『敗北と死に至る道が生活』その294
中野サンプラザで津軽三味線の演奏会があった。私は民謡界のことはよく知らない。「社中」とか「家元」とか「~流」とかさっぱりよく分からない。こんなことを言うと恐らく民謡界から怒られるが「そんなもんどーだっていい」のだ。未来は無いな。と感じたのは、演奏会前に来賓の紹介から祝辞まで延々と聞かされることだ。そんなもん見に来たのではない。私は音が聞きたいのだ。少し我慢するうちに演奏が始まった。なんなんだこの観客達は。始まっているというのに私語が多い。集中して聴くことが出来ない。おばさん連中のマナーの無さは若者に文句を言えるような立場ではない。エレカシのコンサートの方がよっぽどマナーがなってる。しかも宮本浩次はマナーの悪い客に「出て行け」と言ってくれる。他の客に迷惑が掛かるようなファンは来て貰わなくて結構。
津軽三味線を100人で合奏していたが、なんだかあれだけ大勢いるとピントがボケる気がする。津軽三味線独特のシャープな音がバラバラになる。「こんなもんだったっけ?」と少し拍子抜けしながらも見続ければ、市川竹女、高橋裕次郎、佐藤通弘の3人が出てきた。竹女さんの話は面白い。笑わせようと思っていないところが面白い。そして現代の津軽三味線を否定している。昔はこんなんじゃなかったと。「私はそんなにうまくないけど、聴いてくれや」と言って奏でる三味線は確かに迫力は無いがすごく染みる。
高橋裕次郎についてはあまり言うこともない。人気があるらしいが喋りすぎだ。とっとと演奏して帰れと思った。佐藤通弘はCDも持っている。彼の演奏はU2のギターのようにシャープだ。だがマイクを通した撥の音というのは不自然だ。これだけ大きいホールでは仕方がないのだろう。本当は小さなライブハウスで生音で聴いた方がよっぽど綺麗なんだと分かった。私の先生が教室で奏でてくれる音の方が数倍綺麗に聞こえる。
こうして変遷を見せつけられると津軽三味線はだいぶ破壊されているな。と感じた。それが時代にマッチして変化を遂げているということであるならば三味線本体を破壊する奴がいてもよさそうなものだ。火を付けて燃やしてしまえばいいのだ。