『敗北と死に至る道が生活』その485
えー、ここで『新明解国語辞典』の意思を発表します。単なる文字の説明および堂々巡りを極力排し、文の形による語義の解明を大方針とした
普通の辞書は例えばAという単語を説明するのにBという単語を使っていてじゃ、Bはと調べてみるとAという単語を使って説明されているということだろう。
本当なんだろうか?調べてみた。
他の一般的な辞典数冊調べたが全てこんな風になっていた。
【北】
方角の一。日の出に向かって左の方角。十二支を配するときは子(ね)の方位。
【左】
空間を二分したときの一方の側。その人が北に向いていれば、西にあたる側。
「北」の説明に「左」を使い、「左」の説明に「北」を使っている。これが新解さんの言っている「堂々巡り」だ。
じゃあ、新解さんはどうやって説明してくれるのであろう。
【北】
東に向かった時、左の方角の称。
【左】
1.アナログ時計の文字盤に向かったときに、7時から11時までの表示がある側。
2.「明」という漢字の「日」が書かれている側と一致。
3.人の背骨の中心線と鼻の先端とを含む平面で空間を二つの部分に分けたときに、大部分の人の場合、心臓の拍動を感じる場所が有る方の部分。
きちんと「左」の説明には「北」を使っていない。ここで安心してはいけない。もし「アナログ時計」の説明に、「左」という単語を使っていたら「堂々巡り」だからだ。念のため調べたが「アナログ時計」には「左」という単語は使われていなかった。
ところで新解さんの「左」である。何だ!この説明は。
1.の説明は大変分かりやすくて結構。時計じゃなくてアナログ時計。デジタル時計の7時から11時って言われても何のことだか分からない。
2.も分かりやすい。っていうか「1.」があるんだから、くどいとも言える。新解さんは「新明解国語辞典」だから「明」っていう字を使いたかったのだろう。
みなさんお気づきだろうが「3.」はぶっ飛んでる。「大部分の人の場合」っていうのがアナーキーでいい。
ごく一部の人は左側には拍動を感じないのか?
映画とか本等は最後の1行に伝えたいものが集約されている。新解さんの最後の言葉は何だろうか。「ん」の一番最後の単語の説明だ。それは「かくれんぼ」だった。
私の好きな単語を調べてみた。
たび 【旅】
一般的な辞典
住んでいる所を離れてよその土地へ出かけること。名所旧跡を訪ねたり、未知の場所にあこがれて、また遠方への所用のため、居所を離れること。旅行。「―に出る」「かわいい子には―をさせよ」
新解さん
差し当たっての用事ではないが、判で押したような毎日の生活の枠からある期間離れて、ほかの土地で非日常的な生活を送り迎えること。
私がいう「旅」とは新解さんの言う旅と一致している。「判で押したような毎日の生活」と「ほかの土地で非日常的な生活を送り」の部分だ。新解さんとは友達になれそうだ。
なので新解さんと会話してみた。
私「こんにちは」
新「日中、人に会ったり人を訪問したりする時の挨拶語」
私「元気?」
新「進んで物事をやろうとする気力」
私「さよなら」
新「さようならの短呼。野球で最終回の裏に点が入り、それで勝負が決まること」
私「さようなら」
新「『そういう事情でありますならば、これでおいとまします』の意を含めて、別れを告げる挨拶」
今日から私も新解さんのような受け答えでしばらく暮らしてみようと思う。
こんな具合だ。
誰か「一番好きな食べ物は?」
私「あなたのおっしゃる意味は、動物が生命を維持するのに必要な穀物・野菜や肉などの集団に属するものを、性質・品質などの価値基準に従って評価した時に、ほかのどれよりもすぐれているので理屈抜きに心が引きつけられている様子になる食材は何かと尋ねられているのですね?」