『敗北と死に至る道が生活』その236
私はいつも原始人のことを考えている。言葉や文字が誕生しつつあるこの時代の雰囲気を肌で感じたく、青森の三内丸山遺跡に足を運んだこともある。昔、登呂遺跡に泊まらせてくれと言ったら断られたこともある。規則が規則が・・このお役所仕事め。この時代の赤ちゃんをタイムマシンで運んできて現代人として育てたらどうなるのだろうか。1つの生命が無の状態から始まるとすれば現代社会にも適応出来るのではないだろうか。それとも現代社会に適応するにはDNAに刻まれた記憶の蓄積が必要なのだろうか。
オランウータンがなかなか社会進出出来ていないことから、多分適応出来ないのではないか。だとしたらどの時代から適応出来るのだろうか。江戸時代か。平安時代はどうだ。気になったところで実験する術がない。一日中こんなことばかり考えてみてごらんなさい。疲れてしまうのである。