『自分の管理は全く出来ない生活』その770
洗剤ほど人生を複雑にするものはないだろう。なるべく物を増やしたくないということにこだわってから、私は少しおかしくなってきた。ボトル式のボディーソープを買うときも『これは衛生上必要だから買うのだな』と一呼吸置くようになった。バスマジックリンを買うときも『台所の洗剤で間に合うのではないか?』と思い、買わなくなった。
今は窓を拭くのも風呂を洗うのもトイレ掃除もプールを洗うのもフェラーリを洗うのも全部台所用洗剤である。フェラーリは1/24だが洗剤も24倍に薄めているから大丈夫だ。要するにせっけんのたぐいは、洗濯用、身体用、以外は台所洗剤で間に合わせている。ネットで検索したら洗濯用も台所用とひとつにまとめられると聞いて少し興奮している。
ボディーソープがあれば、シェービングフォーム、ハンドソープ、メイク落とし、シャンプー(リンスは元々使っていない)なんか不要だと思う。メーカーに躍らされている。ラベルが違うだけかもしれないぞ。
普通の人からは、これでもこだわりすぎだと言われるが、私はもっと進化してしまった。ボディーソープを買うならパッケージがなるべくシンプルなものがいいと思った。今では何かを買うのに表面のシンプルさ、イコール商品名の短さ、及び注意書きがなるべく少ないものを買うようにしている。蓋の色にさえこだわっている。オレンジや赤は視覚的に邪魔臭い。
私はここから更に進化して、100円ショップで売られていた透明のボトルを買ってきて詰め替えることにした。量が分かって便利だということもあるがそんなことは二毛作だ。シャンプーもリンスもボディーソープもないから目印のシールさえも不要だ。
台所用洗剤で体を洗い始めたらそのときこそ『君、おかしいよ』と言って欲しい。それまでの辛抱だ。