管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その33
21世紀。そろそろ完成形の状態で生命が生まれてきてもいいのではないか。
人は何かを学ぶのに時間が掛かる。そして何かを極めても所詮いつか死んでしまう。そして次の世代の人間も何かを学ぶのに時間がかかる。そして何かを極めても所詮いつか死んでしまう。こんな非効率なことを繰り返していていいのだろうか。例えばブラジルの(FB)サッカーが強いと言われてもロナウドが引退してしまえば、またいちから育てなければならない。これでは効率が悪い。
だとしたら最初からロナウドが生まれてくれば良い。普通の子供が0から100になる間に、ロナウド状態の子供は既に100だから200になる。これを繰り返せばヒットポイント999999のロナウドが出来上がる。
例えば生命を持った星が発見されたとする。おそらく『野球』というスポーツは無い。似たようなのがあるかもしれないが、野球はかなり洗練されたルールである。しかし『サッカー』というスポーツはあるのではないか。サッカーは非常に単純なルールだからだ。
そうするとワールドカップで優勝した国は、地球代表として別の星で優勝した国と戦わなければいけない。より優れた選手を育てるには、やはり完成形の状態で生命が生まれてきたらいい。
そういう発想に基づいて(馬)競馬は行われている。サラブレットはただただ(うま)走るために完成形で生まれてくる。少しでも骨折したら薬殺されてしまう。死刑宣告。
というかなりのノイローゼ的な考え事をさせてくれたワールドカップ。今後どうスカパーとつき会って行くか、が庶民の悩みだ。