『敗北と死に至る道が生活』その287
男の料理はワイルドだと言われるがそんなことは無い。むしろ繊細だ。私がカレーを作るときはきちんとルーの裏面に書かれた分量を量って作る。やっかいなのは12皿分の作り方で書かれていることだ。私はせいぜい5皿分でも食べきれない。ところが困ったことには12皿分を5で割ると端数が出てしまう。端数は切り上げればいいのか切り捨てればいいのか、はたまた四捨五入すればいいのか。そんなことまで書かれていない。欠陥品じゃないだろうか。だから仕方なく3皿分を作るのだ。つまり12皿分の材料を4で割ればいい。12は4で割りやすい。なんて論理的なのだ。例えばじゃがいも中4個とあれば4割る4だ。ところがにんじんは中1本。1割る4だ。小数点の世界まで入り込んでしまうじゃないか。私は電卓を用意した。
これを料理中に行うとなると電卓が水に濡れてしまう。「=」のキーに肉汁が付いてしまう。そこであらかじめ計算したメモを作ることにした。全部4で割ればいいのだ。落ち着き払って一服しながら書いたメモはこんな感じだ。
肉500g割る4=125g
玉ねぎ中4個割る4=中1個
じゃがいも中4個割る4=中1個
にんじん中1本割る4=中0.25個
サラダ油大さじ3割る4=さじ0.75
水1400ml割る4=350ml
バーモントカレー中辛250g割る4=甘口62.5g
水にもこだわって南アルプスの天然水を買ってきた。本当はエビアンでも汲みに行こうと思ったのだがサミット開催中で警備が厳しい。目盛りの付いたカップで慎重に分量を量る。そのためにはカップが水平でなければならない。傾いていたら微妙に誤差が出てしまうからだ。私はそのために作業を一時中止し、東急ハンズ新宿店に水平器を買いに行った。東急ハンズ新宿店は実際には渋谷区にある。水平器とは液体の中に空気の泡が1つ入っていてそれが真ん中に来れば水平だと判断できるすぐれた道具である。主に大工が使う。
ついでに分度器も買ってきた。何の役に立つかは分からないが、ジャガイモの面取り角度などを測らなければならないかもしれない。男の料理は常に慎重である。私は水平器で水平なことを確認したカップで慎重に水の量を量った。目盛りちょうどにまで水を入れるのは少々手間だがこれでカレーの味に微妙な影響が出るのだ。手は抜けない。私は若干入れすぎた水をスポイトで吸いながら微妙に調整した。
ここで一つ疑問が生じた。水は沸騰すれば蒸発してしまうではないか。蒸発率により若干増やさなければ水分が足りなくなり、ばかにこってりしたカレーになってしまうだろう。私は慎重に鍋の穴の面積を測った。直径25cmだから(半径)*(半径)*3.14の計算式で面積が求まる。
私は学校に行っていてよかった!とつくづく思うのだ。鍋の穴の面積は 6,132.8125 cm*cm だ。私は少しほっとしてタバコを吸ってしまった。だが問題はそこからだ。一体この面積からどの程度の水分が蒸発してしまうのか。学校で教えてくれなかった。
ガスコンロのカロリー計算が影響するんじゃないか?2,900kカロリーと書いてある。このことから 6,132.8125 cm*cm 割る 2,900kカロリーは 2.114762931 という数字が出た。これが一体どういう数字なのか定かではないが、おそらくそれだけ蒸発するという蒸発率なのではないか。
私は少し多いんじゃないかとためらいながらも水を 2.114762931 リットル余計に用意した。「 6,132.8125 cm*cm 割る 2,900kカロリーは 2.114762931 だからな。よしよし」私は誰に言うでもなく自分にいい聞かせた。
まてよ。この箱に書かれているのはもしかしたら蒸発する分も見込んで水の分量が書かれているかもしれない。よかった。気が付いて良かった。まだ用意しただけで水を入れてしまった訳ではない。私はほっと胸をなで下ろしタバコに火を付けた。
腹が減ってきたので吉野家で牛丼を買ってきた。「腹が減っては料理が出来ないからな」と言いながら牛丼をかっこんでいた。さて、カレーの準備は整った。ふと気が付けば夜の10時になってしまったじゃないか。「明日にしよう」。私は材料を冷蔵庫にしまいタバコに火を付けた。カレーってのはじっくり煮込む料理だと一般的に言われているが私にとってはじっくり考え込んでしまう料理なのだ。
追伸:余ったカレーのルゥはチョコレートの箱に入れて子供の手の届く場所に保管して下さい。