『敗北と死に至る道が生活』その403
私は、こうは見えても生きている。昔はよくキレたものだ。仕事で同じ質問は2回までは教えてあげていた。3回同じ質問をされると怒りまくったものだ。だが、最近は怒らない。怒ったらその人の為になってしまうからだ。私はそんなにいい人であることを辞めた。。だから最近は怒らないのだ。意味もなく怒るのはどうかと思うが、正当な理由がある場合は教育的指導なのだ。
言い換えれば、怒るということは「教育的指導をしてあげている」という凄くいい人になってしまう。
私が「いい人」である訳がない。だから3回同じ質問をされても教えてあげる。その人の為にならないからだ。「前に教えたじゃないか!!」などとも言わない。
淡々と教える。かなり冷徹である。
「一生そうやって生きてゆけ」とも何とも言わずに。覚える気がない奴はそうやって生きていけばいいのだ。苦労するのは自分なのだから。
怒らないから「いい人」とよく言われる。こういう人を最近は「いい人」と呼ぶ。本質をとらえていない。「自分に対して本気で怒ってくれる人」これが本質的ないい人だ。
私ほどいやな奴はいないのだ。