『敗北と死に至る道が生活』その668
ロールプレイングゲームだとセーブしといてやり直せる。しかしどの道を行くにしても誰かが決めたシナリオを選ぶに過ぎない。最近気になるのが『分岐点』だ。
人は瞬間〃にいろんな判断を行う。AかBかを選ぶ。今が『Aを選んだ結果の人生』ならば当然『Bを選んだ結果の人生』も存在した筈であって、結果的にどちらを選んだらよかったのかなど分かりようも無い。Aの今が良いとしてもBの方がもっと良いのかもしれないし、Aの今が悪かったとしてもBの方がもっと悪かったのかもしれない。だから人によっては二股かける。本能という意味では正しいのかもしれない。いい方を選ぶのが種族の繁栄だ。再生だぁ。うぉうぉー。
広島に行った時の話だ。カキフライを探していた。私たちはカキフライを探していた。広島といえばカキフライだからだ。『カキのフライ』だ。『ガキのつかい』ではない。海沿いの道を山口方面に向かいつつカキフライがありそうな店に寄ってはメニューを見つける。私は運転手なので彼女にメニューを見てきてもらうが、『メニューにはあるけど・・・』と不安そうな顔つきで帰ってくる。たしかに薄暗いそのレストランはこの世の末的な雰囲気がぷんぷんだ。2軒目もそんな感じだった。店のオヤジが客席で新聞広げている的な店だ。さびれた駅前にあるような。黒崎みたいな。例えが多すぎる。
彼女は不安になり、3軒目はいよいよ私に見てきてくれと言う。私が行ったその店は隣に『生カキ直販所』があり、明らかにヒットの予感がしたのでそこに決めた。中に入るとヒロミとこぶへいのテレビ番組で取材された店らしい。出てきたカキフライは当然かなりおいしく、探した甲斐があったというものだった。本物のカキフライには貝柱がある。
3軒目を選んで良かったと思っているが本当にそうだったのだろうか。1軒目も2軒目もおいしかったのではないだろうか。私たちはいつかそれを確認しようと企んでいる。しかしせっかく広島まで行くのだったらやっぱりあの3軒目で食べてしまうかもしれない。
確認に行って1軒目で食べてみて不味かったらそれで一体どう思ったらいいのだろうか。やっぱり正しかったと言えるのだろうか。頻繁に行く訳でもない広島で。マズいものを食べて笑っている人がいたら、それはきっと『分岐点』の確認をしているのだ。間違いない。