『赤とんぼを大量に捕まえて電車の中で放したことなどありません。生活』その1159
『男たちの大和』を見てきた。こうは見えても私は若い頃、戦争を真面目に考え、靖国神社・横須賀・広島・江田島・長崎・知覧・鹿屋といった場所に足を運んだ。長岡の山本五十六生家にも行った。宮崎の回天練習場にも行った。回天というのは人間魚雷特攻隊が乗る一人用の小型潜水魚雷だ。吉村昭さんの『戦艦武蔵』を非常に興味深く読んだ。吉村昭さんは非常に組み立てがうまく、読みやすい。
『戦艦大和』に関して私はあまりよく知らない。日本が優秀な小型戦闘機零戦を開発し、大艦巨艦時代を自ら封印しつつもてあましたという印象が強い。だからってあんな最後はどうなんだろう。K-1に参戦した曙の姿をダブらせる。
制空権を制するものが勝つということは日本が一番よく分かっていた筈だが、これまた日本人的な考え方で、何も出来ないのなら散らなければならなかったのか。可燃物を捨て、片道分の燃料で大和は出撃する。それに付き合わされる乗組員はたまったものではないが、そんなことを言える時代ではなかった。
『●●の名の下』という名目で家族や恋人と引き裂かれる。そして戦後。あの若者たちが捨て身で守ろうとした日本の現状をあの若者たちは今、天国から見ている。恥ずかしいことは出来ない。