『敗北と死に至る道が生活』その383
私は暇さえあれば、『事象を誰かが入力しているようじゃまだまだだめだ』と考えている。例えばここのライブセットリストもライブという事象に対し結果を私が入力している。入力しないと結果が出せないからだ。この『入力しないと結果が出せない』ということは非常に間抜けだ。しかも間違える可能性が高い。例えばゆうパックやクロネコの荷物追跡システム。ある番号が振られて自分の出した荷物がどのように輸送されているか、届いたかなどを追跡するシステムだが、出した日は出した局にある。次の日見てみると出した局にある。翌日見てみると届いたとなっている。お前は瞬間移動でもしたのか。途中経過はどうなっているのだ。見るたびに『富士山上空』とか『大阪城真上』とか『まぁ焦るな』とか『私だって頑張ってるじゃないか』とか『うるさい』とか出るのが追跡システムだろう。
結局、途中経過なんていちいち入力していられないのだ。事象自体が自動入力されるような仕組みがなければだめだ。世の中の事象が全て自らの状態を発信し、インターネット上にたまっていけばメンテナンスをする必要がなくなる。そういう仕組みがおそらく未来にはなりたっていることだろう。しかし停電だけは記録されない。記録しようとした瞬間に機能を失うからだ。電気を使っている以上なにをやっても無理だ。電気に変わる何かを考えなければいけない。
私は有機生命体が鍵を握っていると思うが、それを実現できるほどの知識を持ち合わせていない。例えば改造されたゴキブリやハエなどがセンサーの役目を果たし、そいつが認識した情報は全てインターネット上の単細胞DNAスーパーコンピューター(デジタルを塩基に置き換えたもの)に蓄積される。この時重要なのはゴキブリ自体の脳みその認識力などどうでもいいことである。はじめから無理だと言ってあきらめるな。
2003年今日現在この東京じゃ言っている事が理解されない。