管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その32
20代の頃、私はいつも心に花束を持っていたが枯れてしまった。
花なんかどうだっていい。(薔)花は人類に気に入られようと必死に美しく咲く。そのコンセプトが気に入らない。見た目はきれいだが思想は歪んでいる。種の保存の自己努力を怠り、人類に育ててもらうことにより、繁栄しようとしている。
これはオオカミから派生した(犬)犬もそうだ。首輪と引き換えに(食)エサを貰える環境を手に入れ、ワイルドな心を捨ててしまったのだ。これで生きていると言えるのだろうか。そうまでして生きて何の意味があるのだろうか。
人類もそうだ。私も人類。種の保存の自己努力は全くしていない。自分の将来さえ不安なのに子供を育てていく余裕などない。($)退職金は企業が搾取し、老後に退職金など出ない。年金制度が崩壊するのは目に見えているから年金も自分で貯金している。真面目に年金制度を利用する人と生活保護を受ける人が逆転するかもしれない。本人が悪いとは言えみすみす飢え死にさせる訳にもいかないから国は保護せざるを得ない。本当は放って置けばいいのだ。
こんな考え方は間違っていることは承知しながらも、そう考えざるを得ない環境に日本はなっている。世界中がなっている。それが先進国と呼ばれている。そうまでして生きて何の意味があるのだろうか。神からの意思が全員死刑ですと言われる所以だ。