『敗北と死に至る道が生活』その244
松本人志は自宅に帰ると、テーブルの角をじーっと見つめているそうだ。翻って己自身に鑑みれば、最近夜9時に寝て朝8時30分に起きる。かなりの勢いで1日の半分は睡眠に費やしているのである。贅沢なようで実はかなり疲れるのだ睡眠ってやつは。だから昼寝もしてしまう。
朝は「はなまるマーケット」を見て「今週は野菜特集」かと思いキュウリを茹でてみたりして、昼は「思いッきりテレビ」を見て「四月の生活改善」かと思い、ひじきのプリンを作ってみたり、夜は「プロジェクトX」を見ながら「日本のロケットも空回りだよなぁ」と思いつつロケットを作りながら眠いから寝てしまう。そんな非常に退屈した日々を送っている。午後3時ともなれば鳩が友達だ。来るのである。ベランダに鳩が。3時になると。
酒も醸造しないし、煙草も栽培しないし、女の子を育てる訳でもないし、ギャンブルも主催したことがない私は何が楽しいのかと問われれば、そんなことを問われるのが一番苦痛なのだ。つまり何一つ楽しくない。
どうせ死んでしまうのだし、今更趣味の一つや二つやったところで、どうせ死んでしまうのだし。笑ってその日が楽しかろうが、どうせ死んでしまうのだ。美味しいものを食べたって、どうせ死んでしまうのだ。バイクに乗って楽しかろうが、旅をして楽しかろうが、結局全て無くなって死んでしまう。お金なんか貯めても死んでしまう。病気になったって死んでしまう。一生懸命煙草を吸ってせっかくガンになったってどーせ死んでしまうのだ。
だから食費に金を費やすのもばかばかしいし、食費以外の出費も極力抑えている。昔よく買っていたCDや本も買わなくなった。エレカシさえ聞いていればそれでいいのだ。他の歌手なんかどーでもいーのだ。
鳩を見ていると「こいつも何が楽しくて生きてんのかなぁ」等と考えがちだが、そんなことすら考えていないんだろうなぁと考えがちだ。思い込みである。鳩は鳩なりに楽しいのかもしれないし、もしかしたら「鳩よ!」だって読んでいる可能性も如実には否定できない。一句浮かんだら「お~いお茶」に出そうか、「ユーミンの五七五」に出そうか悩んでいるのかもしれない。カラスに襲われそうになるのだって、女性がみんなレイプ願望を持っているのと同じに等しいに違いないに似ている。
F1中継だって本当は事故が見たいのだし、野球中継だってたまには乱闘が見たいのだし、プロレスなんかは格闘が見たいのだし、パワーボートなんかはひっくり返っていない方が珍しいくらいだし、料理番組に至っては平野レミが見たいのだろう。全て見たい物見たさである。そこそこのスリルや危険は誰もが望んでいるのである。和田誠の気持ちがよくわかる。
翻って己自身に鑑みれば、若い頃は週に10日ほど飲み歩いていて、目は血走っていて、実際には電車に乗っていたのだ。サラリーマンを辞めて貴族に職を変えてからは、かつてほど楽しくはないなぁ。と。そう思う毎日である。
松本紳助で二人が言っていた。
「今はつまらん。20代の頃は若いだけで楽しかった」
ミヤジも言っている。
「幸せと言えば言える。俺達の憂鬱よ」
退屈だからといって不幸ではない。「幸せか?」と問われればかなり幸せな状態なのだ。だからと言って楽しくはない人生。
松本人志は笑いの頂点に立ってしまったので「自分を笑わせてくれる人がいない」のだ。頂点に立ってしまった人間はそれからどうすればいいのだろうか。