『こうは見えても平和主義な生活』その912
いい人間と悪い人間が共存している。いい人間が商店街を歩いていてキチガイの乗った暴走トラックに轢かれてしまう。世の中そういうものだとあきらめるしかない。精神病者が叫んだだけでは警察も手が出せない。何かあってからでないと逮捕出来ない。世の中そういうものだとあきらめるしかない。能力というのは明確に目に見えるものでもないし、テストの点数でもない。東大卒の大馬鹿者もたくさんいる。世間を知るという意味では高卒で働いている人のほうがよっぽど社会を知っている。
私は最近、会社に一時間前に行っている。もちろん20代の頃はよく遅刻をした。『タバコを吸いに行く時間などを考えたら5分、10分程度の遅刻でガタガタ言うな』と今考えれば訳の分からない理屈を振りかざしていた。なまじっか仕事の能力が高いからつけあがっていたのだ。
何かを発言するには、まず自分に非がある状態で言うべきではない。自分を完璧にしてから文句を言えば発言力の質が高まる。人は見た目でしか判断出来ないから生活態度を完璧にすることが一番だ。かといって遅刻する人をどうとも思わない。かつての自分がそうだったのだから文句など言えない。
私は真面目に生きている。しかし歌舞伎町でどっかのバカに刺されるかもしれない。世の中そういうものだと諦めるしかない。諦めきれないのは残された人たちだ。いい人が理不尽に殺されるから切ないのだ。だったら自分が悪人になればいい。という理屈で悪人が増えているのかもしれない。
しかし私は真面目に生きている。真面目な人が馬鹿を見る世の中で真面目に生きることが社会に対するあてつけである。そんな私を殺してみろ。そして殺人者を税金使って保護しろ。それがニッポンだ。