『敗北と死に至る道が生活』その279
私は父親の死に目に会っていない。携帯電話が普及した時代。緊急な場合は外出中でもコンタクト出来る。かなり凄いことではないか。原始人が狩りに行っていたならば、その間に愛する妻が子供が家族が急病で苦しんでいるかもしれない。そんなとき携帯電話があれば何かと便利だっただろう。結果的に距離が遠くて行けないとしても、「その時を思う」という同時性は大切なことだ。本当に良い時代になったもんだ。だから携帯なんかで出逢い系なんか見てる場合じゃないのだ。きちんと真面目に使わなければ原始人に叱られる。具体的に言えば棍棒で殴られるのだ。
そんな便利な時代なのだが、私は父親の死に目に会っていない。何故ならば父親は元気に、今朝も盆栽の手入れをしていたからだ。