ。
地元の人は当たり前過ぎて、これを何とも思っていない様子だ。『ごぼ天うどん』なんか特別なものじゃないからわざわざ観光に来た人に薦めるような食べ物ではないと思い込んでいるからだと思う。今頃、九州の(24)セブンイレブンには『ごぼ天うどん』が並んでいる筈である。私は毎年夏になると『冷やしごぼ天うどん』を食べに行く。
ちなみに明太子は一腹が大きければ大きい程うまい。高いけど。だから大きいやつの切れ子がお買い得。切れてるから元が大きかったんだかなんだか分からないけど。
関係ないが呼子のイカは北九州産らしい。呼子の漁師が北九州沖で採って呼子で水揚げしたのが、かの有名な呼子のイカだ。だから八幡で喰う方が新鮮だったりする。関サバにしても対岸の四国側だって同じサバが回遊しているのだが。魚介類はよく分からないことになっている。
当たり前過ぎて薦めないものに、関東地方で売られているカップ焼きそば『ペヤング』がある。多分他の地方では売られていない(と思う)。UFOなんかより全然おいしく、関東地方では定番のカップ焼きそばなのである。もっと限定すれば『ジョージア・マックス缶コーヒー』というのもある。関東地方でも千葉・茨城しか売られていない(と思う)。多分成田空港にはあるのではないだろうか(と思う)。確か利根コカ・コーラが製造しているだけだと思う。(と思う)。これは別に薦めようとは思わない。私には甘すぎる。(と思う)。(と思う)。(と思う)。(と思う)。コピペしたと思う?
コピペは業界用語?
『敗北と死に至る道が生活』その595
例えば縄文人がドングリが1個。2個・・・10個。身近で分かりやすい。今日1個食べれば1個減る。9日後には1個になる。では10日後には何個になる。なくなるとは思うだろうが、それをゼロとは思わない思考回路だ。例えば商店街の店が急に取り壊されたら『あれここに何屋があったんだっけ』と思うのと同じだ。と思ったら大間違いだ。無いという状態を発見することは予想以上に難しい。なにしろ『無い』のだから、それは見つからない。数字で最後に発明されたのはゼロで、インド人が考えたと聞く。インド人もびっくりだろう。そう言えば私がインドに修行しに行ったとき、『錆びない鉄柱』というのを見た。みんなベタベタ触っていたのに錆びていない。もしかしたらみんなベタベタ触っていたから錆びる暇がないのかもしれない。あぁでも上の方もピカピカだなぁ。
『敗北と死に至る道が生活』その596
たまには外食でもしたいのだが、茹でてあるブロッコリーやら塩漬けしたキャベツなどが気になって全然外食出来ないでいる。せいぜい頑張って弁当を買って帰るくらいなものだ。弁当にブロッコリーやら漬物が入っていると外食すればよかった(汗)といつも後悔している。新宿なんかうまいものだらけだ。グルメな町に住んでいながらのひきこもり。普通の30代独身だったら、それこそ外食ばっかりなんだろうな。外で喰うのが面倒なのだ。と会社で言うとブロッコリー茹でたり、キャベツを塩漬けする方がよっぽど面倒なのだと聞く。私はちょっとおかしいのかもしれない。
一人でお洒落な店になんかには入れない。カウンターがあれば入りやすいが。
グルメ雑誌を立ち読みしていたら、覆面で店を調査するとき、記者はだいたい一人で行くらしい。取材費をなるべく抑えるためだろうか。男性記者が一人で入りにくい女性向の店なんかも取材するそうで、周りの目が痛いそうだ。
そうかその手を逆に利用して、私も記者のフリをすればいいのだ。『悪いこと書かれたくなかったらこんな男もきちんと接客しやがれ』とばかりにメモ帳片手にしていれば、いつもより余計なサービスを受けられるかもしれない。生活とはくたびれるものよ。
『敗北と死に至る道が生活』その597
HMVの試聴する機械のヘッドフォンジャックを差し替えれば録音できるのではないかと不純な動機で見に行ったのだが、さすがにジャックは抜けないように設計されていた。尾崎豊のトリビュート盤を借りてみた。Coccoの『ダンス・ホール』を聴きたかったのだ。改めて『路上のルール』は名曲だなぁ。詩がいい。青臭くなく。青い歌詞はこっちが聴いていて恥ずかしくなりがちだ。
ついでに『ニュー・シネマ・パラダイス』を借りてみた。誰もが名作だと言い切るのでそうなんだろうと思って見たら、とんでもない。クソ映画だった。あれはストーカーの話ではないだろうか。30年も引きずるような恋愛には描かれていないし、つきあい始めた動機も不明だ。ストーカー行為を受けた女性があんなに簡単に恋に落ちるものだろうか。そして30年後もストーカーになる。恋人を引き裂かれた原因のおっさんの遺品のフィルムを見るシーンで泣けるらしいのだが、さっぱり分からない。なによりこれを名作だと評価する人たちが多いという事実自体が謎だ。
私は映画が大嫌いだ。
『敗北と死に至る道が生活』その598
生きる。生活する。答えは簡単である。しかしその内容は簡単どころではない。一体日本人は生きるということを知っているのだろうか。小学校の門をくぐってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駆け抜けようとする。その先には生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり付くと、その職業をなし遂げてしまおうとする。その先には生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。現在は過去と未来との間に画した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。・・そこで己は何をしている。(青年/森鴎外)死を怖れもせず、
死にあこがれもせずに、
自分は人生の下り坂を下つて行く (妄想/森鴎外)
『敗北と死に至る道が生活』その599
あなたの家には飲みたくも無いコカコーラが大量にないだろうか。私の部屋にはない。5本しかない。ダイエット・コークなんか飲まないほうがよっぽどダイエットだ。相手の視点に立って物事を見られないと(旗米)アメリカのような痛手を食う。アサガオのツルの巻き方はアメリカは右巻きで日本は左巻き。
しかしアサガオ自身は物理的には同じ方向に巻いている。上から見たか下から見たかによって表現方法が異なる。アメリカの方が上から見そうだが、アメリカは下からみて右巻き。日本は上から見て左巻き。大体台風の巻き方だって衛星から送られてくる画像を元に見ているが私たち地球の表面から見ているのだから一般的に言われている巻き方とは逆周りが正解だ。
視点によって異なるのだから正解なんかない。あなたが『はい』と言って、私が『いいえ』と言ってもどちらも正しい。それに白黒つけるのは視点と時間だけだ。私には、あの頃は正しいと思って生きていた過ちがいっぱいある。
キムタクだと『過ちも含めて自分だ』などとくだらないことを言うかもしれないが、あの頃の恥ずかしい記憶は消してしまいたいものだ。ぶっちゃけ。
『敗北と死に至る道が生活』その600
私が勤め人だった頃の会社の社訓は『明日出来ることは今日するな』だった。いい会社だったなぁ。潰れてしまったけど。明日出来ることももう出来なくなってしまったんだなぁ。ところで仕事上必要だから登録してあるWebページがあるのだけど、『お気に入り』に登録してある。別に気に入っている訳でもないのにだ。いい大人が『お気に入り』なんていう単語は発したくないものだ。「僕の最近のお気に入りはねぇ・・・」あんたが何を気に入ってようが私の知ったこっちゃねぇぞ。
私は最近セブンイレブンの杏仁豆腐がお気に入りである。ひきょうなオチでめんぼくない。
『敗北と死に至る道が生活』その601
『蛇にピアス』はそんなに大衆受けするような話だろうか。村上龍派と村上春樹派で言えばどっちが多いのか知らないが、私は宮本輝派だ。宮本輝派はぬるいと言われがちだがぬるくて何が悪い。アンダーグラウンドの世界はよく分からない。桐野夏生も最初は面白いのだが徐々にアンダーグラウンドの世界に行く。そんなことより桐野夏生がおっさんでなく、おばさんだった方によっぽど驚いたのだった。
『敗北と死に至る道が生活』その602
(飛)羽田空港に(車)車で進入した迷惑なヤツがいたが、私のナビもそういう指示を出すぞ。目的地を羽田空港にするとちゃんと誘導してくれるのだが、駐車場に止めてもまだ誘導し続ける。どこに行かすのかと思って拡大してみると、目的地が滑走路になっている。私はこの事実に愕然としながらも、目的地が羽田空港なのだから正しいのかもしれないなと臍をかむ思いでいっぱいだ。飛行機に乗れなかった人達にインタビューしていたが、代わりの便は出ないのかだの、明日は満席だから振替られなかっただの、文句を言っている。そんなに簡単に機体のやりくり出来ないだろうし、航空会社だって損害賠償してもらいたいくらいだろう。私はこうして何故か庶民の立場より航空会社の立場から物事を考えてしまう。何故だかは自分でも分からない。怒りを忘れたのだろうか。