『敗北と死に至る道が生活』その310
鏡に映った顔は自分の顔ではない。もう一回反転させて他人が見た本当の顔になる。最近のヘビーローテーションは椎名林檎の『映日紅(イチジク)の花』。ほどよく癒し系。賣笑エクスタシーの(DVD)DVDに入っているのとシングルのPVは映像が違う。賣笑エクスタシーの方はホクロの位置が違う。反転している。反転しても椎名林檎だ。椎名林檎自身はこの反転した状態を見慣れているのだろう。シングルのPVの方はレンズにずーっとゴミがついている。うちのテレビが汚れたのかと思ったが違った。最後の方で子供の頃のホクロに重なる。そして消える。『映日紅の花』は椎名林檎作曲ではないにも関わらず椎名林檎的だ。
野音の(券)チケットが届いた。(ココ)座席表を見てみると意外と後ろの席で一安心。私は背が高いのであんまり前だと申し訳ない。
『生命賛歌』のPVを見た。狼だけか。最後のほうは目が疲れる。私の語彙には『ひょうろく玉』というのはなかった。どこから出てきたのだろうか。
『恐らくは日本人と呼ばれる以前の死に絶えし人々の祈り有りて』。私もよく昔の人々について想いをめぐらす。文明が過渡期だった頃の人生とは何だったのだろうか。いまのチンパンジーにとって生きるとは何なんだろうか。生命は子孫を残すことに必死だが繁栄して何の意味があるのだろうか。最終目的は何なのだろうか。
私はある程度文明が発達した時代に生まれて本当に幸せだ。便利さと、それが失われた時の不便さを比べると不便のほうが大きく感じる。本来、便利の方にもっと重みを感じなければいけない。我々はこの世の中にもっと感謝すべきだ。最終目的なんかどうだっていい。生きる過程が楽しければそれでよし。