『敗北と死に至る道が生活』その2233
前回、本で泣いたのは「死に行く妻との旅路」だったか。映画化されるようだ。私は何度、嫁が死ぬ場面を想像したことか。嫁には「何回殺すんだ」とおこられる。ちょっと連絡がないと交通事故にでもあったんじゃないかと思う。携帯電話が車にひかれて粉々になって、救急車で運ばれる姿を想像して悲しくなった頃メールが入る。パーマの絵文字と「終わった」という短いメール。
私の祖父はガンで延命治療された挙句死んだ。生命として生きているとは言えない状態を機械で必死に生かしている姿を見て複雑だった。当時は痛みを長引かすくらいだったら自然死でいいんじゃないかと思ったが、それでも「生きている」「手を触れば温かい」という繋がりを求めた家族もいただろう。家族が諦めれば医者は管を抜くだろうか。うっかりすると逮捕される。年を重ねる毎に結論を出せなくなってゆく。人それぞれのサンセットか。