『敗北と死に至る道が生活』その396
相撲が国技ではないと言うのは意外に知られていない。そもそも国技なんていうスポーツはない。日本相撲協会が勝手に国技だと言い張っているだけだ。国歌や国旗もこれに似ている。ものとしてはそれらしきものが存在したが、それがはっきりとしていない(またはする必要がなかった)のに定義が後付けになってしまい、おかしなことになる。私の気がかりは今、力士である。力士はおしなべて巨体である。押してなべるともっと巨体である。だから誰もおしなべないのである。間近で見たことがあるだろうか。テレビで見るとあの巨体さ加減がよくわからない。大きさの目安としてのマイルドセブンさえ踏んづけてしまう有様だ。こうなると大きさの目安としてはウルトラセブンでないと駄目なんじゃないかという気さえするのだ。総武線の両国あたりをうろついていると、力士もうろついている。同じうろついてるにも程がある。
力士が遠くにいても近くに見えるくらいの独特の遠近感をもってせまってくるくらい頓珍漢だ。それは商店街に黄昏が訪れたかのように日光さえ遮ってしまう。太陽->力士->地球という直列の『食』だ。日照権で訴えようにも出来ない。なぜならば力士は建物ではない体。
あぁは見えてもほ乳類ホモサピエンスだという噂だが本当のところはまだ謎である。力士の生態について調べようとする学者はことごとく投げ飛ばされてしまう。現在の力士の体に対して土俵というのはあまりにも狭い。「こんな狭いところに力士が二人もいられるか!!」という競技なのだ。相撲ってやつは。
国技館に行ってみるがいい。土俵の狭さに人々は愕然(がくぜん)とするのである。だから東京ドーム何個分という表現はあるが、土俵何個分という表現は無い。土俵は土俵1個分でしかないのだ。
土俵が東京ドーム1個分あったら、日本相撲協会も観客を沢山呼べていいだろう。だが、見えない。いかんせん観客席から見えない。バックスクリーンに映し出される映像を見て誰もが『これじゃ家で見るのと変わらないね』 と言う。広すぎて押し出しするのにも時間がかかる。だから力士をもっと巨体化する方針だそうだ。
例えば飛行機のシート。スチュワーデスが叫ぶ。「力士の方はバランスよく座ってください」と。機体が傾くのだ。トイレにさえ行けない。エコノミー席に力士は座れるのだろうか。考えてみるまでもなく座れないだろう。このことから「力士はエコノミーじゃないね」と言える。
例えば家計簿に於いてもそれは歴然と分かる。エンゲル係数が高い。エンゲル係数とはある期間内の総支出に対する食費の割合で、ドイツのエンゲルが発見した数だ。エンゲルは給食係のドイツ名で、ジーコの次の日本代表監督候補でもある。
そんなエンゲル係数が100を超えてしまっているかもしれない。100を超えたら円グラフがおかしなことになる。らせん構造になる。四次元の世界だ。そのくらい力士はエコノミーじゃない。
力士はエネルギーをなるべく体内に蓄えるため、言葉を発することを抑えている。試合後に於いてのインタビューでも何を言ってるかよく分からない。力士には通訳をつけるべきだ。通訳まではぁはぁと言う。あんたは疲れてないだろうが。
そして力士は冷やし中華を食べても汗が出る。喰ってるそばから、うどんから全て熱エネルギーに変えるのだ。
力士を300人くらいあつめて熱発電所を作ったら平均的な1世帯の約1年分の電力をまかなえるという。エチオピアの1世帯だ。だが力士300人をまかなうにはもっとエネルギーが必要なのだ。『オゾン層』『エルニーニョ』『力士』。
言い換えれば、私の気がかりは今、モー娘の加護でもある。うちのテレビの垂直同期回路が壊れたのかと思った。2ちゃんによれば『通常時の3倍』だそうだ。