『それぞれの東京タワー』その1726
こうしている今も私の部屋から2008年の東京タワーが見える。35年前。昭和48年。西暦で言うと1973年。
母の妹が東京タワーで働いていた。ちょうど大久保清の連続殺人事件があった頃だ。
当時私は9歳。東京タワーにおばさんが働いているというので行った記憶がある。
ある日ニュースを見ていた母が「えっ」と言った。
母の妹が殺された。
Kさんとしておこう。
今、母に聞くと「妹も落ち度があったんだ」とか。
記憶が曖昧なので、国立国会図書館に行って当時の新聞を見てみた。
国立国会図書館には過去の新聞の縮刷版がある。何故かサンケイ新聞だけは無いのだが。
概要を知ることが出来た。別れ話による絞殺。
今では珍しくない同棲。当時の新聞では”内縁の妻24才”と表現されていた。
そんな時代背景なのだろう。だから「妹も落ち度があったんだ」と言うのだろう。
Kさんのお母さん(私の祖母にあたる)はどんな気持ちだったのだろう。
犯人の姉も24才と記事にあった。
殺してしまったと伝えに姉の職場に行っている。
自首を進めたがそのまま立ち去ったとか。
犯人の姉はどんな気持ちだったのだろう。同じ年の女性を弟が殺してしまった。
先日亡くなった祖母は自分がKさんのために作った墓に入ったのだ。
現代では単に同棲していただけで、落ち度があったとは言われないだろう。
大久保清は関係なかった。子供の頃、大久保清に殺された人の墓参りに行った気がするのだが、あれは一体何だったのだろう。
おばさんにあたる人だが、母とは年の離れた妹なので優しいお姉さんというイメージが強い。
記事には江古田や中目黒という地名が出てきた。もちろん犯人の名前も出ていた。
犯人は逆探知によりその日のうちに逮捕された。
多分出所してどこかで生きているのだろう。
犯人に特別な感情は無い。ただ事実を知りたかっただけだ。
先日江古田の殺害現場住所を探したが今ではなくなっていた。
近所の神社で手を合わせてきた。祈りとは自分のココロを整理するものだ。
東京に出てこなければ・・・
知り合わなければ・・・
部屋でなく外出先で別れ話を切り出していれば・・・
続いていたであろう彼女の人生。
今も理不尽に殺されている人がいる。
あの日秋葉原に行かなければ。
もう少し店内にいれば。
あるべき長い人生が瞬間に終わってしまう。
今、午前零時。東京タワーの明かりが消えた。
誰かが消したのだ。