『敗北と死に至る道が生活』その423
『浮世の姿』やんないか。私が浜崎あゆみだったら、周りのスタッフが一生懸命やってくれるから私はこうしていられるのだと感謝する。最初は。しかしだんだんと、私がいなければこの人たちは仕事がない。私がいなければエイベックスだってあんなに儲からない。なんとかリミックスなんていう子供だましのCDばっかり出しても買ってくれるのは私の美貌のおかげだわ。
なんて思うだろう。幸いなことに私は浜崎あゆみではない。世の中の浜崎あゆみでない人。ほっとしたまえ。
『顔』がそうさせる。
『顔』がそうさせる。という経験はないだろうか。私はちょっと睨(にら)むとかなり怖い。睨まなくてもちょっと関わりたくないような、強いて表現すれば歌舞伎町あたりでよく見かける、いかつい顔をしている。強いて言えばだ。
私が歌舞伎町を歩いてもキャッチのお兄さんすら声をかけない。たまに声を掛けられたと思えば何故かおじぎをされている。服装が真っ黒なのと、背が高いのと、顔が怖いのと、話し掛けるな光線を出しているからだ。人のよさそうな人なんかいちいち声を掛けられ、進むのもやっとだ。俺も花見に入れてくれっつう感じだ。
本当はかなり小心者なのだが、ちょっと凄むと相手はかなりビビるらしく、買い物もしてないのに受け付けに行って、『欲しいものが品切れだった』と言うと、駐車券にスタンプを押してもらったり出来る。『この人にお断りを入れると時間がかかりそうだから押してしまえ』と相手が勝手に思うからだ。
見知らぬ人が私をどう思うかなんて知ったこっちゃない。私が傲慢なのではない。『顔』がそうさせるのだ。
・・・・性格が顔を作ると言う人もいる。消え入りたい。